第5話「回収するのは死体の他にも」

 とある日のモルグ市魔神博物館、回収員待機室。

「神主さんによろしく、だそうだ」

 惑羽イチトは報告書制作の手を止めて不座見ヤマヅに声をかけた。


「なぜ私にそれを?」

 室内には4人分のデスク、ローテーブルと革張りのソファ。デスクについているのはイチトだけで、ヤマヅは壁に並んだキャビネットから資料を選んでいる。

「ヤマヅ副館長は、たしか神主ではなかったか?」

「もうここは『魔神博物館』だ」

 ヤマヅが弱り眉をつくる。イチトはまったく気にせず、ノートパソコンを閉じるとオフィスチェアを回転させた。


「市民はいずれ神社が復興するものだと考えているのでは」

「……ありえない。もう誰も神主ではなく、ここにあった神社だって戻らない」


 回収員待機室には窓がない。ヤマヅは外を見ようとして泳がせた目をイチトに戻した。茶に焼けた目で見返される。


「貴様がそれを理解していないのならこの博物館の興りを……」

「ヤマさん!! また裏口に小銭が積んであったぜ!!」

 枕木巾来まくらぎハバキの乱入がヤマヅの言葉を遮った。

「またお賽銭か!!」

「五百円玉もあったんだけど貰っていいか? いいよな? いつも通りに……」


 イチトの鋭い声がふたりの騒ぎを制止する。ヤマヅとハバキの体が小さく揺れた。まだふたりは、この手のイチトの厳しい声に慣れていない。


「落ちていた金銭は警察に届けるのが市民の義務だ」

「いやイチト、この博物館のルールではなッ」

 食い下がるハバキにイチトは指を向ける。

「郷に入っては郷に従えと云うつもりか? この国には遺失物法第4条・拾得者の義務というものがある」

「これが、皇都警察から人を迎えるということか……」

 ヤマヅはため息をつくとイチトの両肩を掴んだ。そのまま茶色い瞳を覗き込む。

「惑羽一途」

「俺とて鬼ではないぞ? 過去の罪は問わないが……」


「違う。


 ヤマヅの命令口調にイチトは首を傾げる。一方で、音を立てずにそっと部屋から出ようとしたハバキだったが、「枕木巾来」とヤマヅに名を呼ばれたらもう逃げる事はできなかった……。



 ……。



「敷地内に撒かれた金をぜんぶ回収だ~!? めんどくせ!!」


 辟易とした声が中庭に響く。鹿威ししおどしがカコーンと良い音を立ててハバキの嘆きを肯定した。もちろん、鹿威しの側にある手水鉢には小銭が何枚も投げ込んである。

「しかもコイツがいる限り、こづかいにもならねぇ!」

「ポッケナイナイはよくないぞ」


 中庭庭園は、かつてモルグ市魔神博物館が神社だった頃と同じ造りを残している。屋外には魔神の死体の展示はなく、博物館帰りに立ち寄ったり散歩コースとして庭園を訪れる者も多い。

 当時植えてあったカキツバタは魔神侵攻ですべて枯れ、もはやこの場所で花開くことはない。


「『割れ窓理論』を知ってるか、ハバキ」

「シガヤみたいな話の切り出し方すんなよ」

「ふふ、影響を受けたのかもしれん」

「まだ組んでそんなに経ってねーだろ……」

「いいから聞け。割れた窓や落書きを放置しているとどんどん増える。治安悪化の一歩だ。逆に、綺麗にしていれば追従されない」

「それと今の状況に何の関係があんだよ」

「お賽銭もそうだ。誰かが1枚投げ込めば信奉者フォロワーは現れる」

 ハバキは「ふーん」と唸り、手水鉢から十円玉や百円玉を拾い上げた。千年沈んでいたかのように錆だらけだ。


「誰もが最初の一歩を踏み出すのには勇気がいるということだな」


 イチトの言葉に責められている後ろめたさを覚え、ハバキは話題転換を試みる。

「……ヤマさんって、ここが神社扱いされるの嫌がるんだよな」

「じゃあお守りなど売らなければよい!」

「ほんとそれな! なんならここ、おみくじだって売ってるしな!」


 話題転換は成功し、ふたりは様々な文句を言いあいながら博物館の敷地内をさまよう。

 春の日差しはやわらかく、そよ風が蝶と死臭を伴って水色の空へ消えていく。


 やがて芝生を超えて、職員用駐車場へ。軽トラックや小型のバン、霊柩車が数台停まっていた。

 そこでイチトが何者かの視線に気がつき、首を上へ向ける。

 管理棟からこちらを見下ろす白衣の男がいた……真道シガヤだ。


「なーにやってんのー?」

 快活なシガヤの声が窓から降ってくる。

「おかねひろいだー!」

「シガヤも手伝えー!」

 ふたりの返答にシガヤが「よくわかんない」と言いたげに肩を竦めた。


「ごめんネ~! オレいま研究員としての業務中なんだ!」

「役立たず! デスクワークばっかだと体に悪ぃぞー!」

「一応オレ、館内で唯一の回収員コレクター研究員プロフェッサーだからねー!?」

「おつかれさまだシガさーん」

 激励するイチトの声を受けてシガヤが満足そうに目を細める。

「そういえばイチトくーん! たのんでた報告書おわったー?」

「善処するー」

「おわったかどうかを聞いてんだけどー!?」


 イチトはシガヤのツッコミを流して、ハバキの方を向いた。

「向こうの茂みに光ったものがあった。お賽銭かもしれん」

「シガヤの相手はいいのかよ」

「賽銭回収を終わらせて、俺は腕やら鴉やらの報告をまとめねばならん」

「まぁ2班のおしゃべりに付き合ってたらそれだけで1日が終わるしな……」


 アスファルトを駆け抜けて――こら逃げるなと窓際から喚くシガヤを無視して――ふたりは茂みを乗り越え木々の間を抜ける。

 イチトの言う通り、しめ縄が結ばれたクスノキの根本には五百円玉が落ちていた。


「コレが見えたとか絶対ウソだろ! あそこからかなり距離あるぞ!?」

「視力の良さは、俺の数少ない自慢のひとつだ」

「でまかせ言って逃げただけだろ。偶然金があったからいいものの……ん?」


 その先にも転々と、古びたお金が落ちていることにハバキは気づく。五円玉、十円玉、百円玉。

「なんだぁ? いっぱい落ちてんぞ」

「誘いのようだな。追うか」

「めんどくせぇ……ドアー誘導だったら面倒だな……よりによって博物館の近くって、恐れ知らずなこった」


 イチトは小銭を拾いながら芝生を進み、ハバキはカーキ色のジャケットから郭公カッコウの意匠が施されたレンズを取り出す。金フレームのそれをイチトの向かう先に向けたが、特に何かが見えるわけでもなかった。


「何か分かったか?」

「色がねぇ。異界に関係ないことか、まだ未定義の異界か、どっちかだろうなぁ」

「振れ幅が大きいな」


 点々と落ちた硬貨は、博物館の搬出入口のひとつまで続いていた。シャッターが僅かに開いている……人が屈んで入れるくらいの隙間の先に、また百円玉。


「第4倉庫か」

 ハバキがしゃがんでシャッターの向こうを覗き込む。今日の利用記録はなかったはずだと独り言。

「確かめるぞ」

 イチトがさっさと中に入ってしまうので、ハバキも慌てて後を追う。


 第4倉庫は高い天井、室内は標準光で照らされている。壁際には布で隠された展示品が積まれていた。そしてホール中央に落ちている、縁がギザギザの十円玉。


「こんなところに誘導して、なにが……」

 イチトが硬貨を拾い上げると同時だった。銀色の光がイチトの目を焼く……瞬きの間に、1枚のプレートが眼前に浮いていた。

「『銀の盾』!?」

 ハバキが声をあげた。盾と呼ばれたそれは、実際は戦斧の刃だ。

「アンタの第弐神器じゃねぇか! なんで出した?」

「知らん、呼んでない! 勝手に顕現したということは」

 なにしろその神器は、本来在るはずのの形成が間に合っていなかった。


「警戒しろハバキ! 倉庫内になにか居る!」

「くそ、確光レンズじゃ見つけきれね、え……」


 ふたりの頭上を影が覆う。

 首を向ければ、無数の骨が宙に浮き、ゆっくりとひとつのモノを形成する様が見えた。


「ハバキ、あれは!?」

「Mb型魔神『ドクナシドククジラ』、の、骨だ!」

「骨か! なぜひとりでに動いている!?」

「知るか! こんなこと聞いたこたねぇ!!」

 クジラと称されたものだが骨の集まりは恐竜に近い形へ整いはじめる。

「あれには何が効く!?」

「アンタは『銀の盾』でも振っとけ!」

「そういえば盾がひとつしかない! その辺に浮いてないか!?」

「質問多いなアンタ!!」


 ハバキは壁際の『緊急時押セ』と書かれたボタンを叩く。シャッターが自動で閉まり、足下から鎮静用麻酔煙スモークが炊かれはじめた。

「死んだ魔神が活動するなんて、ありえねぇんだよ!!」

 ハバキの革手袋グローブの指から山吹色に輝く爪が伸びる。

「使役か侵食の魔神がいるかもしんねぇ、まず骨をどうにかしてから……」


 ハバキが言い終わるより前に、イチトが右手を振り上げた。

 呼応するように『銀の盾』が光の羽を撒き散らしながら跳ね上がる。

 衝撃波が倉庫内を奔り、浮遊する骨はほどけるように散らばった。


「はっえぇな……」

「使役者なら『銀の盾』が見つけたようだぞ」

「は? どこに魔神が……」

「いや、犯人は村主スグリだ」



 ……。



 第4倉庫2階のキャットウォーク。

 ひとりの少女が座り込んでいた。


 髪の色はピンク。ふたつに結んだ髪は長く、後頭部でまとめた髪は元気よく跳ねている。

 彼女もイチトやハバキと同じく袖に『盛愚市魔神博物館』と書かれたカーキ色の外套ジャケットを羽織っていた。


「やあ市民、おひさしぶり!」

 気丈に振る舞う少女だったが哀れにも声は震えている。目の前にイチトの第弐神器・銀の盾のが刺さっているからだ。一対の自律斧刃はイチトの第2の得物である。


「スグリ、市民呼びやめろって言ってんだろ」

 ハバキが呆れて言えばスグリは頬をむっと膨らませた。

「だって"市民"じゃーん! ふたりはスグリの村人じゃないし!」

「コイツ……」

「あとイチくん、おねがいだから銀盾ちゃんひっこめてくれない?」

「偉いだろう、俺の神器は? お前が犯人だと気づいて、まっさきに確保に向かったようだ」

 イチトの褒め言葉を受けて、銀に輝く斧はキラキラと光る羽を撒き散らす。


「わかった、銀盾ちゃんは偉いから! 今日のお手柄だから!」

 スグリが白橡色の目に涙を浮かべると、イチトは舌打ちをして銀の盾を退散させる。

 代わりにホルスターから公色警棒を取り出し少女の胸に突きつけた……押されて胸部が柔らかく歪むが、それは心臓を狙った牽制だったのでスグリはゴクリとツバを飲む。


「警棒もダメ! わたし、そこまで怒られることしてないよー!」

「ほう? 展示神を無許可で弄った。徒に己の霊力とやらを使った。遺失物法第4条を無視した」

「うわ、スグリも賽銭回収してたのか……」

「だって、お賽銭は拾った人がもらっていいルールだよね!?」

「アンタ昨日まで入院してたよな? 復帰してさっそく小遣い集めかよ」

「『お賽銭』には抗えないのだよ! だって村主は神様だからね!」

「元、だろ」


 ハバキの冷たい言葉にスグリは「ぐぅっ」と分かりやすく唸った。イチトはどちらのフォローもせず、腰を落として少女に目線をあわせる。


「なぜ『ドククジラ』の骨で俺たちを襲った?」

「イチト、今回のは『ドクナシドククジラ』の方だぜ」

 即座にハバキから訂正された。イチトは眉を顰めたが、スグリは他人の間違いを気にせず「フフン」と得意げに笑う。


「説明しよう! ふたりが怖い顔して追っかけてきたから、スグリなにか怒られちゃうのかな~って思って骨を囮にしてみたのである!」

「愚かな保身で罪を重ねたわけか」

「そこまで怒られることかなぁー!? クジラ魔神はもう死んでるんだし!」

「展示神を無許可で弄るな」

 イチトに凄まれスグリは困ったようにハバキに上目遣い。

「ハバくんどうしよう! イチくんって正規職員のひとより厳しい!」

「アンタも正規職員なんだからイチト相手にゃもう少しシャキッとしろ」

「こわくてできないよ~!」

「で、他に弁明は?」

 公色警棒で己の手で叩きながらイチトは先を促す。低い声に負けてスグリは慌てて釈明する。


「えっとね、あとはね、しばらく回収業務を休んでたから、スグリの力が戻ってるか不安でリハビリとやらをだね!」

「骨を動かして?」

「そ、骨を動かして! 結果的に村主の霊力は衰えてないことがわかったよ!」


 超常の力について常識のように述べる少女。

 村主スグリは枕木巾来と同じチーム、回収員1班に所属している。

 他の回収員のように神器に頼らず魔神に抗える、唯一の"能力持ち"であった。

 彼女の来歴は現代日本の観点で言えばまっとうなものではなく、「神様」を自称することは博物館内でも問題視されている。


「でもなぁスグリ。あんな風に金を道にばらまいてりゃ、イチトじゃなくても追ってくるぜ?」

「え? ばらまいてなんて……あー! ポケットに穴あいてる!!」

「抜けてる神様もいたもんだなァ」

「ハバくんはすーぐそうやって意地悪言う……あとごめん、なんかすっごい眠くなってきちゃった……」


 ふにゃ、と間抜けな声をあげてスグリはゆっくり横になった。

 キャットウォークの手すりから長いピンク髪が垂れる。

 階下では炊きっぱなしの鎮静用麻酔煙スモークが床を白く覆っていた。


「……あのスモークってにきちんと効くんだな」

 イチトが呟けばハバキが「クワバラクワバラ」と雑に呟く。


「ところでハバキ、さっきお前が出していた黄色い爪だが」

「あの色はTt型だぜ」

「お前のパーカーと同じ色だな」

「そういうの言うのやめろ! 着にくくなるだろコレお気に入りなのに」


 結局、この日に回収したお賽銭は二千四百円にのぼった。

 すべてイチトの監視のもと、モルグ市市警察に届けられた。


 ――届ける前にシガヤの意向で化学反応を利用した硬貨洗浄が行われたものの、数枚はどうしても奇妙な汚れが拭えなかったという。

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