第23話 独白
近くの角を曲がって、そのまま俺は普段は通らない家とは反対方向の住宅街をゆっくりと歩く。
「…………」
何気なくカーブミラーで背後を確認するが、誰の姿も見えない。人通りの少ない道を選んだのは、失敗だったかもしれない。向こうもこちらを警戒しているのか、さっきの視線を感じなくなってしまった。
……或いは本当に、ただの気のせいだったのかもしれない。なんにせよ、このままだと判別がつかない。
「もう少し歩くか」
小さく呟いて、遠回りで駅の方に向かう。駅に近づくと、人通りも多くなってくる。……一度、足を止めて振り返ってみるが、やはりそれらしい人影は見えない。
「……本当にさっきの視線がストーカーのものなら、家の場所はバレてるんだし、コソコソする意味はないな」
逃げるような真似をしても、家の周りで待ち伏せされたらまたすぐに見つかる。かといって、今みたいにこっちが不審な行動をすれば、向こうは姿をくらますだけ。
……捕まえるのは、簡単じゃない。
「そもそも目的が分からないと、対応のしようが──」
そこでふと、見知った人影が見えた。今はまだ、部活終わりの生徒がうろついていてもおかしくない時間。ここで声をかけても、とぼけられるだけだだろう。
「でも、向こうの目的が俺を傷つけることなら……」
或いは前みたいに油断しているところを見せたら、また何か行動を起こすかもしれない。
「…………」
しかしそれは、危険に身を晒すということだ。前回は運良く大した怪我をせずに済んだが、今度は半月の入院じゃ済まないかもしれない。
「ま、いいさ」
どのみち、今日は1人で歩きたい気分だった。少し遠回りをして帰ったところで、誰に文句を言われる筋合いもない。
「……行くか」
俺は駅前から離れ、人通りの少ない路地を歩く。
夜の闇を、頼りない街灯が照らしている。当たり前のその景色に、言いようのない不安を感じる。冷たい闇が足元から忍び寄り、背中を這い回る。そんな錯覚。ドクンと、心臓が跳ねる。
「……っ」
そしてまた、背後から視線。俺は覚悟を決めて、口を開く。
「……さっきから、ついて来てるよね? 何の用?」
しかし、いくら待っても返事はない。背後に人がいるなんて確証もないから、はたから見たら大きな声で独り言を言う変な奴にしか見えないだろう。
しかしそれでも俺は、言葉を止めない。
「まあ、いいさ。さっき写真撮ったし、前のこともあるから今から警察に行くけど、いいよね? 君に弁明があるなら、ちゃんと話を聞くけど?」
「…………」
それでも返事はない。俺はそのままゆっくりと歩き出し、近くの路地を曲がる。大通りから外れた薄暗い路地。街灯もなく、人通りもない静かな夜道。
「……っ!」
瞬間、ふと肩を掴まれた。
「……はっ」
その不用意な行動に、俺は思わず笑ってしまう。
「くっ!」
肩の手を振り払い、準備していたスマホのライトで背後を照らす。見えたのは……やはり、さっき大通りを歩いていた人物。
「久しぶりだね、マッシュくん」
と、俺は言う。
「……ふざけた名前で呼ぶな。俺は、
吐き捨てるようにそう呟き、彼はまるで親の仇でも見るかのような目で、俺を睨む。
「君が俺のストーカー? そんな目で睨まれるようなことをした覚えは、ないと思うんだけど……」
「それは、お前が忘れてるだけだろ?」
「……だとしても、前のは流石にやり過ぎなんじゃない? 嫌がらせの手紙はともかく、車に向かって背中を押すなんて、普通に犯罪だろ? 殺人未遂だ」
俺は挑発するようなことを言いながら、彼から一歩、距離を取る。……武道なんてやったこともない俺が、背後からの視線に気がつくわけだ。
彼の視線は、まるでこちらを射抜くように鋭く……重い。こんな目は……あの日のストーカー以来かもしれない。
「……どうして、お前なんだよ」
と、彼は消えいるような声で呟く。
「なに? 聞こえない」
「どうしてお前なんだって、言ったんだよ! 答えろよ!! 糸杉 秋穂!!!」
血走った目で叫ぶマッシュくん……浅木くん。しかし残念ながら、言葉の意味が分からない。
「なにそんな怒ってんの? 俺、君と関わりなんてなかったと思うんだけど……」
「だからそれは、お前が忘れてるだけなんだよ! 俺とお前は中学3年間、ずっと同じクラスだったんだ!!」
「……って言われても、君みたいなマッシュに心当たりがないんだけど……」
「髪型は変えたんだよ! ……そうだ、俺は変わったんだ! 陰気で気弱な自分を捨てて、俺は……強い男に生まれ変わったんだ!」
まるで、自分に言い聞かせるような言葉。浅木くんは、そのまま真っ直ぐに俺を睨み言う。
「中学の頃、俺はモテなかった。何をやってもダメな屑だった。俺が好きだった女の子は全部……顔だけの男に取られた。決死の覚悟で告白しても、鼻で笑われただけだった。だから俺は……変わると決めたんだ」
「…………」
俺は口を挟まず、また一歩、距離を取る。
「美容院に行って、筋トレして身体を鍛えて、話す練習を沢山して、俺は……変わった。変われたはずだ。弱い自分は捨てたんだ。……なのに、なのになんでお前なんだよ?」
俺が離れた分、一歩こちらに近づく浅木くん。
「無愛想で、他人を見下すような顔をして。いつも人の輪から外れて1人でいる。特別、運動ができるわけでもないし、頭がいいわけでもない。褒められることと言えば、背がちょっと高くて顔がいいだけ」
「……酷い言いようだな」
「でも事実だ。お前の長所はその顔だけで、何の努力もしちゃいない。……なのに、なんでお前なんだよ? どうして! 何もしてないお前ばっかり、モテるんだよ? なんでお前ばっかり、特別扱いされるんだ!!」
浅木くんが俺の肩を掴む。……凄い力だ。どうやら筋トレしたというのは、嘘ではないらしい。
「転校生の冬流さんも! 美春さんも! 雪坂さんも!
「……いや、桐島さん? 美香子さん? 悪いけどそれは、知らない名前だな」
「そういうとこだよ! 斜に構えてカッコつけてるだけの癖に、なんでお前がモテんだよ!! どうして俺の努力は、何一つとして報われないんだ!!」
叫び。嘆き。慟哭。彼の痛みは、俺に全く分からない。そもそも話を聞く限りじゃ、単なる逆恨みとしか思えない。……しかしよくよく考えてみると、ニュースで見る大犯罪の動機も得てしてそういうものだったりする。
心というのは、不自由だ。
心を飼い慣らすか、心に飼い慣らされるか。そのどちらかしか、選ぶことができないのだから。
「ま、動機は分かったよ。それで確認なんだけど、あの夜……俺の背中を押したのは、君で間違いない?」
「だったらなんだよ? 証拠でもあんのか? それで警察に行って、俺を捕まえりゃ満足かよ?」
「……どうなんだろうな。君が自白するならともかく、証拠がないんじゃ警察も動くに動けないと思うよ」
なら、俺はこの男をどうするのか。この場で喧嘩しても、普通に俺が負けるだけだろうし、改心させて自白させるような話術も俺にはない。
なら、俺にできることは……。
「もういいや。許してあげるから、行っていいよ。もう馬鹿なことはしないでね?」
「…………は?」
軽く伸びをして、そのまま歩き出す。……けれど浅木くんはまた強引に、俺の肩を掴む。
「待てよ! お前……お前! 俺はお前を……殺そうとしたんだぞ! なのにそんな……そんな簡単でいいのかよ!!」
「まあ、確かに君のしたことは許されることじゃないけど、でも別に……」
──怒りは感じていない。
それは単に、大した怪我がなかったからなのか。それともそもそも、彼に興味がないだけか。なんにせよ、心に怒りが浮かんでこない。怒ってないのに怒ったふりをするほど、馬鹿らしいこともない。
「…………」
でも、美春が別れようと言ったあの日。あの時俺は、今とは比較にならない怒りを感じた。ただ『飽きた』と、そう言っただけの女に叫ぶほどの怒りを感じて、逆恨みで俺を殺そうとした男には何の怒りも感じない。
……本当に俺が恐れているこは、死ぬことじゃなくて否定されることなのかもしれない。
さっきの藤林さんの言葉が、ふと脳を過ぎる。美春は否定されたくないから、先に相手を否定してるんだと彼女は言った。なら俺も、ただ否定されたくないから……いや、違う。
俺が、否定したんだ。
その結果が、俺の失敗。俺はあいつを否定して、でも……その結果を受け入れられなかった。だから、俺は……。
「……もういいよ。浅木くん、君にはもう興味がない。だからほんとにもう、行っていいよ?」
「ふざけるな! お前まで俺をモブキャラ扱いするんじゃねぇ! 俺は──」
「君がここで俺を否定しても、別に君がモテたりしないよ? というか、そういうことしてるからモテないんじゃないの? 他人を羨んで嫌がらせする男とか、モテない男の典型だろ? 結局、結果が出ないってことはさ、努力が足りないってだけのことなんだと思うよ」
「……っ」
俺はそこで初めて、自分から浅木くんの方に近づく。彼はどうしてか、怯えたように距離を取る。
「……くそっ。くそっ! お前みたいに何の努力してない奴が、俺に……この俺に努力が足りないなんて言うんじゃねぇ! お前なんかに……俺の気持ちが分かるもんか!」
「そりゃそうだ。人は結局、誰も理解できないし誰からも理解されないものだ。問題はその孤独を、受け入れられるかどうかなんだよ。他人で孤独を癒そうなんて考えてるから、君はモテないんだよ」
「……っ! うるせぇ! そんな目で見るな! くそっ。辞めろ! 俺は間違ってない。くそっ! くそっ! くそぉぉっっ!!」
浅木くんは勝手に叫んで、どこかへと走り出す。無論、俺はその背中を追ったりしない。いずれ彼も、自分のしたことの責任を取らされる日がくるのだろう。……来なくてもまあ、正直どうでもいい。
「なんか、呆気なかったな」
彼がこのまま引き下がるとも思わないが、あの性格なら俺が何もしなくても勝手に自滅するだろう。
大きく息を吐いて、帰路を歩く。今度は変な視線を感じることもなく、無事に家へと辿り着く。そしてそのままいつもの習慣で、郵便受けを確認する。
「…………」
そこには見慣れた便箋の手紙が入れられていて、そして……翌日、俺は知った。
浅木くんが、事故に遭ったと。
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