第32話 終幕
シンデレラの劇は、正直……退屈だった。
確かに演技は、学生の文化祭とは思えないほど、完成度が高かった。衣装や演出にも力が入っており、シンデレラという誰もが結末を知っている物語を演じているにも関わらず、見入ってしまう瞬間があった。
だから多分、問題があったのは俺の心の方。素直な少女が、魔法の力で素敵な王子様と結ばれる。そんなどこかご都合を感じさせる物語を見て感動できるような心の余裕が、今の俺にはなかった。
「……なにやってんだか」
或いは、隣に誰かが座ってくれていたなら、何か違ったのかもしれない。誰かが隣で面白かったね、と言ってくれるだけで変わってしまうような心が、俺にもあったのかもしれない。
でも今の俺の隣には、誰もいない。それは他ならぬ俺が望んだことで、今さら文句なんて言えない。
くだらないことを考えていると、あっという間に劇は終わった。継母が焼けた鉄の靴をはかされ死ぬまで踊らされる。そんな結末にはならなかった。王子様とシンデレラが結ばれて、ハッピーエンド。体育館は拍手で包まれ、俺も周りを真似るように手を叩いた。
「帰るか」
文化祭は、まだ続く。でも俺がいるべき場所は、ここではない。
「…………」
一瞬、美春にメッセージでも送ろうかと思ったが、辞めておく。自分からブロックしておいて、用事があるときだけ解除するなんて、フェアじゃない。
俺は立ち上がり、歩き出す。……きっと美春はやって来る。そんな予感があった。だから俺は1人学校を出て、茜色に染まった街を歩く。
燃えるような夕焼け。目が痛い。もうすぐ、全てが終わる。終わった後、どうするのかなんて考えていない。美春との関係にケリをつけて、新しい好きな人を見つける。それが当初の目標。
愛の証明なんて知らない。正しいとか間違ってるとか、そんなことはどうでもいい。ただ楽しくて、ただ幸せで、なにも考えなくてもいいような恋をしたい。
そんなことを考えていたが、全てが終わって1人になったあと、自分が証明できなかった価値観に縋るような真似が、俺にできるのかどうか。
「……どうでもいい」
そうだ。そんなことはどうでもいい。今考えるべきことは、もっと目先のこと。終わった後のことなんて、それこそ終わった後にでも考えればいい。
「美春の奴、来るかな……」
気づくと辺りは夜の闇に飲まれている。あの眩しかった夕焼けは空に溶け、冷たい月光が街を照らす。腐った孤独が浮き彫りになる。
「……さむ」
久しぶりにやってきた公園を軽く見渡してから、昔と同じように小さなベンチに腰掛ける。
「この公園、こんなに狭かったっけ」
滑り台に砂場。それに鉄棒とブランコ。あとあるのは自販機くらい。この公園が小さく感じるくらい、俺は大きくなった。
「中身は変わってないけどな」
ふと吹いた風が冷たくて、コートのポケットに手を入れる。……暇だ。スマホで何かSNSでも見ようかと思ったが、そんな気分でもない。スマホを握った手から力を抜き、意味もなく空を見上げる。
昔は夜の街を歩くだけで、特別な気分になれた。
なのに今は、なにも感じない。大人に近づく度に、夢から覚めていく。このまま歳をとって死ぬ頃には、夢はすっかりなくなって、現実もろとも消えてなくなってしまうのだろうか?
「大人になんて、なりたくないな……」
星空へと手を伸ばす。見えるのは、暗い空と自分自身の白い手。我ながら日焼けしてない、病的なまでに白い手だ。そういうところは、昔と何も変わっていない。
「相変わらず、冷めた目してるわね」
声の方に視線を向ける。見えたのは、月光に濡れた漆黒の髪。こちらを見る射抜くような瞳はその実、壊れてしまいそうな弱い心を隠すためのもの。
俺は、伸ばした手をポケットに戻し、言った。
「今さらお前と、余計なことを話すつもりはない。俺が言いたいこと……もう分かってるんだろ?」
「……知らない。男って皆んなそうなの? 言わなくても分かるだろ? とか格好つけて、大事なことを口にしない。言っとくけど、そんなのかっこよくもなんともないからね?」
その少女──佐倉 美春は、相変わらず傲慢なお姫様のような顔でこちらを見る。
俺はあくまで淡々と、言葉を返す。
「それを言うなら、訊いてもないことベラベラ話す女も、男は皆んな面倒だと思ってるよ」
「それはあんたが狭量なだけ」
「お互い様だろ?」
視線を交わすことなく、言葉を交わす。前のように敵意をぶつけ合うことはない。どうしてか今は、昔のように軽口を言い合える。それはきっと……。
「もっとそっち詰めてよ、そこ座るから」
「はいはい」
「寒いからあったかいコーヒー飲みたい」
「自分で買えよ」
「もう買ってあるけどね。言っとくけど、あんたの分はないわよ?」
「いらねーよ」
美春が俺の隣に座る。肩と肩が触れ合う。俺は大きく息を吐いた。
「お前が何を考えて、何をしようとしてたのか。なんとなく分かったよ」
「…………」
美春はなにも答えない。手を温めるように缶コーヒーを握りしめたまま、ぼーっと夜空を見上げ続ける。
美春にいつものような攻撃性を感じない。ふと見えた横顔は、何かを諦めたような、そんな表情だった。
「あたしさっき、雪坂先輩の絵、見てきた」
「どう思った?」
「いい絵だった。気持ち悪いくらい、いい絵だった」
「だよな。俺も絵なんて興味なかったけど、ちょっと魅入っちゃったよ。綺麗なだけが、いい絵じゃないんだな」
「……かもね」
美春はそこで缶コーヒーに口をつける。吐いた息が白くなる。
「なぁ、美春。俺は──」
「あ、これ美味しい。あんたも一口、飲んでみる?」
「……いらねーよ」
「いいからほら、飲んでみなさいよ。美味しいから」
無理やり缶コーヒーを押しつけられる。一瞬、迷ったけれど、そのままコーヒーに口をつける。
「……甘っ。好みじゃないな」
「そういう時は、嘘でも美味しいって言いなさいよ。じゃないとモテないわよ?」
「別にモテなくてもいいよ。そもそも、他人に機嫌をとってもらいたがる女は好みじゃない」
「あんた、変わってないわね。自分は1人で生きられるって顔して、馬鹿みたい。この厨二病」
「なんでもいいよ。他人にどう思われるかより、自分がどう思うかだよ、大切なのは」
「そんな綺麗事で生きられないから、皆んな他人の視線を気にしてるんでしょ?」
「……どうかな」
誤魔化すような言葉。つまらないごっこ遊びをしているような感覚。話したいのは、こんなことじゃない。話さなければならないのは、こんなことではない筈だ。
……もしかして俺は、惜しんでいるのか? この女との関係の全てが、今ここで終わってしまうことを。
今さらこの女に、未練なんてない。……ただ、何もかもがなくなってしまうほどの時間は、まだ流れていない。好きだったのは嘘じゃない。裏切られたのも嘘じゃない。
胸に残ったのは、小さな残骸。それが喉に詰まる。
「……馬鹿馬鹿しいな」
胸に残った痛みを吐き出すように息を吐き、立ち上がる。そしてそのまま、真っ直ぐに美春を見つめて──。
「──ねぇ、今からデートしよっか?」
しかし、俺が言葉を告げる前に、出鼻を挫くようにそんな言葉が響いた。美春は立ち上がり、こちらに向かって手を差し出す。
「なんなんだよ、お前は……」
やはり俺には、この女の考えが全く理解できない。
「…………」
少し前なら、或いはそんなことを思ったのかもしれない。でも今は、美春の言葉の裏にある想いが見える。だから俺は欠けた月を見上げながら、小さな声で言葉を返す。
「いいよ。行こうか」
そうして、最後のデートが始まった。
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