第21話 静かな
結局、目を覚ました後も検査やら何やらでバタバタと忙しく、俺が退院できたのは目覚めてからちょうど1週間後。
幸いにも大した怪我はなく、身体のどこにも異常はなかった。病院の先生には、ちょっとぼーとし過ぎてるところがあると冗談めかして注意されたが、身体は健康そのもの。
あとはまあ、警察の事情聴取。……俺は一応、誰かに背中を押されたかもしれないということを、伝えはした。けれど深夜だったせいで目撃者はなく、ドライブレコーダーにもそれらしい人影は映ってなかったらしい。
だからもしかしたら、俺の勘違いなのかもしれない。実際、あの時の記憶はまだ曖昧だから、確かなことは言えない。……と、いうことにしておいた。
まあとにかく、諸々の面倒なことは終わって、俺は半月近く休んだ学校にようやく登校することができた。
「…………」
しかし、だからといって声をかけてくるような奴はいない。久しぶりに教室に入ってきた俺を見て、一瞬、水を打ったように静かになった教室は、けれどすぐに普段の喧騒を取り戻す。特に誰も、何も言ってはくれなかった。
もうすぐ……というか、来週には期末テストだからというのもあるのかもしれないが、なんかみんな冷たい反応だ。
「……ま、俺の普段の行いが悪いだけか」
いつも通り、自分の席に座る俺。俺が事故に遭ったことが学校にどういう風に伝わっているのか知らないが、クラスメイトがお見舞いに来てくれるようなことはなかった。
というか、お見舞いに来てくれたのは家族を除くと最初の菖蒲だけで、他の誰も来てくれなかった。美春はともかく、椿さんも、雪坂先輩も、藤林さんも、本当に誰も来なかった。
「俺が寝てる間に、こっちでも何かあったのか。それとも俺に……ただ人望がないだけか」
事故に遭った時にスマホが壊れたせいで、誰とも連絡がとれなかったのも、少しは関係してるのかもしれない。昨日の夜にネットで買ったのが明日には届くはずだから、それまでは不便な生活を送らなければならない。
「ま、なんでもいいさ」
そんなこんなで、授業が始まった。当たり前だが、半月近くも休むと授業についていくのも一苦労。幸い担任の
正直、川下先生は生徒に媚びてる感じがしてあまり好きではなかったが、今はその優しさが嬉しかった。
「……やっぱ俺、本当は歳上が好きなのかもしれないな」
そんなどうでもいいことを考えていると、あっという間に昼休み。一段と騒がしくなる教室に……彼女が、やって来た。
「失礼します。……久しぶりですね、秋穂くん。元気そうで安心しました」
教室にやってきたのは、雪坂先輩。先輩は普段と変わらない静かな笑みを浮かべて、真っ直ぐにこちらにやってくる。
「先輩もお変わりないようで……」
とりあえず俺は、そんなちょっとズレたような言葉を返す。
「これから少し話したいことがあるので、お昼……ご一緒して頂けませんか?」
「いいですよ。俺も先輩と話したいことがあったんで。……じゃあ、いつもの部室に行きましょうか」
「ありがとうございます。では、行きましょう」
2人で教室を後にする。
「…………」
その直前、美春がこちらを睨んでいたような気がしたが、構う気はない。俺たちは2人で、いつもの部室にやってくる。半月近く来なかったらだけで、随分と久しぶりに感じる。
「どうぞ、そこに座ってください」
「どうも」
俺は言われるがまま、いつもの席に座る。雪坂先輩は大きなトートバッグから取り出した弁当を、机の上に広げる。
「……というか先輩、多くないですか?」
重箱に入ってる上品な弁当に、唐揚げやらステーキが詰め込まれた肉肉しい弁当。美術部の小さなテーブルが沢山の弁当で埋まる。
「これは、貴方への退院祝いです。私は手料理は苦手なので、近くのお弁当屋で1番高いものと、あと男の子が好きそうなお肉をいっぱい買ってきました。好きなだけ食べちゃってください」
「……ありがたく頂きます」
「量が多いので、無理せず食べてくださいね」
雪坂先輩は小さく笑って、いつものように俺の正面に座る。
「まずは、退院おめでとうございます。事故に遭ったというのは聞いていたんですけど、こっちも少しバタバタとしていたせいでお見舞いに行けず、すみませんでした」
「いや、構いませんよ。弱ってるところを見られるのは、あんまり好きじゃないんで」
強がりを口にして、とりあえず大きな唐揚げにかぶりつく。……流石、プロの作った唐揚げだ。冷めていても美味しい。
「でも、バタバタしてたって……そっちでも何かあったんですか?」
唐揚げを飲み込んでから、気になっていたことを尋ねる。雪坂先輩は、ペットボトルのお茶に軽く口をつけてから言う。
「美春さんとそれから……椿さん。2人とも、お見舞いに行かなかったでしょう?」
「ええ。まあ……来なかったですね」
「貴方が事故に遭った翌日、美春さんと椿さんが揉めたんですよ。それも酷く……感情的に。大勢の人が止めに入ってもなかなか収まらなくて、今でも学校中で噂になってるんです」
「……だからなんか、ちょっとピリついた雰囲気だったんですね。でも、2人が喧嘩ってどうしてです? 俺が事故に遭ったことと、2人は別に関係ないですよね?」
その少し前、俺が2人から誘いを受けていたのは事実だ。でも、俺が事故に遭ったのは2人とは直接関係ないことで、それで2人が喧嘩するような理由はないはずだが……。
「…………」
或いは、俺の知らないところで2人にも何かあったのか。
「別に私も、詳しいことは知らないんですけどね。ただ2人は、秋穂くんが事故に遭ったのはお前のせいだと、そう罵り合ってたみたいです。そんな2人を見た人たちは、貴方が二股かけてるのがバレて修羅場になってるなんて、面白おかしく噂している人もいました」
「……その感じだとやっぱり、2人とはちゃんと話さないと駄目みたいですね」
「それはそうかもしれませんが、まだ本調子ではないのでしょう? 今、無理をする必要はないとは思いますけどね。……あの2人もとりあえずは、貴方が元気になるまで無茶なことはしないと約束したようですから。だから2人とも、お見舞いには行かなかったんです」
「気遣ってくれるのは嬉しいですけど、できれば元気になった後も無茶は辞めて欲しいですけどね」
でも、美春と椿さんに何があったのだろう? ……俺の事故のことだけじゃなく、前に空き教室で揉めていたことも関係しているのかもしれない。
椿さんはともかく、美春と話すのは憂鬱だがそうも言ってられないようだ。
「まあでも今は、期末テストに集中した方がいいんじゃないですか? 2人の問題は最悪、後回しにしても大丈夫ですが、テストは待ってくれませんから」
「それは確かに、そうかもしれませんね。……って、ああそうだ」
ふと思い出したことがあって、雪坂先輩の方に視線を向ける。
「これからしばらく、放課後は先生が補習授業をしてくれることになったんです。だから申し訳ないですけど、もうしばらくは絵のモデルは無理だと思います」
「ああ、それなら大丈夫です。絵はもう……ほとんど完成しましたから」
「……えっ?」
想定してなかった言葉に、俺は少し驚く。
「観察はもう十分に終わってましたし、後はきっかけだけだったんですけど……それもなんとか上手くいきました。協力して頂き、ありがとうございました」
「あー、いや。お礼を言われるようなことは、してませんよ。……でも、できれは絵はちょっと見てみたいです。雪坂先輩がどんな絵を描くのか、純粋に気になるので」
「構いませんよ。今度の文化祭で展示する予定なので、好きなだけ見に来てください」
「あれ? 文化祭なんですか? なんか、コンテストに出すとか言ってませんでしたっけ?」
「コンテストは、見送ることにしました」
「そうなんですか……。やっぱり、納得のいくものが描けなかったから、とかですか?」
芸術家は大変だなとか思うけど、雪坂先輩は首を横に振る。
「いい絵は描けました。会心の出来です。向こう10年はこれを超える絵は描けないな。……なんてことを思ってしまうくらいには」
「じゃあどうして、辞めたんです? コンテスト」
雪坂先輩はそこで立ち上がり、綺麗な黒髪を耳にかける。
「最初にテーマは『怒り』だと言ったでしょう? でも私が描いた絵は、そのテーマからかけ離れたものになってしまったんです。別にそれでも応募することはできるんですけど、なんだかあまり……気乗りしなくなってしまって」
「なんかちょっと、勿体無い気もしますね」
「だから、今度の文化祭。美術部でもちょっとした展覧会をするつもりなので、そこで展示することにしたんです」
「……なるほど。そういえば文化祭なんてありましたね、うちの高校」
うちの高校は一応、進学校だからなのか文化祭には全く力を入れていないらしい。
俺も1年だから詳しくは知らないが、期末テストが終わったら1週間の準備期間があって、冬休み前に文化祭が始まる。参加も自由で、特に強制的にやらされるようなこともない。
気合が入ってるクラスなんかは、夏休みから準備をすすめていたりするらしいが、うちのクラスはそんなこともないから、すっかり忘れていた。
「まあだから、秋穂くんもぜひ覗きにきてください。きっと気に入ってくれると思います」
「……楽しみにしてます」
雪坂先輩は笑う。相変わらず正面から見つめられるのに慣れない俺は、つい視線を逸らしてしまう。
「ああ、それと。絵が完成したら、なんでも1つだけ言うことを聞くという約束。あれ、私は本気ですから。なにか思いついたら、いつでも言ってください。NGはありませんから」
「……またなんか、考えときます」
ふと見えた雪坂先輩の表情は艶やかで、俺はまた窓の外に視線を逃す。……でも、雪坂先輩がどんな絵を描いたのか。少しだけ、文化祭が楽しみになってきた。
「…………」
無論、それまでに解決しなければならない問題は多い。けれど今は、病院食に慣れてしまった舌が驚くくらい美味しい弁当を食べながら、余計な感情を飲み込んだ。
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