第14話 苛立ち



「……ひどい顔」


 自室の鏡の前で自分の顔を確認した美春は、自嘲するように乾いた笑みを浮かべる。


「ほんと、なにやってんのよ」


 やつれた自分から目を逸らし、美春は痛む頭を抑える。考えなしに秋穂の家の前で待ち伏せし、情けなく転んで、立ち去ろうとする秋穂の背中に抱きついて、声を上げて泣いた。


 『風邪で弱っていたから』では、説明できない無様な行動。思い返すだけで胸が痛んで、どうして受け入れてくれないのかと、叫びたくなる。


「あたしのこと、好きな癖に」


 自分に言い聞かせるようにそう呟いて、美春は倒れるようにベッドに飛び込み、目を瞑る。


「……全部、あの女が悪いのよ」


 そして、昨日お見舞いに来た雪坂 奈乃葉のことを思い出す。



「こんにちは、美春さん。風邪をひいたと聞いてお見舞いに来たんですけど……どうやらまだ、体調はよくないみたいですね?」


 チャイムが鳴ってドアを開けると、そこにいたのは雪のように白い肌をした長い黒髪の少女。中学の時は同じ部活で世話になったが、今はもう大した繋がりのない先輩。


 そんな先輩がわざわざお見舞いに来るとは思わず、美春は少し驚く。


「これ、いろいろと見繕ってきたので、よかったらどうぞ。あ、アイスもあるので、それだけは早めに冷凍庫に入れた方がいいと思います。美春さん、このアイス好きでしたもんね?」


「……ありがとう、ございます」


 美春は渡された袋を受け取って、軽く頭を下げる。……そのアイスは、昔よく部活帰りにこの先輩が奢ってくれたもの。風邪で弱っているからだろうか? 美春は少し、反応に困る。


「よければ少し話でも……と思っていたのですけど、予想以上に体調が悪そうですね。今日はこれだけ渡して、失礼することにします。あまり、無理はしないようにしてくださいね?」


 優しい笑みを浮かべて、そのまま立ち去ろうとする奈乃葉。そんな奈乃葉を、美春は思わず引き止める。


「待って! ……待って、ください。あたしも少し、貴女と話したいことがある」


「そう言って頂けるのは嬉しいですけど……その様子だと、立ってるだけでもしんどいんじゃないですか? 今日は休んで、日を改めた方が──」


「大丈夫。いいから、答えて。……どうして、秋穂に構うの?」


 その問いは想定していなかったのか、奈乃葉は大きく目を見開く。


「そんなに、秋穂くんのことが気になるんですか?」


「……いいから早く、答えて」


「……ふふっ。熱が出ていても、美春さんは相変わらずですね」


 奈乃葉は小さく口元を歪め、続ける。


「私が秋穂くんに声をかけた理由は2つ……いや、3つですね。1つは美春さんがそんな風になってしまった理由を、聞けるかもしれないと思ったから。もう1つは、彼に私の絵のモデルになって欲しかったから。そして最後に……彼自身に興味があったから」


「興味って、先輩は秋穂のこと好きなの?」


「どうでしょう? 嫌いではないのは確かですけど、面と向かって好きとはまだ言えないですね。……でも彼、可愛いじゃないですか。物の見方や考え方は、私でもハッとさせられることがあって、顔もいいし頭も悪くない。なのに彼は、自分に全く自信がない」


「……あいつはそんな、大した奴じゃない。先輩がわざわざ気にかける価値なんて、ないわ」


「残念ですけど、美春さん。それを決めるのは、貴女ではなく私です。……まあ、貴女と彼が今も付き合っているのなら、貴女の言うことも分かりますけど……。でも、もう別れてしまったのでしょう? なら、貴女に私を止める権利はないはずです」


「…………」


 美春は反論が思い浮かばず、黙ってしまう。奈乃葉は長い黒髪を耳にかけて、真っ直ぐに美春を見つめる。


「なんて、権利なんて言葉は卑怯ですね。私だって別に何かの権利があって、彼に声をかけたわけではないのですから」


「……先輩はあいつのこと、好きなの? 先輩、昔はよく恋愛に興味がないって言ってたと思うんだけど」


「彼は特別……とは言いませんけど、秋穂くんって人を惹きつけるような魅力がありますよね。上手く言葉にはできないですけど、つい目で追ってしまうんです」


「…………」


 それは美春にも、思い当たる節があった。秋穂は昔からそういう人間だった。別に目立つ方ではないし、性格も大人しい。なのに妙に人を惹きつける。……惹きつけなくていい人間まで、惹きつけてしまう。


「では、次は私から質問もしてもいいですか? 美春さん」


「……なに?」


「貴女はどうしてあそこまで、秋穂くんに強く当たるんですか? ……いや、秋穂くんにだけじゃないですね。貴女は高校に入ってから、とても荒れているように見えます。もし悩みがあるなら、私に……教えて頂けませんか?」


「…………」


 その問いで、美春の頭に思い浮かんだいくつかの出来事。気に入らないことと、つまらないこと。そして、どうしても許せないこと。3つの出来事が引き金となって、美春は秋穂に声をかけた。


 付き合ってもいいと、そう言った。


 でも、今から思うと、それは……。


「……すみません。調子が悪いところに、変なことを訊いてしまいましたね。話の続きは、美春さんが元気になってからにしましょうか」


 黙ってしまった美春を見て、奈乃葉はいつもの優しい笑みを浮かべる。美春は最後に、そんな奈乃葉に声をかける。


「あいつに……秋穂に近づくの、辞めて欲しい」


「どうして、ですか?」


「どうしても……苛々するから」


「……ふふっ」


 その美春の言葉を聞いて、奈乃葉は笑う。普段とは違う、心の内を見透かすようなそんな笑み。


「……っ」


 今まで見たことがない先輩の顔に、美春は思わず後ずさる。


「私、彼をモデルにした絵が完成したら、秋穂くんに告白しようと思ってるんです。彼が私の気持ちを受け入れてくれるかは、まだ分かりませんけど……ふふっ。彼が私の告白を聞いたら、どんな顔をするのか。今から、楽しみです」


 幸せそうな笑みを浮かべて、そのまま立ち去る奈乃葉。


「……なんなのよ」


 秋穂が言った『他に好きな人ができた』という言葉。その相手が奈乃葉なのかどうか判断はできなかったが、それでもあの先輩が秋穂に好意を持っているのは明らかだった。


 そしてあの先輩は昔から、目的を叶える為なら手段を選ばない。中学の時、生意気な美春に嫌がらせをしてきた上級生を、奈乃葉は簡単に撃退してみせた。


「……苛々する」


 秋穂は自分だけを見ていればいい。……何をしても、こっちを見続けてくれるんだと、そう思ってた。なのにどうして、何もかもが上手くいかないのか。


「会いたい」


 昨日、電話でそう伝えた。今さら甘えるなと、怒鳴られた。それでも、会いたい。会いたくて会いたくて仕方がない。胸が痛い。安心させて欲しい。あんな先輩やぽっと出の転校生なんかに、渡したくなんてない。


 大丈夫だよって、抱きしめて欲しい。


「……あんたが悪いのよ」


 そうして美春は秋穂の家の前で待ち伏せし、またしても彼に拒絶された。翌日になっても体調は戻らず、依然として1日の大半をベッドの上で過ごすような生活。


 胸が痛くて、叫びたくて、どうしようもない苛立ちだけが、ただ募る。


「……分かった。分かったわよ」


 ぐちゃぐちゃになった心から目を逸らし、胸の痛みを誤魔化すように、美春は小さく呟く。


「ちゃんと謝る。ちゃんと話す。……だから、あたしだけを見て……」


 夢とも現実とも言えない、うつらうつらとした意識の中。美春は決めた。風邪が治ったら、余計な感情を抑えて、正面から秋穂と話をしようと。


 ちゃんと謝って、1から関係をやり直そうと。


「あんたは、あたしだけを見てたらいいのよ……」


 美春はそのまま、全てが上手くいった夢を見た。現実がそうなるかどうかは、まだ誰にも分からない。


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