第5話 桜の枝



 美春と別れた後。俺たちは話していた通り、椿さんのスマホを直しに駅前の電気屋に向かった。椿さんのスマホは、幸いバッテリーの寿命がきていただけらしく、比較的短時間で修理してもらうことができた。


 その後、まだいろいろ見たいという椿さんを連れて、俺がよく行く場所を案内した。高校生でも夜通し歌わせてくれるカラオケ。豚の唐揚げが美味しい中華屋。すげー昔の筐体が置いてあるゲームセンター。


 椿さんは、どこに行っても楽しそうに笑ってくれた。……絶対に美春のことが気になっているはずなのに、俺が何も言わないからか、彼女は何も訊いてはこなかった。……優しい子だな、と俺は思った。


 そして、あっという間に夕暮れ。帰りに通った自然公園で偶々、移動販売のクレープ屋を見つけたので、最後に2人で食べることにした。


「今日のお礼に、私が奢るよ!」


 と、椿さんが言ってくれたので、俺は大人しく近くのベンチに座る。


「……気を遣わせてるよな」


 なんてことを1番に思ってしまうのは、俺が陰気なだけなのか。花も葉も散ってしまった桜の枝をぼーっと眺めながら、意味もなくそんなことを考える。


「お待たせ、糸杉くん。糸杉くんは、イチゴかバナナどっちがいい?」


 両手にクレープを持った椿さんが、戻ってくる。


「どっちでもいいよ。椿さんが好きな方を選ぶといい」


「そう? じゃあ……はい。イチゴを糸杉くんにプレゼントします!」


「ありがと」


 クレープを受け取る。椿さんはニコリと笑って、俺の隣に座る。


「いやー、今日は楽しかったねー。いろいろ楽しい場所、案内してもらって得したよ。私、前いた所は田舎だったからさ、やっぱ都会はいいね」


「別にここ、都会って言うほどでもないけどね」


「都会だよ。ビルあるし」


 決まってるじゃんと言って、クレープにかぶりつく椿さん。


「……椿さん。口元、クリームついてるよ?」


「ん? あ、ほんとだ。えへへ」


 椿さんは照れたように笑う。俺は肩から力を抜いて、イチゴのクレープを食べる。……甘くて、美味しい。


「糸杉くんさ、さっきは何を見てたの?」


「さっきって?」


「さっきはさっきだよ。なんか、ぼーっと何もない木の枝を見つめてたから、何かいたのかなーと思って」


「いや、何もないよ。ただぼーっとしてただけ」


「なんだ。お化けでも見えるのかと思って、期待しちゃったよ」


「怖がるとかじゃなくて、期待なんだ……」


 苦笑して、またクレープにかぶりつく。その後もしばらく、たわいもない話を続ける。きっと俺がこのまま何も言わなければ、彼女は何も訊いてこないのだろう。


「……でも、それはちょっと、ずるいか」


 椿さんだって、あいつに悪意を向けられていた。なのにこのまま何も言わずに黙っているのは、やはり不誠実だろう。椿さんの屈託のない笑顔を見て、俺はようやく覚悟を決める。


「校門前でさ、声かけてきた女の子いたじゃん。俺さ、あいつのことが好きだったんだよ」


 俺のいきなりな言葉に、椿さんは最後の一口のクレープを飲み込んで、言葉を返す。


「……付き合ってた、みたいなこと言ってたよね?」


「そ。付き合ってたんだよ。……向こうにその気はなかったのかもしれないけど、俺はあいつが好きだった」


「……こう言っちゃなんだけど、凄い怖そうな子だったよね? すっごい美人だったけど、なんかちょっと……余裕がなさそうに見えた」


「余裕がない、か。いつからあんな風に、なっちゃったんだろうな」


 秋の冷たい風が、椿さんの綺麗な金髪を揺らす。俺はまた意味もなく、桜の枝を眺める。


「今さらだけど、悪かったよ。……変なとこ見せちゃってさ。知り合ったばかりなのに、あんな感情丸出しで怒鳴ってるとこ見せられて、引いたでしょ? 正直」


「びっくりはしたけど……引いたりなんかは、しないよ」


「……椿さんは優しいね」


 俺は小さく息を吐く。一足早くクレープを食べ終えた椿さんは、俺を真似るように桜の枝を眺める。しばらくそのまま静かな時間が流れて、不意に椿さんは言った。


「……桜ってさ、1年のうちで花が咲いてる時期なんてほんの2週間くらいなのに、桜っていえば皆んなあの綺麗なピンク色の花を思い浮かべる。なんかそれって、ずるいよね」


「ずるい?」


「うん。綺麗な時だけもてはやしてさ、花が散ったら見向きもしない。綺麗なものだけ見ていたいって言うのは、やっぱりずるいよ」


 それはなんだか、明るくて華やかな椿さんらしくない、どこか冷めたような言葉だった。……いや、『らしくない』なんて言えるほど、俺はこの子のことを知らない。


 制服の準備も間に合わないような、急な転校。もしかしたら前の学校で、何かあったのかもしれない。……なんてことを考えてしまうのは、邪推だろうか。


「なんてね。なんかちょっと、かっこつけたこと言っちゃったよ。実は私、詩とか好きでさー。愛読書は中原中也の在りし日の歌……なんて、うそうそ。あはは!」


 照れたように顔を赤くして、無理やり笑う椿さん。椿さんは、俺に余計なことを訊かないでいてくれた。なら俺も、余計なことは忘れよう。


 食べ終えたクレープの包み紙をくしゃくしゃに丸めて、近くのゴミ箱に捨てる。そしてもう一度、桜の枝を眺めながら、俺は言う。


「でも……確かに、ずるいかもね。綺麗なものだけ見て、他を見ないっていうのはさ」


「……もしかして糸杉くん、私のことからかってる?」


「じゃなくて、ほんとに。……昔さ、美春……さっきの子に、助けてもらったことがあるんだよ」


 小学生の時、両親の仲が悪くていつも怒鳴り声が響いていた家。俺は家に帰るのが嫌で、近くの公園で1人で時間を潰していた。そんな時、美春はいつも俺を迎えに来てくれた。俺が好きだって言ったチョコレートを、たくさん持ってきてくれて……。



『大丈夫だよ、あたしが側に居てあげるから』



 そう言って、笑顔で俺を励ましてくれた。


「あいつは中学に上がる頃から変わっちゃってさ。偉そうになって、他人を見下すようになって、ほんと最低な奴になっちゃったけど。……でも今でも俺は、佐倉 美春って名前を聞いて思い出すのは、あの優しかった美春なんだよ」


 それは確かに、ずるいのかもしれない。綺麗なものだけ見て現実から目を逸らしても、目の前の光景は何も変わってくれない。それはもうこの半年で、十分に理解できてしまった。……本当はもっと早くに、気がつくべきだった。


 ──花はもうとっくに、散ってしまった。


「本当に好きだったんだね、あの人のこと」


「でも、もう辞めるよ。見てただろ? 今のあいつ、すげー嫌な女なんだよ」


「……でも、糸杉くん。他に好きな人がいる、みたいなこと……言ってたよね?」


「ああ。あれは……嘘だよ。……内緒にしてね? 美春に舐められたくなくて、つい強がりを言っちゃったんだよ」


 思い返すと馬鹿なことをしたと思うが、でも……それもいいきっかけだったのかもしれない。多分、そのメッセージを送った瞬間に、俺の初恋は終わったのだろう。


「そうなんだ。……でも、あやめさんだっけ? なんか、そんな感じの人のことを言ってた気もするけど?」


「ああ、菖蒲あやめか。あいつも美春と同じ、幼馴染なんだよ。1個歳上なんだけどさ、ちょっと社会不適合なところがあって、よく面倒を見てるんだよ。だから別に、色恋がどうこうって訳じゃないよ」


「……ふーん。じゃ、今はフリーなんだ」


「まあ、しばらくはずっとフリーだと思うよ。俺、モテないし。友達も少ないから」


「…………」


 椿さんはしばらくぼーっと桜の枝を眺めてから、立ち上がりこっちを見る。……夕焼けのせいだろうか? その頬が少し赤くなっているように見える。


 椿さんは、自分のスマホをこっちに向けて、言った。


「タイミングがいいことに……スマホ、ちょうど直ったばかりなんだよね」


「ああ、よかったね。すぐに直って」


「それで私、転校したてで友達もまだいないんだよ」


「椿さんなら、友達くらいすぐにできるよ」


 俺は小さく笑うが、どうしてか椿さんは不服そうにこっちを睨む。


「……にぶにぶか! 糸杉くんは!」


「いてっ」


 ペシペシとまた肩を叩かれる。何か、間違ったことを言ってしまっただろうか?


「連絡先! 交換しようって言ってるの! ……嫌?」


「いや、嫌ではないけど……」


「嫌ではないけど、なに? はっきり言って!」


「ごめんなさい、お願いします」


 そうして、椿さんと連絡先を交換する。……こんなに可愛い子が、どうして俺なんかに優しくしてくれるのだろう? なにか、裏があるんじゃないか?


 なんてことを思ってしまうが……。


「えへへ、連絡先ゲット!」


 と、屈託なく笑う椿さんの笑顔が眩しくて、余計なことを考えるのは辞めておく。もし裏切られたとしても、俺が傷つけばいいだけだ。……『心は傷つくためにある』というのは、さて誰の言葉だったか。


「じゃ、帰ろっか?」


「……だね」


 言って、俺たちは2人並んで歩き出す。明日も美春と顔を合わせることになるが、どうしてかもう憂鬱ではなかった。


「好きな人、見つかるといいね?」


 と、椿さんは笑う。


「今度は優しい人を見つけるよ」


 と、俺は返す。その後どうしてかまた椿さんに肩を叩かれたが、久しぶりに楽しい放課後を過ごすことができた。


「……俺も、頑張るか」


 美春に送った『他に好きな人ができた』というメッセージ。それは単なる強がりだったけど、でもそれを本当にできたらいいな、なんて。らしくもなく、前向きなことを俺は思った。


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