モルグ市北高七不思議編

モルグ市北高七不思議【1】用務員とドアー探し

 モルグ市魔神博物館の朝はやかましい。

「だから! 覚えてないと言ってるだろう!」

 それが『回収員待機室』であれば、格別に。

「自慢げに言うことじゃねぇ! マジでなんなんだコイツ!」


 惑羽一途まどうイチト枕木巾来まくらぎハバキがケンカしながらやってくる。先に部屋で荷物の整理をしていた真道志願夜まどうシガヤはわざとらしく耳を塞いだ。

「朝から元気だねェ」

「「元気じゃない!」」

 ふたり同時の否定にシガヤは鳩が豆鉄砲を食らったような顔を見せる。

「仲よすぎない?」

「違うんだ、二日酔いでまったく元気じゃない」

「聞けよシガヤ、コイツ酔うと笑い上戸で気持ち悪かったぜ!」

「ふたりで呑んでる! 仲良過ぎない!?」

 もはや悲鳴に近いシガヤの天丼ツッコミに、イチトとハバキはめいめい頭を抑える動きを見せた。二日酔いによる頭痛だ。


「別に仲間外れにしたわけじゃねぇよ」

「でもオレ誘われてない!」

「シガヤはいつも帰んのが早ぇんだって」

「だってゲームしたいんだもんよ」

「オタクめ」

 嫌悪感を隠さないハバキと違い、黙って聞いていたイチトは心なしか満足げな笑みを浮かべている。

「イチトは何をニヤニヤしてんだ?」

「シガさんとはいつもご飯を食べているのに、まだ俺と居たいのかと思ってな」

「ほらーコイツ気持ち悪い。ツラが怖いのに距離は近い」

「イチトくん、物理じゃなくて精神面で詰めてくるよネー。皇都警察ではどんな犯罪を追ってたのカナ?」

 シガヤの問いかけにイチトは長い人指し指をそっと自分の口に添えた。秘密。その仕草が腹立つ、とハバキとシガヤは文句をつける。


「で、『覚えてない』って言ってたのは何のこと?」

 朝のミーティングまで時間があるのでシガヤは雑談を膨らませる。

「昨日のサシ飲みでよう」

「……失礼なこと言ったのに記憶にないってやつ?」

 シガヤが予測して笑ったが、イチトは「俺はその程度で記憶は失わん」と硬い表情で否定する。ハバキも不機嫌そうに言葉を続けた。

「いや、オレが異界区分のこと教えてやってんだけど全然覚えてくんねぇの」

「イチトくんってそこポンコツなのぉ!?」

 シガヤの小さな悲鳴。待機室にそっと不座見ヤマヅが入ってきたが、もはや3人にとって新たな入室者はどうでもよかった。


「だって!」

「だってじゃない! 異界区分は魔神への有効打の指標になるから覚えてネっていつもオレが言ってるのに!」

「ハバキがカクテルを使って説明してくれたから」

 イチトの補足にシガヤの批難の声は弱まる。

「え~なにその、ちょっとオシャレじゃん……」

「カクテルが旨くてな」

「ごめんネハバキくん。イチトくんにはシラフの時に叩き込んであげて」

「もう教えねーよ!」


 『異界区分』は魔神の属する世界の分類を示す。選定の基準は各種解析によって現れる「色」だ――だからカクテルなんてで説明したのだろうとシガヤはふたりの昨夜の飲み会に思いを馳せる。もちろんシガヤの脳内でも、ふたりは早々に酔いつぶれていた。


 異界由来の特異なエネルギーを捉える手段はすでにこの界隈では確立されている。「確光かくこうレンズ」と呼ばれるモノクルを通して見るのが最も簡単な手段だが、近年は精度の低い模造品が出回るようになった。

 回収員たちが扱う「神器」と呼ばれる対魔神攻撃用具も時に異界由来の「色」を見せる。惑羽イチトが扱う第壱神器・公色警棒はその代表格だ。異界由来の精製した攻撃光は、警棒の刀身を毒々しいほど鮮やかにする。


「だってイチトが、シガヤの教え方じゃ覚えらんないって言うからよ」

「イチトく~ん?」

「それは酒の席の話だ。それにシガさん……」

 シガヤの怒りをなだめるために、イチトはシガヤの両肩に手を置くとゆっくりと撫でた。

「戦闘時にはシガさんやオペレーターが有効な色を指示してくれるだろう? 己で判断するより確実だ……いつも頼りにしている」

 平時よりやさしい声で囁やけば真道シガヤはちょろかった。

「イチトくん……ッ!」

「ケッ、一生やってろバーカ」


 絆されたシガヤを放っておいてハバキは己の荷物を下ろす。その段でようやく、ホワイトボードの前で腕組をして立つ不座見ヤマヅの存在に気がついた。


「ヤマさん居るなら声かけろよ!?」

「雑談を邪魔する気はない。まだ始業前だからなぁ」

「それならさっきの話聞いてたか? 言わせてもらうが、イチトは見込みがねぇ回収員コレクターだぜ! 意外とお勉強ができないタイプだな」

「私からフォローさせてもらうと、異界区分は色の重複もあるし命名も難しい。年寄りには覚えるのが大変だった」

「ヤマさん何歳だっけ」

「生年月日は非公開にしている……私は変な占いをされることが多くてな」

「なんかわかんねーけど大変だな。今度イチトの脳年齢でも測定してみるわ」

 そういうゲームあったよな、とゲームに疎いハバキが同じく疎いヤマヅにふったところで会話は進まない。


 やがて朝9時の始業チャイムが沈黙を破る。同時にスグリが鴇色の髪を跳ねさせながら待機室に駆け込んできた。


「おっはよーございまーす!」

「元気でよろしい。もうすこし早く来なさい」

 ヤマヅがスグリに説教を始めるタイミングで、イチトとシガヤはミーティングのため整列する。

「それが出勤途中で知らないおばあちゃんからミカンもらっちゃいました!」

「お供えられ体質か……」

「ここ置いておくからみんなも食べてね~!」

 スグリがリュックからミカンを取り出し次々とローテーブルに積むものだから、ハバキが辟易した顔で「手品かよ」と悪態をついた。


「残念ながら回収員2班と私はご相伴にあずかれそうにない」

「えっ」

 ヤマヅの言葉に、ミカンを眺めていたシガヤが慌てて首を副館長に向ける。ヤマヅは集中が己に向いたことに満足してミーティングを開始する。

「2班と私は、今日からモルグ市北高でドアー捜索の任務にあたる」

「2班とだって? ヤマさんは1班じゃねぇか」

 オレたちとの業務は、とハバキは不機嫌そうに尋ねる。

「それにドアー捜索って、ふつう調査員リサーチャーにさせんだろ?」

「そうだな順番に説明しよう」


 詰め寄ってきたハバキを押し返し、ヤマヅはホワイトボードに直線的な文字を書きはじめる。イチトは後ろ手を組み姿勢よく立ち、シガヤも今日の任務に嫌な予感を覚えて固唾を呑んだ。スグリは書き終わるまでにミカンを積み終わればよいと判断し、ミカンタワーをつくる手を止めない。それはちょうど展示室にある、首が重なった魔神の死体に似ている。


「盛愚市立北高等学校からの案件だ。校内に異界の入口ドアーがあると生徒間でウワサになっている。犠牲者も出た、というウワサを真に受けた教員の要請で、我々は『回収員』を探索業務に出すことになった」


 ホワイトボードには簡潔な図が描かれる。「魔神?」「ドアー?」と、各要素にはていねいに疑問符が添えられていた。


「実際の犠牲者は確認されていないと?」

「その通り。認識阻害の可能性も勘定に入れておきなさい」

「魔神顕現の可能性があるとはいえ、やっぱりまだ調査員の業務範囲な気がしますケド」

 口を挟んだシガヤにヤマヅは丸眼鏡をカチャリと正す。

調査員リサーチャーは別件で手があいていないんだ。最近だと市境と、あとはトトキ市マレビ市ジエン市ヒトウ市……」

 ヤマヅは指折り数える。地元民ではない2班のふたりにとって耳馴染みのない単語が耳朶をかすめて消えていく。

「……近辺でも調査が必要な箇所は多い。一方で魔神が頻繁に襲ってくるわけではないから、回収員は手があいている。だから今回は我々が出る」

 ヤマヅの言葉に、そうかな、そうかも、と回収員たちは首を捻る。


「では本件に2班をご指名なのはなぜだ?」

「驕るな惑羽一途。ご指名を受けたのは私だ。貴様らは高等学校という現場に適切だから選んだまで」

「なるほど消去法か!」

「そういう推察は鋭いんだな……」

 イチトとヤマヅのやりとりに相変わらずハバキとスグリは首を傾げていた。シガヤが「ふたりとも高校には向いてないって」と耳打ちすると、ようやく事態を把握する。そして口から雪崩のように文句が飛び出す。

「わたしがいちばん高校生っぽいのに!」

「こっちだって地元民だぜ!? オレ南高だけど!」

「ハバキくん北高と接点あるの?」

「いや? 北高、野球部なかったし」


 やんやと騒ぎたてる1班に向けてヤマヅは「どうどう」と手を広げる。

「私は高校生を相手にしながら血気盛んな若者にも指示を出せる器ではない」

「だから血気盛んでない若者のオレらを連れていきたいってことネ!」

「スグリから見たらシガやんてけっこうおじさんだけどなぁ」

「泣いていい?」

 シガヤの嘆きにイチトが黙って腕を広げた。シラフだと真顔でジョークをかますから難しいんだよなイチトは、とハバキはぼやく。その間にシガヤはイチトの胸でおいおいと泣いたフリに興じていた。スグリには特に響いていないようだ。


「早くも不安になってきたが……」

 ヤマヅはホワイトボードの説明を消すと、別の文字を書き連ねる。それぞれの班の行動予定だ。

「1班は館内待機。司令部より出動要請があれば従うこと」

 1班・待機・司令部指示待ち。2班・北高・ヤマヅ付き。3班・夜運搬……。

「出動要請がないときは?」

「遊んでていいのー?」

「枕木巾来はガイドカリキュラムを受講、村主はドクナシドククジラ散骨騒動についての報告書を作成しなさい」

「ちぇ、しっかり課題を残してやがる」

「報告書やだー!」


 窓のない待機室、外に救いを見出そうと目を向けても白い壁が阻んでいた。



 ……。



 モルグ市魔神博物館のキュレーター部門にはいくつかの業務がある。

 もっとも重要な業務は、魔神を殺すこと。

 同じく重要な業務は、魔神の死体を回収すること。

 そして次点に異界の入口ドアーを閉じること。

 

 ドアーを閉じる行動そのものは優先度を下げられがちだが、市民の生活保護の観点では避けられない業務である。ドアーさえなければ、哀れな人間が異界落ちすることも、魔神が日本に侵入してくることもない。


 ――モルグ市魔神博物館からバンで飛ばして30分。

 場所は盛愚市立北高等学校、3人はちょうど昼休みに訪れる。


 2階建ての木造校舎に3階建ての鉄筋コンクリートの校舎が並んでいた。木造校舎の方は年季が入っているようで、シガヤが「侵攻によく耐えきったな」と古い校舎を小さく称える。


 校庭にいるのはブレザー姿の女子がほとんどで、ジャージに着替えずボール遊びに興じていた。

「モルグ市北高は女子校なのか?」

「数年前に共学になったはずだ」

 イチトとシガヤに生徒たちから向けられる目線には、どことなく警戒の色が含まれていた。

「イチトくん、顔が厳しくなってるヨ。警戒仕返すのやめな!」

「されたらやりかえす癖がついていて」

 不機嫌そうな言葉に思わず苦笑するシガヤ。イチトの気持ちを逸らすため、ヤマヅも雑談を繋げようと努力する。

「……北高は、芸術系に力を入れている学校でな。美術部と書道部が強いんだ」

「ほう、強いとは?」

 ヤマヅの目論見は功を奏しイチトが話に食いついた。

「私は東高で書道部にいたが、連中には勝てなかったな」

 地元特有のアレコレがあるのだろう。イチトとシガヤはヤマヅの肩をぽんぽんと叩いてねぎらった。


 さて、3人が通された先は木造校舎側の1階端の、社会科準備室だ。部屋の奥に、朗らかな雰囲気をまとう中年女性が待っていた。


 節電中なのか光源は窓からの明かりのみ、暗い室内に春の日差しが降りそそぐ。パイプ椅子が3つ、長机の上には人数分のペットボトルの水とコピー用紙に印刷された資料。

「ようこそ博物館さん。伊藤です。社会科を教えています」

 茶色に白髪染めをした髪を耳にかけながら、伊藤先生はさっそく本題へと移る。

「要項は資料にも記載していますが……校内にドアーがあるなんていやなウワサが広がっていまして。でも『生徒間の秘密』となっていて、教員からは探れないんですよ」

「では生徒全員に事情聴取か?」

 イチトが身を乗り出したのでシガヤは慌てて腕を引っ張り座らせた。

「博物館に警察がいるってのはレアケースでショ。イチトくん、ここは博物館流を学ばせてもらおうじゃないの」

 シガヤの言葉を受けてヤマヅがふんと頷く。

「そうだな、まずは知る者を探り当てないといけない。サポートは金で買わせていただく手筈となっていたが、その件はどうなりましたか伊藤先生」


 ヤマヅの問いかけに伊藤先生の頬がわずかに紅潮する。だがすぐに小さく咳払いをすると、真面目な、そして困った顔つきに変わった。

「ええ、その話はうまくまとまりまして。ここに来るように伝えたのに遅いですね……先にこちらをお渡ししておきます」

 伊藤先生は机の下に置いていた段ボール箱から服を2枚取り出した。クリーニングの袋に入った、色鮮やかな布地の服だ。

「これって、つなぎ?」

 開封して確認するシガヤ。イチトが説明を求めるようにヤマヅを見上げ、ヤマヅは頷き返す。


「2班にはドアーが見つかるまで、北高の臨時用務員として働きながらドアー探しをしてもらう」

「えー! 学校の仕事もするってこと!?」

 シガヤの声に伊藤先生が申し訳無さそうに話を継ぐ。

「うちの子たち、教員には心を開かないんですよ。かと言って完全な部外者は余計に。だから、学校関係者として生徒との信頼を築いてほしいんです」

「こういうことを、普段は調査員がやっているのか?」

 イチトがつなぎを広げながらヤマヅに尋ねる。彼は肯定の頷きを返す。


「オレ実は子供って苦手なんですケド~」

「最近の子は精神面も身体面も成熟が早い。貴様らとそこまで変わらん」

「ちぇ、確かに高校の時の身長で止まってますよオレは!」

「俺たちが用務員をするのは構わん。だがヤマヅ副館長は何を?」

「不座見さんには魔神博物館からの出張講師として、異界や魔神についての話をしてもらう予定です」

 伊藤先生の言葉に、今度はシガヤがヤマヅに食って掛かった。

「それオレ! オレの役目じゃないの副館長サン!? オレその筋のプロ! 魔神研究の国内第一人者!!」

 喚かれつつもヤマヅは軽く指をふる。

「まずは生徒の基礎固めが必要だ。皇都大学助教授様の講義はその後だ」

「そうやって都合よく用務員作業を回避してぇ……!」

「私の講習技術を疑っているのなら、そこは問題ない。私はモルグ市魔神博物館学芸員区分啓蒙部所属の職員でもある」

 涼しい顔で告げるヤマヅにイチトが「むぅ」と疑問の吐息を挟む。

「名前が長いな。つまりどういうことだ」

「館内ガイドができる人ってことだヨ」


 シガヤの補足にイチトが再び「むぅ」とつぶやき視線を落とした。そして再び上目遣い。茶に焼けた目が探るようにヤマヅを捉える。

「ヤマさんは子供に物事を教えるのは得意なのか?」

「ああ、学生時代は塾講師バイトをしていた。もう何十年も昔の話だが」


 3人のやりとりをニコニコと聞いていた伊藤先生だったが、ノック音が響くと顔をひきつらせる。

「やっと来た……!」

 嫌悪の声は「しっつれ~しま~す!」というはしゃいだ声でかき消された。

 勢いよく開かれた引き戸がガァンと派手な音を立てる。

「校内案内のバイトを引き受けました、サザンカで~す!」

 廊下窓の逆光を受けながらひとりの女子生徒が現れた。

 ショートカットの金髪、両耳に大ぶりのピアス。ブレザーは適度に着崩して、スカートの丈は異常に短い。


 伊藤先生は顔をしかたまま「あとは当事者で」と頭を下げて出ていった。通り過ぎざまにサザンカに「そんな格好をして」と嗜める。サザンカは舌を出すだけだ。


「では、サザンカさん、こちらにどうぞ」

 ヤマヅが佐藤先生のいた席に座るよう促す。

「おじゃましま~す! さっそくだけどバイト代の値上げ交渉イイ?」

 不遜な態度の生徒はわざと下着が見えるように足を組む。

「時給2000円では不服かね?」

 ヤマヅの柔らかな問いかけにサザンカは目を丸くした。

「アタシ伊藤先生から時給1000円って言われてたんだけど! 2倍じゃん! うそぉ! やっぴ~!」

 サザンカは破顔すると強く拍手をした。

「秒で交渉成立じゃん! アタシ山茶花サザンカ蒼新そあら! 能楽部の所属でぇ、北高の七不思議を唯一ぜんぶしってる生徒でぇ~す! 3年生!」


 続いて博物館側も自己紹介したが、サザンカは「へぇ~」と薄いリアクションしか返さない。

「能楽部なのか。強いのか?」

 イチトがすっとぼけた質問をするとようやく「強いよぉ~!」と興味を向けたニタニタ笑いを見せた。しかしすぐに気が逸れ、自分のネイルに視線を落とす。


「彼女の言う七不思議とやら本件に関係あるのか?」

 イチトは慎重にヤマヅへ探りを入れる。

「ある、というのが北高側の見解だ……あとは若い連中でなんとかやってくれ」

 ヤマヅは席を立つと社会科準備室を出ていった。

「え、ちょっと副館長サン!?」

 サザンカは大げさに手を振って、シガヤは「逃げたな……」と閉じられる扉を見て苦々しく呟く。


「オニーサンふたりが用務員ごっこするわけ?」

 サザンカは脚を組み直し不遜に尋ねた。

「どうやら日中はそうみたい。放課後はきみとドアー探索の本業だヨ」

「そっかぁ。昼休み終わるまであと15分だから、その間なら質問いーよ」

 いろいろ聞きたいっしょ? とサザンカはだらしなく脱力して見せる。


「じゃあさっそく。七不思議のどれがドアーに関係してるの?」

 学校の七不思議というトピックは全国各地に存在する怪談話だ。であれば"異界性侵略的怪異"たる魔神とも親和性は高い。

「それが、アタシもどれが当たりか知らないんだ。七不思議をぜんぶ知ってるってだけでお声がけされた!」

「ふぅん。北高って、七不思議は全部ある系?」

 続いてのシガヤの問いかけにイチトが挙手して質問を挟む。

「どういうことだシガさん」

「ん、七不思議が六つしかないパターンもあるの。そういう場合は、七番目を知った生徒は死ぬってのがスタンダード。北高はどっちかなーって」

「アハハ! ちゃんとななつあるある! 安心して!」


 高笑いするサザンカ。剃っているのか眉がなく、分厚く塗ったマスカラがカラーコンタクトの入った目に深い影をつくっていた。北高はどうやら、校則が厳しいわけではないらしい。


「でもさぁサザンカサン。今回はドアー案件なわけじゃん? よく校内で、バイトなんて、学校が許したねぇ?」

 シガヤの探りにサザンカがギャハハと品のない笑い声をあげる。

「こーちょーの方針だって!」

「校長?」

「カネとケイヤクでゴーイとって、うっかり死んでもカコンがのこらないよーに? とかなんとか」

 響きでしか認識していない曖昧な言い方だ。

「死んでも禍根が残らないように……学生にそんな判断をさせるのは、教育者としてどうかと」

 イチトが苦言を漏らすが、サザンカはゆっくりと拍手するだけ。

「こーちょーもいろいろあったんじゃない? モルグ市の人だし。それにアタシはバイトで他の生徒はそーじゃないって、邪魔な時に追い払えるよ」

 散れ、と大きく手を払う動きをするサザンカの指先を見てシガヤは小さく鼻を鳴らす。


「んでさぁ~こっちからも聞くけど? このバイト、死ぬことあるの!?」

 サザンカが態度悪く2人に尋ねれば、男たちは曖昧な笑顔。

「魔神博物館のアルバイトは、まあ、ねぇ」

 シガヤは事前に調べていた情報を脳から引っ張り出す。

「3割は1年以内に逃げ出して、1割は失踪扱いだって」

「1割ほぼ死亡ってことじゃん! ウケる!」

 長机をバンバン叩いて大笑い。思わず滲んだ涙を長い爪でぬぐいながら、サザンカはイチトとシガヤ両方に尋ねる。

「じゃあじゃあ、バイトじゃなくて、本職は死ぬことあんの?」

 サザンカの追撃に今度はイチトが眉根を寄せた。


「ドアー案件では、報告に上がっている分では5割が"異界落ち"だ」


 死ぬとは断言しなかったが、イコールの響きが含まれていた。

 話を聞いたサザンカはぐっと目を細めたが、チャイムが鳴ったので「じゃーまた放課後ね~!」と慌ただしく部屋を出ていく。


「イチトくん、気づいた? サザンカって子」

「ああ……裸足に上靴は危険だ。せめてバイト中は靴下を履いてもらおう」

「着眼点ぜんぜん違うんだワ」



 ――モルグ市北高調査、1日目。



「おふたりに任せたいのは、主に敷地内の清掃ですね。用務員の業務として来校者の案内もありますが、そういうのはこちらで引き受けますから」

 午後の時間。北高の用務員からイチトとシガヤは表向きの業務説明を受ける。

「放課後はおふたりは校内の見回り、ということなんですよね? せっかく若い人が来てくれたんだし、日中は除草作業をお願いしちゃおうかなぁ」

 用務員は笑いジワが顔に刻まれた、温厚そうな老人だ。


「なんでも任せてください」

 紺色のつなぎを着用したイチトは姿勢よく断言する。

「あ、用務員サンは『七不思議』について知らないんですか?」

 オレンジ色のつなぎ姿のシガヤは受け取った校内地図を日射しに透かしている。良い話が聞けるとは期待してない態度である。

「生徒とそういった話はしないんですよ」

 ちょうど体育の時間なのか、ジャージ姿の生徒たちが校内を走る。何人かの人懐っこそうな生徒が「おじいちゃんバイバーイ!」と声をかけては去っていった。合間に「知らん男いる」「新人?」「わか~い」と雑談が耳に届く。


「ああそうだ、校門からグラウンドまでの道沿いに桜があって、あの道は毛虫も多くて……」

 桜咲くアスファルトの道を用務員が指し示す。

「毛虫を嫌がる生徒や先生も多いですから。道にいるのを見かけたら、土によけてやってください」

「ずいぶんと遅咲きの桜だな……」

 薄いピンク色で道を染める桜を眺めてイチトは呟いた。シガヤも同調して頷く。

「ソメイヨシノだったら速攻で散ってる時期だもんネ」

「校内のは八重桜だったかなぁ。うちの桜は、卒業式にも入学式にも関わらないんですよ」

 用務員は目を細めてほがらかに笑った。かつて春にあった良い思い出が蘇ったのだろう。


「シガさんは毛虫は平気か?」

「魔神相手にしておきながら今さら毛虫でギャーギャー言わないヨ」

「俺も虫には耐性がある。ハバキは厭だと言っていたな」

「え~おもしろい情報ありがと。見たら叫んだりすんのカナ」


 そして放課後。


「超モテてるし!? なにごと!?」

 合流地点として示された昇降口付近で、サザンカがふたりの新人用務員にツッコミを入れる。イチトとシガヤの周りには生徒が群がって質問攻めにあっていた。


「サザンカちゃーん、新しい用務員さんすごいんだよ!」

 生徒のひとりがサザンカの姿を認めると、駆けより興奮気味に言う。

「降ってくる毛虫ぜんぶキャッチしたの!!」

「はぁ? 大道芸の話?」

「わかんない! いまね、紺色のつなぎの人が陸上部だったみたいで、みんなでいろいろ聞いてるとこ!」

 サザンカはようやくこの場にいるメンツに納得がいった。ふたりに群がる生徒は陸上部の生徒たちだ。

「陸上部と毛虫関係なくね? てかあの人たち、アタシに用事があるはずなのに」

 不機嫌になったサザンカは群衆に向かって持っていたカバンを降る。

「オラー散れ散れ陸上部共! これからアタシが用務員とバイトすんだよ!」


 サザンカがキレた、と笑いながら陸上部メンバーが散っていく。あとに残されたのは涼しい顔をしているイチトと疲れた顔のシガヤだ。


「な~んでアタシがフォローしなきゃなんないわけ!?」

「ごめんごめん。話聞くの好きだから、放ってたらどんどん人が増えちゃって」

「俺も子供の扱いは不得手な方だ」

「ところでサザンカさん指定カバン使ってないんだ。怒られない?」

「アハ! 説教ポイント見つけてくんのウゼェな! アタシそういうの気にしないタイプよ」

「そっか。能楽ってそういうの厳しそうだもんね……日常でくらい羽目はずしたいよね」

「だがドアー案件ではあまり羽目をはずさないでもらおう」

 イチトがサザンカの手に袋を握らせる。

「なにこれワイロ?」

「靴下だ。バイト中は履いておけ」

「女子高生に靴下贈る大人ってなんかブキミ」

「安心しろ。伊藤先生に調達してもらった」

「あ、だから刺繍はいってんのか~!」


 あのひと手芸部の顧問だからさ、とブツブツ言いながらサザンカは大人しく靴下を履いた。白靴下で足を包んだ程度では、服装が整えられた印象はない。


「よぉ~し、それじゃあさっそく北高七不思議解明開始ィー!」

「いや七不思議は本題ではないぞ。ドアーの位置が探れればいい」

「ド正論~~! じゃあこっちついて来いふたりとも~!」

「ちょっと、廊下は走らないでー! 多分オレらも怒られる! あとサザンカさんどこに行く気!?」

「ひとつめの七不思議!」

「ひとつめ? 小出しにするつもりか!?」

「アタシだって芸術重視の北高メンバーだよ? エンターテイメント!!」


 好き勝手に順路を決めていくサザンカの背を見て、イチトとシガヤは同時に肩を竦めてみせる。

 その様子を見て、生徒たちが遠巻きにクスクスと笑っていた。

 その笑みに悪意はない。むしろ、好意的でさえあるような。


 シガヤはイチトに目配せをしたが、イチトは茶の目を伏せるだけで特にコメントはしなかった。

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