第4話「害は外界より来たれり」

「朝にケンカ別れをして、帰る頃には死んでいた」

 かじられた偵察用機械ドローンを前に、惑羽イチトは腕組みをして立つ。


「……あー、そういう話あるよね」

 このドローンはモルグ市魔神博物館が所有する千機のひとつ。飛行生命体に似せた見目で、黒色で、コウモリの耳に似せたアンテナが付いている。

「後悔するだろう。なぜ、行ってきますと言えなかったのか。あるいはその逆、行ってらっしゃいと言えなかったのか」


 金属製のドローンは、砕けているのではなくかじられていた。人の皮膚に似た破損の仕方。その痕を、真道シガヤは指でなぞって確認する。

「まー、出掛けに挨拶を交わしてたとしても後悔する話でしょ。結局は死に別れなんだからサ」

 声には諦念を含んでいた。

「そうだ。相手が死ぬ瞬間を見ない限り、後悔する!」

「見ても後悔するでしょうに。で、今回は誰の話?」


 シガヤのうんざりした声。イチトは腕組みを崩さず、診察台に転がされたドローンを睨みつけている。茶に焼けた目が細められた。


「俺の母の話だ。我らが兄が亡くなってから、母は家族を送り出す時に抱きしめることを欠かさなくなった」

「ハグねぇ~アメリカンな文化だなぁ」

「海外に行ったことはないが……その習慣を姉と弟は嫌がっていたな。朝のバタバタした時分でも母は欠かそうとしなかったから」

「イチトくんは嫌がらなかったの?」

「俺は母の味方ポジションだ」

「何歳まで続いていたの」

「俺が14歳の時」

「……今から何年前?」


 シガヤに撫でられていたドローンが、ギ、と動き出す。シガヤは慌てて内線電話に手を伸ばしドローンの復旧を報告する。

「はーいもしもし、志願夜シガヤの方の、まどうです。ドローン大丈夫そうですが、今回の魔神は金属神器はダメみたいです……捕食されますネ。異界区分は今のところアンノウンだけど、恐らくは」


 電話の間に、イチトは医務室から姿を消していた。



 ……。



「今回はAg型だと、シガさんが言っていたが」

 博物館のバックヤード、事務室にて。軽トラックのキーを受け取りながらイチトは呟いた。

「ああ私、Agアガリエの魔神苦手なんですよ。前に見たのがヒト型であれ以来マネキンがダメで……あ、ノワさんは平気ですよ」

 事務員アシスタントの女性に促されるがままに、貸出表に『回収員2班』と縦に細い文字で書き込んでいく。

「ヒト型に恐怖を抱く者は一定層いる。マネキンに限らずカカシ、ロボット、あとは立て看板……魔神なんぞに関連せずとも枚挙にいとまがない」


 イチトの厳しい目つきが、事務員の視線とぶつかる。彼女は恥ずかしそうに頬をかくと、思いついたように会話をつなげた。

「そういえば惑羽さんはご存知ですか? 月架山のヒトガタ棚田にでる、花籠の女のウワサ」

「月架山ならこの間に行ったばかりだ。女の人は出なかったな。そもそもあの山は無人のはずだが……」

「それがですね~夜な夜な」

「イ、チ、ト、く、ん!」

 声と共にイチトの頭が沈む。白手袋に包まれた手がアッシュグレーの髪を押さえつけた。

「い~つまでお話してんのかな~? 鍵借りてくるだけでしょ!」

 シガヤの手をイチトはなるべく優しく振り払う。

「シガさんこそ準備が終わってないだろう。白衣だけで向かう気か!」


 事務員は咳払いをすると、任務に出向くふたりの回収員コレクターに頭を下げた。

「どうかお気をつけて」

「無事の帰りを祈ってて!」


 去るふたりの青年の背を眺める事務員は、曖昧な笑みを浮かべたまま。

 祈る相手、彼女がかつて"巫女"として仕えた神は、この地にはもう居ないのだ。



 ……。



 軽トラックは田んぼ沿いの道路を走る。今日の運転手は惑羽イチト。助手席でじゃがりこをひたすら頬張っているのは真道シガヤ。

「今回の魔神の異界区分は、まだ"アンノウン"扱いなのか?」

「金物喰いならアガリエの可能性が高いんだけど、それ以外の特徴がなくてね」

 空は白く霞んでいる。薄水色に、筋を引いたような雲。稀に虹の亀裂がモルグ市北の空に観測されるが、今日の出動理由はそちらではない。

「相手がAg型ならシガさんの神器が効くのにな」

「なんでガッカリしてんのさ。オレの切り札見たいの?」

「めっちゃ見たい」

「思いのほか食いついてくんね!?」


 遠目に見える古い住宅街が今回の報告場所だ。

 時刻は午後2時。幸い、学生たちは学校に、社会人は勤め先に囲われている時間帯。懸念事項は家に残っている人たちだけだ。


 アスファルトにはかすれた『スクールゾーン』の字。左右に広がる田んぼには水が張られ、太陽の光を受けてキラキラ輝く。


「住民の避難は済んでいるのか?」

「避難は関係ないネ。もう死んでるって話だから」

「魔神が?」

「今回は死体の回収だけで良いってサ」


 やがて軽トラックは、日本家屋が立ち並ぶ区画に立ち入った。

 この辺りは整備された市街地とは趣が異なり、独自の伝統や風習が色濃い。

 モルグ市魔神博物館へも、ある理由から協力的だ。


 徐行して走るトラックを見た、犬の散歩中のおばさんが一瞬、露骨に顔をしかめる。しかしトラック側面に書かれた『盛愚市魔神博物館』の文字を認めた途端に笑顔で手を振った。シガヤがにこやかに手を振り返し、イチトは会釈に留める。

 リードに繋がれた犬だけは、ワンワンギャンとトラックに吠え立てた。


「報告のあった場所、あそこかな。面倒なことに人だかりができてるぜ」

 シガヤが指差した先の十字路。過剰配線の電信柱の下に野次馬が群がっている。

 老若男女をかきわけて、痩せたおじいさんがトラックに向けて手を挙げた。

「こっちです、博物館さん。通報したのは私でして」


 モルグ市内を闊歩する、カーキ色の外套を身につけた者は市民から親しみを込めて「博物館さん」と呼ばれている。

 その呼び名は左袖に書かれた仰々しい施設名か、あるいは魔神から守る背の刺繍が由来か。

 うっかり外套の内側を覗けばその呼びかけは畏怖に変わる……三ツ目の文様が、魔除け厄除け虫除けの威圧感を放つから。


「死体から離れて」

 イチトの短い一言に近隣住民たちは名残惜しそうに散っていく。自転車、シルバーカー、赤ん坊、様々なものを伴って。


 人が捌ければ太い電信柱にしなだれかかる細い電信柱が姿を表した。

 2本の電信柱と地面が構成する三角形の穴……そこから這い出るように、ズクズクになった腕が倒れていた。


 ――「腕が倒れていた」という表現がしっくりくる、形と脱力の有様だった。実際には指に見える器官は8本あって、肘のあたりでねじれて繊維に似た尾を形成している。


「『異界の入口ドアー』から、出たところで死んだのか?」

 イチトの検証にシガヤは「そうかも」と電信柱に注視する。


 各種原因より発生してしまう、異界に繋がる災厄の穴。そのまま『ドアー』と呼ぶことが多く、現代日本では常識の事象となっていた。


「三角穴はAgアガリエ型の一致率が高い。あとは被害状況がわかれば……」

 シガヤが両手で三角形をつくって電信柱にあわせていると、見守っていたおじいさんがフンフンとシガヤに同調する。

「そのアガリエってのが、魔神の名前かい?」

「アーいや、アガリエってのは出身地みたいなもんですね。業界用語だから覚えなくて大丈夫ですヨ」

「博物館さんが教えてくれるとは珍しい!」

 うれしそうに告げるおじいさんに「しまった」とシガヤは大げさに口を抑えて戯けて見せる。

「オレってば、大学の先生してるから教えたがりで。他の回収員とは違うんです」

「大学先生かい! 若いのにすごいねぇ」

「どこも人手不足で……魔神について詳しく知りたければどうぞ魔神博物館へ。いい学芸員が揃ってますヨ」

「わざわざ行くには腰が重くてねぇ」

「シガさん、こっちへ」


 雑談を咎めるイチトの声。シガヤはおじいさんに「離れてて」と笑顔で告げると、電信柱に向き直る。

 納体袋に『腕』を入れるイチトの動きは止まっていて、ギラギラとした茶の眼だけが周囲を注意深く伺っていた。


「ヤバそう?」

「死体回収、魔神対応、ドアー封鎖。どれを優先すべきか迷っている」

「魔神いるの!?」

「勘だが。首筋がピリピリする」


 イチトの言葉にシガヤは外套の下のホルスターから改造したテーザー銃を取り出す。ガチガチと荒くダイヤルを回し、イチトと同じように周囲を見た。

 野次馬はすでに失せている。ふたりの雰囲気にただならぬものを感じたのか、賢明な通報者も電信柱から離れブロック塀近くに避難した。


 ボタリと奇妙な音がした。イチトが手にした死体めがけて金属部品が投げつけられる。かじられたドローンだ。

「上だ!」

「了解!」


 シガヤが電信柱の上に佇む鴉に向かって引き金を引く。

 テーザー銃から紫色の電光が奔り、黒い体躯を貫いた。

 それはピギィと虚しく鳴いてイチトの広げる納体袋に真っ逆さま。

 覗き込めば、すでに絶命している。


「鴉を真似た魔神か。嘴の中は人の歯だな。この歯で金物を喰ったのだろう」

「う、気持ち悪いな。聞いたこと無いし新種かなぁ……Kg型が効いてよかったわ」

「腕は別の袋に入れよう。シガさん、ドアー封鎖を頼む」

「実は初手でやるべきだったねコレ。魔神の出入り口なんだから」


 シガヤは内ポケットから小さな袋を取り出すと、中身を雑にぶちまけた。色とりどりの小石が、三角穴に吸い込まれて消えていく。

「小さい穴だし、こんなもんか」

 博物館の開発員デペロッパーが片手間につくった『要石』は、ドアー封鎖に高い効果をあげている。しかし材料厳選の都合もあり、まだ一般販売はされていない。


「コレ、ただの石じゃないから、その辺のモノで真似しないでくださいね~!」

 遠巻きにシガヤを見ていたおじいさんに忠告すると、おじいさんは照れ隠しのように頭をかいた。



 ……。



「こっちの電信柱、広告いっぱい貼ってあんね」

 陽は傾きかけている。イチトが護符を貼った納体袋を軽トラックの荷台に積む中、シガヤはずっとドアーのあった電信柱を調べていた。

「何か気になる広告でも?」

「『トトキ市魔神美術館』」

「ああ、それはなんとも不吉だな」

「連中はドアーを開いたりはしないはず。ただ、こう、魔神信奉者の気配がねぇ……」

「美術館でも魔神を飾っているのか?」

「魔神の死体を飾る酔狂な施設はね、うちだけなんだよイチトくん!」

「どっちが不吉なんだか分かったもんじゃないな」


 厭そうに吐き捨てるイチトに、通報者のおじいさんが声をかける。

「博物館さん、これで清めて。返さなくて大丈夫だから」

 渡されたのは手ぬぐいだ。地元の商店街名が印字されている。

「ああ、お気遣いを……ありがとうございます」

 イチトは魔神の体液で濡れた手を拭った。手ぬぐいからは清らかな香りがする。イチトの専門外の、何らかが施されているのだろう。


「この度はご報告いただきありがとうございました」

 イチトは丁寧に礼をする。

「念のために見回りを市警察に依頼しておきます。本件に関しては、市警察から続報が入ると思いますので」

「いいよいいよ~あいつらは頼りにならんもの」

「しかし」

 管轄は違えど、警察組織がホームであるイチトは複雑な顔を見せる。その反応を気にせずにおじいさんは続けた。


「おたくの神主さんによろしくね」


 モルグ市魔神博物館は、今は失き某神社が母体の組織である。それはこの区画に絶大なる信頼を与えていた。



 ……。



 夕暮れ時の風が吹きふたりの回収員が身につけるカーキの外套を揺らす。

 人の姿が失せた十字路、イチトとシガヤは帰還のために軽トラックに乗り込んだ。

「短い時間だったけど収穫が多かったネ」

「その分、異界の影響が強くなっているということだろう。由々しき事態だ」

 トラックの窓から見える空、電線で区切られた橙色をカラスが列をつくって飛んでいく。あの中に、人の歯が生えた怪異カラスも混ざっているのだろうか。


「ノルマ制じゃないからボーナスとかも出ないしね!」

「金が目的ではないからな」

「さすが正義の警察官……」

 シガヤはシートベルトを締めると、残っていたじゃがりこを一気に口に注ぎ入れた。

「さあ帰るぞイチトくん」

「……本当は、シガさんの切り札は見たくないんだ」


 唐突なイチトの吐露に、シガヤは咀嚼の動きを止める。半端に噛んだ菓子を飲み込んでしまい、そのまま小さく咽せてしまった。


「ゲホ、急にどうしたのさ?」

「『第参神器』を出すということは、相応の魔神が相手ということだから」

 ハンドルに額を寄せるイチトを見て、シガヤはしょうがないなとため息をついた。


「切り札の話なんて忘れてたヨ。お前さんも律儀だねぇ」

 肩を軽く叩かれてイチトは表情を緩める。今日はじめて見せる笑顔だった。


「……シガさん、帰りに水ようかんでも食べないか?」

「ちょっと切り替え早すぎない?」

「この辺りに有名な和菓子屋があるらしい」

「死体あるのにのんびり食ってられるかって! せめてテイクアウトでさぁ」


 これはモルグ市の日常の一幕であり、慣れてはいけない非日常である。

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