第34話 少女の幻想



 佐倉 美春は、特別だった。



 映画監督の父と女優の母。幼い頃からなに1つ不自由のない暮らしをしてきた彼女は、自他ともに認める特別な少女だった。容姿も優れており、身長も高い。おまけに運動も勉強も得意で、何もしなくても周りにはいつも人が寄ってくる。


 多少の我儘を言っても、誰も逆らわないどころか寧ろ嬉しそうに言うことを聞く。友達も沢山いて、両親にも愛されている。欲しいものは何でも手に入る、そんな環境。


 自分が世界の中心なのだと、そう勘違いしてしまってもおかしくない環境で、けれど彼女には……自分よりも特別な存在がいた。



 それが幼馴染の少年──糸杉 秋穂。



 彼の持つ特別性は、美春とは種類の違うものだった。秋穂は別に、運動ができるわけでも勉強ができるわけでもない。容姿は美春に似て優れてはいたが、彼のどこか人を寄せ付けない雰囲気が、その良さを殺してしまっているように見えた。


 だから美春はいつもクラスの中心にいて、秋穂はいつもクラスの隅の方で1人ぼっち。それなのに彼は、特別だった。



 理由もなく人に愛される才能。



 彼が困っていると皆が彼を助け、彼が「ありがとう」と言うだけで、どうしてか胸が軽くなったような気分になる。もし仮に美春と秋穂が敵対したなら、クラスメイトの多くは美春ではなく秋穂の味方をしただろう。


 秋穂は多くの人間を引き寄せた。秋穂の前では、美春もまたその他大勢の1人だった。……いや、秋穂と幼馴染であることが、美春にとって1番の特別だったのかもしれない。


 そして彼は、いくつかの問題を抱えていた。その1つが、家族との確執。夜の公園で1人空を見上げている秋穂を助けるのが、美春の日課。どこにでも売ってるようなチョコレートをあげるだけで、彼はとても喜んでくれた。


 美春は彼の照れくさそうな笑みが好きだった。独り占めしたいと思ってしまうほど、愛していた。気づけば美春は、秋穂のことばかり考えるようになっていた。別に理由なんてない。意味なんてない。ただ好きで、ただただ愛して欲しかった。


 ……でも、ある日。美春は母親に呼び出され、告げられた。


「あの子……秋穂くんとは、あまり仲良くしない方がいいわ」


 最初は言葉の意味が分からなかった。でもその時の母親の顔は、いつもの優しい母とは違う、画面越しに見た女優としての顔だった。


 母親は何かを隠している。そう気づいた美春は、秋穂の為にと母親のことを調べることにした。そして偶然、彼女が秋穂の父親と不倫しているところを目撃してしまった。


 美春は怒りに任せて、母親を問い詰めた。母親は最初、誤魔化すような言葉を口にしたが、美春のあまりの剣幕に根負けし、正直に話してしまった。


 それはまだ純粋な少女だった美春には、受け止め切れない内容。大好きだったお母さんは、秋穂の父親と昔からの幼馴染で、ずっとを持っていた。だからもしかしたら、美春と秋穂には血の繋がりがあるかもしれない。彼をどれだけ好きになっても、恋人にはなれないかもしれない。


 美春は、泣いて、怒って、暴れて、思った。自分が秋穂に惹かれていたのは、ただ単に彼と血の繋がりがあったからで、この想いは特別でもなんでもなかったのかもしれない。



 ……そもそもこの想いは、本当に愛情なのだろうか?



「本物でも偽物でも、あたしはどうしたら……」


 その頃から美春は、秋穂から距離を取るようになった。自分が知った事実を、彼に知らせる訳にはいかない。嫌われたくはなかったし、何より秋穂の傷ついた顔は見たくなかった。


 中学に上がる頃にはクラスも変わり、顔を合わせることもなくなった。時間が経てば忘れると思っていたのに、寧ろ時間が経つ度に胸に空いた穴が大きくなっていく。気づけば、秋穂の姿を探している自分に気がつく。美春は徐々に徐々に、荒れていった。


 そしてある日。秋穂がストーカー被害に遭っているという噂を聴いた。美春は彼を助けたいと思った。でも、できることは何もない。秋穂は自分がいなくても、1人で生きていける。自分はこんなに寂しい思いをしているのに、彼はきっと何も思ってはいない。秋穂は昔から、そういう男だった。


 結局、美春は大したこともできず、いつの間にか秋穂はストーカーをどうにかしてしまっていた。


 その後、どうしてか学校で、秋穂と美春に血の繋がりあるという噂が流れた。美春はどうしても、秋穂にその噂を知られたくなくて、すぐに噂の出所を突き止め潰した。その噂を流した少女たちは、ただ美春と秋穂の顔が似ているというだけで、そんな噂を流したようだった。


 何も知らない少女たちが、秋穂の気を引きたくてそんな噂を流した。……そしてその噂を流した当人は、秋穂と同じクラス。秋穂がその噂を耳にしていない訳がない。そもそも美春が気づいていなかっただけで、秋穂はとっくに美春との血の繋がりのことを聞かされていた。なのに彼は、何にも気づいていないようだった。



 秋穂には欠陥があった。



 それは多分、糸杉 秋穂という人間そのものが内包した欠点。その欠点があるからこそ、彼はあんなにも人を惹きつける。弱い癖に壊れない。彼はいつ見ても弱々しく見えるのに、決して壊れはしない。形のない水のような男。水は小さな隙間から、どこにでも入り込む。



 結局、美春は何年経っても、秋穂のことを忘れられなかった。



 何をしても、胸の痛みはなくならない。いつまで経っても、消えてはくれない。これから先、誰かと付き合って、子供ができて、幸せになったとして。でも死ぬ間際に思い浮かべるのは、きっと秋穂の顔なのだろう。そう思うと耐えられなくて、中学の卒業式、美春は秋穂に告白した。



 自分の中にある恋心を否定する為。叶わない恋を終わらせる為。美春は秋穂に想いを告げた。



 それは自分勝手な検証だった。自分の中にある想いを否定するには、どれだけ愛する人に嫌われればいいのか。



 佐倉 美春はただ、否定したかった。


 彼女はただ、終わらせたかっただけだった。



 それが彼女の検証で、それが彼女の全てだった。


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