モルグ市北高七不思議【2】笑う山茶花追いかけて

 廊下の窓の外に見えるは碧い木々と八重桜。

 グラウンドは静かなものだ……陸上部が黙々と走り込んでいる。野球部やサッカー部といった、団体戦の競技は行われていない。

 一方で放課後の各教室は文化系の部活が盛んなようで、多くの生徒が活動に勤しんでいた。木造校舎に吹奏楽部によるチューニングの音が響く。


 木造校舎は「旧校舎」、鉄筋校舎は「新校舎」と呼ばれることが多いらしい。新校舎ができたのは魔神侵攻後で、生徒たちが普段授業を受けるのは新校舎側だ。


 さてさてモルグ市北高の七不思議のひとつ目。

 足取り軽く進むサザンカが向かった先は、保健室だった。


「コバヤシせんせー!」

「げ、またそんな変な格好して……」

 出迎えたのは糸目の養護教諭だ。露骨な嫌悪感はそのまま入口に立つふたりのまどうに向けられる。

「後ろのおふたりは?」

 しかしすぐに首から下がる入校証に気づき、強張りを解いた。

「……ああ、朝会で言ってた臨時の用務員の方ですね。ケガでもされました?」


 してない、とふたりが首を振れば養護教諭は再び怪訝そうな顔を見せる。


「せんせー、いま保健室で休んでる子いる?」

「いますよ。どうせ仮病でしょうけど」

 パーテーションの後ろから「先生大当たり!」と女子生徒の声がした。自由な校風、とシガヤがイチトに耳打ちをする。

「誰がいてもいなくても、保健室では静かにしててくださいね」

「まーまーそういう常識は置いておいて!」

 サザンカは生徒が中にいるパーテーションの向こうに行ってしまう。

「もーサザンカちゃん!」と女子生徒は歓迎の笑い声をあげていた。

 ふたりのまどうを警戒していた養護教諭は、サザンカの行動に遅れて気づき「こら入るな!」と声を荒らげる。


 そのままサザンカは骨格標本を引きずって出てきた。


「うわ! 標本を勝手に!」

「じゃじゃーん! これが北高七不思議のひとつ『何度も死ぬ骨格標本』!」

「なんですかその話!?」

 養護教諭のツッコミが忙しい。パーテーションの向こうから「も~サザンカちゃん……」と弱々しい声。イチトとシガヤは警戒して標本を見るが、至って普通の模型にしか見えない。


「はいサザンカさん質問!」

 シガヤが勢いよく挙手すればサザンカが楽しそうに手を向ける。

「はいオレンジ色の用務員、ドーゾ」

「人体模型系の話って『理科室』が鉄板じゃない?」

 シガヤの質問に、養護教諭の大きなため息が続く。

「これ僕の私物なんですよ。勝手に変なウワサつけないでほしいです」

「私物!? それもそれで大概じゃんね」

「……僕、前職が整体師だったんです。店舗移転で押し付けられて、どうしようかと思って結局学校に」

「変わった経歴だな」

「魔神侵攻でいろいろぶっ壊れましたからね。僕も縁があってこの学校に。あの件で仕事がガチャガチャになった人、多いでしょう? 貴方たちもきっとそうだ」


 魔神博物館という新設の施設の職員に養護教諭は不遜な指差し。イチトもシガヤも彼の意見には大人しく同調する。


「……女子供は苦手なのですが、仕事ですからね」

 養護教諭の言葉に、女・子供の両方に当てはまるサザンカが「イエーイ!」とピースサインで猫耳をつくる。

「で、何度も死ぬってどういうことですかサザンカさん! 僕の標本は最初から生きていませんよ!」

 床に座り込むサザンカに養護教諭が説教に近い勢いで詰める。骨格標本はサザンカの手を離れ落ちる。ガチャンという音は標本の悲鳴かもしれない。


 騒ぎの間を縫って、シガヤがつなぎのポケットから郭公カッコウの意匠が施されたレンズを取り出した。モノクルのように片目にかざして標本を見るが、何の色もない。

 シガヤが首を横に振ったのを見届け、イチトは茶の目を保健室出入口に向けた。


「サザンカ、ひとつめはハズレのようだだ。次に行くぞ」

「ウソ! ここから面白くなるのに!」

「俺たちの業務は七不思議を解明することではない。そしてこの骨からは異界の反応も確認できない」

 イチトの指摘に養護教諭は胸をなでおろしたが、サザンカは唇を尖らせる。

「そんなことユーチョーなこと言ってさ。だったらどーするわけぇ?」

 サザンカの指摘に、養護教諭の顔が再び青ざめる。

「あらぬウワサだけ聞かされて置いていかれるのは怖いんですけど」

「アタシもさ~お金もらうから説明できるようにって準備したのにぃ!?」

「ムダな時間だ……」


 さっそく膠着する状況に、シガヤがニコニコ顔で養護教諭にすり寄る。


「じゃあさ、こうしない? 先生がオレにマッサージしてる間に、サザンカさんが七不思議を語るってのは?」

「僕は福利厚生を施す側ではないのですが……」

「オレがお小遣いあげるから! 相場いくら? 40分6000円?」

「待てシガさん40分もマッサージ受ける気か!?」

「アタシのバイト代より断然高ぇ~~! やっぱ手につけるべきは技術だわ!」

 サザンカの大げさな嘆きに、ベッドで寝ている女子生徒がクスクス笑う。

「……ま、貴方は随分といそうだし、やりがいありそうですね」

 琴線に触れたのか、養護教諭も突然やる気を出す。

「くっ……15分だ! 15分で話とマッサージをまとめろ!」

 イチトが時間を指定することでなんとか事態が進展した。


 さて、シガヤが養護教諭からマッサージを受ける横で、サザンカが『何度も死ぬ骨格標本』の解説をはじめる。

 曰く、部活帰りの生徒が廊下に倒れる骨格標本を目撃しているようだ。

 最初はそもそも標本の出処が分からずパニックになったようだが、そのうち誰かが「新任の養護教諭が保健室に持ち込んだもの」と突き止めたことで騒ぎは収まった。

 ――しかしそれ以降も、校内の廊下で倒れる白骨が目撃されている。

 ご丁寧にチョーク・アウトラインを模したテープが貼られていることも。


「え、僕そんな話まったく知らなかったんですけど……?」

 骨格標本を持ったまま養護教諭は呟く。用務員さんはここの骨格が歪んでます、とシガヤに解説している最中だった。

「標本、そんな風に使うんですネ」

「ずっとその用途ですよ。で、さっきの七不思議ってやつ、僕の出勤前に誰かが戻してくれてるってことですかね?」

「部活帰りに見つけた生徒じゃない? アタシも1回現場見たことある」

「……あ、だからケガしてないのにここに骨を見にくる生徒が多かったのか!」


 聖地巡礼、と言ったところでこの場の一般人非オタクには通じないだろうからシガヤは心に留めておいた。

 謎が解けたと言わんばかりの養護教諭の手の下で、シガヤが「あーそこすごく効くゥ……」と弱々しい声を漏らす。


「むぅ、骨格標本も校内散歩がしたい気分なのだろう」

 イチトが腕時計を見ながら雑に話を締めにかかった。

「やめてくださいよ、その感想だと怪談色が抜けてませんよ」

「さて15分だ。次の現場に行くぞシガさん」

「こっちの用務員さんぜんぜんこっちの話聞いてくれませんね!」

「すみませんねェオレの相棒が。あー充実の時間だった……肩首が楽になったヨ」

「はぁ、やれる範囲で頑張りましたが、貴方の腕の張りは異常ですよ。定期的にどこかに通ってケアをおすすめします」


 養護教諭はシガヤから3000円を受け取った。多いですよと養護教諭は言うがシガヤは「チップ」と言って憚らない。

「コバヤシせんせー、アタシにも今度マッサージしてよ~」

「ダメです。この人たちは、すぐいなくなる人たちですから、特別です」

 養護教諭の明確な線引き。

 それは当然のことなので、イチトとシガヤも否定はしなかった。



 ……。



 次にサザンカに連れられた先は木造校舎の2階ホールだ。

 左右に廊下が分かれていて、右奥には図書室が、左奥には美術室が見える。


「じゃーん、七不思議ふたつめ『歌う柱』!」

「異常ナシ、次!」

 レンズを通して確認したシガヤが即断即決、イチトも「次はどこだ」とサザンカに尋ねる。

「速攻終了ォ~~!? マジでな~んの異常もないわけ!?」


 不満げなサザンカの声を聞きつけて、廊下に出てきた生徒たちが「なにやってんの?」と親しげに声をかける。

 サザンカはわざと用務員ふたりから距離をとるとコソコソ話をはじめた。

 イチトがそっと目を閉じたので、シガヤは彼の耳を眺めた……形の良い標準的な耳だ。聞き耳でも立てているのかと思ったが、特に意識を集中しなくても生徒たちの話はシガヤにも届く。


 ――ドアー探してるの?

 ――俺らもついてっていい?

 ――アタシは金貰ってる正式なバイトなの。あんたらは普通に部活しな。


 バイトという形式は穏当な手段だったのかもしれない、とシガヤは考える。サザンカのあしらい方は正しいように思えたので。仮にサザンカも「ボランティアの手伝い」という扱いだったら、ふたりの用務員についてまわる生徒たちは増えていっただろう……好奇心は猫を殺す。


 名残惜しそうな生徒を送り出し、サザンカがスカートを翻しながら戻ってきた。

「でさ、マジでな~んの異常もないわけ!?」

「繰り返さなくていいぞ。歌う柱の話をしたいなら30字以内でまとめろ」

「柱に耳をあてるとピヨピヨってさえずりが聞こえる時がある」

「簡潔でよろしいネ! どれどれ?」


 3人が木の柱に耳を当てると、確かにピヨピヨ……と鳥の歌声が聞こえた。


「アッハ、聞こえた! ラッキーだわ!」

 サザンカは愉快そうにケラケラと笑う。

「これ、カナリアの声だね。でもなんで柱から。スピーカー?」

「マジで!? これカナリアの声なの!?」

 シガヤの指摘にサザンカが大げさに驚いた声。

「カナリアだとまずいのか?」

「イヤ~次に案内する予定の七不思議が『校長室のカナリア』なんだけど」

「うわネタバレ食らった気分じゃんね」


 じゃあ向こうの階段を降りて校長室へ行こう、とサザンカが指さした。

 図書館側の廊下を進めば、空き教室で講義をしているヤマヅの姿が目に入る。

 教室内は女子生徒と、伊藤先生を含む女性教師でごった返していて、ふたりのまどうは顔を見合わせた。



 ……そして、校長室。



「順調ですか? 博物館さん」

 北高の校長は7分刈りの頭の、精悍な顔つきをした男性だった。木の柱の近くに鳥かごがあり、中でカナリアが休んでいる。

 校長室は旧校舎2階『歌う柱』のすぐ下に位置していた。イチトとシガヤはもうこの謎が解けた気分だ。


「ええ、順調に情報を潰してまわってますネ」

「頼みますよ。生徒に何かあっては困るので」

 シガヤがチラリとサザンカを見やる。彼女だけは、金で買われたので何かがあっても良いという扱いなのだろうか。


「ところで校長先生が飼われているカナリアが七不思議のひとつになってるみたいですが」

「この子が?」

 校長は鳥かごを開けると手を差し出す。黄色いカナリアは校長の手に大人しく乗った。

「……あのカナリア大きくないか?」

 黄色い鳥は、校長のにでっぷりとした身を預けている。

「カナリアって基本的には手乗りにならないって聞くヨ。警戒心が強い鳥だって」

 イチトとシガヤの眼差しが厳しくなる。

 明確な敵意を感じ取ったのか、校長が小さく鼻を鳴らした。


「校内にドアーがあるというウワサ。私は信じているんですよ。」

 校長の言葉に追従するように、シガヤはカナリアに確光レンズを向ける。

「みどりいろ。Hg型かSd型か」

 シガヤの判断を聞いてイチトは腰に付けた帯革に手を伸ばした。そこにはイチトの第壱神器・公色警棒が下がっている。


「……この子は、異界落ちから自力で戻ってきたペットなんです」

 校長はカナリアを手に目を細めた。


 異界に落ちて長く留まると、その世界の色に染められるような影響が遺る。

 異界から戻ってきたカナリアは、レンズ越しには異界の所属であるように見えてしまう。


「魔神侵攻の後、校舎の昇降口で見つけました。以来、ここで飼っています」

 校長の言葉にシガヤはサザンカを肘で小突く。サザンカは首元のリボンをアレンジしながらゆるく首を振った。

 北高の昇降口には七不思議は存在しない。そこにドアーは無い。


「この子が『七不思議』であると言いましたが、人を襲うという話ですか?」

 校長に尋ねられてサザンカが首を捻る。

「いや、異常にでかいって七不思議」

「しょうもな!」

 シガヤのツッコミにサザンカも「だよね!」と大笑いする。


「だが、もうひとつの七不思議は『歌う柱』だったか。そのカナリアの歌が由来だ」

「ああ、たまによく鳴くんですよ。気まぐれに」

 校長はカナリアをゆっくりと鳥かごに戻した。

 気まぐれを起こしたのか、カナリアは柱に向けてピーピロピロと鳴きはじめる。

「また鳴いた……」

「今日はいつもより多いですね」

 校長は席に座るとそのまま自分の作業に戻る。カナリアは鳴き続ける。


「こーちょーせんせ、あの子ってな~んで鳴いてるんだと思う?」

 サザンカは校長に食い下がる。校長はサザンカにチラリと目を向けたが、すぐ手元の書類に視線を落とした。

「飼い主を思い出して鳴いているのかもしれませんよ。あるいは、声を頼りにすれば飼い主が戻ってこられると、呼んでいるのかも」

 しんみりと語る校長にサザンカは下品な笑い声で否定した。

「アハ! 校長先生、話し上手! それともそう信じたいだけ?」

「サザンカさん、その辺で……」

 あざ笑うサザンカをシガヤが止める。しかしサザンカは拍手のように手を叩くだけで追撃をやめない。

「たとえばさ~ここにいっぱい食いやすいヤツがいるぞって、歌って教えてんのかもしんないよぉ!」

 イチトとシガヤに背を向けているので、サザンカがどんな顔をしているのかは分からない。ただケラケラという笑いが耳を突く。


「山茶花さん。この子を飼って長いです。正体が魔神なら、もっと早く襲っている」

 校長は淡々と語る。怒っているわけではない。

「では、異常がありましたらいつでも魔神博物館へ」

 イチトの言葉には、校長は冷たい声色で返すのだ。

「でも"博物館"は殺しますよね?」

 一気に冷えた室内の空気に、シガヤはフォローの糸口を探るように両者を見る。

 カナリアはピヨピヨと鳴いている。この声はきっと、今も2階の柱を歌わせる。

「預けるのなら"動物園"を選びますよ」

「判断はお任せする」


 七不思議のみっつめ『校長室のカナリア』に見送られながら、一行は校長室を退室する。


「……シガさん、動物も『魔神信奉者』に成り得るか?」

「他者を扇動しないなら信奉者呼びはしないかも。もっとふさわしい言葉があるでショ。魔神の眷属とか」

 イチトとシガヤのコソコソ話をサザンカは聞いていない。

 歌う柱の前で仁王立ち。空き教室から出るヤマヅや生徒たちを目で追っている。

 窓からは夕日の光。柔らかな、包み込むようなオレンジ色。


「あと4つか。このペースなら用務員生活もすぐ終わりそうだな」

「あと2日くらいかなぁ」

「しかし、モルグ市は魔神侵攻があった地だからな。残された痕に惑わされることも多そうだ」

「さっきのカナリアとかね……異界からペットだけ戻って来られた話、オレ悲しいから苦手なんだよねぇ」


 やがて校内にチャイムが響き渡る。

 サザンカが対抗するように大声をあげた。

「ア~もう下校の時間!? きょうは2時間で4000円ってとこね!」

 まいどあり~と笑いながらカバンを大きく振る。2班の返事を待たず、そのままサザンカは走り去っていった。


「撤収が早いな……」

「気をつけて帰ってネ~!」

 廊下にいた生徒たちも、階段を下ってしまって今はいない。

 残されているのはイチトとシガヤだけだ。

 着替えに戻るかと身を翻したふたりだったが、足が止まる。


 ――ふたりの足元に、奇妙な面が落ちていた。


「そういや七不思議ってサ、基本的に『怪談話』だよな」

 シガヤはイチトのつなぎの袖を掴む。力が込められるがイチトは気にしない。

 イチトが拾った面は大きく見開かれた目だけが刻まれていた。

 まだ形成途中のような印象を受ける。


「能で使う面か?」

 直近での関連事象が能楽だったので、イチトはシガヤに情報の補足を促す。

「いや、ごめんわかんない。今レンズを」


 シガヤがレンズ越しに開眼の面を見る。

 鏡面に一瞬だけ虹色を写したが、色はすぐに消えてしまった……。

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