第6話「博物館には幽霊がいる」

 モルグ市魔神博物館、ミーティングルーム。

 底に魔除けが書かれたバケツを片手に4人の回収員コレクターがやってくる。


「姉の心境を想像するたび、俺は胸をかきむしる思いに駆られる」

 惑羽イチトは、部屋に入っても語りをやめようとはしない。


「亡き兄から直接、家族を託されたのは我が姉だ」

 うんざりした顔を浮かべながらも着席するのは、イチトと同じ"回収員2班"の真道シガヤ。


「だがその後も魔神たちは姉から家族を奪っていった。ひとりずつ、ひとりずつ」

 "回収員1班"所属の枕木ハバキ、そして村主スグリも席に着く。


「……妹を盗られた、思えばその時に姉は狂ってしまったのかもしれない。表向きはそう見えなかったが――」

「ね~イチくんもっと楽しい話してよ~~!!」


 とうとう音を上げたのはスグリだ。両手でバケツを揺らして抗議をする。中にはたっぷりの骨が入っているので、それらはガラガラとやかましい音をたてた。

 シガヤとハバキがほっとした顔を見せるが、イチトだけは厳しい眼。

「この状況で楽しい話を欲するのか? 己のしたことを反省していないようだな」

「うぐ、そりゃクジラさんの骨を散らしたのはスグリですけどぉ~」


 回収員たちは、昨日スグリが動かしたMb型魔神・ドクナシドククジラの地道な骨回収を任されていた。

「連帯責任」とはヤマヅの弁で、こういう時ばかり外へ行く仕事は発生しない。


「ほーら、ちゃっちゃと任された仕事おわらせちゃお」

 シガヤが困った笑いでホワイトボードを指差す。『本日の室内業務・キーホルダー作成』と達筆な筆跡でのヤマヅの指示がある。


「地味だな!」

 ハバキが怒った顔をしてミーティングテーブル上のプラケースに手を伸ばした。

 様々な種類のヤスリ、錐、根付。梱包用OPP袋に厚紙にホッチキス。

 横並びに座る回収員たちは、各々ノルマの骨を削りはじめる。


「博物館みやげのキーホルダー、ひとつ580円」

「なんつーか微妙な値段設定だな」

「修学旅行生とかに人気なんだってねェ」

「スグリの力で動かしたからご利益あるよ~」

「変な曰くをつけんなスグリ! せっかく誰かさんが『骨は無害』なんて突き止めてくれたんだから」

 ハバキの言葉にシガヤが得意げにピースサイン。スグリは唇を尖らせると、乱暴にバケツから骨を取り出した。


「結局、コイツは再びの展示とはならなかったようだな」

 イチトは手に取った骨の破片を蛍光灯にかざす。小指ほどの大きさのそれは、まだまだ鋭利だ。

「どっちみちこうする予定だったって副館長サン言ってたヨ」

「スグリのせいかなぁ?」

「ヒビが入ってるから、展示は別の亡骸を使うことにするって」

「スグリのせいじゃねぇか……」

「ドクナシドククジラの死体はいっぱいあるから気にしなくていいヨ」


 シガヤの言葉にスグリは安心したように、ハバキは特にリアクションなく手元の作業に戻った。

 しばし骨を削ったり穴をあけたりといった静かな作業が続く。

 この部屋の秒針は逐一音を立てるため、チクタクチクタクと平和な時が毎秒耳に刻みこまれる。


「……そういやイチトって"帰還者"なんだっけ?」

 静かな作業に限界を示したのはハバキだった。


「ハバくんのばか! 楽しくない話の前フリやめてよ!」

「しょうがねぇだろ! さっきまでアイツの姉ちゃんの"異界落ち"の話聞かされてたんだから!」

 わあわあ騒ぐスグリとハバキを横目にイチトは「帰還者だぞ」とこともなげに続けた。


「珍しい存在でもあるまいよ」

「何歳の時に"異界落ち"したんだ?」

 ハバキの問いにイチトが指を折りながら虚空を見る。

「一番近いのは去年のことで……」

「待て待て、何回も落ちてんのか?」

「イチトくんはレアケースだからねぇ」

 訳知り顔のシガヤがニヤニヤと目を細めて笑った。灰色の目が濃さを増す。

「何回も異界落ちして、生きて帰って、今はオレらとおみやげづくりをしてるってワケ」


 その言葉に怪訝な声を漏らしたのはイチトだ。

「異界落ちならシガさんだって」

 イチトの言葉にスグリとハバキが身を乗り出してシガヤを見た。

「オレの話はいーの。てかふたりとも、作業に飽きてない?」

「ちゃんと聞きながらやるよ~!」

「オレはこういう作業向いてねぇよ」

「では、俺の姉の話の続きでも」


 家族語りの悪癖を持つイチトに、スグリとハバキが骨を投げつけて牽制した。イチトはそれを器用にキャッチしていく。

 怒られる気配を察知したのか、スグリがをつくって媚を売った。


「わたし"異界落ち"の話が聞きたいな~!」

「オレも聞かされるならそっちの方がマシだぜ」

「あれ、スグリちゃん"異界落ち"したことないの? ハバキくんは?」

「オレもスグリも仕事でしか潜ったことねぇよ。全部ヤマさんの案内付きだ」

「なるほど。回収員相手なら、思い出話よりもアドバイスの方が有用だろうな」


 イチトは根付を付けるため、テーブル上に骨を並べながら話はじめる。

「不注意で異界落ちしても絶望するな。ふたつの世界の境界近くはルールが混ざりあっているからすぐ死ぬことはない。キレイな空気も食料も在れば、戻る手立も遺されている」

 イチトの説明にシガヤもフンフンと頷き同意して見せた。

「……お前たちが思う以上に"異界落ち"する者は多い。先人が残した警告は見逃すな。白線、木の傷、積んだ石、投げ捨てた荷物。そして決して、そこを越えるな」

「越えたら魔神に襲われちゃう?」

「それで済んだらだろうな」


 ちらばる骨もまた異界では一種の警告になるのだろう。しかし博物館ここは人間の世界なので、売り払った方が益になる。

魔神側あちらさんも同じことだヨ」

 シガヤがホッチキスで袋を留めながら続きを引き受けた。

異界への出口ドアーを超えて人里なんかに侵攻したから、こうして殺され、よくて"展示"、わるくて"おみやげ"さ」

 灰色の眼には散らばる骨が反射しチラつく。


「シガやんっていつもいじわるな言い方するよねぇ」

「お、スグリちゃんてば魔神相手に同情してんの?」

「スグリも一応"神さま"だしね!」

 自慢気なスグリにハバキとシガヤは肩をすくめる。もちろん良い感情ではない。


「それに『ドクナシドククジラ』って名前なんだし、毒なかったんでしょ?」

 スグリは根付を付けた骨を自分の目の前にかざす。やさしい丸みを帯びた骨はゆらゆらと怪しく揺れる。

「毒がなくても魔神は魔神だ」

 シガヤは笑った顔をしていたけれど、声だけはどうしても冷たいまま。


 ――半年前にモルグ市上空に出現した『ドクナシドククジラ』の群れは市民を不安に陥れた。なんせ別の都市を襲撃したMb型魔神『ドククジラ』と同一視されていたからだ。モルグ市もこれで壊滅かと誰しもが諦めたが、3日経ってもクジラの群れは地に降りてこなかった。上空を覆い尽くして泳ぐだけ。恐らく地上の空気があわなかったのだろう。


 結局、このままでは日照を遮ると判断されたクジラの群れは、博物館と自衛隊の共同作業によって一体ずつ海に沈められ、遺骸は博物館に回収された。特別見た目の良かった個体は政府に引き渡し、その他の一部は公的研究機関に売り飛ばされた。研究によってクジラたちは『ドクナシ』と呼ぶべき亜種だと判明する。


「違う世界に踏み込めば、此方も彼方もタダではすまないってこった」


 シガヤのしみじみとした言葉は、子供の「あはは」という笑い声で締められた。

 同時にミーティングルームの蛍光灯が激しい明滅を繰り返す。

「急になんだ!?」

「スグリ! イタズラすんな!」

「ちがうちがうわたしじゃない! でもわたしがつくったおみやげがー!!」


 スグリが指差した先、パッケージされた骨が点々と落ちている。

 イチトとハバキは思わず顔を見合わせた。

 先日の、お賽銭回収騒動を思い出したのだ。



 ……。



 廊下をゆく回収員1班に、博物館スタッフが声をかけては去っていく。

「枕木くん、あとで第3倉庫の運搬手伝ってよ」

「そんなん他のバイトに頼めや」

「スグリちゃーん教えた美容院どーだったー?」

「とってもよかったー! 今度からあそこ通うねー!」


 笑い声を辿って行けば、あちこちに骨のおみやげが落ちている。

「こういうイタズラやめてくんねぇかなぁ」

「わたしのせいじゃないもん。座敷わらしみたいなものだと思って受け入れてよ」

「幽霊と魔神って仲良くされたら困るしよ、あんまウロチョロすんなよ」

「大丈夫だよ。村主だって魔神は嫌いだもん。シガやんと一緒いっしょ!」


 ちょうどシガヤとイチトが別の部屋から出てきたところに鉢合わせる。

 シガヤばかりがスタッフに絡まれ、イチトはどこか遠巻きにされているようだ。


「真道先生って今日ミーティング出られますっけ」

「出ないからあとで議事録だけちょーだい」

「真道先生『赤い靴』の検査結果出てましたよ」

「メールで送っといて!」


 何人かはイチトに声をかけようとして、そして諦めたように踵を返す。彼の眼差しに気圧されるのだろうと、日頃から相対しているスグリとハバキにはピンとくる。


「イチくん、ちゃんとここに馴染めてるのかなぁ」

 アッシュグレーの後頭部を眺めながらスグリは小声で呟いた。

「いっちょ前に他人の心配か?」

 ハバキがちゃかすとスグリは頬を膨らませてそっぽを向いた。長いふたつ結びがぐるんと振れる。

「おみやげさがしのハプニングで、みんなと仲良くなれたらいいよね!」

「そういうのなんて言うんだっけか」

 そこにシガヤがふたりに向けて声をかけた。

「『マッチポンプ』!!」

 声をあげたはいいものの、シガヤはそのままイチトに連れられ別の部屋へ入ってしまった……。


「シガやんは何でも知ってるよねぇ」

「大学先生様だからな。まだ若いのに、どこもってやつだ」



 ……。



 シガヤとイチトのジャケットのポケットはすでに拾った骨でいっぱいだ。

 盗られた骨のほとんどは回収できたが、イチトは「走っていく影が見えた」と一点張りだ。

 気乗りしないシガヤはイチトに引きずられるがまま、物置部屋に移動する。

 

 まず目に入るのは中身のないショーケースだ。

 非常灯の緑の明かりに照らされ、無いはずの展示物を感じてしまう。

 壁際には、危険性がないと判断された展示物が箱に納められ積まれていた。

 常設展示用ではないそれの品々は、いつか来るだろう企画展を、ハレの舞台を待っている。


「シガさん、あそこにポスターがある」

「ポスターなんて気になるの?」

 部屋の明かりを付けないままイチトが部屋の奥に行くものだから、シガヤも慌てて後を追う。


 ちょうど学校の教室程度の広さの部屋、寄木細工の床は麻の葉を模している。麻の葉は魔除けの意味があることをシガヤは知っていた。

 部屋が暗いことだけに起因する不気味さは存外根深く、足元に願いが込められていても居心地が悪いものである。


「ああ、バイト募集のポスターか……」

「バイト募集? 館内に貼ってたら意味ないよネ」


 手書きの文字はホワイトボードに書かれたものと一致する。不座見ヤマヅの手書きだろう。

 イチトの茶に焼けた目が、紙に描かれた博物館のロゴマークをなぞっていく。縦長の四角の端から覗く円のロゴ。円に寄り添う2本の線は、人の影とも太陽の抽象とも言われている。


「ここのバイトは時給が良いのだな」

「ハバキくんが金につられてバイトはじめたって言ってたな。そのままズブズブと正社員に……ってイチトくんなんで剥がすの!?」

「いま誰かが"剥がして良い"と許可をくれた」


 イチトが唐突に剥がしたポスターの下には、古ぼけた御札が数枚あった。

 そして画鋲で留められたクジラの骨のキーホルダー。


「ひょああ!?」

 シガヤが情けない声をあげてイチトの袖を力いっぱい掴む。

 イチトは骨のキーホルダーを壁からちぎるように奪うと、何事もなかったかのようにポスターを貼り直した。


「シガさんは怖がりなのか?」

 涼し気なイチトの問いに、シガヤは元気よく首を縦に振った。

「御札は怖い! 探してるおみやげがあったのもビビった! あとイチトくんがオレの聞いてない声を聞いてるのもじわじわ恐怖を駆り立てる!」

「丁寧な説明をありがとう。魔神だったら俺が殺すし、人間だったら厳重注意をするから安心していい」

「……幽霊だったら?」

「俺には見えんから力になれない」


 言い切るイチトにシガヤはたまらず泣き言をもらした。

「スグリちゃんまたは副館長サン! あるいはスタッフで見える人ぉー!」

「スグリとヤマさんは見えるのか?」

「そもそも骨を取ってったのがスグリちゃんの背後霊一派! 知らなかったの?」


 犯人の正体を知ったイチトは、シガヤを置いて部屋を出ていってしまった。

 あっという間の出来事にシガヤは彼の背を見送るしかできず。


「ああ、スグリちゃんご愁傷様……」

 手を合わせるシガヤの耳元で、やわらかな子供の声。

「はいごれいじゃないよ」

「……知ってる。わかりやすく言っただけ」

 子供と話す時のシガヤの声は低く抑揚がない。

 真道志願夜は、子供が苦手だ。


「おふだ、はがしてくれないの?」

 幽霊のクスクス笑いはシガヤにまとわりつく。

「はがしたらこの部屋で遊ぶだろ?」

「このへや"学校"みたいですきなんだ」

「本物の学校行きなよォ」

「"今村主"がいってくれないもん」

 すねた声を伴って、子供の足音が廊下に出ていった。


 物置部屋は、再び居心地の悪い静けさに支配される。


「……あの子の力は魔神退治に有益だからね」

 独り言なのに、誰かが聞いてる気分に襲われる。

 部屋に並べられた犠牲者の遺留品てんじぶつのせいだ。

「オレがここを出ていくまでには、なんとかあげないと……」


 部屋に響いた「カタッ」という音がシガヤを現実に呼び戻す。

 シガヤは逃げるように物置部屋から飛び出したのであった。



 ……。



 バックヤードの休憩スペース。

「"警察の方のまどう"がまた怒ってる」

 巻き込まれたくないとばかりに、スタッフは廊下を足早に通り過ぎる。


 遠巻きにされているのは、スグリを壁際に立たせ逃げられないようにしてから叱りつけるイチトだ。

 スグリの「仲良くなれたら」の配慮は、彼女が台無しにしていると言っても過言ではない。

 ハバキもまた、巻き込まれたくないのでベンチに座ってコーラを飲みながらふたりを見守っていた。


「だから代表してスグリが謝ってるじゃん!」

「構って欲しさに仕事の邪魔をするのはやめろとしっかり言い聞かせろ!」

「怒ってもいいことないよ! 村主たちだってそれぞれの性格が……」

「こら、廊下で騒ぐのはやめなさい」


 打ち合わせから戻ってきた不座見ヤマヅがふたりの仲裁に入る。

 助け舟に感激したスグリがイチトの脇をすり抜けヤマヅに駆け寄ろうと試みるも、すぐに背後から床に押さえつけられてしまった。


「惑羽一途、女子供に暴力はだな……」

 ヤマヅはイチトに目線をあわせると、獣を宥めるように慎重に声をかける。

「逮捕術だ、ヤマさん。俺もスグリのおかげで体がなまらなくて助かる」

「助けてください副館長~痛くはないけど重いんです~!」

 曇りなき眼のイチトの下で、スグリが情けなく呻いていた。


「私としては、貴様らが頼んだ作業を放棄してここで屯している理由が知りたい」

「スグリたちがおみやげ取っていったんすよ」

「言わないでよハバくん! うらぎりものー!」

「ハァ、回収する側が持っていかれてどうする……ところで真道志願夜はどこだ。一番の年上が監督放棄か?」

「実はここにいまーす」

 自動販売機の影からシガヤが姿を見せる。

 彼もまたのんきに缶コーヒーを飲んでいた。

「説教タイムに巻き込まれたくなくて、見守ってました」

「正直だな真道志願夜。相棒の暴走くらい止めなさい」

「そんなの簡単に止められますヨ」


 シガヤはウインクすると、イチトに缶を投げた。ノールックでキャッチしたイチトだったが、改めてパッケージを見ると勢いよく立ち上がる。

「ココア!」

「ほら副館長サン、このすきにスグリちゃん回収!」

「立て村主!」

「立ちました!」


 無事に解放されたスグリがヤマヅを壁に距離を取る。

 当のイチトはココアを飲むのに夢中なため危険性はなさそうだ。

 大人しくなったイチトの周りに回収員が集合する。


「面倒な奴らめ。それで、おみやげはつくれたか?」

「数かぞえたら400個。盗られた分も含めてな」

 ハバキが持っていたプラケースをガサガサと揺らした。中には今日の回収員たちの成果が入っている。

「ご苦労。おみやげに1個ぐらい持ち帰っていいぞ」

 ヤマヅの提案にスグリとハバキはすぐにひとつを選び取った。ヤマヅもひとつ手にとって、誰が削ったものかと袋をかざす。

「オレはいいや。付ける場所ないしネ」

「鍵につけたら?」

「鍵にはココで売ってるお守り付けてるもんよ」

「良客だな。惑羽一途はどうだ?」

「そうだな、同居人用にもらうか」


 イチトの何気ない一言に、ヤマヅ以外が「同居人!?」と食いついた。


「アンタの家に幽霊でるのか?」

「スグリと一緒だね!」

「何故に生身の人間と思わんのだ。俺はルームシェアをしている」

「え、マジな話なんだ同居人。イチトくんと同居って大変そうだねぇ」

「毎日怒られそう!」

「よく分かるな」


 イチトは小さく笑い、飲み終わった缶を投げて捨てる。

 やっぱり説教しているんだと納得している皆を気にせず話を続ける。


「モルグ市は少々家賃が高いように思える。住民に戻ってきてもらいたいのなら、もう少し安くするべきではなかろうか」

「市街地は復興で新築になった建物ばかりだから、あの辺は家賃が高めだね」

「移住前に知りたかったな……」

 イチトの嘆きに、モルグ市育ちのハバキとヤマヅがつられて笑った。

「駅前はファミリー層向けだから縁がねぇよな」

「中央公園まわりはハイカラな住居が増えたようだが」

「副館長サン、あれデザイナーズマンションって言うんですヨ」

「ああ、俺は公園前のマンション住まいだ」

「えっこいつデザイナーズマンションに住んでる! そりゃ家賃も高いって」

「イチくんオシャレなとこに住んでるの? 今度写真見せてよ!」

「ついでに同居人の写真も頼むぜ」

「しかしあいつは写真をいやがるからな……」


 イチトの話で盛り上がり、その日の業務は大きなトラブルもなく終わる。

 空気が緩んだ回収員を見て、周囲のスタッフもどこかほっとした様子であった。


 惑羽一途はいまだ警戒されている。

 苛烈な態度と不幸な来歴ゆえに。

 手綱を握るよう期待されているのは、彼の相棒と副館長だ。



 ……。



 博物館から出たイチトは、大通りを抜けて中央公園方面へ向かう。

 雲の切れ目から見える月が人気のない道を照らしていた。


 モルグ市において夜出歩く者は少ない。魔神侵攻を受けた土地では、人は陽か屋根の下に居たがった。


 公園前に建つガラス匣で構成されたような建物がイチトの住居だ。

 半透明の階段を駆けのぼり、カードキーで部屋の扉を開く。

「ただいま!」

 めいっぱい声を張りあげると、明るい声が戻ってくる。

「おかえりなさい!」

 リビングのソファで本を読んでいた青年にイチトは歩み寄った。


 ヘーゼル色の眼を満足そうに細める青年がイチトの同居人だ。

 灰に染められた髪がサラリと揺れる。

 髪の隙間から見える右耳にはピアス。今日の石はマラカイト。


「すまないフツカ。すこし遅くなった。腹減っただろう」

「今日はぼくが用意しておいたよ。明日は兄さんが代わってくれる?」

 フツカと呼ばれた青年はアイランドキッチンを肩越しに見やる。

 深鍋が湯気をまとっていて、夕飯まであと少しだと知らせていた。


「それはそれとして、お詫びをくれるんならぼくは喜んで受けとるよ!」

 青年は満面の笑みを浮かべて両手を広げる。人懐っこいがゆえに、彼はイチトとのルームシェアを成立させていた。

「ちょうどお土産がある。つけるか捨てるかはフツカに任せる」

「ぼくが兄さんから貰ったものを捨てるわけがないでしょう?」


 イチトはフツカの手に小さな袋を握らせた。フツカがこわごわ手を開けば、中にあるのは骨のキーホルダーだ。袋の上部には『盛愚市魔神博物館』と印字されている。

「これ、魔除けの効果でもあるの?」

「無い。無いが、今日俺たちが地道に削って整えたものだ」

「そうなの? じゃあ大切にしないといけないね!」

「そいつは『ドクナシドククジラ』といってだな」

「ああ、説明はいいよ。ぼく魔神とかそんなに興味がないから……」


 、という言葉にイチトは一瞬眉を顰めたが、すぐに表情を緩めた。


「フツカは浮世離れしているな。それとも美大生はそういう感性なのか」

「ぼくには兄さんの方が浮世離れしているように見えるよ」

「心外だな」

「兄さん、手洗いうがい!」

「忘れていた」


 洗面所へ向かうイチトの背を見てフツカは小さく笑った。

 ちょうどシチューも煮えた頃合いだろうとソファから立ち上がる。


 日常の一幕、カーテンの隙間から見える夜空。

 虹の柱が星を喰らう様子を見て、フツカは端正な顔を僅かに険しくした。


 きっと"魔神"は、今もどこかで。

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