モルグ市北高七不思議【3】手のひらの上に不思議は幾つ

 桜の花びら散る道をふたりの男が歩いている。

 時刻は朝9時、"登校時間"には遅い時分。

「兄は手が大きく、俺の分のランドセルに手提げまで、まとめて持ってくれんだ」

「急になにその語り出しは?」


 早歩きに歩調をあわせて惑羽イチトと真道シガヤはモルグ市北高を目指す。


「荷物持ちより、俺は手を繋いで欲しかった。まだ甘えのある歳だったから」

「何でそんな話すんの。オレと手ぇつなぎたいの?」

「違う。シガさんが望むならそのカバンを持ってやろうという提案だ」

 急に手を差し伸べられてシガヤは目線を向ける。兄は手が大きいとイチトは述べたが、イチトも十分に……年相応の男の手のひらだ。

「もちろん荷物持ち以外の望みがあるなら聞き入れよう。俺は兄と違って、他人ひとの話を聞ける男だ」

「その優しささァ、できれば昨日出してほしかった!」


 シガヤが吠えて、肩掛けカバンの中身を見せつける。

 中にあるのは不気味な面……大きく見開かれた目だけが刻まれた木製のもの。

 昨日の北高探索で発見したその面は、短い問答の末に真道シガヤの持ち帰りとなっていた。

 本来なら博物館に届ける予定だったが、学校に作用があるかもしれないからこのまま持ってきた……とシガヤは零す。


「やはり心霊現象の類いがあったのか?」

「いやフツーに面が怖くて寝不足で」

「その寝不足由来の顔色の悪さが俺の気遣いの理由だ」

「カバン持とうかって提案されるくらい顔色悪いのオレ?」


 シガヤは道路脇に立つカーブミラーを見つけて立ち止まった。見上げると確かに気分の悪そうな己のツラ。その後背に立つ惑羽イチトの明るく褪せた目と、鏡越しに視線がぶつかった。

 思わずシガヤは肩掛けカバンの紐をぎゅうっと握りしめる。爪の色が白くなる。


「カバンくらい自分で持てる。あとさ、兄弟って手を繋ぐのが普通なの?」

 平静を装ってシガヤは軽口を叩いた。

「……俺より下の子は、兄の手のひらに怯えていた」

「どういうコト?」

「手をつなぐのではなく、手首を掴む癖があったからだろう。兄は力の加減をしない。シガさんも」

 イチトは一拍置いて。

「物は強く握る性格タチか?」


 イチトの目が怖かった、とシガヤはとても言い出せない。



 ……。



 副館長のヤマヅは午前中に館内業務があるということで、調査2日目は2班のふたりだけで『用務員』のお仕事だ。

 本来の用務員に指示されながら校内の見回りを行う。破れたフェンスがないか、ゴミはないか、不審者はいないか……目立ったトラブルといえば、隠れてタバコを吸う学生をイチトが小突いた程度である。


 そして今、ふたりは大きなゴミ袋を手に焼却炉の前に立たされている。

「いや~焼却炉あると田舎って感じがするネ!」

「そういえば皇都では見かけなかったな」

「都条例で禁止されたからネ。地方都市じゃ現役か。煙いし燃やせるモノには限りがあるしで、効率悪いんだけどなァ」

「燃えるゴミの袋代を惜しんでいるのでは?」

 ふとイチトがこぼしたものだからシガヤは笑う。

「イチトくんから生活感ある話を聞くのなんか面白いネ」

「もっと話してやろうか? 燃えないゴミの集荷が月1回で困っている、とか」

「やめて今オレちょっと笑いの沸点下がってんだよ」


 耐えきれずヒーヒー笑い出すシガヤ。タイミング悪く生徒から声をかけられた。

「新しい用務員さん!」

 振り返れば女子生徒がひとり。ジャージ姿で、胸いっぱいに何かのチラシを抱えている。

「これも燃やしてくれませんか?」

「今は授業中じゃないのか? お前はここで何を? サボりか?」

「こらイチトくん!」

 シガヤはじりじりと生徒に詰め寄るイチトを叱ると、造り笑顔でふたりの間に立つ。眼前の生徒は初々しい雰囲気だ。入学したての1年生だろう。


「燃やしたいならおにいさんに預けて預けて。あと次回は紙袋にまとめるといいヨって、きみにコレを預けた人に言っときな」

「はぁい、伝えておきます」


 受け取った大量のチラシの図案を見て、シガヤはわずかに顔を引き攣らせる。

 一方でイチトはチラシに興味がないので、女子生徒と「美術の時間で校内写生なんです」「その時間でゴミ処分とはいかがなものか」「美術の先生が気まぐれなんです」なんて言い合っている。


「……ねぇ、きみはこの学校の『七不思議』って知ってる?」

 唐突にシガヤが女子生徒に尋ねると。

「わ、わたし、新入生だから!」

 生徒はまず、理由を述べて。

「しりません!」

 不自然なほど、慌てて逃げていった。


「……、……。」

 イチトは去る女子生徒の背中を目で追い、それから何かを告げようとするも息を長く吐くに留めた。

「おさげ髪って学生らしくていいよネ!」

「シガさん」

「冗談だって。燃やす前にこれ見てイチトくん」

 大部分はすでに火にまかれていたが、抜き取った数枚がイチトの目の前に突きつけられる。毒々しい原色のフライヤー郡。

「『トトキ市魔神美術館』企画展のチラシばっか!」

 何も知らなければ、それはただの現代アート展。


「トトキ市? ご近所だな」

「たち悪いことに魔神信奉者寄りの施設だヨ。曲がりなりにも文化施設だから、学校との親和性は高い」

 よくよく見れば意匠はどれもこれもが魔神由来。絢爛なまでに威光を増やし、盲目に讃える作品群。

「……ここの校長も、魔神疑いのあるペットに寛容だったな」

「でもドアーは恐れてる。ばかだね、ドアーの脅威を遠ざけながら、魔神と共存するなんて無理だ」


 桜の花びらは構内に汚く散っている。


「……そんな都合のいい話、あるわけない」

「この高校が信奉者寄りで、しかしドアーを排除したいのは変ということか?」

異界の入口ドアーが在ることを、怖い話として楽しむ若者はもはや居ないヨ」

 シガヤは竹箒を使って花びらを集めはじめた。数枚、アスファルトにしがみつき、排除しようと意固地になるほど花弁は醜く千切れていく。

「もうみんな慣れたのか?」

 代わりにイチトが軍手の指先で桜の花びらをひっかいた。過去に屠った魔神の死体に似た有様だ。


「いや……小学生ならまだ分かる。ドアーそれ自体が怖いものだし、耳目を集めるのにちょうどいい」

 ぬるい風がまた花びらを連れてくる。白く色の抜けた、死骸に似た春の欠片。

「でも、大人になるにつれ、を知っていく。それは異界絡みに限らない。それこそ映画、ドラマ、漫画、アニメ、小説……エンターテイメントから恐怖を摂取していくんだ。だから」

 シガヤは持論を続けながらゴミ袋に集めた花びらを突っ込んでいく。

「お化け屋敷の"入口"を怖がるのは、恐怖に耐性がないこどもだけ」


 シガヤの結論に、イチトは不機嫌そうな顔を返した。

「北高の教師と生徒は揃ってガキなのか」

「それで博物館まで巻き込むカナ? 今回みたいな騒ぎになるなら、何か理由が必要だ……」

「ふむぅ、ドアーから魔神が出たのを見たか、誰かが落ちてしまったか」


 座り込んで推測を続けるふたりに、正規の用務員がそっと声をかけた。

「すみませんねぇ、仕事が多くて」

 今日は陽が強い。逆光で、相手の顔はよく見えない。

「ああ、すみませんサボってて」

「立ちくらみなら無理しないでくださいね。休むなら日陰でね」

「そういえばオレの通ってた小学校じゃ、用務員さんって住み込みだったけど。ここはどうなの?」

「はは、さすがにこの時代に住み込みは無いですよ」

「なーんだ、泊まってみたかった」

 シガヤがイチトに目配せをする。夜に見張る人は居ない。モルグ市内のすべての市立学校には、監視カメラも設置されていない。


「次の仕事はなんですか?」

「また毛虫が落ちてたのでどうにかしてもらいたくてですねぇ……」

「そういうことなら任せてくれ」


 焼却炉前から去り際に、惑羽イチトは釘を刺す。


「ところでシガさん、一般生徒に七不思議の質問はよくないはずだが」

「ま、たしかに何のために山茶花蒼新さざんかそあらをバイトにしたかって話だネ」



 ……。



 モルグ市魔神博物館の館長室。

 今日も不在の館長に代わり、ヤマヅが部屋を陣取って業務を進めている。


『1班は回収に向かってます』

「回収だけか?」

 内線通話の相手は、キュレーター部門の司令部所属オペレーターだ。

『はい、今回の魔神は勝手に死んだようです。詳細はまた後ほど改めて』

「誰かが殺したのではなく?」

『……盛愚市民は賢明ですからねぇ』


 魔神には触らない、魔神とは戦わない。

 存在を横目に見やり穏やかにやり過ごすのが一番いい。


 ヤマヅはいくつか指示を伝えて通話を切る。それを待っていたかのように、外線からの通話が来た。ヤマヅは電話を厭わない性格タチだ。今度の相手は声が低い。


。トラブルか?」

『ヤマさんに調べて欲しいことがある。ヤマさんに出来ないなら俺が動く』

 館長室のデスク上、小さなカゴに閉じ込めた式神の形代はその場でくるくる回るだけ。通話の相手に不穏は無い。

「貴様が動くのか? 北高のドアー操作はどうなる?」

 叱責するヤマヅをいなしながらイチトは次々と項目をあげる。それを聞き入れるたび、ヤマヅの眉間のシワは深くなる。

「……項目が多い!」

『俺なら市警察に駆け込めばすぐに調べ終わるが』

「はじめから自分でやる気だな!?」

『どうするヤマさん』


 試すようなイチトの声色。これは己を北高から遠ざけようとしているようにも思える。形代は穏やかに回り続ける。

 まだヤマヅに、イチトと通話越しに真意を理解するような絆は育まれていない。せめて苛立ちだけでも伝わるように、露骨な舌打ちひとつ。


「……2班は引き続き北高でドアー探索にあたれ。どのみち私は講義のために高校へは出向くからな。以上」

『了解。不座見ヤマヅ副館長の調査能力に多いに期待をかけて』

「馬鹿者、部下を使うに決まっておろうが」

『ふふ』

 笑みを残してイチトからの通話は切れる。この野郎、と悪態をついてヤマヅは受話器を置いた。


 空いている調査員リサーチャーは、とヤマヅが名簿片手に指をさまよわせている間に次のコール音。昨日の不在の穴を埋めてほしいと願うように呼び鈴はずっとやかましい。



 ……。



 時刻は飛んで放課後。待ち合わせ場所の『歌う柱』前。

「ゴメ~ン今日はちょっとバイト休みで!」

「調査2日目にして、もう!?」


 真面目に用務員の仕事をこなした2班を待っていたのは軽いノリで仕事きょうりょくを断る山茶花だ。彼女はボサボサ髪にシワの多い制服、今日は靴下を履いていない。落書きだらけの上履きの踵を踏み潰す踵にはカラフルな絆創膏。


「ちょっとセンコーに呼び出されちゃって」

「普段から問題行動をしているのか?」

「うるさいね! 進路相談的なヤツだよ! 3年生だから!」

「進級したての時期だというのにせわしないことだ」


 イチトの言葉にサザンカはニヤニヤと笑みを浮かべた。

「とにかく、七不思議まわりはアタシ抜きじゃダメだから。オニーサンたちは今日は帰れ!」

「七不思議はどうでもよくて本命はドアー調査なのだが」

「も~なんのために用務員がんばったと思ってんだヨ~!」

 ふたりの怒りを「ギャハハ!」と笑って受け流してサザンカは去ってしまう。どこからか聞こえる管楽器の音に階段を降りる音がまぎれて遠ざかる。


「……え、どうしよう。帰る?」

「まさか。生徒の協力が得られないと動けない腑抜けた回収員なのか我々は?」

「はいはい、回収員としての自意識が育ってるようで何よりデス」

 何の気無しにシガヤは柱に耳を当てた。カナリアは今日も鳴いている……。


「歌う柱、校長室のカナリア、何度も死ぬ骨格標本……」

「七不思議はあと4つだな。そういえば落ちてた奇妙な面は?」

「あーアレね。異界の反応あったしネ。それもカウントするならあと3つ」

「……面はともかく、山茶花から教わった最初の3つはドアーと関連が薄い」

「山茶花サンは段階を踏んで七不思議を教えてくれてるネ」

「本命ほど後に回したいのか? ……むぅ、意図が分からん。ドアーは早く塞ぐに越したことはないはずなのに」

「そういえばイチトくんが副館長に頼んだ調査って何だったの?」

「結果が来てのお楽しみだ」


 益のない情報共有の後、シガヤは歌う柱から耳を話す。その段になってようやく、イチトがどこか別の場所を見ていることに気がついた。

「イチトくんどうしたの?」

 怪訝そうに灰の目を細めるシガヤに、イチトは己の口元に人差し指を立てる。そのまま教室の扉まで向かうと、隠すように身を屈めた。

 シガヤは口の動きで『ぬすみぎぎ』と尋ねると、イチトは無表情で頷いた。


「いやいや誰かが廊下通りがかったら怪しまれるからねそれ!」

 シガヤは慌てて腰のポケットから鳥型の形代を1枚取り出す。切り抜かれた白い紙は、表立った機構も無いのにシガヤが手を離せばスルリと浮いて教室の中に入っていった。

 そのままシガヤに手招きで呼ばれ、イチトはすぐに教室前を離脱する。

「今のはなんだ?」

 シガヤは得意げに目を細めると、今度は胸ポケットから1枚の紙を取り出した。正方形のそれを折り、紙風船をつくりあげる。フッと小さく息を吹き込み膨らませると、紙風船から声が響く。


『サザンカちゃん七不思議あつめてるんだって』

『え~それなら焼却炉の死体の話おしえちゃおっかな』


 風船越しのくぐもった声にイチトは目を丸くする。そのままシガヤを見上げれば、シガヤの眼が三日月の形になった。

「すごいでショ。博物館の式神でこれは盗聴型。使用許可もらうの大変だったぜ」

「なんてお手軽な犯罪行為だ……」

「一時的にでも博物館に籍をおいてるなら許容しな」

「原理がわからんブツだな」

「まあ不思議オカルトってそういうものだよネ」


 イチトはしぶしぶといった様子で紙風船を睨みつける。教室に残る女子生徒の声に聞き耳を立てた。


『あそこってそんなヤバいのあるん?』

『ん~真偽不明だけど。焼却炉で、誰かの死体が燃やされたって』

『誰かって誰よ?』

『そこまではわからんねぇ。でもわかんないから"ふしぎ"っぽくない?』


 焼却炉なら今日使。シガヤとイチトは互いを見やる。

「急に"怖い話"っぽくなってきたじゃんね」

「だが、燃やされたって話なら……ドアーとは違う気がするが」


 直後、シガヤの手のひらの上で紙風船がバタバタバタと踊りだす。続いて生徒たちの焦り声。

『なにあれ? きゃあ! なに!?』

『飛んでる!? 虫!? やだ! 気持ち悪い!』


 くぐもった悲鳴をシガヤが慌てて紙風船ごと握りつぶす。

 その間に、イチトは猟犬の勢いで教室に駆け込んだ。

「大丈夫か!?」

 乱入してきたつなぎ姿の青年に、生徒たちは必死に指で状況を伝える。


 示した先、吊り下げ蛍光灯の下で2枚の式神が争っていた。

 バタバタと紙同士がもつれ合い、もみくちゃになって床に落ちる。

 イチトが受け止め強く握りつぶせば、式神は紙くずと化して動かなくなった。


「なんだこれは?」

 白々しさが出ないようにイチトは、くしゃくしゃになった形代について黒板の前で怯える生徒ふたりに尋ねる。

「知らない、わかんない! 急に出てきて急にバタバタした!」

「それ、虫じゃなくて紙なの……?」

 ひとりが恐る恐るイチトに尋ねる。目がいいなとイチトは己を棚上げして生徒に告げる。


「これは、教室の中と外、どこから来た?」

「えっと……2枚とも、中、かな? 机からヒュッて出てきて……」

 片方はパニックに陥りろくに答えられないが、もうひとりは冷静に状況を思い出してくれた。

 1枚は、シガヤが先ほど滑り込ませたものだろう。だがもう1枚の出処は?


「ヤバいよ絶対これ七不思議だよ。見たことも聞いたことも無いもん!」

「サザンカちゃんに知らせてこよっ」

 女子生徒たちは互いに怖がり、興奮し、ふたりの間で熱狂の渦を高めていく。

「用務員さんそれください! 大事な証拠!」

「危険だから許可しかねるな」

 イチトが涼しく断れば、じゃーいいですと軽快に告げて生徒たちは教室を出ていった。木造校舎に響くドタドタいう足音は遠ざかる。


「……証拠、いらないのか?」

 眉根を寄せるイチトのもとに、教室の外から様子を伺っていたシガヤがようやく近づく。

「イチトくんナイス、回収ありがとネ」

「どうして式神が大暴れしたんだ。盗聴も何もあったもんじゃないぞ」

「同族を見かけると戦い合う機能でもあるんじゃない?」

 シガヤも顔をしかめて、くしゃくしゃになった2枚の白い紙を観察している。確光レンズをかざしてみるも、どちらも目立った色は無い。


「もはや動く気配も無い。使い物にはならなさそうだ」

「……この教室、昨日に副館長サンが講義をした部屋のはずだネ」

「ということは片方はヤマさんが仕込んだのか」

「なんて虚しい同士討ち」


 南無、と手をあわせるシガヤ。ちょうど何かの部活動の解散と重なったのか、廊下からドヤドヤと近づく生徒の声が弔いの場に彩りを添える。


「明日の授業」「顧問のところ」「何あったっけ」「返してくる」「小テスト」「廊下に骨が」「虫は出た」「また今度」「次の大会」「鍵はどこ」「理科室は」「桜はいつまで」「プールが赤い」「部長がさ」「返却期限」「柱が歌って」「欠席続き」「今度の日曜」「校長の話」「美術館に」「あったっけ」「サザンカちゃんが」「何の話」「何の話」「何の話」


 喧騒に聞き耳立てても意味はない。話題は雑多でヒントにならず。サザンカがいないとしるべがないと等しいことだ。

 シガヤは手をおろし、イチトも橙色に影落とす生徒の群れから、窓の外に視線を移す。



 それは"山茶花蒼新"の声だった。

 グラウンドとは反対側、鉄筋コンクリート造の校舎の2階。金髪の生徒が黒髪の生徒と向かいあう構図。

 聞こえたのは先の強い声だけで、以降の会話は届かない。

 サザンカの横顔は険しくて、相対する黒髪の男子生徒は笑っていると、イチトの視力でようやく分かる。


「イチトくんあの会話聞こえない?」

「……さすがに遠いな」

「口の動きとかさァ」

「俺は視力が良いのが自慢だが、そこまでの高等技術は身につけていない」

「オレの口パクわかったじゃんね!」

「近かった、短かった、運が良かった」


 チャイムと同時にサイレンが響く。

 決別したように離れるふたりの生徒を見やり、イチトとシガヤは別々に教室を後にした。

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