第12話 恋人
美春はしばらく、俺の背中で泣き続けた。
それでも俺は美春の部屋に上がることはなく、あいつが離れるのを待ってから、黙ってその場を立ち去った。……美春ももう、俺を引き止めるような真似はしなかった。
結局、美春が何を考えているのか。あの女が、何をしたいのか。俺には最後まで、分からなかった。……分からないままでいいんだと、今までそう思っていた。
「お前が拒絶した癖に、なんで今さら……」
強くなりたかった。簡単に過去と決別できるくらい強く。他人なんて必要ないくらい強く。自分1人で生きていけるくらい強く。
「……お前が泣くなよ」
地べたに這いつくばって、子犬のように身体を震わせていた美春。ごめんごめんと、嗚咽をこぼしながら泣いていた美春。そんな美春を見捨てることができたら。そんな美春を見て、指を差して笑えるくらい強くなれたら。
……それで、何が変わるのだろう?
つまらないことが頭をよぎって、その日はなかなか寝付くことができなかった。
そして、翌日。美春はまた、学校を休んだ。まあ、昨日のあの様子からして、当然だろう。
「……どうでもいいけど」
いつものように、あまり頭に入ってこない授業を聞き流す。このままだと期末テストがヤバいかもしれないが、まあいい。テスト前になったら頑張ろう。
そんなこんなで、気づけば昼休み。今日は朝にパンを買うのを忘れていたので、久しぶりに学食でも行こうか。そんなことを考えながら廊下を歩いていると、ふと声をかけられる。
「なあ、ちょっといいか?」
視線を上げる。……知らない男だ。黒髪マッシュにピアス。あまり関わらないようなタイプの人間。その男は、馴れ馴れしく俺の肩に手を置いて言う。
「君さ、転校生の冬流ちゃんと付き合ってるって、ほんと?」
「なに? 急に」
「いいから答えてよ。君、よく冬流ちゃんと一緒にいるみたいだけど、別に付き合ってるってわけじゃないんだよね?」
男がこっちを見る。わざとらしい、張り付けたような笑み。俺は小さく息を吐いて、言葉を返す。
「付き合ってはいないよ」
「本当に? いつも一緒にいるみたいだけど?」
「……一応、友達だから」
「そ。それならいいんだ」
それだけ言って、男はそのまま立ち去る。……椿さんを狙っている男だろうか? 彼女も大変だなとは思うけど、付き合ってもいない俺が、横から口を出すこともでもない。
「……っ。頭痛い」
寝不足で重い頭を抑えながら、学食の薄いラーメンを食べる。なんだか何もかもが上手くいっていないような感覚に、俺は大きく息を吐く。
そして、放課後。
「しつこい! いつまでも付きまとわないで!」
廊下からそんな声が聴こた。……どう考えても、聞き覚えのある声。俺は荷物を持って、急いで教室を出る。
「あ、糸杉くん! ちょうどよかった! 今から会いに行こうと思ってたところなんだよ!」
椿さんが目の前の男──多分、昼間のマッシュくん。彼を押し退けて、こちらに走り寄ってくる。
「……また声かけるからね」
マッシュくんは小さな声でそれだけ言って、そのまま立ち去る。意外と引き際は弁えているようだ。……いや、弁えていたら、あんな声が聴こえてくることもないか。
「なんか大変そうだね、椿さん。大丈夫?」
珍しく怒ったような顔をしている椿さんに、そう声をかける。
「……うん。大丈夫。あの人、嫌だって言ってるのにしつこく声かけてきてさ。なんか、ああいう人って初めてでちょっと困ってたんだよ」
「モテるのも大変だね」
「……他人事」
「いてっ」
また軽く肩を叩かれる。椿さんは思考を切り替えるように、大きく息を吐く。
「ま、もうどっか行ったしどうでもいいや。それより、また雪坂先輩のとこ行くんでしょ? 一緒に行こ?」
と、椿さんが俺の腕を引いて歩き出す。けれど俺は首を横に振る。
「いや、今日はなんか雪坂先輩、用事があるんだってさ。さっきメッセージきてた」
「そうなんだ。じゃ、今日はお休みか。……ってか、いつの間に連絡先なんて交換してたの?」
「昨日。お互い用事がある時は、その方が連絡しやすいし便利だろうって」
「……ふーん」
ペシペシ。ペシペシ。いつもの痛くない、椿さんの攻撃。それも信用されている証なのだろうと、黙って受け入れる。
「…………」
でも、本当は今日は、雪坂先輩に美春のことを聞きたかった。美春のお見舞いに行って、何を話したのか。美春が俺の家の前で待っていた理由に、何か心当たりがあるのか。
でも、用事があるなら仕方ない。わざわざメッセージを送って、詳しく聞き出すようなことでもない。
「というわけで、今日は暇なんだよ。だからこれからどっか、遊びに行かない?」
「……え」
軽い気持ちでそう声をかけるが、どうしてか椿さんは驚いたような顔でこっちを見る。
「……あれ? 嫌だった?」
「……ううん。じゃなくて、糸杉くんが誘ってくれるとは思ってなかったから。じゃあ今日はこれでかいさーんって言って、1人で帰っちゃうのかと思ってた」
「そこまで薄情じゃないよ。それに、今日はちょっと……寄り道したい気分だから」
「……へぇ。じゃあ、しょうがない! 付き合ってあげるか! 糸杉くん1人だと、可哀想だし!」
椿さんはまたペシペシと、俺の肩を叩く。でもさっきと違って、なんかだかとても嬉しそうだ。
「よしっ! じゃあそうと決まれば、遊びに行こう!」
そうして俺たちはまた一緒に、街を散策する。……寝不足で頭が痛くて、何をするにも集中できない。そう思っていたけど、遊び回るとなると事情は変わるらしい。自分の脳みそながら、随分と都合がいい。
椿さんと一緒にいる間は、余計なことを忘れられる。
「……いや、違うか」
忘れられるわけじゃない。ふと気づくと、家に帰るとまた美春が待ち構えているかもしれない。なんてことを考えてしまう。
流石にないとは思うけど、なんだか帰る気にはなれない。だから俺は余計なことは考えず、ただ今を楽しむ。椿さんはどこに行っても笑ってくれて、この子と一緒にいるのは楽しいな。と、改めてそう思った。
「糸杉くんさ、もしかして美春さん……だっけ? その人とまた、何かあった?」
そして、休憩にと立ち寄った静かなカフェ。椿さんは頼んだココアとコーヒーが運ばれてくるのを待ってから、そんな言葉を口にした。
「……どうして、そう思うの?」
俺はコーヒーをスプーンでかき混ぜながら、椿さんを見る。
「なんとなく、かな。なんか糸杉くん、この前……美春さんと校門前で言い合いしてた時と、同じ顔してたから」
「……そんな分かりやすいかな、俺」
「多分、糸杉くん。自分で思ってるよりずっと、顔に出やすいタイプだと思うよ? クールに見えて実は結構、感情的だよね? 糸杉くんって」
椿さんが笑う。俺は苦笑して、コーヒーに口をつける。……そして、砂糖を入れる。かっこつけてブラックを頼んだが、普通に苦い。
俺はコーヒーをテーブルに置いて、窓の外に視線を向ける。
「……実は昨日、またちょっと揉めてさ。女の子……っていうか、あいつの考えが俺にはよく分からないんだよ」
「糸杉くんは、分かってあげたいって思ってるの?」
「いや、分からなくてもいいって思ってるよ。もう別れた後だしね。前にも言ったけど、俺はもうあいつを忘れて他に好きな人を見つけたいなって思ってる」
「でも、気になっちゃう?」
「……今になって、あいつが妙に絡んでくるからね」
俺は背もたれに体重を預け、息を吐く。別に復縁したいなんて思わないし、今さらあいつを許すつもりもない。……でも、見捨てることはできなかった。
いっそのことあいつに新しい彼氏ができて、俺の視界から消えてくれれば楽なのに。
「モテるのも大変だね」
椿さんが、からかうような笑みを浮かべる。
「……さっきの仕返し? 別に俺は、モテてる訳じゃないと思うけど」
「でも、好きって形は複雑だからね。美春さんの好きって形が、糸杉くんの想像するものとは全く違うだけなのかもしれないよ?」
「違うってことは、結局……分かり合えないってことでしょ?」
「……どうだろうね」
と、椿さんはまたココアに口をつける。店内に流れる静かなBGM。有名なクラシックだったはずだが、どうしてもタイトルを思い出すことができない。
「でもさ、糸杉くん」
椿さんがカップを置いて、口を開く。けれどどうしてか、視線は窓の外。
「お互いさ、変なのに付きまとわれて大変だよね? 糸杉くんは元カノ? で。私は、よく知らないマッシュくん」
「それも俺と椿さんじゃ、意味が違うとは思うけどね」
俺は笑う。椿さんは笑わない。
「多分、私。明日も声かけられると思うんだよ。糸杉くんも、美春さんに会いたくないから、こうしていろいろ寄り道してるんでしょ?」
「……鋭いね」
「だからさ」
椿さんはそこで言葉を止め、こちらを見る。いつもと変わらない、華やかな笑顔。けれど、何度も前髪に指を絡めたり、視線が泳いだり、どこか落ち着かない様子の椿さん。
何か、話しにくいことでもあるのだろうか?
なんてことを俺が思ったところで、椿さんは言った。
「──だからさ、私たち……付き合わない?」
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