第8話 会いたい



「……休み、か」


 雪坂先輩の絵のモデルになるという話をした翌日。美春は学校を休んでいた。あいつは気分屋で、体調が悪くなくても面倒だからと、偶に学校をサボる癖がある。


 そしてそういう時は決まって、『あれが欲しい』『これがいる』と、俺のところにメッセージがきた。


「ま、もう関係ないけどな」


 なんにせよ、別れた俺には関係のない話だ。そもそも美春のアカウントはブロックしたから、あいつからメッセージがくることはもうない。


 そう、思っていたのに……。


「秋穂くーん。今日の放課後、暇? 暇だよね? なら私とちょっと、デートしよっか?」


 そう声をかけてきたのは、美春の友達である藤林 咲奈さん。彼女は相変わらず適当な笑みを浮かべて、気やすげに俺の肩に手を置く。


「……悪いけど、放課後は先約があるから」


「先約? もしかして、昨日の雪坂先輩? それとも、転校生の方?」


「……さあね」


 この子はあまり得意ではない。だから早々に話を切り上げようと愛想のない返事をするが、藤林さんは特に気にした風もなく続ける。


「実はさっき、美春からメッセージがきてね。なんでも、今日の休みはいつものサボりじゃなくて、本当に熱が出てダウンしてるらしいんだよ」


「……へぇ」


「でも運悪く今日は、パパもママも仕事が忙しくて早く帰るのは難しい。だから私に、いろいろ買ってきて欲しいーって頼まれたんだよ」


「それをどうして、俺に話すの? 前にも言ったけど、俺と美春はもう──」


「分かってる分かってる。それはもう、分かってるから!」


 何がそんなに面白いのか。藤林さんは、喉をくつくつと震わせるように笑って、言葉を続ける。


「実は私、美春の家って行ったことないんだよね。だから場所とか、ちょっとよく分からなくてさ。だからできれば、秋穂くんに美春の家の場所を教えて欲しいなーって思って、こうして声をかけたんだよ」


「…………」


 言いたいことは、分かった。藤林さんが友人として、美春のお見舞いに行きたいと言うのなら、それを止める理由が俺にはない。


 ただ……。


「あ、一応言っておくけど、秋穂くんにお金出してーとか、家の中までついてきてーとか、そんなことは言わないよ? ただできれば、ちょっと買い物に付き合ってもらって、そのまま美春の家まで案内してもらえないかなーって、そういうお願い」


「……家の場所くらい、口頭で伝えるけど? 地図のアプリとか使えば、正確な位置も分かるだろうし」


「それはそうだけどさ。今日、雨降ってんじゃん? 荷物持って、傘持って、スマホ操作しながら知らない家を探すって、しんどいじゃん」


「それはまあ、そうかもしれないけど……」


 でも、俺はもう……あいつと関わるつもりはない。たとえ風邪で弱ってるんだとしても、そんなことはもう関係のないことだ。人の優しさにつけ込み続けたあいつに向ける優しさは、もうない。


「……っ」


 そう思った直後、また嫌なことを思い出す。


 ……嫌な、もう思い出したくない記憶。俺が1人で泣いていた時に、迎えに来てくれた美春。それはもう、ただの記憶でしかない。大切な思い出では、なくなってしまった。


 でも思えば俺は、美春にパシられることはあっても、あいつを助けてあげられたことは、一度もなかったかもしれない。


「……分かった。家の前まで案内するだけなら、いいよ」


「やったっ! 秋穂くんは優しいね。ありがとありがと!」


 気安く抱きつかれる。……藤林さんは、椿さんと同じでフレンドリーな子だ。男子である俺にも気にせず、ボディタッチをしてくる。


 なのにどうして藤林さんの笑顔は、こんなに嘘くさく見えてしまうのだろう?


「ま、どうでもいいか」


 そうしてその日は、いきなりで申し訳ないですけどと、雪坂先輩に断りを入れて、放課後は藤林さんと2人で美春のお見舞いに行くことになった。


「秋穂くん、最近モテモテだよねー」


 学校近くのスーパーの店内。買い物かごにスポーツドリンクを入れながら、藤林さんは言う。


「……別に、モテてるって訳ではないと思うけど」


 適当に店内を見渡しながら、俺はそう言葉を返す。


「でも最近、いろんな女の子に言い寄られてるじゃん? 転校生に雪坂先輩。……あと、私! なんて!」


「それも、言い寄られてるっていうのとは、違うとは思うけどね」


「というと?」


 藤林さんがこっちを見る。俺はそんな彼女から視線を逸らして、言う。


「椿さんには偶々、道を尋ねられただけだし。雪坂先輩には、絵のモデルになって欲しいって頼まれただけ。藤林さんは……俺だけじゃなくて、誰にでも似たようなこと言ってるでしょ?」


「あははは! ひどいなー。私、そんなに尻軽じゃないのにー」


 藤林さんは笑う。俺は、笑わない。


「…………」


 俺は臆病だから、人に好意を向けられると、ついその内側を想像してしまう。口では好きだと言ってくれているけど、本心はそうではないかもしれない、と。


 昨日、雪坂先輩に話した根っこの話。どれだけ根っこが綺麗でも、花を見る時に掘り起こしてまで根っこを見る奴はいないと、俺は言った。


 でも、どれだけ綺麗な花が咲いていても、根っこには毒があるかもしれない。触れてから、好きになってからそれに気づいても、もう遅い。毒は気づかないうちに、身体の奥まで冒している。


 いい意味でも悪い意味でも、花を見ただけじゃ根っこの形なんて分からない。


「さーてと、こんなもんでいいかなー」


 俺がくだらないことを考えている間に、必要なものを買い物かごに入れた藤林さんが、軽く頷く。俺はふと、気がついた。


「みかんの缶詰はいいの?」


「え? みかん? なんで?」


「いや、あいつ──」


 好きだったから、と言おうとして口を閉じる。それは余計な言葉だ。俺が言うべきことじゃない。


「……ふーん。ま、いいや。じゃあ最後にみかんの缶詰買って、美春の家に行こうか!」


 そうして俺たちはスーパーを出て、歩き出す。昨日の夕方から降り続けている雨は、まだ止まない。激しく降るわけではないが、いつまで経っても止まない憂鬱な雨。


「さっさと、終わらせよう」


 俺は傘をさし、藤林さんから荷物を受け取って、歩き出す。


「あ、荷物、持ってくれるんだね。やさしーい」


「……家の前までだけね。家には絶対、入らないから」


「そんなに言わなくても、分かってるって。別れた彼女の家って、世界で1番気まずい場所だもんね?」


「…………」


 気まずいとか、そういう問題ではない。俺が行けば、美春はまた絶対に妙な勘違いをする。『なんだかんだ言って、結局はあたしのことが好きなんでしょ?』とか、そんなことを言うのが目に見えている。


 もう、あいつに関わるのは御免だ。


「でも、俺が言うのも何だけど、藤林さんもよくあいつの友達やってられるよね?」


 俺の唐突な疑問に、藤林さんは赤い可愛い傘をふらふらと揺らしながら、答える。


「まあ、気分屋なのは私もおんなじだからねー。ってか、いい子ちゃんと友達になってもつまんないじゃん? お互い気遣って、お互い優しくしてーとか、めんどくせぇ」


「その気持ちは、分からなくはないけど……」


「私は美春の前では自由に振る舞えるし、美春も私の前では自由にする。だから私たちは、友達なんだよ。良い悪いは関係なーい」


 雨の向こうで、傘をさした藤林さんが笑う。なんだか初めて、彼女の本当の笑顔を見たような気がした。……それもまた、気がしただけなのだろうけど。


 ポツポツと、雨が傘を濡らす。


「っと、ここ。ここが美春の家」


 俺はこの辺りで1番大きい一軒家の前で、足を止める。


「うわっ、デカい家。あいつ、実はお嬢様だったりしたの?」


「お母さんが元女優で、お父さんが……映画監督とかだったかな? どっちもそんなに、有名じゃないらしいけど」


「ふーん。ま、いいや。じゃ、今日はありがとね? バイバーイ」


 藤林さんに荷物を渡して、別れる。俺は決して、振り返ることはしなかった。


「……ない、か」


 そして一応、今日も郵便受けを確認するが、昨日のあの手紙は入ってなかった。



 ◇



「……ん?」


 静かな雨音が聴こえる深夜。スマホの着信音で目を覚ます。……相手は、美春。SNSの方ではブロックしていたが、電話を着信拒否にするのは忘れていた。


 寝ぼけた頭で、そんなことを考える。


「……止まった」


 着信音が止まる。スマホを確認してみると、もう10回以上も美春からの着信があったようだ。


「なんだ? 何かあったのか?」


 でも、たとえ何があったのだとしても、わざわざ俺を頼る理由がない。風邪をひいて弱ってるんだとしても、そんなことはもう知ったことではない。


 人の弱みにつけ込んでいた人間が、自分が弱った時だけ他人を頼る。そんなものは……甘えだ。この世で最も気持ちの悪い、甘えだ。



 俺は目を瞑る。


 ……また、着信音。



「あー、鬱陶しい!」


 俺は諦めて、電話に出る。美春は、言った。



「会いたい」



 俺は叫びたくなる気持ちを必死に抑えて、近くの枕を思い切り叩いた。


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