第4話 伝わらない



「でも、見つかってよかったよー。糸杉くん、いくら待っても迎えに来てくれないんだもん。今朝は糸杉くんのクラス聞いてなかったから、学校中を探し回っちゃったよー」


 そう言って、屈託なく笑う椿さん。とても自然な笑顔。明るい金髪に少し着崩した制服。全てが彼女に似合っていて、廊下を歩くだけで皆が彼女に視線を向ける。


「……ごめん。余計な手間をかけさせたね」


 俺は少しの気まずさを感じながら、そう言葉を返す。


 藤林さんと別れた後。約束通り街を案内する為に、俺たちは2人並んで廊下を歩いていた。椿さんが今朝の約束を覚えてくれていたのは嬉しいことだが、しかし彼女の隣にいるとどうしても目立ってしまう。


「…………」


 正直、あまり気持ちのいい状況じゃない。椿さんを狙っている男や、純粋に声をかけたかった女子とかが、明らかに俺を睨んでいる。……気がする。


「ん? 糸杉くん、どうかしたの? 私のこと、じーっと見つめたりして。……あ、もしかして私のあまりの可愛さに、惚れちゃったりした?」


「……いや、あんまりこういうことを言うのは失礼かもしれないけど……」


「なに? もしかして、寝癖とかついてる?」


「じゃなくて。……あんまり俺に気を遣わなくてもいいよって、話」


 うん? と首を傾げる椿さん。俺は言葉を続ける。


「今朝の約束、覚えててくれたのは嬉しいけど、クラスでもいろいろ声かけられたりしたんでしょ? だったら俺に気を遣わず、そっちを優先しても構わないよ?」


「……もしかして糸杉くん、私と帰るの嫌だったりする?」


「いや、嫌じゃないよ。ただ、余計な気を遣ってくれてるのなら、俺は──って、いたっ」


 言葉の途中で、軽く頭を叩かれる。わざとらしく頬をぷんぷんと膨らませながら、椿さんは言う。


「私は別に、気なんて遣ってないよ。ってか、そんな風に思われてるんだとしたら、ちょっと傷つく」


「……ごめんなさい」


「謝らなくてもいいけど……糸杉くん、今朝言ってたよね? 私が教室で自己紹介したら、俺よりもいい男が声をかけてくれるって」


「実際そうだったでしょ?」


「そうじゃないから、私はここにいるんだよ? ……って言ったら、糸杉くんもちょっとは、私の気持ちに気づいてくれる?」


 上目遣いで、覗き込むようにこちらを見上げる椿さん。……不覚にも、ちょっとドキッとしてしまう。この子はやっぱり、小悪魔だ。


「なんてね。冗談冗談」


 そして椿さんは、すぐに俺から視線を逸らして歩き出す。俺は小さく、息を吐く。


「……あんまりそういう冗談は、言わない方がいいよ? 勘違いする奴が、出てくるだろうから」


「別に私はいいけどね。勘違いされても」


 椿さんは、楽しそうに笑う。俺はまた、息を吐く。


「でも、さっきはちょっとびっくりしちゃったよ。空き教室から声がしたから覗いてみたら、糸杉くん……可愛い子とキスしちゃうくらい近くにいるんだもん。……一応、確認しておくけど、さっきの子って糸杉くんの彼女じゃないんだよね?」


「違うよ」


 俺は迷うことなく、そう答える。


「……そっか。ってか……その、一応聞いておきたいんだけど、糸杉くんって彼女とかって……いるの?」


 その質問に、俺は少しだけ間を置いてから答える。


「……いないよ」


「そっか。じゃ、だいじょーぶ! だね! ……いや実際、実はいるんだよ、とか言われたら、流石に一緒には帰れないもんね」


 どうしてか、照れたように俺の肩をペシペシと叩く椿さん。この子の隣にいると、美春といる時みたいに気を張らなくて済む。……きっとこんな子と付き合えたら、凄く楽しいんだろうな。


 なんてことを考えながら靴を履き替え、校門へ。


「じゃあ、まずは今朝言ってた通り駅前の電気屋で──」


 いいよね? と、俺が言葉を言い切る前に、彼女は言った。



「随分と楽しそうにしてるじゃない、秋穂」



「……美春」


 もうとっくに帰った思っていた少女……美春は、とても機嫌が悪そうな顔で、こちらを睨む。


「なになに? もしかしてこの人、糸杉くんの──」


「うるさい。貴女の話に興味ない」


「……っ」


 剥き出しの敵意に、椿さんは怖がるように後ずさる。俺はそんな彼女を庇うように、一歩前に出る。


「今さら何の用だよ、美春」


「別に、用なんてないわよ。ただちょっと顔が見えたから、声をかけただけ」


「そうか。なら、もういいな」


 俺はそのまま歩き出そうとする。……が、美春はそんな俺の肩を強引に掴んで言う。


「待ちなさい。……『他に好きな人ができた』なんて、ただの強がりだと思ってたけど、随分と楽しそうにしてるじゃない、秋穂。いつの間に、あたしの代わりを見つけたの?」


「お前には関係ないだろ? 離せよ」


「なに怒ってんのよ。ってかあんた、こういうのがタイプなの? ……なんだ、全然あたしの方が可愛いじゃん。このあたしと付き合っておいて、今さらこんな女で満足できないでしょ?」


 椿さんを見て、馬鹿にするよう笑う美春。俺は怒りに歯を噛み締め、目の前の女を睨む。


「彼女を悪く言うのは辞めろ。この子は別に関係ない」


「なら、他に好きな人って誰よ? ……もしかして、また菖蒲あやめ? あんた、昔からあいつのことだけは──」



「──うるせよ。いつまでも馴れ馴れしく、触れてんじゃねぇよ」



「……っ!」


 強引に美春の手を振り払う。そんな俺の反抗を想定していなかったのか、美春は珍しく酷く動揺したように、視線を泳がせる。


「な、なによ……。このあたしに、なに偉そうなこと言ってるのよ。あんた、あたしのこと好きなんでしょ? そんなこと言って、あたしに嫌われるとか思わないわけ?」


「……いつまでも好きでいられるほど、俺も純情じゃねーんだよ。嫌いたいなら、勝手に嫌えよ。いつまでも自分が……いつまでも自分が愛されてるとか、思ってんじゃねーよ! この自惚れ女が!」


 苛々する。どこまでも軽く見られている自分に。……どこまでいっても、自分が正しいと信じ続けている目の前の女に。


 ……ああ、本当に苛々する。


「俺は確かに、大した男じゃない。お前とは釣り合わないかもしれない。でも……だから俺は、俺にできる全てをお前にしてきたつもりだ」


「……何が言いたいのよ? そんなの、当然のことじゃない」


「お前がそう思ってる時点で、俺に言えることは何もないんだよ。俺の全てに対するお前の答えが、『飽きた』なんだろ? だったらもう、お前と話すことなんてない。……もう、終わったんだよ」


 別に、幸せになりたかった訳じゃない。俺はずっと美春のことが好きだったけど、でもその想いが届くなんて思ってなかった。美春はいつか、俺よりいいと男と付き合って、俺のことなんて忘れてしまう。



 それでもいいと、思っていた。



 美春が幸せになれるなら、それでいいと俺は自分の想いを諦めていた。なのにこいつは、気まぐれで付き合うなんて言って、弄んで、馬鹿にして、嘲笑って。



 『飽きた』なんて言って、いきなり捨てて。



 それでもちょっと謝れば、俺が全て許すと思ってる。


「見下すのも、いい加減にしろよ。俺は……お前の玩具なんかじゃねーんだよ!」


 周りの目も気にせず、俺は大声で叫んだ。自分の想いを言葉にするのは苦手だ。大きな声を出すのも、得意じゃない。それでも俺は、叫んだ。叫ぶしかなかった。


 俺は美春のことが好きだった。……今でも全ての想いを、捨てられた訳じゃない。でも、もういい。もう、終わりだ。こんな女、もう知ったことではない。


「……変なとこ見せてごめん。行こっか? 椿さん」


「…………うん」


 動揺する椿さんの手を引いて、美春の横を通り過ぎる。その最中、美春は瞳孔が開いた目でずっとこちらを見つめながら、最後にこう呟いた。


「意味、分かんない」


 ああ、これだけ言っても俺の想いは伝わらない。結局、俺と美春が分かり合える未来なんて、どこにも存在しなかったのだろう。


「……分かんねーのはお前の方だよ、美春」


 俺も最後にそう呟くが、きっと、多分。その言葉も、美春には届かなかったのだろう。


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