第20話 欠点
ふと、目を覚ました。何かとても大切な夢を見ていた気がするが、どうしても……思い出すことができない。
「どこだ? ここ……」
遊びのない単調な作りの、とても静かな個室。まるで病院のような……というよりここは、病院の一室なのだろう。昔、何かの病気で入院した時、同じ景色を見た覚えがある。
「でも、なんで……」
記憶があやふやで、どうして自分が病院のベッドで眠っているのか。その理由が、全く思い出せない。
「お、やっと起きた。お前、よかったなぁ。ウチが見舞いに来てる時に目を覚まして」
すぐ隣から声が響く。
「お前は……」
簡素なパイプ椅子に腰掛けて、熱心にスマホを弄っている青みかかった長い黒髪の少女。綺麗……というよりどこか不健康に見えるほど白い肌。高校生とは思えない低い身長に、無駄に大きな胸。
この見覚えのある少女の名前は……。
「
その名を呼ぶと、少女は嬉しそうにニンマリと笑う。
「あ、ちゃんと覚えてた。病院の先生は大した外傷はないって言ってたらから心配してなかったけど、ワンチャン記憶喪失とかなってたらどうしようって、心配してたんだよ。お決まりだろ? そういうの」
「……そんな都合よく忘れられるかよ」
でも実際、どうして自分が病院のベッドにいるのか。その理由がどうしても思い出せない。
「その顔だと、まだ全部は思い出せてないって感じだな? どうする? 病院の先生、呼んでくるか?」
「あー、いや、もうちょい落ち着いてからでいい。……というか、なんで俺……病院のベッドで寝てんの?」
「事故に遭ったらしいよ。夜の街を歩いてて、信号無視の車に撥ねられたって。あんまスピード出てなかったらしいけど、大した怪我がないのは運がよかったってさ」
「…………」
そう言われて少し思い出す。そういえば俺は、美春と椿さんに誘われて、どっちかの家に向かって歩いてたんだ。それで背後から
『どうして』
そんな声が響いて、誰かに背中を押されたような……。
「さっきまでさ、お前の両親がきてたんだよ。けどウチ、正直苦手だから隠れてたんだ。こーんな顔して怒ってて、昔となーんにも変わってないなあの人たち」
「一人息子が事故に遭って、心配してくれてるんだろ?」
冗談めかして俺は笑う。菖蒲は笑わない。……実際、あの人たちが怒っている理由は別にあるのだろう。俺を轢いた車の運転手には同情する。
「ま、とにかく秋穂は事故に遭ったんだよ。そんで4日くらい寝てた」
「……4日も寝てたのか。どうりで腹が減ってるわけだ」
「どうでもよさそうに言うなー。……ウチの前だからいいけどさ、そういう態度あんましない方がいいぞ? お前って昔から、自分のことおざなりにしがちだからな」
「自分の部屋もろくに掃除できない奴に、そんなこと言われたくないよ」
そこで身体を起こす。……まだ、身体が重い。夢を見ているようなふわふわとした感覚に、視界がぼやける。菖蒲はようやくスマホを置いて、こちらに視線を向ける。
「詳しい事情は知らないけどさ、また女の子関係で揉めてるみたいだな、お前」
「別に、またって程でもないし、揉めてるって……訳でもないこともないか」
「揉めてるんだろ? ウチの前で誤魔化すなよな」
「……別に誤魔化してなんかいないよ」
「それが、誤魔化してるって言うんだよ。前のストーカーの件だって、まだ解決してないんだろ? お前さ、真面目にそういうとこ欠点だよな。先延ばし、現実逃避、決断の先送り。分かってる癖に分かってないフリをする」
「…………」
俺は思わず黙ってしまう。菖蒲は子供みたいに脚をぷらぷらとさせながら、言葉を続ける。
「美春ちゃんのこともそうだし、冬流ちゃんともなんかあったんだろ?」
「なんでお前が、椿さんのことを冬流ちゃんとか親しげに呼んでるんだよ」
「いや冬流ちゃん、昔はよく一緒に遊んでたじゃん」
「……お前も覚えてるのか」
菖蒲まで覚えてるとなると、いよいよ覚えてない俺がおかしいってことになってくる。
「忘れてる方が異常なんだよ。秋穂って昔から、そういうとこあるからな。美春ちゃんが自分の為に世界を歪めちゃうわがままちゃんで、秋穂は誰かの為に自分を歪めちゃうメンヘラくん」
「人を病気みたいに言うなよ。自分が1番、社会不適合者の癖に」
「ウチは自分の為に自分を歪めてるだけだから、誰にも迷惑かけてませーん」
「かけてるだろ、俺に。よく部屋とか掃除させてるじゃないか」
「秋穂にならいいんだよ」
菖蒲は笑う。俺は笑わない。
……でも、否定はできないかもしれない。ストーカーの正体。俺の背中を押した誰か。美春と椿さんのこと。雪坂先輩が何を考えていて、藤林さんが何をしたいのか。
問題は既に提示されている。……俺に回答する気がなかっただけで。
「ま、秋穂は名探偵じゃないんだし、全部が全部、解決する必要はないんじゃないか? 何も、明日死ぬってわけでもないんだしさ」
「……そうも言ってられないけどな。実際、死んでてもおかしくなかった」
「なに? 大した怪我じゃないんだろ? それとも……走馬灯でも見た?」
「見たのはもっと嫌なものだよ」
昔の夢。昔の失敗。俺がこれから、やらなければならないこと。
「大切なのは……美春と、椿さんのこと。あとはストーカーの正体を──」
「違うだろ? あいっかわらず、秋穂は馬鹿だなぁ。大事なのは……自分のことだろ?」
菖蒲は、心底から呆れたと言うように肩をすくめる。なんだか無駄に偉そうで、段々と腹が立ってくる。自分は朝起きられないからとか言って留年しかけてる癖に、こいつは何をそんなに偉そうに言っているのか。
「…………」
でもきっと、言ってることは間違いじゃない。椿さんと美春のこと。『新しく好きな人を見つける』なんて言っておきながら、俺は……。
「怪我人なんだから、ごちゃごちゃ考えるのは後にしとけ」
「お前が、考えさせるようなことばかり言うからだろ」
「あははは、それはそう。……でも秋穂、前にウチの部屋に掃除しにきた時、言ってたじゃん。新しく好きな人を見つけたいって。他は置いといてもいいけど、それだけははっきりさせとかないと、いつまで経っても同じようなことばっかり起こるぞ?」
「……分かってるよ」
「分かってないから、言ってんの」
「…………」
こちらの内心を見透かすような視線に、俺はまた黙ってしまう。確かに菖蒲の言う通り、他の全ての問題を解決したとしても、俺が中途半端な態度を続ける限り、また同じようなことが起こるだろう。
「ウチはさ、別に秋穂と美春ちゃんが元鞘に収まってもいいとは思うんだよね」
「……それはねーよ」
「本当に?」
「絶対に」
美春と話さなければならないことがあるのは、確かだ。……でも、あいつとよりを戻すなんてことは、もうないだろう。あいつの根っこがどうであれ、これ以上あいつに振り回されるのは御免だ。
「……シンデレラでさ、王子様がシンデレラを見染めるのは、彼女が美人で性格もいいからじゃん?」
菖蒲のその唐突な言葉に、俺は首を傾げる。
「何の話だよ、急に……」
「いいから聞けって。シンデレラが王子様に選ばれたのって、だから当然のことなんだよ。可愛くて性格のいい子なんて、王子様じゃなくても誰だって好きなんだからさ」
「……つまり?」
「綺麗で正しいものを好きになるのは当然のことで、汚れて間違ってるものを手元に置くには愛がいる。……シンデレラが妃として迎えられたあと、自分をいじめていた姉たちを許すのかどうか。秋穂が誰を愛して、誰を罰するのか。全部終わったら、また話聞かせてよ」
じゃ、先生呼んでくる。と立ち上がり、そのまま立ち去る菖蒲。俺は大きく息を吐いて、天井を仰ぐ。
「どいつもこいつも、勝手なことばっかり言いやがって……」
自分の欠点。欠陥。自覚できない裏側。見えない根っこ。わざと出さないようにしていた、サイコロの裏側。
『どうして』
そして頭に響く、その言葉。
「聞きたいのはこっちだよ」
俺は吐き捨てるように、そう小さく呟いた。
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