第27話 愛の検証



 愛の検証。


 何をすれば、愛を証明することができるのか。そもそも、他人の気持ちの真偽を確かめる手段なんてない。それが分かれば、俺は初めからあの人たちに裏切られることもなかった。 


 だから俺に確かめられるのは、俺自身の想いの真偽だけ。


 それが本物なのかどうか。本当に価値があるのかどうか。愛の価値を検証し、証明する。自分の心に鏡を置いて、自分で自分を観察する。俺がこれからずっと、何があっても美春を好きであり続けられたなら、愛の価値は証明される。それは本物だと、胸を張れる。


 ……当時の俺は、そんなことを本気で信じていた。なんて、幼い思い違いだったのだろう。どこかで俺は、自分だけは特別なのだと思い込んでいた。



「あー、秋穂! また1人で遊んでるー!」


 そしてその日もまた、美春が俺のことを迎えに来てくれた。いつも夜の公園。ベンチに座り、空を見上げる俺。冬の冷たい風と、どこか澄んだ空気。そんな冬の寒さも、美春が来ると和らいだ。


「……? なに笑ってるの? 秋穂」


 美春は不思議そうに、俺の顔を覗き込む。


「いや、何でもないよ」


 俺はなんだか照れ臭くて、逃げるように視線を逸らす。……いつもなら、美春はそれ以上はなにも追求してこなかった。でもその日の美春は、どうしてか強引に視線を合わせ、言った。


「なんか秋穂、最近ちょっと変だよ? 前にも増して、1人でいることが多くなったし。もしかして……また、お父さんとお母さんと喧嘩してるの?」


「……俺は別に、誰とも喧嘩なんてしてないよ。あの人たちは互いを言い訳にして、自分の理想を押しつけ合ってるだけだから。俺と喧嘩なんてしないよ」


「じゃあ、秋穂は何を悩んでるの?」


「……言っても分かんないよ」


「もー! すぐそうやって誤魔化すー! いいからちゃんと言って! じゃないとチョコ、もうあげないからね!」


 怒った顔で、ぷいっと視線を逸らす美春。なんだか美春の様子も普段とは違うなと思いながら、とりあえず俺は自分の胸の内に目を向ける。


 俺が今、何に悩んでいるのか。俺はただ、自分の想いが本物なのかどうか確かめたい。検証して、愛の価値を証明したい。……なんてことを言っても、きっと理解されないだろう。だから俺は少しの間、頭を悩ませ……言った。


「俺は……俺はただ、どうして美春はいつも俺のこと迎えに来てくれるのか、それが気になっただけだよ」


「な、なに? もしかして、あたしが迎えに来るの……迷惑だったりした?」


「いや、嬉しいよ。いつも俺が好きなチョコくれるし」


「……チョコあげなかったら、嬉しくない?」


「いや、何もくれなくても嬉しいよ。でも……美春は、凄い人気者でしょ? 運動も勉強もできるし、友達だって多い。そんな美春がさ、どうして俺に優しくしてくれるのか。その理由が……気になるなって」


 俺は美春を見る。俺の隣に腰掛けた美春は、どうしてか逃げるように視線を逸らす。……けれど、耳が真っ赤になっているのが見えた。


「別に、大した理由じゃないよ。ただ秋穂、ほっといたら勝手に1人で、どっか遠くに行っちゃいそうなんだもん。だからあたしが……見張ってるの」


「俺が1人でどこかに行ったら、美春は困るの?」


「困るよ! せっかくチョコいっぱい買って貰ったのに、秋穂がどっか行ったら全部、無駄になっちゃうじゃん!」


「そっか。確かに、せっかく買ったチョコが無駄になるのか悲しいもんな」


 それは本心からくる言葉だった。愛がどうとか言っておきながら、俺は他人の好意に鈍感だった。……いや、それはきっと今も変わってない。


「……ねぇ、秋穂。もうちょっと側に行ってもいい?」


「いいけど、なんで?」


「なんでって……今日寒いじゃん。だから……ほら、こうしてくっつくと温かいでしょ?」


 そこで美春が、俺に抱きつく。


「……っ!」


 コート越しに伝わる柔らかな感触。ドキドキして、頭が真っ白になってしまう。こうして触れ合うと、自分が彼女に惚れているのだと自覚する。


「……でも美春、帰らなくていいの? 俺の家は大丈夫だけど、美春の家はあんまり遅くなったらお父さんとお母さんが心配するんじゃないの?」


「……平気だよ。うちのお父さんとお母さんも、最近は帰ってくるの遅いし。いっぱいお小遣いくれるけど、最近はあんまりあたしの話……聞いてくれないんだ」


 美春は寂しそうに視線を下げる。……問題を抱えているのは、俺だけじゃない。美春もまた、いろんな問題を抱えて生きている。その当たり前の事実に、どうしてか胸が痛んだ。


「何か、俺にできることはない?」


 そう尋ねる俺に、美春は視線を上げて答える。


「……じゃあ、あたしが寂しい時、側にいて欲しい」


「そんなのでいいの?」


「いいの! ……嫌?」


 どこか不安そうにこちらを見上げる美春。俺は迷うことなく、言葉を返す。


「約束する。俺はずっと、美春の側にいるよ」


「……馬鹿。そんなこと簡単に言ってさ。秋穂、いつか女の子に刺されちゃうよ?」


「刺される? なんで?」


「この前、ドラマで観たんだ。二股してた男の人が、女の子にグサーってされるの!」


「なんだそれ。大丈夫だよ、俺別にモテないし」


「……そういうところが、心配なんだよー」


 美春はそのまま俺の髪をくしゃくしゃにして、俺も仕返しに美春の髪をくしゃくしゃにした。


「ねぇ、秋穂」


 美春が俺を見る。どこまでも真っ直ぐな瞳。言葉にせずとも伝わる、純粋な好意。


「なに?」


 俺は頬が熱くなるのを感じながら、真っ直ぐに美春を見つめ返す。


「ずっと……あたしの側にいてね? ……約束だよ」


「……うん。約束する」


 美春は俺に小指を差し出し、俺は迷わず指を結んだ。ずっとこんな風に、彼女の側にいられたらいいなと俺は思った。


 けれどそれから、時間が経つにつれ、美春と距離ができるようになった。幼馴染なんてそんなものだ、と言われればそれまでで。何か大きな事件があった訳ではないけれど、徐々に徐々に美春との距離が生まれ、俺が公園に1人でいても美春は迎えに来てくれなくなった。


 俺は何度も美春に声をかけた。でも美春はその全てを適当にあしらい、小学校を卒業する頃には全く話をしなくなってしまった。


 ……ただ、それでも俺の検証は続いた。いや検証なんて言葉は、いつの間にか忘れていた。ただ俺は、呪いのように美春のことを想い続けた。……でもそれは、本当に想っていただけ。美春はもう俺には興味がないのだと、そう理解していた。


 そんな時、俺はストーカー被害に遭うようになった。


 家に毎日のように変なことが書かれた手紙が届くようになり、偶に誰かにあとをつけられるようになった。最初は別に気にしてなかったが、行為は徐々にエスカレートし、そしてついに親にバレた。両親はそれを虐めだと勘違いし、偏った愛情を爆発させて学校に怒鳴り込んだ。


 結果として、俺は更に学校で浮くことになり、ストーカーの行為は益々エスカレートしていった。そして俺は、そのストーカーの少女と出会った。少女は俺に言った。



「あなたをあいしています」



 俺はそれに、こう答えた。



「君、誰?」



 少女はそれで、なにも言わずに立ち去った。それで、ストーカー被害は収まった。それからまた時間が流れて、俺は高校生になった。そしてどうしてか、高校に入学してすぐ疎遠になっていた美春が、俺と付き合ってもいいと言った。


 当時はまだ美春のことが好きだった俺は、それをとても喜んで、迷わず彼女の気持ちを受け入れた。けれど美春は、そんな俺をまるで召使いのように扱って……あの日。美春はどうでもよさそうに『飽きた』と言って、俺を振った。


 それで俺の検証は終わった。そこで俺は、美春を愛することができなくなってしまった。……美春のその理解できない言動が、どうしても俺の好きだった美春と合致しなくなってしまったから。



 結局、俺の想いも父さんと母さんと同じ、紛いものだった。



 ……それが今までの俺の認識。でも俺は1つだけ、どうしても意識しないようにしていたことがあった。無意識に、1つの事実からずっと目を逸らし続けていた。


 俺は雪坂先輩に言った。花を見る時にわざわざ掘り返して根っこまで見る奴はいない、と。それは確かに、間違いではないのだろう。


 けれど世の中には、その根っここそが何より大きな意味を持つ場合もある。どれだけその花を愛していても、根っこの形のせいで報われない想いがこの世界には存在する。



 だから俺の検証は、初めから破綻していた。



 俺の父さんの浮気相手。幼馴染だった少女。見た目だけはいい俺と美春。性格が歪んでいるのにどうしてか好かれる俺たちは、確かによく似ていたのかもしれない。



 ──俺と美春には、血の繋がりがあった。



 俺はずっとその事実から目を逸らし続け、だから美春は俺を拒んだ。……無論、それでもまだ、分からないことはある。俺はもう一度、彼女と話をしなければならない。全てを明らかにし、俺のこの想いと……美春の想い。全てを終わらせる為に。



 だからまだ、検証は終わっていない。


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