第19話 運命
佐倉 美春は、確信していた、
「あいつは……秋穂は、絶対にあたしのところに来る」
大きなソファに腰掛けた美春は、掃除し終えた自室を眺めながら小さく口元を歪める。
「だって秋穂はあたしのことが好き。……そうじゃないといけない」
美春は、自分の思い通りにならないことが嫌いだった。自分の望んだ通りにする為なら、他人を傷つけることも嘘をつくことだって厭わない。
彼女はそういうやり方でしか、人を愛することができなかった。
「だからあたしは、悪くない」
欠陥。欠点。歪み。歪んだ家庭環境。美春にとって当然のわがまま。普通の人間なら子供の頃に気がつく、自分と他人の境界線。他人には他人の都合があるという、ただそれだけの当たり前。
しかし美春は、その当たり前を知らない。
彼女は愛されていた。何1つ不自由のない、歪みと呼べる程の過度な愛情を注がれて育った。
裕福な家庭。優し過ぎる両親。美春用にと作られたクレジットカード。月の支払いが何十万になったとしても、両親は文句1つ言わない。
そんな環境が、彼女を歪めた。
彼女を決定的に変えた原因は他にある。しかし美春が自分の異常性に気がつけないのは、元の土台が歪んでいるから。
「秋穂はあたしのもの。あたしものなんだから、あたしのわがままを聞くのは当然のこと」
愛されるということは、許されるということ。どんなわがままでも、許してくれる。どれだけ悪辣でも、側にいてくれる。それが美春の信じる愛の形だった。
「ん?」
そこで、美春のスマホから着信音。メッセージが届いた。いつもの両親からのメッセージ。『今日は帰れない』と、ただそれだけ簡素な内容。
「知ってるわよ」
スマホをベッドに投げ捨てる。今は親のことなんてどうでもいい。今はただ、秋穂のことだけを考えていたい。
「あたしを怒らせたことは、もう許してあげる。……でも、あんな馬鹿な女に目移りしたことは許さない。話すことだけ話したら、ちゃんと自分の立場を分からせてあげる」
美春は確信していた。秋穂は絶対に自分を選ぶと。だって今までどれだけ強い言葉で否定しても、結局最後はいつも側にいてくれた。……あの夜だって、見捨てないでちゃんと助けてくれた。
自分は愛されている。
だから自分は、許されている。
「……早く来ないかな」
壁にかけられた時計を眺めながら、両親の帰りを待つ幼い少女のような表情で、ベッドの上で膝を抱える美春。
けれどいくら待っても、秋穂はやってこない。
「どうしてよ……」
美春の頭に、1人の少女の姿が思い浮かぶ。嘘と偽りで自分をよく見せることしか考えていない、弱くて泣き虫な女の顔が。
「どうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうしてどうして……! 椿 冬流……!」
美春は真っ赤になった目で思い切り枕を叩き、そのまま怒りの形相で家を出た。
◇
「糸杉くん……来てくれるかな」
椿 冬流は、小さなソファに座ったままどこか諦めたように息を吐く。見えるのは、普段通りの少し散らかったままの自室。片付けなければと思うけど、どうしても今は動く気にはなれない。
「結局、変わってない、か」
冬流は秋穂に忘れられたと知ったあの日から、自分を変える為だけに時間を費やしてきた。忘れられてしまったのなら、いっそ全てなかったことにして、新しく可愛くなった自分を知ってもらいたい。
そしてそこから、新しい恋を始める。
「道に迷ってるところに偶然、鉢合わせて。その縁で街を案内してもらって。連絡先を交換して。放課後はいつも一緒に帰るようになって。お互いちょっと気になりだして……それで、付き合うことになる」
そんなドラマみたいな恋がしてみたかった。急に絵のモデルがどうとか言いだしてきた先輩とか、昔と違いわがままばかり言う美春のせいで上手くいかないこともあったが、それでも昔よりはずっと上手くいっていた。……そう思っていた。
「やっぱり、初恋は報われないのかな……」
さっきの秋穂の顔を思い出し、冬流はまた小さく息を吐く。返事を聞くのが怖くて、言いたいことだけ言って逃げてきてしまった。……しかしどこかで冬流も、秋穂は美春のところに行ってしまうのだと、そう思っていた。
「昔からいつもそうだ。糸杉くんは何だかんだって言って、美春さんを選ぶ。……なんでなんだろ」
美春が秋穂に惹かれる理由は分かる。秋穂は弱ってる人を放っておかない優しさがあるし、それを恩着せがましくしない強さもある。
昔は小さかった背も高くなってるし、顔も……かっこいい。本当ならもっとモテていいはずなのに、学校では美春のせいで腫れ物扱い。
「絶対、陰で推してる子いっぱいいるよ。私だけが糸杉くんのいいところを知ってるーとか言ってさ」
或いはそういった人間が、ストーカーになってしまうのかもしれない。そして決まってそういう人間は、自分がストーカーだという自覚がない。
「私も気をつけないと」
美春に言われたストーカーという言葉。それに過剰に反応してしまったのは、どこかで自分にもそういった気質があるからだと、冬流は自覚していた。
「小学生の頃の初恋を、高校生になっても引きずってるんだもん。……普通じゃないよね」
或いは、ちゃんと告白して振られていたら、忘れられたのかもしれない。でも冬流は、振られることすらできなかった。
「どうして、美春さんなんだろ」
昔から秋穂は、美春のことばかり気にかけていた。……今でも、そうだ。秋穂は偶に遠い目をする。まるで何かを探すみたいに。
でも、その理由が冬流には全く分からなかった。確かに美春は美人ではある。芸能人でも、あそこまで顔が整っている人間は中々いない。それに背も高いし、スタイルもいい。
しかしそれでも秋穂が、それだけの理由であんな理不尽を受け入れるとは思えない。美春の言動はどう考えても、美人だからで許される範疇を超えている。
「……きっと2人は、私の知らない何かで繋がってる」
それが昔からずっと、気に入らなかった。美春は初めからずっと特別で、なのにその立場で満足せず秋穂を傷つけるようなことばかりする。
「あの人が初めから……昔みたいにずっと糸杉くんに優しくしてれば、私が入り込む余地なんてなかったのに……」
でも、どうしてか美春は秋穂を軽んじて傷つける。……まるで、自分がどれだけ愛されてるのか、試してるみたいに。
「きっとあの人は、わがままを許してもらえるのが愛だと思ってる。……そんな訳ないのに」
秋穂はそんな美春を許しはしなかった。だから美春は八つ当たりするみたいに、あんな酷い言葉を言った。
「……変われてないのは、私が1番知ってるよ……」
見た目は確かに変わったのかもしれない。でも逆に言えば、変われたのはそれだけ。外見を取り繕うのに必死で、部屋の掃除もできてない。こんなところを秋穂に見られたら、引かれてしまうかもしれない。
「なのに、なに期待してるんだろ、私」
来る訳ないと思っていながら、それでもシャワー浴びて、お気に入りの下着をつけて、軽いメイクも終わらせた。秋穂が勢いで手を出すような男ではないと知っている。しかしそれでも、心臓のドキドキが治らない。
「今の私を見てよ、糸杉くん。昔の私のことなんて、忘れていいからさ」
壁にかけられた時計を見つめながら、冬流はただ静かに秋穂が来るの待ち続ける。
「…………」
けれどいくら待っても、秋穂はやって来ない。
「やっぱり……でも、私は……」
どれだけ待っても来ない秋穂に痺れを切らし、冬流はそのまま家を出た。
そして翌日、2人は知った。
夜道を歩いていた秋穂が、事故に遭ったと。
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