第9話 甘え
「いやー、なんかほんとに弱ってるって感じだね、お姫」
買い物を終え秋穂と別れた後。美春の部屋に上がった咲奈はソファにだらしなく座りながら、いつも通りの適当な笑みを浮かべる。
「……当然でしょ。熱出てるんだから」
美春は疲れた顔でベッドに腰掛け、そう言葉を返す。
「でもなんかお姫って、無敵! みたいなイメージあったから、風邪ひくのはちょっと意外」
「あんたは人を、なんだと思ってるのよ」
「傍若無人なお姫様?」
ヘラヘラと楽しそうに笑う咲奈。美春は大きく息を吐く。
「ま、今日はいいわ。……あたしが頼んだの、ちゃんと買って来てくれたみたいだし。お金は、そこ置いてあるから」
「サンキュー……ってか、ちょっと多くない? 私が使った倍以上あると思うんですけど」
「それくらい、いいわよ。細かく数えるの面倒だし」
「うぇー、お金持ちー。……家見た時も思ったけど、お姫ってほんとにお姫なんだね。お金持ちーって、感じ」
美春と咲奈は、高校に入ってからの友達だ。だから咲奈は、美春のその金銭感覚に少し驚く。確かによくブランドものを身につけているし、遊びに行った時も金遣いが荒かったが、ここまでだとは思ってなかった。
「密かにパパ活でもやってんのかと思ってたけど、素でお姫様だったのかー。なんか納得」
「パパ活ってあれ、貧乏人のやることでしょ? やらないわよ、そんな馬鹿らしいこと」
「うわっ、やっぱりお姫様だ」
咲奈は笑い。美春は笑わない。美春はそのまま気だるそうに立ち上がり、咲奈が無造作にテーブルの上に置いたスーパー袋の中身を確認する。
「あ、みかんの缶詰。頼むの忘れたと思ってたけど、買って来てくれたんだ。あんたにしては、気が利くじゃない。ちょうど食べたいと思ってたのよ」
「あー、それは私じゃない。それ買おうって言ったのは、秋穂くん」
「……どうしてここで、あいつの名前が出てくるのよ?」
美春の目の色が変わる。それでも咲奈は気にした様子もなく、続ける。
「いやさ、私今までお姫の家って行ったことなかったじゃん? でも、いちいちスマホで探しながら歩くのもめんどくさいし、秋穂くんに案内を頼んだんだよ」
「…………へぇ。あいつが、ね」
「そ。それで秋穂くん、これお姫が好きだったーって教えてくれたの。やっぱ、幼馴染は違うねー」
美春はみかんの缶詰を手に取り、テーブルの上に置く。
「それであいつは、もう帰ったの?」
「うん。死んでもお姫には会いたくないって感じ? ……お姫が秋穂くんのこと、どう思ってんのかは知らないけどさ、ありゃもう修復不可能だよ。少なくとも私には、そう見えた」
「……でもあいつは、あんたの買い物に付き合って……あたしがみかんの缶詰好きだって、覚えててくれた」
美春はみかんの缶詰を開けようとするが、熱で力が入らないのか、上手く開けることができない。
「それは、あれだよ。秋穂くんはさ、人っていうよりその周り? を見てる感じ。お姫や私の為じゃなくて、余計な問題を起こさないよう気をつけてる。臆病……なのかな? 分かんないけど、少なくとも秋穂くんはもうお姫とは関わりたくないって、感じだったよ」
「それはあんたに、そう見えただけでしょ?」
「そうだけど……ちょい、貸してみ?」
そこで咲奈は美春からみかんの缶詰を受け取り、それを簡単に開ける。
「……ありがと」
「いいよ。って、あ。店員さん、フォーク2個入れてくれてるじゃん。1個いただきー」
咲奈はそのままフォークで刺したみかんを、自分の口に運ぶ。
「あんた、それあたしの為に買ってきたんでしょ?」
「しらないー」
と、咲奈は笑う。美春は小さく息を吐いて、みかんを口に運ぶ。
「……ふふっ」
そして美春は、笑う。みかんが美味しいというよりは、好きな相手が自分の好きなものを覚えててくれて嬉しいというような、幸せそうな笑み。……きっと彼女には、自分がそんな笑みを浮かべているという自覚はないのだろうけど。
「…………」
そんな美春の様子を見て何を思ったのか、咲奈は少しだけ真面目な声で言う。
「……お姫さ、秋穂くんに謝っちゃえば?」
「どうしてあたしが、あいつに謝らないと駄目なのよ」
美春は目を細め、目の前の咲奈を睨む。
「いや、2人に何があったのかは知らないけどさ、今ならギリギリ引き返せるかもよ? そりゃ、前みたいな関係はもう無理だろうけど、友達からやり直すくらいはできるんじゃない?」
「……あいつがあたしに謝ることはあっても、あたしがあいつに謝るなんて……そんなことしない」
「どうして? お姫、秋穂くんのこと好きなんでしょ?」
「違う! あいつがあたしのこと好きなの!」
「じゃあお姫は、秋穂くんのことどう思ってんの?」
「それは……」
そこで口を閉じてしまう美春。彼女がここまで意固地になる理由。それは咲奈も気になるところではあるが、訊いても答えてくれないのは目に見えている。
咲奈は立ち上がり、フォークをテーブルに置く。
「じゃ、長居してもあれだし、私はもう帰るよ」
「……そ。ま、今日は助かったわ。今度なにか奢る」
「どうしてその優しさを……いや、いいや。その様子だと明日も学校は無理そうだし、またなんかあったら連絡して」
「分かった」
「じゃねー。お姫が休んでる間に、秋穂くんの相手は私がしておくから。お姫はゆっくりと、1人で寝てるといいよ」
なんて言葉を残して、咲奈は立ち去る。美春は怒りとも疲れとも言えない脱力感に、またベッドに寝転がる。
「……しんど」
熱はまだまだ下がらない。身体も重い。それになんだか、妙な寂しさを感じる。……正直、うるさくてもいいから、もう少し咲奈に話し相手になって欲しかった。
「…………」
スマホを手に取り、メッセージを送ろうとするが止める。美春はモテるし友達も多いが、弱っているところを見せられるほど信用している人間は少ない。
それこそ家族を除けば、さっき帰った咲奈と秋穂くらいだろう。
「……いいわ。どうせ、寝てれば治る」
そのまま目を瞑るが、なかなか眠ることができない。途中、何度か水分補給をしたり、咲奈が買ってきたインスタントのお粥を食べたりしたが、熱は下がらないし、眠ることもできない。
「……!」
そこでふと、スマホにメッセージ。慌てて中身を確認するが、発信先は両親。『今日は帰れない』と、それだけの内容。……期待していた人物からのメッセージではない。
「……分かったわよ」
美春は諦めて、『この前はごめんなさい』と秋穂にメッセージを送る。しかしいくら待っても、既読はつかない。
「ああ、そういやあいつ……」
ブロックされていたことを思い出し、美春は忌々しげに舌打ちをする。
「……苛々する」
もう諦めて目を瞑る。疲れのせいか、ようやく少しだけ眠ることができた。……しかし見た夢は、今1番思い出したくない記憶。
泣いている少年と、それを助けている女の子。
胸の痛みで、すぐに目が覚めてしまう。
「……なんなのよ」
美春はもう自分の感情を抑えることができず、秋穂に電話をかける。既に時刻は深夜の1時過ぎだが、今の彼女にそんなことを気にしている余裕はない。
繋がらなくても、何度も何度もかけ続ける。するとふと、電話が繋がる。美春は言った。
「会いたい」
秋穂はそれに、怒りを噛み殺したような声で、こう答えた。
「──今さら、甘えるな」
電話はそれで切れてしまう。美春はそれ以上なにも言うことができず、力なく目元を腕で覆った。
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