第3話 誘惑
そして、あっという間に放課後。俺はいつも通り、誰とも話すことなく1人で帰る準備を進めていた。
「……結局、何も言ってこなかったな」
『他に好きな人ができた』。そんなメッセージを送ったら流石の美春も何か言ってくるかと思ったが、放課後になっても反応がない。なんだかずっと睨まれていたような気がするが、きっと俺が自意識過剰なだけだろう。
きっと美春はもう、俺に興味がない。……俺だってもう、あいつのことなんて知ったことではない。
「帰るか」
小さく呟いて立ち上がると、近くで話しているクラスメイトたちの声が聴こえてくる。
「2組に転校生、来てるらしいぜ?」
「ああ。なんか、めっちゃ可愛いって噂の子な」
「そうそう。ちょっと、見に行こうぜ?」
「いいけど、可愛い子はみんな彼氏いるぞ? いなくても、イケメンが持ってくよ」
「それでも、見るだけならタダだろ? いいから行くぞ」
なんて騒がしく、教室から出ていくクラスメイトたち。転校生の確か……椿さん。やはり彼女は人気者のようだ。今さら俺が声をかけても、困るだけだろう。
「相変わらず、つまらなさそうな顔してるねー、秋穂くん」
そこで俺に声をかけてきたのは、美春の友達である
「……別に、楽しいことなんてないからね。じゃ、俺はもう帰るから」
それだけ言って、さっさと立ち去ろうとする。……が、腕を掴んで止められる。
「ちょいちょい! 待ってよ、待って待って! 実は私、秋穂くんと話したいことがあるんだよ。お姫……美春のことでね」
「…………」
チラリと、美春の席の方に視線を向ける。しかし、彼女の姿はもうない。
「そんな警戒しなくても大丈夫だよ。美春になんか言われてーとかじゃないから。……寧ろその逆かな。美春に聞かれたくない話があるんだよ。……大事な話が、ね」
「いや、俺はもう──」
「いいじゃん、いいじゃん。時間取らせないから! おねがーい!」
大声で騒ぐ藤林さん。クラス中の視線が、こちらに集まる。
「……分かったよ。長くならないなら、いいよ」
どうせここで無視して帰っても、また明日、声をかけられるだけだ。なら面倒ごとは、早めに終わらせておいた方がいい。そう考えて、俺は渋々、頷く。
そして俺たちは2人で、近くの空き教室へ。
「……それで? 話って?」
放課後の喧騒も届かない静かな空き教室。俺の問いに、藤林さんはヘラヘラと笑いながら答える。
「単刀直入に言うけどさ、美春に謝った方がいいよ」
その言葉に、俺は大きく息を吐く。
「なんで俺が、あいつに謝らないと駄目なんだよ」
「いや、喧嘩したんしょ? いつもなら教室でも仲良くしてたのに、最近は目も合わせてないじゃん。美春って絶対に自分からは謝らないから、面倒になる前にさっさと謝った方がいいよ? っていう、私からのアドバイス」
「……もしかして、美春から聞いてないの?」
「? 聞いてないって、何を?」
「俺たち、別れたんだよ」
俺の言葉を聞いた藤林さんは、珍しく動揺したように大きく目を見開く。
「それほんと? ただの喧嘩とかじゃなくて? 別れたの?」
「……振られたんだよ。こんな嘘ついてどうするんだよ」
「あの美春が、秋穂くんを振ったの? ……へぇ。それはそれは」
クスクスと楽しそうに笑って、藤林さんは俺の顔を覗き込む。
「美春ってさ、自分勝手で、気分屋で、周りのこと見下してるジコチュー女だけど、すっごい美人じゃん? ぶっちゃけ、彼氏なんてつくろうと思えば、よゆーなわけよ」
「……だから?」
「そんな美春がどうして、秋穂くんを選んだのか。幼馴染だから? 私に彼氏の自慢されて、うざかったから? 本当に、それだけなのかな?」
「何が言いたいの?」
「気分屋で、自分勝手で、プライドが高い女は、誰にでもわがままを言える訳じゃないってこと。美春にとって、秋穂くんは特別だったんだよ。……あの子には、その自覚がなかったんだろうけどね」
藤林さんは馴れ馴れしく、俺の頬に触れる。……とても冷たい手。俺は思わず、距離を取る。
「藤林さんが、どう思ってるのかは知らない。けど、小間使いみたいな真似をさせて、皆んなの前で笑いものにして。俺はずっと我慢してきた。……なのにあいつは、ろくに手も握らせてくれなかった」
少し前のことを思い出し、頭が痛くなる。
「だから美春にとっての俺は、単なる玩具だったんだよ。…… 替えのきく、どうでもいい玩具の1つでしかなかった」
「それでも秋穂くんは、美春のこと好きだったんでしょ?」
「……そうだよ。好きだったよ。でも……今はもう、好きじゃない」
美春が俺に送ってきたメッセージ。あいつは俺に、好きだと言った。でもそれはきっと、単なる気まぐれだろう。美春の言葉は、もう信用できない。
……いや、仮に本気だったとしても、俺はもう以前のようにあいつを愛せない。
「ふふっ」
俺の言葉を聞いて、どうしてか藤林さんは笑う。心底から楽しそうに喉をくつくつと震わせて、彼女は言う。
「大切なものだから、否定したい。そんなあの子の気持ちは可愛くて好きだったけど、でもそれじゃ長続きする訳ないよね。そんなの子供でも分かることなのに……。ふふっ、あはははは! おかしっ!」
「……何を笑ってるんだよ」
「いや、秋穂くんって実は密かに人気があるんだよ。背もまあまあ高いし、髪も肌もきれいだし、目つきがちょっと悪いけど、顔もかっこいい。あと、大人しいけど優しそうだしね。密かに陰で推してる女子が、結構いたりして」
「……なんだよ、それ」
藤林さんが何を言っているのか分からなくて、俺は眉を顰める。俺がそんな人気者なら、ろくに友達もいないぼっちな生活を送っている訳がない。
「意味が分からない。適当なことを言うのは辞めてくれ」
「ま、そうだよねー。秋穂くんがそう思うのは当然だよね? あーんなにいつも馬鹿にされてたら、誰でも自信なくしちゃうよ。……いや、あるいはそう思わせたくて、美春はずっと秋穂くんに意地悪してたのかも。好きな子は、独り占めしたい。美春らしいといえば、美春らしいかもね」
藤林さんはそこで嘘くさい笑みを止め、真面目な表情でこちらを見る。
「……ねぇ、秋穂くん。秋穂くんって、今好きな人とかいるの?」
「……どうかな」
正直に言うと美春に何を言われるか分からないので、俺は誤魔化すような言葉を口にする。
「実は私、見ちゃったんだよねー。秋穂くんが知らない制服の子と、仲良く登校してるの。……あれって今話題の転校生だよね? 浮気だーって思って騒いじゃったけど、美春と別れたんなら関係ないか」
「……別に、あの子と何かあるって訳じゃないよ」
ここで下手なことを言ったら、面倒な噂を流されるかもしれない。俺はともかく転校したての椿さんを巻き込むのは可哀想なので、とりあえず否定しておく。
「そっか。じゃあさ、私と……付き合わない?」
「はぁ?」
唐突な言葉に、俺はまた眉を顰める。……この子はさっきから、何を言ってるんだ?
「いや、実は私も彼氏と別れたばっかりで、寂しくてさー。それにさっきも言ったけど、秋穂くんかっこいいし。美春と別れたならさ、私と付き合ってよ」
藤林さんが見せつけるように胸元のボタンを外して、こちらに近づく。俺はその唐突な行動を理解できずに、一歩後ずさる。
「ふふっ」
藤林さんの冷たい手が、また俺の頬に触れる。……その、直前。空き教室の扉が開いて、声が響いた。
「あ、やっと見つけた!」
そこでやって来たのは、転校生の椿さん。彼女は怒ったような顔でこっちを見て、言う。
「酷いよ、糸杉くん! 放課後、街を案内するって約束してたのに、いくら待っても来てくれないんだもん!」
「いや、それは……」
「ま、いいけどね。こうして見つけられたし、だから……って、もしかして何か取り組み中?」
俺と藤林さんの顔を見て、首を傾げる椿さん。藤林さんはそんな椿さんに、小さく笑って言葉を返す。
「問題ないよ。もう、話は済んだから。……ね? 秋穂くん」
ひらひらと手を振って、そのまま立ち去る藤林さん。彼女の言葉がどこまで本当で、彼女が結局なにを言いたかったのか。俺には最後まで、よく分からなかった。
◇
「……出ない」
秋穂と咲奈が、空き教室で話をしている最中。美春は校門前で、何度も秋穂にメッセージを送っていた……が、一向に既読がつかない。もしかしてブロックされているのではと電話もしたが、繋がらない。
「あいつ、またあたしを馬鹿にして……!」
校門前で苛立ちを隠しもせず、舌打ちをする美春。今から教室に戻って様子を見に行くのも癪で、でもだからって寒い中ここで待ち続けるのも気に入らない。
「あー、苛々する」
今日はもうこのまま帰ってしまおうか。そんなことを考えていたところで、ふと2人の姿が見えた。……別の高校の制服を着た転校生と、そして……その転校生と親しげにしている秋穂。そんな2人が、楽しそうにこちらに向かって歩いてくる。
「あいつ……!」
美春は苛立ちをぶつけるように地面を蹴飛ばして、2人の方に向かって歩き出した。
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