第2話 転校生



『悪いけど、他に好きな人ができた』


 そのメッセージを送った直後、すぐに既読がついた。けれどいくら待っても、返信はない。翌日になってもそれは変わらず、俺はもう余計なことを考えたくなくて、美春をブロックした。


「……誰だよ、好きな人って」


 無論、そんな相手はいない。ただの嘘だ。そもそもしばらくは、誰かと恋愛なんてするつもりはない。できるとも、思わない。


「まあでもいいさ。あれ以上、あいつに媚を売っても……意味なんてない。嘘でもあいつに、これ以上舐められるのは御免だ」


 小さく息を吐き、思考を切り替える。


「……ただ憂鬱なのは、今日も美春と顔を合わせなくちゃいけないってことだな」


 この1週間、美春は俺に何も言ってこなかった。俺もあいつに何も言わなかった。でも流石に今日は、何か言ってくるかもしれない。


「初恋が報われないにしても、もう少し……いや、言っても無駄か」


 憂鬱な気分のまま、見慣れた通学路を歩く。


「あの、すみません。琴乃原ことのはら高校って、この道であってますか?」


 ふと、声をかけられる。この辺りでは見かけない制服を着た、派手な金髪の可愛い女の子。少女は困ったような顔でスマホと睨めっこしながら、こちらに近づいてくる。


「……この道っていうか、ここから歩いて15分くらいですけど」


 とりあえず俺は、そう言葉を返す。


「やっぱり、そうなんですか! ありがとうございます! 実はさっきスマホの電源が急に切れちゃって……。うんともすんとも言わなくて、困ってたんです!」


「はぁ、そうですか」


「あ! もしかしてその制服、貴方も琴乃原高校の生徒さんですか?」


 少女はとても親しげな笑みを浮かべ、こちらに距離を詰める。


「まあ、そうですけど……」


 俺はなんだかよく分からなくて、警戒するように一歩、距離を取る。


「あ、すみません。馴れ馴れしくして。私、今日からその琴乃原高校に転校するピカピカの1年生なんです。……でも、手続きとかは親に任せきりで、実はまだ一度も学校に行ったことがないんです、えへへ」


「へぇ。転校生、か」


「はい! ちょっといろいろあったせいで急に転校が決まって、だからまだ制服とかも用意できてないんです!」


「……大変そうですね」


 転校生なんて珍しいな、と他人事のように思う。いや実際、他人事か。


「…………」


 まあでもこの子なら、友達作りに困るなんてこともないだろう。明るい性格に、整った顔。スタイルもいいし、きっとすぐに人気者になれる。……それもまた、他人事ではあるが。


「あ、自己紹介がまだでしたね。私は、椿つばき 冬流ふゆる。冬に流れると書いて、冬流です。1年生です」


「……俺は糸杉 秋穂。同じ1年です」


「あ、同い年なんだ! なんか大人っぽい雰囲気だったからつい敬語で話しちゃったけど、同い年ならタメ口でいいかな? 糸杉くん!」


「構いませんけど……」


 なんか、妙に馴れ馴れしい子だな、とは思う。……悪い子ではないのだろうけど、この調子で男子に声をかけていたら、勘違いしてしまう奴が続出するだろう。


「じゃあ、糸杉くん。これも何かの縁だし、一緒に学校行こっか? あ、そっちも敬語、もう使わなくていいからね? 私たち、同級生だもん」


 ルンルンと、楽しそうに歩き出す少女……椿さん。俺は断ることもできず、仕方なく少女の背中に続く。


「いやー、でも助かったよ。スマホがあるから、だいじょーぶ! なんて思ってたら、急に動かなくなっちゃうんだもん。びっくりだよ」


「バッテリー、死んだんじゃないの? 駅前に電気屋あるから、放課後行ってみたら? 流石にスマホないと、生活できないでしょ」


「だよねー。あんまり余計なお金は使いたくないんだけど、こればっかりはねー。あ、糸杉くん放課後、暇? よかったら街、案内してよ」


「……別にいいけど。でも多分、教室で自己紹介したら、俺よりもっといい奴が声かけてくれると思うよ? 椿さん、美人だし」


「……! 出会ったばかりの子に美人とか、糸杉くんもやるねー!」


 バシバシと肩を叩かれる。やっぱりかなり、馴れ馴れしい子だ。人付き合いが苦手な俺とは違う。……少しだけ、羨ましい。


「あ、見えてきた。あれかー、今日から私が通うことになる高校は。思ってたより、綺麗な建物だね?」


「ちょっと前に、建て替えたばかりだからね。ま、綺麗でも綺麗じゃなくても、毎日元気に通いたいとは思わないけど」


「糸杉くんは、学校嫌いなの?」


「好きな奴なんているの?」


「私は好きだよ。友達と遊ぶのも部活で頑張るのも、楽しいしね」


「…………」


 彼女もまた美春と同じで、俺とは住む世界が違う住人のようだ。多分ここで別れたら、もう話すことはないだろう。


「じゃ、俺はもう行くよ。転校したばかりでいろいろ大変だろうけど、頑張ってね」


「うん! ありがと! じゃ、また後でねー!」


 それだけ言って、椿さんは駆け足で立ち去る。その背中を見送りながら、職員室の場所くらい教えてあげた方がよかったかなとか思うけど、まああの子なら自分でどうにかするだろう。


「俺も頑張るか」


 いつまでも、別れた彼女のことでウダウダ考えていても仕方ない。俺は覚悟を決めて、校門をくぐった。



 ◇



 佐倉 美春は不機嫌だった。


「……ちっ」


 昨日、秋穂に送ったメッセージ。いつもならすぐに飛びついてくるはずなのに、なかなか既読がつかず、しかも返ってきたのは『他に好きな人ができた』とかいう舐めた内容。


 流石に、学校に来れば何か言ってくるだろうと思っていたのに、昼休みになっても何も言ってこない。秋穂はいつもと変わらないつまらなそうな顔で、1人でパンを食べている。


「何よ、あいつ。あたしに嫌われてもいいっていうの?」


 苛々する。美春は買っておいた昼食を食べる気にもなれず、射抜くよう目で離れた席の秋穂を睨む。


「おひめー。今日はいつにも増して、不機嫌そうじゃん」


 そんな美春に声をかけるのは、彼女の友人である咲奈さくな。咲奈はウェーブがかかった茶髪を揺らしながら、美春の頬をつつく。


「……別に、あんたには関係ないでしょ?」


「おー、こわっ。こりゃお姫、本格的にご立腹だね」


 クスクスと楽しそうに笑う咲奈。美春はクラスで人気者ではあるが、とても気分屋だ。機嫌が悪い彼女に声をかけると八つ当たりされかねないので、不機嫌な美春に声をかけられるのは、同じく気分屋の咲奈だけ。


「そんなお姫に、ちょっと面白い話があるんだけど、聞く?」


「興味ない」


「いいから聞いてよー。お姫、絶対びっくりするからさー」


 嫌がる美春に、咲奈は無理やりスマホの画面を見せつける。


「……は?」


 そこに映っていたのは、見覚えのない制服を着た可愛らしい少女と歩く彼氏……だった男、秋穂。スマホに映った2人は、まるで恋人のように、親しげに笑っている。



『他に好きな人ができた』



 昨日のメッセージが頭を過り、美春は忌々しげに大きな舌打ちをした。


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