第36話 バッドエンド



「なんだよ、バッドエンドか。うちさ、バッドエンドの物語って嫌いなんだよね。メンタル弱いから、どうしても引きずっちゃうんだよ」


 大方の問題が片付いたあと、一連の出来事を腐れ縁の幼馴染である菖蒲に話してやった。けれど菖蒲は、つまらない映画でも観た後のように、どうでもよさそうに息を吐いた。


「お前が聞きたいって言い出したから話してやったのに、適当に総括するなよ。こっちは、いろいろあったんだからさ」


 俺は菖蒲の部屋を掃除しながら、非難するように目を細める。


「でも秋穂、お前結局、終わらせただけでしょ? 雪坂とかいう先輩の好奇心を。冬流ちゃんの好意を。そして、美春ちゃんとの長年の因縁を。全部、終わらせる為だけに足掻いて、最後は1人になった」


「人をぼっちみたいに言うな」


「実際そうでしょ? あれからもう3ヶ月近く経ったけど、秋穂って好きな人を見つけるどころか、どんどん孤独になっていく一方じゃん」


「…………」


 試すような菖蒲の視線。俺は近くにあったデカいクマのぬいぐるみを菖蒲の方に投げつけ、視線を窓の外に逃す。



 気がつけば、冬が明けて春になった。



 降り注ぐ日差しは暖かく、窓の外の景色もいくぶんか華やかになったように見える。しかし、俺の生活は特に何も変わっていない……どころか寧ろ、前よりずっと寒々しいものになっていた。


 両親とは浮気のことやこれまでのことで本気で揉めて、今はもうろくに会話もしていない。彼らの自分を守る為だけの愛情は、少し押せば簡単に砕けた。それで何が解決した訳でもないが、余計な荷物は下ろせたように思う。


 学校でも特に何がある訳でもなく、美春は無論、椿さんや藤林さんとも話さなくなり、雪坂先輩のいる美術室にも顔を出さなくなった。1日、誰とも話さないなんてことも珍しくない。ただ、学校と家を往復するだけの日々。


 新しい好きな人どころか、友達すら作らず、pcとスマホを使ってライターやら動画編集で金を稼ぐ。作業にもこなれてきて、まあまあな額を稼げるようになってきた。あとは空いた時間を勉強に回し、前よりずっと成績が上がった。


 楽しいことなんてなくて、幸せに思うこともない。その代わり、嫌なことも不幸なことも嫌いな人もいない。そんな生活。


 充実なんてしていない。花が枯れないよう、ただ水をやり続けるだけの日々。バッドエンドの先にあったのは、そんな退屈なだけの時間だった。


 ……いや、ハッピーエンドの先もきっと何も変わらない。王子様と結ばれた少女は恋の魔法が解けたあと、目の前の退屈なだけの現実に愕然とするのだろう。だから浮気はなくならない。


 床に落ちていた小説を本棚に戻して、俺は言った。


「今の生活に不満はないよ」


 菖蒲は大きなクマのぬいぐるみを抱きしめながら、言葉を返す。


「不満じゃなくて、不安はないの間違いだろ?」


「同じようなもんだよ」


「そこを同じだって思っちゃうから、お前ダメなんだろうな。1人で生きられるって凄いことだと思うけど、他人と関わる必要がないっていうのは悲しいことだ」


「人間の問題はすべて、部屋の中に1人で静かに座っていられないことに由来する。だから俺はもう、余計なことはしないの」


「なんだっけそれ? ラッセルだっけ?」


「ちげーよ。パスカル」


「ああ、そっちか。秋穂ってその手の本とか、読んだりするんだな。友達も作らないで部屋で1人パスカル読んでるとか、いよいよ極まってきたんじゃね?」


「うるせーよ」


 このままではダメだということは、なんとなく分かる。でも別に、欲しいものもやりたいことも何もない。新しい好きな人を見つけるなんて言っても、何をすればいいのか分からない。


 ……いや、分からなくなってしまった。菖蒲はそんな俺を見て、楽しそうに笑う。


「恋ってさ、落ちるものなんだよ。だから、暗い顔して足元ばっかり見てる奴は、なかなか落ちることができないの」


「知った風な口を聞くなよ。お前だって別に、恋人なんていないんだろ?」


「ウチはいないんじゃなくて、いらないの。ウチのコミュ障具合を舐めるなよ? 会話のキャッチボールどころか、グローブのはめ方すら知らないからな」


「お前、コンビニで唐揚げも注文できないもんな」


「あれはタイミングが難しいんだよ! レジをセルフにするくらいなら、オーダーもタッチパネルでやらせてくれ! レジの前で悩んでる時に、声かけてくるのも辞めて!」


「社会不適合め」


「うっさい、人間失格」


 人間失格の俺と、社会不適合な菖蒲。俺は最低限、やるべきことはやってるつもりではいるが、こいつは気分で学校とかサボったりするから心配だ。……でもきっと多分、菖蒲も俺に同じようなことを思っているのだろう。


 俺は俺で、いつ死ぬか分からないと菖蒲は冗談めかして笑う。


「まあでも、ウチには秋穂がいるからな。最悪、唐揚げは秋穂に買ってきて貰えば問題ない」


「人をパシリに使うなよ」


「パシリじゃなくて、友達。大事だよな、友達って」


「大事じゃなくて、都合がいいの間違いだろ?」


 俺は呆れたように息を吐くが、菖蒲は真面目な顔でこちらを見る。


「ねぇ秋穂、覚えてる? ウチさ、小学生の頃、風邪こじらせて入院したことあったでしょ?」


「……あー、そういや、そんなこともあったかもな」


 菖蒲は昔から身体が弱かったから、何度かそういうことがあった気がする。


「ウチが入院するとさ、いっつもみんな心配してくれるんだよな。お父さんもお母さんも美春ちゃんも、すげー心配するような顔で、ウチのこと見てくる。でも正直、そういうのって気が滅入るんだよ」


「気持ちは、分からないではないな」


「でも秋穂は、いつも笑ってくれたでしょ? どうせ学校サボりたくて仮病してるんだろ? とか、適当なこと言ってさ、笑ってくれた。そういう存在が1人でもいると、心が楽になるんだよ。好意っていうのは、真っ直ぐなだけだとしんどいの」


「……そう言ってくれるのは嬉しいが、多分それは俺が無神経なガキだったってだけだと思うぞ」


「かもな。でもウチは、その無神経さが嬉しかった。だからウチはお前の友達として、お前の頑張りを無神経に笑ってやる。つまんない映画を観た後みたいにな」


 菖蒲は笑う。そんな顔をされると、肩から力が抜けてしまう。


「というわけで、ほらこれ。ウチからのプレゼント」


 ベッドから立ち上がり、氷の上を歩くペンギンみたいによちよちとした足取りで俺の正面までやってきた菖蒲は、1枚のチケットをこちらに手渡す。


「なにこれ? ……美術館のチケット?」


「そ。この前、お母さんが仕事のツテで貰ってきたんだけど、いらないからあげる。ま、部屋を掃除してくれたお礼だな」


「美術館ね。……気が向いたら、行ってみるよ」


「なに言ってんだよ、今から行けばいいじゃん。せっかくいい天気なんだしさ」


「……別にいいけど、お前はどうするんだ?」


「ウチは寝てる。最近、花粉が酷いから外嫌い」


「そうかよ」


 俺は思わず笑ってしまう。いろいろなことがあったけど、それを馬鹿馬鹿しいと笑ってくれる友人がいるなら、悪くはないのかもしれない。結局、俺はまだ部屋に1人で閉じこもっていられるほど、強くは生きられないのだから。


「好きな人、見つかるといいな」


 と、菖蒲は笑った。


「うるせーよ」


 と、俺も笑った。


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