第24話 それぞれの



 マッシュくん……確か名前は、浅木くんだったか。とにかく昨日、俺のあとをつけていた彼が事故に遭ったらしい。そんな噂を、翌日の教室でクラスメイトたちが話しているのを聴いた。


「……タイミングがよすぎるよな」


 確かに彼は昨日、錯乱しているように見えた。彼が俺にしたことを考えれば罪悪感なんて感じはしないが、それでも彼が俺の言葉で追い詰められていたのは確かだ。


 俺の言葉で前後不覚に陥った彼が、信号を無視して車に轢かれる。あり得ないことじゃない。……でもやはり、なんだが都合がいい気もする。


「手紙の件もあるからな……」


 昨日、郵便受けに入れられていた手紙。あれはマッシュくんが、俺のあとをつける前に入れたものなのか。でも、だとするとどうして彼は、中学の頃のストーカーを真似るようなことをしたのか。


 或いは彼とは別に、手紙の送り主であるストーカーがいるのか。でもそれなら、そのストーカーの目的は何なのか。


「いい加減、テストに集中させて欲しいんだけどな」


 昼休み。逃げるように屋上にやってきた俺は、メロンパンを食べながらそんな益体もないことを考える。



『思い出した?』



 昨日、郵便受け入れられていた手紙にはそんなことが書かれていた。相変わらず、要領を得ない言葉。それだけだと、何を問われているのか分からない。


 ……でも、昨日のマッシュくんの言葉で、思い出したことがあるのは確かだ。『何でお前ばかり、特別扱いされるんだ』。昔はよく、そんなことを言われた。


「だから確かに、君の言う通りだよ」


 彼の言う通り俺は、何の努力もしていない。……とは言わないけれど、勉強も運動も大して頑張っていないのは事実だ。なのに俺は昔から、特別扱いされることが多かった。


 俺が宿題を忘れると、大して仲良くもない女の子が写させてくれた。日直の仕事を忘れても、掃除をサボっても、誰かが代わりにやってくれる。他の人が俺と同じことをすると責められるのに、どうしてか俺だけ許される。


 特に小学生の頃は、そんな扱いを受けることが多かった。漫画みたいにキャーキャー言われるようなモテ方ではないけれど、振り返ると当時の俺はモテていたのかもしれない。


 だから無論、昨日のマッシュくんみたいなのに絡まれることもあった。俺はそういうのが嫌で、中学に上がる頃から他人を遠ざけるようになり、今みたいに入院しても誰も見舞いに来てくれないような関係しか築くことができなくなった。


「でも俺が本当に特別なら、こんなことにはなってないよ」


 なにせ、そんな俺が唯一好きだった美春とたった半年で別れることになったんだ。当時の俺からして、美春は高嶺の花だった。だから俺は、そんな彼女のそばにいられるようにと


「……その結果が『飽きた』だからな。やっぱり努力は報われないよ、マッシュくん」


 俺は大きく息を吐き、もう少し思考を続ける。


 何もしていないのに、理由のない好意を向けられる。本当は俺は、そんな自分が怖かったのかもしれない。


 顔がいいだけ。マッシュくんは昨日そんなことを言っていたが、俺よりイケメンな奴なんてごまんといる。なのに俺だけ、特別扱い。その理由が分からなくて、俺はいつまで経っても自分に自信を持つことができない。


『どうして?』


 という、消えない疑問。雪坂先輩はそれが俺の才能だと言っていたが、そんな言葉では到底納得することはできない。


「どうしてお前だけって、俺だって別に何もかもが上手くいってるわけじゃないよ」


 努力は報われない。才能だって報われない。だったら俺はこれから、どうすればいいのか。その答えを俺は、未だに見つけられずにいた。



 ◇



 椿 冬流は、苛立っていた。



 秋穂が退院したという話は、とっくに彼女の耳にも入っていた。でも今、自分が彼に声をかけると、絶対に美春がやってくる。テストも近いのにまた揉め事を起こしたら、今度こそ本当に秋穂に嫌われてしまうかもしれない。


 それが怖くて、冬流はどうしても動くことができずにいた。


「……でも、期末テストが終わったら」


 そうすれば、文化祭があって冬休み。文化祭は別に強制参加ではないから、しばらくは休みだ。そうなれば他人の目を気にせず、秋穂に声をかけることができる。


 きっと美春も、同じようなことを考えているのだろう。彼女もまた、秋穂から距離をとっているように見える。……いや正直、冬流には美春の考えが全く分からなかった。


「…………」


 秋穂が事故に遭った翌日、冬流と美春は酷い言い合いをした。美春が冬流の教室に乗り込んできて、感情任せに怒鳴り散らかし、冬流もまたそれに応戦した。


 結果として、教師が止めに入るような事態となり、秋穂も巻き込んで未だに変な噂が広がり続けている。……そのせいか、冬流も少しクラスで浮いてしまっていた。


「椿さん、少しいいですか?」


 そんな冬流に声をかけてきたのは、彼女のクラスの委員長。知的な黒ぶち眼鏡をかけた地味な感じの少女は、冷たい目で冬流を見る。


「……何の用かな?」


 と、少し警戒しながら冬流はそう言葉を返す。


「ここでは、あれなので……廊下で構いませんか?」


「…………」


 無言で頷き、立ち上がる冬流。そして2人はそのまま廊下へ。冬の寒い廊下。人影はまばらで、冬流たちに意識を向けている者は誰もいない。


 委員長は確認するように辺りに視線を向けてから、口を開く。


「佐倉 美春さんと、糸杉 秋穂くん。あの2人に関わるのは、辞めた方がいいですよ」


「……また、その話か」


 冬流は呆れたように息を吐く。


「心配してくれるのは嬉しいけどね、委員長。私は辞めるつもりはないよ。美春さんはともかく、私……糸杉くんのこと好きだから」


「…………」


 冬流の真っ直ぐな目に、少したじろぐ委員長。美春と揉めてしまったことで、冬流が秋穂に好意を持っているということは、クラス全員に知られることになってしまった。


 だから冬流は迷うことなく、そう告げる。委員長は、窓の外に視線を逃して言う。


「私は、小学生の頃から美春さんと秋穂くんのことを知っています。2人とも私なんかとは違い人気のある子でした。……そして同時によく、問題を起こす人たちでもありました」


「……そんなの、昔のことでしょ?」


「本当にそう思いますが? この前、貴女が美春さんと揉めたばかりなのに」


「…………」


 それは確かにその通りで、冬流は思わず口を閉じる。


「それに秋穂くんも、彼は……人を惹きつける人ですけど同時に、人を傷つける人でもある。他人に無関心な癖に、人が1番言われたくないことを簡単に言い当てる。それなのに当の彼は、他人を否定している自覚がない」


「……もしかして委員長、糸杉くんのこと……好きだったの?」


「……昔の話です。彼は私のことなんて覚えていないでしょうし、私も……彼には酷いことをしてしまいましたから」


 委員長が視線を下げる。長い前髪が彼女の表情を隠す。


「彼は沢山の人に好意を向けられて、無意識にそれを拒絶した。気づけば彼に向けられていた好意は悪意へと変わり、だから彼は……他人と距離を取るようになった」


「でもそれは……糸杉くんは、悪くない」


「そうです。確かに彼は悪くない。……でも、彼の無関心は人を傷つける」


「…………」


 その言葉を否定することができず、冬流は視線を下げる。


 冬流のことをすっかり忘れてしまっていた秋穂。それは彼の生来の無関心と、他人の悪意から身を守る為の仮面。確かに冬流も彼に忘れられたと知って、酷く傷ついた。……そしてそれ以上に、そんな彼が美春だけを特別扱いすることに、腹が立った。



『どうして?』



 と、何度もそう叫んだ。


「とにかく、彼らと関わるのは辞めた方がいいと思います。彼らは特別で……私たちとは、違うのですから」


 それだけ言って立ち去る委員長。彼女は初恋を乗り越えて、しっかりと今を生きている。少なくとも冬流の目には、そんな風に見えた。


「でも、私は……」


 それでも想いを捨てられない。冬流は痛みに耐えるように胸に手を当て、大きく息を吐いた。



 ◇



 放課後の美術室。明かりもつけず作業に没頭していた少女──雪坂 奈乃葉は、自身の背丈くらいある大きなキャンバスを見つめながら、裂けるように口元を歪める。


「ようやくできた」


 完成した絵を前に彼女は笑う。喜びと言うより、どこか安堵したような笑み。


「テスト前なのに何やってんのさ、あんたは」


 そんな奈乃葉のところにやってきたのは、凛とした目つきのポニーテールの少女。彼女はキャンバスの前で1人で笑みを浮かべている友人を見て、呆れたように息を吐く。


「私は貴女と違い普段から勉強してますから。テスト前に慌てる必要はないんです」


「はいはい、そうですかそうですか」


 近くの机に軽く腰掛けるポニーテールの少女。奈乃葉は秋穂たちに見せるのとは違う冷たい雰囲気で、言う。


「それで、何の用ですか? 貴女がわざわざ、美術室に来るなんて珍しいじゃないですか」


「私も一応、美術部の部員だからね。文句を言われる筋合いはないよ」


「幽霊部員が何を偉そうに……」


 奈乃葉は長い黒髪を耳にかける。ポニーテールの少女は視線を奈乃葉から、彼女が描いた絵の方に向ける。


「……相変わらずあんたは、嫌な絵を描く。これ、あの可愛い後輩くんをモチーフにしたんだろ? なのにどうして、こんな絵が仕上がるのさ」


「私はただ、私が感じたものを形にしただけです」


「……こっちが見たくもない裏側を、勝手に形にされたら堪ったもんじゃない。後輩くんが可哀想だ」


「ふふっ。貴女、まだ怒ってるんですね。貴女をモチーフに絵を描いたこと」


「さあね」


 ポニーテールの少女は立ち上がり、逃げるように絵から視線を逸らす。奈乃葉はいつものように、静かな笑みを浮かべる。


「それより、噂の方はどうでしたか?」


「……確かにあんたが言ってた通り、後輩くんたちが中学生の頃、が流れてたらしいよ。真偽のほどは知らないけどね」


「そうですか。なら多分、それが美春さんが変わってしまった原因なのでしょう。……ああ、なんて可哀想なのでしょう。その噂が本当なら、美春さんの想いは決して……報われることはない」


 奈乃葉は笑う。茜色の日の光が、そんな彼女を妖しげに照らす。


「……あんたさ、あんまり後輩たちに迷惑かけるような真似はするなよ? あの噂が事実だとしたら、関係ない他人がおいそれと踏み込んでいいことじゃないんだから」


「分かってますよ。私はただ、この絵を2人に見せてあげたいだけですから。そしてできれば……秋穂くんの根っこを見せて欲しい。彼の根っこはきっと、私によく似ている。……そんな彼の願いなら、できれば何でも叶えてあげたい」


「……本気で惚れたのか?」


「惚れたから、本気になってるだけですよ」


 ポニーテールの少女は疲れたように肩をすくめ、そのまま美術室から出て行く。奈乃葉はそんな彼女の方には視線を向けず、ただ目の前の絵を見つめ続ける。


「どうして私は、こんなにも貴方に惹かれるんでしょう。……ああ、早く文化祭にならないかな」


 1人になった美術室で、奈乃葉は再度、裂けるように口元を歪めた。


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