第13話 結果
「私たち、付き合わない?」
そう言ってこちらを見る椿さんは、頬がうっすらと赤く、少し目が潤んでいるように見える。とても可愛くて魅力的で、嘘を言っているようにも、冗談を言っているようにも見えない。
「……っ」
でもその顔が、いつかの美春と重なる。『別に、付き合いたいなら、付き合ってあげてもいいわよ』唐突にそんなことを言ってきた美春。その時の美春の表情と今の椿さんの表情が、どうしてか重なる。
「……なんて、嫌かな? ってか、いきなりだったよね? ごめんね? なんか急に変なこと言っちゃって……」
黙ってしまった俺を見て、誤魔化すような笑みを浮かべる椿さん。俺は余計な思考を切り捨てて、慌てて口を開く。
「いや、嫌じゃないよ。嫌じゃない。ただちょっと急だったから、驚いちゃっただけで……」
「ほんとに? ほんとに、嫌じゃなかった?」
「嫌なわけないよ。こんなことで、嘘なんてつかないよ」
「……ふーん」
椿さんはまた窓の外に視線を向けて、ココアをスプーンでクルクルと混ぜる。俺は言葉を続ける。
「でも椿さんが言いたいのは、お互い変なのに付きまとわれて面倒だから、恋人同士ってことにして自衛しようってことでしょ?」
……別に、俺のことが好きだから『付き合おう』なんて言った訳じゃない。
「……まあ、そんな感じかな」
「だったら別に、付き合う必要はないと思うよ?」
「それは、そうかもしれないけど……」
椿さんはスプーンを置いて、前髪に指を絡める。俺は思考を落ち着けるように、コーヒーに口をつける。
「別に、椿さんの提案が嫌なわけじゃないんだ。椿さんと付き合えたら楽しいんだろうなって、一緒にいるとよく思う。ただ……好きあってもないのに付き合うのは、あんまりよくないと思う」
「私……糸杉くんのこと、嫌いじゃないよ? ってか、嫌いな人にこんなこと言わないし」
「そう言ってくれるのは嬉しい。俺も椿さんのこと、嫌いじゃない」
椿さんと一緒にいるのは楽しい。美春といるより、藤林さんといるより、雪坂先輩といるより、椿さんと一緒にいるのが1番落ち着く。1番、楽しい。
「でも俺たちまだ知り合って数日で、お互いのこと全然知らないでしょ? なのに、軽々しく付き合うっていうのは……あんまりよくないと思う」
「どうして?」
「俺も椿さんも、さっきお互いのこと『嫌いじゃない』って言った。……『好き』とは、言えなかった。だから多分、本当に好きな人ができた時、そういうことしてたら困ると思う」
そうやって深く考えず、目先の気持ちを優先して美春と付き合った結果が、あの有様だ。もう後悔はしたくない。して欲しくない。
心が傷つく為にあるのだとしても、椿さんが傷ついているところは見たくない。
「……糸杉くんって、真面目なんだね」
「どうかな。臆病なだけかもしれない」
「優しいことと臆病なことは似てるけど、実際は全然違うものだよ? 私は糸杉くんが優しい人だって、ちゃんと知ってる」
「……ありがとう」
想定してなかった言葉に、ドキドキと心臓が高鳴る。俺は思考を落ち着けるように、意味もなくコーヒーをかき混ぜる。
「ただ、俺のことはともかく、椿さんが本気であのマッシュくんに困ってるなら、真っ当な方法でどうにかするよ」
「振った相手に、優しくするの?」
「いや、振ったとかじゃないでしょ? そもそも多分、椿さんが思ってるほど、俺は──」
「私は恋って全部、一目惚れだって思ってるから」
椿さんがこっちを見る。今度は目を逸らさずに、真っ直ぐにこちらを見る。
「優しいところが好き、とか。あの時助けてくれたから、とか。背が高いとか、お金持ってるとか、顔がいいとか。全部、後付けなんだよ。惚れたから、好きになるの。理由なんてないよ」
「……理由がないと、困るでしょ?」
「困るから理由を作るんだよ。本当は何にだって、理由なんてないんだよ。結果が全てなんて言うけど、結果だけじゃ満足できないから、私たちはつい理由を探しちゃう。この世界では、起こることしか起こらないのに。……なんてね」
椿さんは笑う。俺はつい、黙ってしまう。
椿さんは偶に、とても鋭いことを言う。この前の桜の例え然り、今の結果と理由の話だったり。俺が思っているよりずっと、椿さんは頭がいい子なのかもしれない。
「でも、椿さん。それだと椿さんが、本当に俺に惚れてるみたいに聞こえるよ?」
「別に私は、それでもいいよ? 糸杉くんも、『好きな人』探してるんでしょ?」
「……まだ、探してる途中なんだよ」
「ずるい言い方だね」
「……ごめん」
椿さんはどうしてか、小さく笑う。俺は笑えない。
「糸杉くんって、自分に自信がないんだね。自分の気持ちにも、自分がしてきたことにも、自信が持てない。本当は全部間違ってるって、どこかでそう思ってる」
「当たってるよ、それ。俺……自分のこと、あんまり好きじゃないから」
「じゃあさ、糸杉くんがちゃんと自分のこと好きになれたら、さっきの言葉……本気で考えてくれる?」
「本気でって……いや、分かった。約束する。でもその時は椿さんも、本気で考えて欲しい」
「私はいつだって本気だけど……うん、分かった。じゃ、約束ね」
椿さんが小指を差し出す。一瞬、その行動の意味が分からなくて戸惑ってしまうが、そういえば昔はそんな風に約束したなと、思い出す。
「……約束するよ」
俺は少しの照れ臭さを振り払って、椿さんの小指に自分の小指を絡める。……その直後。パシャっとスマホで写真を撮った時の音が聴こえた。
「はい、これで証拠できた! 約束破ったら、怒るからね?」
と、椿さんが笑う。
「破らない大丈夫だよ」
と、俺も笑った。
目には見えない、椿さんの根っこ。俺はまだ彼女のことを何も知らない。そして同じように椿さんも、俺のことを何も知らない。
知らないまま受け入れるような真似は、やっぱり俺にはできない。一度もサイコロを振らずに、歩き出すことはできない。
「…………」
でも、それでも俺は、この子に惹かれ始めていた。
「そろそろ行こっか?」
椿さんが立ち上がる。
「……そうだね」
俺はそう答えて、残ったコーヒーを一気に飲み干す。
そうして2人で、カフェを出る。辺りはもうすっかり暗くなっていて、冷たい夜風が頬を撫でる。
「……明日さ」
椿さんはこっちを見ず、見空を見上げながら歩き出す。
「…………」
俺は何も言わず、その背を追う。椿さんは続ける。
「明日、またあのマッシュくんに声かけられたら、私ちゃんと言うよ。他に好きな人がいるからって。……いいよね?」
椿さんが振り返る。欠けた月の隣で揺れる眩い金色の髪。その笑顔はやっぱりとても可愛くて、華やかだ。見ているとつい、こちらの口元も緩む。
「分かった。じゃあ俺も、美春にちゃんと同じこと言うよ」
俺は小さく笑って、そう言葉を返す。すると椿さんはどうしてかまた、ペシペシと俺の肩を叩いた。そうしてその後は椿さんを家まで送って、うちに帰る。
「……居ない、か」
幸い今日は、美春が待ち構えているようなことはなかった。俺は安堵の息を吐いて、郵便受けを確認する。
「なんなんだよ、ほんと……」
そしてそこにはまた、見覚えのある手紙が入っていた。ご丁寧に可愛らしい封筒に入っていたそれは、けれど……今までとは違うことが書かれていた。
『どうして』
言葉の意味が分からない。分かりたいとも思わない。俺はその手紙をくしゃくしゃに丸めて、ポケットに入れる。
「……っ!」
ふと、背後に視線を感じて振り返る。……けれどそこには、誰の姿もない。俺は大きく息を吐いて、逃げるように玄関の扉を開いた。
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