第22話 視線



 そして放課後。俺は予定通り、教室で補習授業を受けていた。


 俺は特別、勉強が得意な方ではないが、だからといって苦手というわけでもない。『貴方はやればできる』というお決まりの台詞を、中学の頃はよく先生に言われた。


「……でも、やればできるのなんて当たり前で、問題はやることができるかどうかなんだと思うけどな」


 益体もないことを呟きながら、俺は真面目に補習を受ける。川下先生は丁寧だが喋るペースがゆっくりで、話を聞いているとどうしても眠くなってしまう。……だから正直、俺は彼女の授業があまり好きではなかった。


 けれど補習となると勝手が違うのか、ハイペースでドンドン進んでいく。要領よく最低限の説明で進む授業。俺はそのスピードに振り落とされないよう必死に集中し、ただ手を動かし続けた。


 そして、空が茜色に変わり始めた頃。これから会議があるからと、課題のプリントを置いて立ち去った川下先生にお礼を言って、そのまま下校時間になるまで課題に取り組む俺。


「秋穂くーん。ここちょっと分かんないから、教えてー」


 しかしそんな俺の集中を乱すかのように、すぐ隣から声が響く。


「……ずっと疑問だったんだけど、どうして藤林さんが俺と一緒に補習を受けてるの?」


 事故で学校を休んでいた俺の為の補習に、どうしてか藤林さんが参加していた。川下先生があまりに自然に授業を進めるせいで、突っ込む暇がなかった。


「いやー、実は私も最近ちょーっと授業をサボりがちでさ。さっき廊下歩いてたら川下先生に見つかって『貴女も一緒に補習を受けなさい!』って、怒られちゃったんだよ」


「……なるほど」


「ま、ほんとは面倒だから無視して帰るつもりだったんだけど、秋穂くんも一緒って聞いたから、今日はちょっと頑張ることにしたんだ」


「……へぇ」


 事情は分かった。まあ別に、補習中は静かにしてたし文句を言うつもりはない。ただ何というか……藤林さんの態度があまりに自然で、妙な違和感を覚える。


「それより秋穂くん、元気になってよかったね? 実は密かに心配してたんだよ。ずっと学校に来ないから、そのまま死んじゃうじゃないかって」


「そ。心配かけて悪かったね」


「うわっ、気のないへんじー。私、ホントに心配してたんだよ? 大切なクラスメイトが、背中を押されて車に轢かれたなんて大事件だもん。ここ最近は心配で、ご飯も喉を通らなかったんだよ?」


「…………でも、藤林さん。お見舞い来てくれなかったじゃん」


 俺は余計な感情を飲み込んで、そんな言葉を口にする。


「それは……まあ、こっちもこっちで忙しかったっていうか? いろいろあったんだよ! ま、とにかく元気になってよかったよかった! あはははは!」


 誤魔化すように笑う藤林さん。正直、いろいろと嘘くさいし胡散臭いが、今は余計なことを言うつもりはない。俺はとにかく手を動かして、目の前の課題を終わらせる。


 そして、あっという間に下校を知らせるチャイムが鳴る。ここから先は、家に帰ってやろう。そう決めて、立ち上がる。久しぶりに真面目に勉強したせいか、肩が重い。帰ったらちょっとストレッチでもしようか、なんてことを考えながら歩き出す。


「よしっ! じゃあ、一緒に帰ろうか? 秋穂くん」


「……いや、いいよ。今日は1人で帰るから」


「そんなつれないこと言わないでさー。秋穂くんも……気になってるんじゃないの? 秋穂くんが学校休んでた時に、美春と転校生……冬流ちゃんに何があったのか」


「本人から直接聞くよ、それは」


 それだけ言って俺は教室を出る。


「あ、ちょいちょい! 待ってよー」


 藤林さんは慌てて、俺のあとを着いてくる。……結局、なんだかんだで一緒に帰ることになってしまう。


「…………」


 それより一応、警戒していたがいつかの時のように、美春や椿さんが校門前で待ち構えているようなことはなかった。2人は本当に、しばらくは俺と話すつもりはないようだ。


「このままだとまた、菖蒲に笑われるな」


 まあでもとりあえずこっちも今日は、2人と話すつもりはない。俺は補習で凝り固まった身体を軽く伸ばしながら、いつもの帰路を歩く。


「私、最初はさー、お姫……美春のことすげー嫌いだったんだよねー」


 当たり前のように隣を歩く藤林さんが、どうでもよさそうにそんなことを呟く。


「……いきなり、何の話?」


「私の話。いや、前に秋穂くん言ったっしょ? よくあんな女と友達やれてるなって。実は私も最初は、同じようなこと思ってたんだよ。性格、最悪な癖に見た目だけは良くて、しかも親がお金持ち。何をしても大抵のことは許されちゃう。そんな奴、普通は気に入らないじゃん?」


「…………」


 それは確かにそうだろう。美春のクラスでの立ち位置は、皆から好かれてるんじゃなくて、誰も美春に逆らえないと言った方が正しい。人気者であること自体は嘘ではないが、誰もあいつに本心を晒さない。だからあいつも、本心を晒せるような友達は少ない。


 ……そんなだからあの夜、あいつは俺の前であんな無様を晒した。


「お金持ちで美人なお姫様ーって、憧れはするけど隣にいるのは嫌じゃん? 否が応でも、こっちがモブキャラになっちゃうんだから」


「でも、美春と藤林さんはお互いの前では自由にできるから、友達なんでしょ? 前にそんなこと言ってたよね?」


「そうそう。ある時、私ふと気づいたんだよ。ウザいお金持ちアピールも、必要以上に他人を馬鹿にすることも全部、あの子にとっては……身を守る為の盾なんだって」


「……それ、どういう意味?」


 俺は藤林さんの方に視線を向ける。藤林さんはウェーブがかかった茶髪を風に揺らしながら、空を見上げる。


「私の経験上、短気な人ほど臆病なんだよ。ちょっとしたことで不安になるから、それを誤魔化そうと怒る。……心には元に戻ろうとする力があって、すぐに心がぐちゃぐちゃになっちゃう子は、怒ることでバランスを取る」


「……怒りは二次感情とか、なんかの本で読んだ覚えがあるよ」


「あははは。そんな小難しいことは知らないけど、だからお姫……美春は臆病なんだよ。私はちょっとした出来事でそれに気づいて、だからあの子に言ったんだ」


 そこで藤林さんが空から視線を外し、俺を見る。澄んだブラウンの瞳。いつも通り嘘くさい、張り付けたような笑み。……ふと、俺は思った。或いはこの藤林さんの笑みもまた、本当の自分を隠す為の仮面なのかもしれないと。


 彼女は一瞬だけ冷めた目で遠くを見つめてから、ため息のような声で言う。



「『何がそんなに怖いの?』って、私はあの子に訊いた。……多分、そこにあの子の本質があるから」



 その藤林さんの言葉を聞いて、俺は思わず笑ってしまう。


「そんなこと訊いたら、美春の奴すげー怒ったでしょ?」


「ううん。寧ろ笑った。笑ってあの子、言ったんだよ。『あたしは、否定されたくないから、先に相手を否定してるんだって』。それで私たちは友達になったんだよ」


「…………」


 それは俺の知ってる美春らしくない言葉。否定されるのが嫌だから、先に相手を否定する。理不尽な態度は身を守るための行為。……あのお姫様が、いったい誰から身を守る? あいつは、誰に否定されたくなくて、あんな性格になったのか。



『どうして?』



 ふと頭をよぎった言葉。泣いている誰か。否定されたくない少女と、否定できなかった少年。俺は……


「……って、どうしたの? 秋穂くん。そんな怖い顔してさ」


 心配したような顔で、こっちを覗き込む藤林さん。俺は無理矢理な笑みを浮かべて、顔を上げる。


「……いや、ごめん。なんでもない」


「そう? まだ病み上がりなんだし、無理しちゃダメだよ?」


「分かってる、ありがと」


 そのまま2人で、ゆっくりと歩き続ける。気づけば日が暮れていて、辺りは夜の闇に包まれている。


 日が暮れるのが早い。俺が病室で眠ってる間に、すっかり冬になってしまったようだ。明日からは、コートを着てきた方がいいかもしれない。


「…………」


 こうやって寒い夜道を歩いていると、あの夜のことを思い出す。静かな夜道。俺は確かに誰かに背中を押されて──


「……ごめん、藤林さん。俺ちょっと用事があるから、今日はここでお別れ」


「ん? そう? ま、どっちみち私は駅の方だかし、じゃあ今日はここでお別れだね。……じゃ、また明日ねー」


 元気に手を振る藤林さんに、軽く頭を下げて別れる。……そしてそのまま俺は、家とは反対の方に向かって歩き出す。


「…………」


 つけられている。いや、確証はないが、背後から視線を感じる。あんなことがあったせいで自意識過剰になっているのか、それとも本当に誰かに後をつけられているのか。


「……こっちはちゃんと、解決しないとな」


 俺は覚悟を決めるように息を吐いて、逃げるように近くの角を曲がった。


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