第6話 先輩と嫉妬



「……だる」


 秋穂と揉めた翌日の昼休み。美春は頬杖をつきながら、つまらなそうな顔でスマホを弄っていた。


「お姫ー。今日も相変わらず、機嫌悪そうだねー」


 そんな美春に声をかけるのは、彼女の友人である咲奈。咲奈はいつも通り適当な笑みを浮かべて、美春の頬をつつく。


「……別にもう怒ってない。どうでもいいことで苛々するのも、馬鹿らしいし」


「そうなの? 昨日の放課後、秋穂くんと校門前でバチバチやってたーとか、噂で聴いたけど違うの?」


「……さあね」


 美春はどうでもよさそうに、前髪を指に絡める。


「あいつ、ちょっと可愛い転校生に声かけられたからって、調子に乗っててムカつく。なんか勘違いしてるみたいでめんどくさいから、もう余計なこと考えるのは辞めた」


「ふーん。でもじゃあ、やっぱり別れたっていうのは本当なんだ?」


「…………」


 美春はそこで、離れた席で相変わらずつまらなさそうな顔をしている秋穂の方に、視線を向ける。……昨日は偉そうなことを言っていたが、いつも通り1人でいる秋穂。


 昼休みなのに昨日の転校生が来る気配はないし、他の誰かと仲良くしているようにも見えない。いつもと変わらないぼっちな秋穂の姿を見て、嘲るように美春は笑う。


「どうせ、すぐに謝ってくるわ。あいつ、昔からあたしが居なきゃ何にもできないぼっちくんだし」


「かな? 秋穂くん、実は意外と人気あったりするよ?」


「あいつが人気? そんな訳ないでしょ」


「いやいや。秋穂くん、顔かっこいいじゃん。私なんて面食いだから、それだけで付き合ってもいいかなーとか思うんだけど……って、睨まないでよ、怖いなー」


 ヘラヘラと咲奈は笑う。美春の友人である咲奈にも、美春が本当は秋穂のことをどう思っているのか。その本心は、よく分からなかった。


 軽く扱っているように見えて、いつも目で追っている。『付き合ってあげてるだけだから』なんて言っておきながら、他の女子が秋穂に近づくと、すぐに不機嫌そうな顔をする。今だって、そうだ。


 ──依存しているのに、その自覚がない。


 美春が自分の本心に気がついた時、どんな顔をするのか。咲奈はそれを想像し、楽しげに口元を歪める。


「……なんかちょっと、面白くなりそう」


 咲奈は美春の友人ではあるが、別に彼女の味方な訳ではない。だから咲奈は内心で、ここで秋穂を寝取ったら楽しそうだなーとか考えるが、無論それを口にすることはない。


「なんにせよ、あいつがモテるなんてことはないから。……どうせ、あと1週間もしたら泣いてあたしに謝ってくるわ。そしたら……今までで1番痛めつけて、自分の立場を分からせてやる」


 美春は小さく笑う。咲奈はそんな美春に何か言おうとするが……しかし。それを遮るように、教室の扉が開いた。



「──すみません。糸杉 秋穂くんは、いますか?」



 響いた声に、昼休みで騒がしい教室が一瞬、静まり返る。


 雪坂ゆきさか 奈乃葉なのは。長い黒髪に雪のように真っ白な肌。歩き姿を見るだけで思わず口を閉じてしまいそうになる、そんなクールでとても綺麗な2年の女子。


 1年で1番の美人が美春なら、2年は彼女だろう。……なんて、男子たちが噂しているのを美春も聴いた覚えがある。そんな少女が、秋穂を訪ねてわざわざ1年の教室までやってきた。



 ……何の為に?



 美春の頭が一瞬、真っ白になる。その間に、秋穂はその雪坂 奈乃葉に連れられて、教室から出て行ってしまう。すぐにざわざわと、教室が騒がしくなる。


「うわー。昨日の転校生に続いて、次は雪坂先輩かー。やっぱ秋穂くん、モテるんだねー」


 なんて他人事のような咲奈の言葉に、美春はまた忌々しげに大きな舌打ちをする。



『他に好きな人ができた』



 思い出すのはその言葉。その相手が昨日の転校生ではないとするなら、本命はあの先輩だろうか? モテないと……自分しかいないのだと思っていた男が、ちょっと突き放した瞬間に別の女に囲まれる。


 それはなんて、腹立たしいことなのだろう?


「……苛々する」


 美春は八つ当たりするように、力強くスマホを机に叩きつけた。



 ◇



 俺は、状況を理解できずにいた。


「…………」


 目の前を歩く、学校中で噂になるような美人な先輩。その姿を何度か見た覚えはあるが、しかし当然ながら話したことなど一度もない。


 向こうが、俺の名前を知っているだけでもびっくりなのに、昼休みにわざわざ教室まで呼び出しに来た。……無論、その理由に心当たりなどない。


 俺は、普通に困惑していた。


「急に呼び出してすみません。そこの席に座ってください」


 やって来たのは、何かの部活の部室。緊張していたせいか、何部の部室なのか確認する余裕がなかった。


「はぁ、失礼します」


 とりあえず、言われた通りに座る。雪坂……先輩は、そんな俺の正面に座って、真っ直ぐにこちらを見る。


「まずは、自己紹介をさせて頂きます。私は2年の、雪坂 奈乃葉といいます」


「……俺は、糸杉 秋穂です」


「知っています。実は貴方にお願いと相談があり、こうして呼び出させて頂きました」


 雪坂先輩は視線を逸らさず、真っ直ぐにこちらを見つめる。……静かなのに、意志の強さを感じさせる瞳。昔から歳上が苦手な俺は、つい視線を逸らしてしまう。


「……お願いと、相談ですか? 俺に力になれるようなことがあるとは、思えませんが……」


「実は……美春さんについて、少し話が聞きたいんです」


「美春、ですか?」


「はい。彼女のことで、相談があるんです」


 雪坂先輩は、長くて綺麗な黒髪を耳にかけて息を吐く。その仕草が妙に色っぽくて、俺はまた視線を逸らす。


「実は私、中学の頃は彼女と同じ部活だったんです」


「というと……確か、バレー部ですか?」


「はい。高校に入って、私もあの子もバレーを辞めてしまいましたけど……。それでも、どうしても今のあの子の態度が気になってしまって」


 雪坂先輩は胸の痛みを確かめるように、自身の大きな胸に手を当てる。


「高校に入ってからのあの子、酷く荒れていませんか? 何度か声をかけたのですけど、まともに取り合ってくれなくて」


「……それは、そうでしょうね」


「それで、貴方と美春さんが付き合っているという噂を耳にしまして。貴方なら、あの子に何があったのか知っていると思い、こうして呼び出させて頂きました」


「なるほど」


 事情は理解できた。美春と俺は同じ中学に通ってはいたが、当時は付き合ってなかったし、クラスも別々だった。だから今よりずっと距離があって、美春が雪坂先輩と知り合いだなんてことも、知らなかった。


「でも……申し訳ないですけど、美春がどうしてあんな風になったのか、俺にもよく分からないんです。そもそも俺の認識だと、あいつの性格が悪くなったのは……高校に上がってからじゃなくて、中学に上がったくらいからだと思いますよ?」


「……確かに、昔のあの子も生意気で、先輩である私にも遠慮なくものを言う性格でした。でも、あそこまで……酷い子ではなかったはずなんです」


 心配そうに目を細める雪坂先輩。俺は言う。


「何にせよ、残念ながら美春とはもう別れたんで、俺が力になれるようなことはないと思います。……申し訳ないですけど」


「……そうですか」


 雪坂先輩は、残念そうに息を吐く。


「今は荒れているようですけど、あの子も根は優しい子のはずなんです。だからできればまた昔みたいに、笑ってくれるようになって欲しいのですが……難しいですね」


「……根っこがどうとかは、関係ないとは思いますけどね」


「というと?」


「いや、花を見るのにわざわざ引き抜いて、根っこを見るような奴はいないでしょ? それと同じですよ。いくら根っこが綺麗でも、普段から毒を振り撒いているような花は、ただの……害悪ですよ」


 俺はそれに気がつくまで、半年かかった。この先輩が美春のことをどう思っているのかは知らないが、この人が何を言っても美春はきっと耳を貸さないだろう。


「……貴方、面白いことを言いますね」


 雪坂先輩は立ち上がり、真っ直ぐにこちらを見る。……距離が近い。石鹸のいい香りに、ついドキッとしてしまう。


「すみません。生意気を言って」


「いえ、確かに貴方の言う通りです。綺麗な花を見るのに、わざわざ引っこ抜いて、根っこを確認するような人はいません。あの子が今、ああして荒れている原因がどこにあるのだとしても、それが正当化されるようなことはない。……例えその根っこが、どれだけ綺麗でも」


 雪坂先輩は俺から視線を逸らし、窓の外に視線を向ける。今日は曇りだ。午後からは雨かもしれない。……折り畳み傘は、ちゃんと鞄に入れてあっただろうか?


「……用も済んだみたいですし、俺はこの辺で」


 話は終わったと俺は立ち上がる。……が、雪坂先輩は慌ててそんな俺を止める。


「待ってください」


「まだ何か?」


「……相談というのは美春さんのことですが、実はまだ貴方個人にお願いしたいことがあるんです」


 どこか照れたように頬を染める雪坂先輩。俺はもう一度椅子に座り、彼女を見る。……しかし、昨日の椿さんといい、美人な子の側にいるのは慣れないな。


 なんてことを考えていると、雪坂先輩は言った。


「実は貴方に、私の絵のモデルになって欲しいんです」


「…………は?」


 あまりに想定外な言葉に、俺は唖然と目の前の美人な先輩を見つめることしかできなかった。


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