第16話 後悔



「やっぱり、じっと見られるのは落ち着きませんか?」


 いつも通りの静かな美術部の部室。木製の簡素な椅子に腰掛けた雪坂先輩は、静かな笑みを浮かべてこちらを見る。


「……正直、見られるのは苦手なんですよ。というか、俺なんて見ても楽しくないでしょ?」


 1週間経っても慣れない自分に呆れながら、俺はそう言葉を返す。


「楽しい、楽しくないの話ではないんですけどね。私としては秋穂くんはもう少し、自分に自信を持った方がいいと思いますよ? 貴方はちゃんと、魅力のある人なんですから」


「そう言われても、苦手なものは苦手なんですよ。先輩だって、不躾にジロジロと見られるのは嫌でしょう?」


「それは、相手によります。……秋穂くんが気になるなら、少しくらい変なところを見ても、私は別に気にしませんよ?」


 先輩はまるで見せるつけるように、スカートをゆっくりと捲り上げる。柔らかそうな太ももに、つい視線を向けてしまう。


「……からかうのは辞めてください」


「ふふっ。このくらいで顔を赤くして、貴方は可愛い人ですね」


 雪坂先輩はスカートから手を離し、おかしそうに笑う。


「…………」


 そしてどこか艶っぽい目で、俺の顔を真っ直ぐに見つめる。


「秋穂くんは、黄金比って知ってますか?」


「……デザインとかが、綺麗に見える比率とかでしたっけ?」


 唐突な問いに薄い知識で答える。雪坂先輩は、綺麗な黒髪を耳にかけて言う。


「黄金比とは、人が本能的に美しいと感じる比率。紀元前から用いられている、美しさの1つの基準。人は本能で、美しさを感じ取る。比率とはその後付けで、私たちには産まれた時から美しさを感じ取る本能が備わっている。だからその価値基準は、何千年と変わらない1つの真理としてこの世界に残っている」


「……前に椿さんが、同じようなこと言ってましたよ。感情が先にきて、理論はその後付け。だから恋は全部、一目惚れだって」


「でしたらあの人は、私と同じような感性をしているのでしょう」


 雪坂先輩は白くて長い指で、自身の唇を撫でる。……その仕草が色っぽくて、俺は思わず視線を逸らす。


「私は秋穂くんが、人間としての1つの黄金比だと思ってるんです」


「……いや、なんですか? その大袈裟な言葉は……」


 褒めてもらえるのは嬉しいが、それは流石に言い過ぎだろうと、俺は眉をひそめる。


「別に、大袈裟ではないですよ? 愛される才能とでも言うんですかね。……いるでしょう? 大してゲームも上手くなくて話も面白くないのに、人気のある配信者って。そういう人は、愛される才能があるんですよ。努力では手に入らない、人を惹きつける天性の才能が」


「言ってることは分かりますけど、俺にそんな才能はないですよ」


「本当に?」


「いや、別に嘘なんて──」


「本当に、心当たりがないんですか?」


「…………」


 俺は思わず、口を閉じてしまう。自分が黄金比だなんて言えるほどの自信は俺にはないが、昔から大した理由もなく変な奴に好意を向けられるのは事実だ。


「私も本当は、こんなに長い間、付き合わせるつもりはなかったんですよ。1週間以上も毎日、放課後に付き合わせたら迷惑でしょう?」


「俺は別に、そんな風には思いませんけど……」


「でも、いつまでもこんな風に見つめているだけでは意味がない。早く手を動かさなければといつも思うのですが、どうしても……貴方から目を逸らせない」


「それが俺の……才能ってことですか?」


「そうです。貴方が持って生まれた黄金比。言うなれば……ラブコメの主人公体質ですかね?」


 雪坂先輩は笑う。俺は笑えない。平凡に見えて、何故かモテるラブコメの主人公。人に愛される才能。そういうのを見て羨ましいと思ったことがない訳じゃないが、俺のはそんなにいいものじゃない。


「でもそれを言うなら、俺より雪坂先輩の方がモテるでしょう? 学年が違ううちのクラスでも、美人だって噂になってるんですから」


「私は……私のはまた、違うものですよ。ただ、目立つだけ。どこに居ても場の中心になる。いい意味でも悪い意味でも、皆んなが無意識に私の顔色を窺う」


「その言い方だと、あまりいいものには聞こえませんね」


「実際、いいものじゃないんですよ。気を遣われると、どうしてもこちらも気を遣ってしまいますから、人前だと気を緩められないんですよ、私。……下手なことを言うと、すぐに勘違いされてしまいますし」


「……今日の昼休み、ポニーテールの先輩からなんか揉めたことがあるみたいなことを聞きましたけど……。やっぱり、大変なんですね」


「ああ、あの子……また余計な気を回してるんですね」


 雪坂先輩は珍しく、少しだけ不機嫌そうに息を吐く。


「あの子の言うことは、あまり真に受けなくてもいいですよ? 悪い子ではないんですけど、少し……心配性が過ぎるので」


「そうなんですか? ……まあ、雪坂先輩が俺のこと好きみたいに言ってたんで、大袈裟なことを言うなとは思ってたんですけど」


「…………」


 雪坂先輩は言葉を返さず、小さく笑う。……なんかちょっと、怖い。


「……そういえば、ちょっと先輩に聞きたいことがあったんですけど……」


 なんか妙な雰囲気になりそうだったので、俺はやや強引に話を逸らす。


「なんですか? なんでも答えるので、聞いてください。ちなみにスリーサイズは──」


「聞いてません。じゃなくて……この前先輩、美春のお見舞いに行ったんですよね? その時、何を話したのか差し障りなければ教えて頂けませんか?」


「ああ、そのことですか」


 雪坂先輩は過去を思い出すように、窓の外に視線を向ける。……そういえば、今日は椿さんは来ないのだろうか? と今頃になって思う。


 いつもなら俺と一緒か少し遅れて部室に来るのに、今日は一向に来る気配がない。もしかして、何かあったのだろうか?


 なんてことを考えていると、こちらに視線を戻した雪坂先輩が口を開く。


「残念ながら、あの子は何も話してくれませんでした。態度から考えて、過去に何かあったのは確かなんでしょうけど……。元気なった今、私の話を聞いてくれるとは思えませんし。結局、詳しいことは何も分かりませんでした」


「……そうですか」


 だったら、あの夜の美春の変な態度は雪坂先輩とは関係がなかったのだろう。……どうせ、またいつもの美春の気まぐれだ。


「でも、先輩。先輩はどうして、そこまで美春を気にかけるんですか? 中学の頃のバレー部の後輩って言っても、今はもう関係ないでしょう?」


 俺の今さらの問いに、雪坂先輩は想像していたよりずっと真面目な顔で言葉を返す。


「気になると言うより、怖いんですよ、私は」


「怖い……ですか?」


「そうです。……あ、言っておきますけど、『美春さんが』ではなくて、『分からないことが』怖いんです」


 雪坂先輩は真面目な表情のまま、言葉を続ける。


「私がやってることはありがた迷惑……ただのお節介だと、分かってはいるんです。でもあの子、分からないまま放置すると、とんでもないことをしてしまいそうでしょう? だから怖いんですよ、私は」


「それは、まあ……否定はできないですけど……」


 あのままストレスを溜め込んだ美春が、どうなるのか。それは俺には関係のないことだが、このまま関係ないままでいられる保証はどこにもない。


 ……確かにそれは、少し怖い。


「だから私は、私にできることをやってるだけなんです。あの時もっと必死に動いていれば……なんて、後で後悔したくはないですからね」


「…………」


 それは、なんだか刺さる言葉だった。俺は思わず、黙ってしまう。


 俺は本当にこのままでいいのだろうか? このまま何も聞かないで。後になって爆弾が爆発して。それで後悔するようなことには、ならないだろうか?


 今さら美春が何を言っても、復縁なんて絶対にしない。でもだからって、何も知らないままで本当にいいのか?


「……すみません、雪坂先輩。今日はもう帰ってもいいですか? ちょっと……用事を思い出したので」


 俺のその言葉を聞いて、雪坂先輩はやはり……笑う。


「構いませんよ。……どうか、後悔のないように」


 そして俺は、部室を出て美春が待つ空き教室へと向かう。


「これで終わりだ。聞くべきことを聞いて。話すべきことを話して。言うべきことを言って。それで全部、終わりにしよう」


 そう覚悟を決めて、早足で廊下を歩く。……けれどその途中、声が聴こえた。


「貴女に……貴女に! そんなこと言われたくない……!」


 響いた声は、聞き覚えのある声だった。どう考えても、知っている女の子の声だ。そしてその声は最悪なことに、美春が言っていた空き教室から聴こえてきた。


「あー、くそっ!」


 俺は吐き捨てるようにそう呟き、走って近くの空き教室へと向かった。


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