第39話 その先に
「実はあたし、彼氏できたんだ」
と、美春は笑う。
「それはもう聞いたよ」
と、俺は呆れた声で言葉を返す。
「なんだ、冬流に先越されちゃったか」
なんて、どうでもよさそうに言って、美春は気怠げに息を吐く。いつもと……いや、3ヶ月前と何も変わらないその仕草。昔見た夢の続きを見ているかのような感覚に、肩から力が抜ける。
「なんかすっげーかっこ悪りぃな、俺」
終わっていた俺と続けていた彼女たち。その差は歴然だ。俺が自分の世界で自分の為に生きている間に、彼女たちは前へと進んでいた。別に自分が間違っていたとは思わないが、ただやっぱり……かっこ悪いなとは思ってしまう。
美春はこっちの心境を知ってか知らずか、どうでもよさそうに欠伸をしてから、口を開く。
「というかあたし、美術館ってあんまり好きじゃないのよね。今から遊園地にでも行かない?」
「出たよ、わがまま。美術館の目の前で言うことじゃないだろ? それ」
俺はジト目で、わがままなお姫様を見る。美春は楽しそうに笑って、俺の肩を叩く。
「なんて、冗談よ冗談。実はあたし、今日の美術館……楽しみにしてたんだ。最近は雪坂先輩に絵のこと教えてもらってるし、あんたにもいろいろ教えてあげられるかもね」
美春が俺の腕を掴んで歩き出す。
「じゃ、行こっか? 糸杉くん」
椿さんも美春と同じように、俺の腕を掴む。俺は2人に腕を引かれながら、気になっていたことを尋ねる。
「……もしかして椿さん、美術部に入ったりした?」
「そうだよ。雪坂先輩に教わりながら修行中なんだ」
「美春は?」
「あたしもこの前、入部した。ちょうど退屈してたしね」
「……そうか」
なんかこの後の展開が読めてきたぞ、なんてことを思いながら、3人で美術館に入る。流石に中では空気を読んだのか、2人とも俺の腕から手を離す。……というか2人とも、各々勝手に観たい絵のところに行ってしまった。
「3人で来てるのにそれかよ」
俺はまた1人、取り残される。美春の隣にいくか、椿さんの隣に行くか。それとも、2人とは違う絵を1人で観るか。
「ま、いいか」
俺は少し迷って、美春の隣に進む。美春はチラリとこちらに視線を向けてから、真面目な顔で絵を眺める。
「……黙ってると本当に美人だよな」
なんてどうでもいい思考を振り払い、俺は言う。
「お前、DNA鑑定したってほんとか?」
「気になる?」
と、美春は笑う。
「でも、結果は教えてあげないわよ」
「なんでだよ」
「気になるなら、自分で調べればいいじゃない。自分はなんの努力もしないのに、結果だけ知りたいなんて言うのは卑怯よ」
「それはまあ……そうだな。ならいいよ」
本当に知りたいと思うなら、自分で調べるべきだ。それは確かに正論だ。そもそも、そんなものはもう関係ないと割り切った筈の俺が、今さら気にするようなことでもない。
俺はそのまま、椿さんの方に歩き出す。……いや、歩き出そうとするが、また腕を掴まれる。
「この絵、凄くいい絵よ? もう少し観ていったら?」
「って、言われてもな……これ、現代アートってやつだろ? 正直、なに描いてんのか分かんねぇよ」
美春が観ているのは、子供がクレヨンで壁に悪戯描きしたような絵だ。その手の知識がない俺は、何が描いてあるのかさえ分からない。
「これは、アクションペインティングって言われる技法で描かれた絵なの。あたしも詳しいことは知らないけど、この技法で描かれた絵画が百億円以上の金額で取引されたりするのよ?」
「……これが百億、ね。正直、価値が分からないな」
「あたしにも分かんない。でも、そういうものでしょ? ……あんたが何に価値を見出して、何がしたいのか。あたしは未だに、よく分からないし」
「……そんなの、俺にも分かんねぇよ」
「その気持ちをキャンバスに叩きつけたら、こういう絵になるのかもしれないわ。余計な装飾をなくした剥き出しの心。この線一本一本が、あたしには傷に見える」
「俺には……ただの線にしか見えないよ」
でも、俺のこの中身のない苦しみも、他の誰かから見たらくだらないガキの悩みにしか見えないのだろう。理解されないのは、なにも絵画だけじゃない。結局、人は自分の理解の範疇でしか生きられない。井の中の蛙大海を知らずなんて言うが、その海も宇宙から見ればちっぽけな水溜りに過ぎない。
みんな、そんなちっぽけな水溜りの中で、他人から見たらつまらないことをウダウダと悩みながら生きている。それに終わりはないし、理解されることもない。
「……もしかしたらこの絵は、まだ描きかけなのかもしれないな」
ふと、思ったことがそのまま口から溢れる。
「それ、どういう意味?」
と、美春は首を傾げる。
「いや、なんとなく……これを描いた作者も本当はキャンバスが壊れるまで、筆を叩きつけたかったのかなと思ってな」
「なにそれ。あんたって意外と短気よね?」
「お前にだけは言われたくねぇよ」
2人して苦笑して、歩き出す。当たり前のように並んで、2人で歩く。休日なのに美術館には俺たち以外の人影はなく、静かな館内に足音が響く。
「冬流は、あんたのことが好きなんだって」
と、美春は絵の方に視線を向けたまま言う。
「……さっき本人から聞いたよ、それ」
「部室に行くと、雪坂先輩もあんたのことばっかり話すし、菖蒲もあんたを気にかけてる。咲奈の奴は……正直、なに考えてんのか分かんないけど、よくあんたのこと見てる。……昔からあんたって、モテるわよね?」
「顔がいいからだろ」
「あたしに似て?」
「両親に似て」
「感謝しなさいよ?」
「しねーよ」
また2人して笑う。なんだかやっぱり、肩から力が抜ける。
「絵画ってね、その絵だけじゃなくて、作者がどんな人生を生きたかも、絵の価値に影響したりするんだって。この前、雪坂先輩が言ってた」
「……だから?」
「人も同じなんじゃないかなって、あたしは思う。意味のないことを考えて、無駄だと思うことをやって、それが巡り巡って人の価値になる。それって凄く、素敵じゃない?」
「……そうだな。だったら、いいな」
それは本心だった。……いや、違う。本心だったらいいなと、俺は思った。
そのあと、拗ねた様子の椿さんと合流して、3人でダラダラといろんな絵画を見て回った。そのほとんどが俺には理解できないものだったが、不思議と退屈はしなかった。
この前のシンデレラの劇を見た時と正反対だな、と俺は思った。
「単純だな、俺も」
そして、一通り見終わった俺たちは、美術館を出てすぐの自然公園のベンチに座る。椿さんは、少し離れた自販機にジュースを買いに行くと言って、走って行ってしまった。
もしかして、気を遣って2人きりにしてくれたのだろうか? なんて思ったところで、隣に座った美春が口を開く。
「どう? 美術館、楽しかった?」
俺は美春の方に視線を向けないまま、言葉を返す。
「楽しかったよ。美術館なんて趣味じゃないと思ってたけど、たまには悪くないな」
「1人で引きこもってグダグダつまんないこと考えてるのと、どっちが楽しかった?」
「……1人でグダグダ考えてたから、今日を楽しめたんだよ」
それは負け惜しみだった。けれど美春は、納得したように頷く。
「そうね。あたしも、3ヶ月って時間が空いたから、こうしてあんたと普通に話せてるんだと思う。だからきっと、意味がないことなんてないのよ。あんたがいくら無意味だと思っても、どこかに意味が生まれる」
「今日は随分、詩的だな」
「あんたに合わせてあげてるの。感謝しなさい、この厨二病」
美春は笑う。ジュースを買いに行ってくれていた椿さんが、こちらに向かって手を振っているのが見える。心地いい春風が、薄らと色づいた桜の花びらを運んでくる。
なんだか無性に、泣きたくなった。嬉しくも悲しくもないのに、涙が溢れそうになって、俺は空を見上げる。……雲一つない快晴。今日は本当にいい天気だ。
美春は立ち上がり、どこか優しさを感じさせる笑みでこちらを見る。
「ねぇ、あんた、美術部に入らない? みんなでつまんないこと話しながら、下手くそな絵を描くの。きっと楽しいわよ?」
「いや、俺は──」
「いいから、素直に頷きなさい! ……ほら、あんたの好きなチョコレートあげるから、わがまま言わないの」
「……わがまま言ってるのは、お前の方だろ?」
美春に強引に手を引かれ、立ち上がる。そしていつものチョコレートを、無理やり押しつけられてしまう。……見慣れたチョコレート。思うことは一つ。
「……なぁ、美春」
「なに?」
「一個だけ謝っときたいんだけどさ、俺、お前がくれるチョコレート、ほんとは……好きだった」
「そ。あたしも好きよ、あんたのこと」
美春が笑う。美春と俺に血の繋がりがあろうとなかろうと、その笑みはとても魅力的な笑みだった。
「はっ、馬鹿みてぇ」
結局はそれだけのことで、それだけのことに何年かかってしまったのか。……いや、きっとこれからもまだまだ、遠回りを続けるのだろう。
──楽しくて意味のない、遠回りを。
「好きな人、見つけられるといいわね?」
と、美春は笑った。
「そうだな」
と、俺も笑う。春の風は心地よく、俺は他の誰でもない自分の意志で、一歩前へと踏み出した。
「付き合ってあげてる」が口癖のダウナーで上から目線の彼女に、「他に好きな人ができた」とメッセージを送ったらどうなるか検証してみた。 式崎識也 @shiki3
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