第15話 癒えない



 翌週の月曜日。美春が、学校に登校してきた。


「いやー、元気になってよかったね、お姫。私、もしかしてあのまま死んじゃうんじゃってないかって、実は密かに心配してたんだよ!」


「どうせ嘘でしょ、それ。あんた、初日以外は見舞いに来なかったじゃない」


「それはお姫を気遣ってだよ。なんにせよ、元気になってよかったよかった!」


「うるさい。病み上がりなんだから、大きい声出さないで」


「あははは! その辛辣さ、これはもう完全復活って感じだね」


 藤林さんを中心とした集団に、わいわいと囲まれる美春。なんだかんだ言いながら、美春やはり人気者のようだ。あんな性格の女と、よくもまあ友達になれるなとは思うが、学校の人気者なんてそんなものだ。


 大抵の人間は、相手の人格より人気のある奴と仲良くしておきたいというだけの話だろう。


「人気者だから人気になるって、なんか矛盾してるよな……」


 まあ、そんなことはどうでもいい。体調はもう回復したらしいし、俺があいつを気にかける理由はない。元気になってよかったとは思わないが、また変に甘えてこられても面倒だ。


「それより勉強だ」


 思考を切り替え、迫ってきた期末テストの対策の為に教科書を開く。最近は本当に授業には集中できてないから、ここらで挽回しておかないとヤバい。


 ……なんてことを考えていたのだが、まるでそれを遮るように声が響いた。


「ちょっといい?」


 視線を上げる。見えたのは……美春だ。大勢の人間に囲まれていた美春が、いつの間にかすぐ側まで来ていた。彼女はいつも通りの不機嫌そうな……ではなく、どこか痛みを堪えるような顔でこちらを見る。


「……何の用だよ?」


 教室で、あからさまに酷い言葉をぶつける訳にもいかない。俺は美春から視線を逸らして、そう言葉を返す。


「放課後、話したいことがあるの。時間あるなら、3階の空き教室に来て欲しい」


「お前、またなんか──」


「嫌なら、来なくてもいいから。でも……待ってる」


 それだけ言って、自分の席に戻る美春。……やっぱり、いつもとは少し雰囲気が違うように見えた。いつもの刺々した感じじゃなくて、まるで昔の美春みたいな……。


「だったらなんだよ」


 今さらあの女と話すことはない。それはもう何度も何度も言った言葉だ。あいつの態度が変わったところで、あいつが今までしてきたことはなくならない。


「行くわけねーだろ」


 それが俺の結論だった。


「……あーくそっ、頭痛い」


 そんな美春の発言のせいか。治ったはずの頭痛が再発し、結局……授業に集中することができなかった。


 そして、昼休み。朝に買っておいたパンを食べ終えた頃。教室に、椿さんに声をかけていたマッシュくんがやってくる。


「またなんか、言いに来たのか?」


 と思ったが、彼は俺ではなく美春に声をかけているようだった。


「…………」


 距離が離れているから、会話の内容は聴こえない。……しかし、マッシュくん。椿さんだけじゃなくて、美春にも声をかけているのか。あんまり節操がないことしてると、皆んなから嫌われるぞ? と思うが、忠告してやる義理はない。


「でも、美春とマッシュくんが付き合ってしまえば、面倒ごとは綺麗に片付くんだけどな」


 なんてことを呟くと、また教室に別のお客さん。可愛い……と言うより凛々しいポニーテールの女の子は、どうしてか真っ直ぐに俺の席までやってくる。


「少しいいかな? 糸杉くん」


 多分……上級生であろうその少女は、キリッとした切れ長な目で俺を見る。


「……どちら様ですか?」


 と、俺は返す。椿さんといい雪坂先輩といい、なんか最近、こうやって声をかけられることが増えたなと思う。……それがいいことなのかどうかは、分からないが。


「そう警戒しないで欲しいな。私は、雪坂 奈乃葉の友達だ。ちょっとあいつのことで話したいことがあるから、少し付き合ってよ」


 そう言ってその少女は、俺の机の上に缶コーヒーを置く。


「……これ、貰っていいんですか?」


「無論だ。ただで付き合わす訳にもいかないだろう?」


「……どうも」


 「ブラックコーヒーは苦いから要らない」とも言えず、俺は小さく頭を下げて立ち上がる。


 理由は知らないが、雪坂先輩の友達だというなら別に断る理由もない。俺はその少女……ポニーテールさんの後ろに続いて、教室を出る。


 そしてやってきたのは、屋上。もう寒いせいか人影はなく、高いフェンスが周りを囲っている。


「奈乃葉の奴、君に迷惑かけてないか?」


 足を止め、少女は真っ直ぐに俺を見る。俺は遠くの景色から視線を戻し、答える。


「いや、迷惑なんて思ってないですよ。ちょっと絵のモデルになって欲しいって、頼まれただけですから」


「そうか。それならいいんだけどね。ただあいつ……昔からちょっと、変なところがあってさ。サイコパス? ……っていうのとも違うんだけど、目的の為なら手段を選ばないんだよね」


「それって、いいことじゃないんですか?」


「いいことだけど、いいことばかりじゃないのさ」


 そう言ってポニーテールさんは、視線をフェンスの向こうに向ける。今日は晴れているが、風が冷たい。もうすぐ冬だな、なんてどうでもいいことが頭を過ぎる。


「正直、貴女の言ってることはよく分かりませんが、俺は別に困ってないですよ。嫌だったら普通に断りますし」


「なら、私の心配性だな。あいつ、昔っから男っ気なかったのに、急に後輩の男の子に入れ込んでるって聞いて不安になったんだよ。また無茶してるんじゃないかって」


「……もしかして、過去に何かあったんですか?」


「…………」


 俺の問いに、ポニーテールの少女は小さく苦笑し、息を吐く。


「あいつ、昔から目立つからさ、そのぶん恨まれることも多いんだよ。そしてあいつは、それを楽しんでいるような節がある」


「恨みを楽しむ、ですか?」


「そ。あいつにとっては、ゲームみたいなもんなのかな。人の心も勉強も将来も、ゲームのイベントみたいなもんなのさ。だから私は……こうして、余計なことをしちまうんだ」


「……あんまりよく分かりませんけど、まああの人……変わってる人だなとは思いますけどね」


 この前のサイコロの話。俺も人のことは言えないが、あの人もなかなか変わったものの考え方をしている。人には誰にも裏の顔がある。俺だって常に本心で生きてる訳じゃない。できる限り、嫌な面は他人には見せないようにしているつもりだ。


 俺は別に、自分の嫌な面まで愛して欲しいとは思わない。


「…………」


 でもこの前、美春に怒鳴って、助けるつもりのないあいつに手を差し伸べてしまった。……思った通りに生きられるなら、誰も苦労はしていない。


「ま、私の思い過ごしなら構わないさ。あいつもいい加減、彼氏でも作った方が大人しくなっていい」


「いやだから、別に彼氏とかじゃないですよ。俺はただ、絵のモデルを頼まれただけですから」


「あいつはなんとも思ってない奴に、絵のモデルなんて頼まないよ」


「……ですかね?」


「一度、あいつの絵のモデルになった私が言うんだから、間違いない」


 少女は笑う。なんというか、カラッとしたかっこいい笑みだ。


「……でもそういえば最近、絵のモデルを頼んだ後にその相手を殺して、それで絵が完成するなんてことを言う殺人鬼の映画を観たな」


 そして少女は、からかうような顔でこっちを見る。


「怖いこと言わないでくださいよ……」


「ハハッ、冗談冗談。……ま、私の気にし過ぎならそれでいいさ。時間をとらせて悪かったね」


 ポニーテールの少女は軽い感じにそう言って、そのまま俺の肩に手を置いて立ち去る。そういえば名前を聞きそびれたなと思ったが、まあ別にいいだろう。


「……でも、どっかで見たことある気がするんだよな」


 少し頭を悩ませるが、結局思い出せない。俺は諦めて、教室に戻る。そして、放課後。


「行くか」


 俺は荷物を持って立ち上がる。行き先は無論、雪坂先輩の待つ美術部の部室。美春の呼び出しになんて、応じるつもりはない。


 俺はそのまま振り返ることなく、教室を出た。



 ◇



「…………」


 静かな放課後の少し肌寒い空き教室。美春は胸の下で腕を組んで、秋穂が来るのを待ち続けていた。


「……来ないのかな」


 美春も、どこかでそんな気がしていた。しかしそれても、他のやり方なんて知らない。人目のある教室で話せるようなことではないし、また前みたいに待ち伏せして無理やり話すというのも違うだろう。


 だから美春はただひたすら、目の前のドアが開くのを待ち続ける。


「……!」


 そして、空が茜色に変わり出した頃。教室の扉が開く。やって来たのは……。


「……何しに来たのよ?」


 と、美春は言う。その問いかけを受けて、やって来た少女──椿 冬流は真正面から彼女を見つめ、答えた。


「貴女と、話したいことがあるの」


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