第29話 穴が空いた
「なんか楽しそうだったね? 秋穂くん」
そんな言葉とともに姿を現したのは、同じクラスの藤林さん。彼女は場の雰囲気を壊すような楽しげな笑みを浮かべて、ゆっくりとこちらに近づいてくる。
「今日、ずっとあとをつけてたよね?」
警戒心を伝えるように一歩身を引いて、俺は正面から彼女を睨む。藤林さんはわざとらしく大きく目を見開いて、驚いたような顔をする。
「うわっ、気づいてたんだー。秋穂くんってボーッとしてるようで、意外と鋭いよね? 私、惚れ直しちゃいそう! かっこいい!」
「わざとらしい褒め言葉は辞めてくれ」
「酷いなー、結構本気なのにー」
「……ま、俺も、あんなことがなければ、ここまで警戒することはなかったと思うよ」
「あんなことっていうのは……やっぱり、あの事故のことかな?」
「そう。他にないでしょ?」
俺はそこで言葉を区切り、正面から藤林さんを見る。彼女の様子は、いつもと何も変わらない。
嘘くさい張りつけたような笑みに、こちらの内面を見透かすような鋭い目。どうでもよさそうにウェーブがかかった茶髪に指を絡めるその姿は、こちらへの興味が全く感じられない。
俺は冷たい風が止むのを待ってから、口を開く。
「前に藤林さん、言ってたよね? 俺が背中を押されて車に轢かれたって」
「そう? 私、そんなこと言ったっけ?」
「言ったよ。一緒に補習を受けた後、君は確かにそう言った」
「覚えてないなー。でも、それがどうかしたの?」
藤林さんは、試すような顔でこちらを見る。俺は淡々と言葉を続ける。
「その話はさ、警察にしかしてないんだよ。俺を轢いた車のドライブレコーダーにも、映ってなかったみたいだし。俺自身も、マッシュくんと話をするまでは、半信半疑だった。なのにどうして藤林さんが、そのことを知ってたの?」
「…………」
「黙ってないで、答えてくれ。俺が事故に遭ったのは、深夜だ。しかも別に遊ぶところもない人通りの少ない住宅街。藤林さんの家からも距離がある。君はどうして、あんな時間にあんな場所をうろついてたの?」
「…………」
いつもの笑みを張りつけたまま、黙ってしまった藤林さん。俺はそれでも決して、彼女から目を逸らさない。一度、冷たい風が吹いて、藤林さんはどうでもよさそうに「寒っ」と小さく呟く。
それで彼女は早く帰りたいと思ったのか、諦めたように両手を上げて言った。
「やっぱりあれは、失言だったかー。あの時、秋穂くん不自然にちょっと黙ってたし、もしかしてバレてるかなーって思ってたけど、やっぱりそうだったんだね」
「認めるんだね。君がここ最近、俺のあとをつけてたストーカーだって」
「……私が認めたら、秋穂くんは私のことどうするの?」
「どうもしないよ。ただ、答えて欲しい。どうして君は、あんな真似をしたのか。俺と中学が別だった君が、どうしてあの頃のストーカーを真似ることができたのか。その理由を聞かせて欲しい」
俺の問いに、藤林さんは理解できないと首を横に振る。
「そんなの聞いて、どうするの? 聞いたところで、別に何が解決するって訳でもないでしょ?」
「解決させたいんじゃなくて、俺はただ……はっきりさせたいだけなんだよ。……じゃないと頭痛が治らない」
俺は目の前の少女を睨む。藤林さんは逃げるように視線を逸らし、小さく息を吐いた。くだらない、とそう吐き捨てるようなため息だった。
「私さ、みんなのこと好きなんだよねー。秋穂くんのことも、美春のことも、転校生ちゃんのことも、クラスメイトのことも、家族ことも、元カレのことも、みんなみーんな大好き」
藤林さんは地面に転がった小石を拾って、胸元で手を離す。石は当然のように地面に落ちる。
「でも私、毎晩、寝る前に思うんだ。明日、巨大な隕石が降ってきて、こんな世界滅んじゃわないかなーって。……秋穂くんなら、私の気持ち理解できるんじゃないの?」
「……分からないよ」
「本当に?」
「……君が退屈してたってことだけは、理解できるよ」
藤林さんは笑う。いつもと違う、どこか危うさを感じる笑みだ。
「最初は、美春から秋穂くんを寝取ってやろうって思ってたんだよねー。そうすれば、美春がどんな顔するか見てみたかったし」
「どうしようもないこと考えるね、君は」
「あはは。……でも、関わるにつれて、君がそういう感じの子じゃないっていうのが分かった。美春に虐められてパシられてた弱い君は、君の一面でしかなかった。2人で一緒に美春に『ざまぁ』してやろうと思ったのに、君の精神は……そんな単純じゃなかった」
「だから、ストーカーしたの? その論理の飛躍が、俺には理解できないんだけど」
「……それは、ある人に頼まれたんだよ。君を傷つけて欲しいって。最初は断るつもりだったんだけど、お小遣いもくれたしなんか楽しそうだったから、ちょっと遊んであげることにしたんだよ。……今さらもう、どうでもいいけどね」
吐き捨てるような言葉。こっちを見るのは、まるで穴が空いたような目。底が見えない。この子は本当は、何も考えてないんじゃないかって、そんなことを思ってしまう。
「それで、秋穂くんは私をどうするの? ストーカーの犯人である私を、めちゃくちゃにしてくれたりするのかな? 秋穂くんがしたいなら、私は別にそれでもいいよ? 外は寒いから、できれば部屋の中でお願いしたいけど」
「……しないよ、そんなこと。俺は別に、君を傷つけたい訳じゃない。俺は君に、反省して欲しいとも改心して欲しいとも思わない。……それより、さっき言ったよね? ある人に頼まれたって。それは、誰なの?」
想像はつくけれど、俺は一応それを尋ねてみる。藤林さんはそれに、いつものわざとらしい笑みを浮かべて、人差し指を口元に当てる。
「それは内緒だよ。……まあでも、すぐに分かるとは思うけどね。だってもうすぐ、文化祭だし」
「……文化祭?」
「そ。私、結構楽しみにしてるんだよねー。うちの演劇部、実はそこそこ有名らしいじゃん。なんか、劇をやるって聞いたし。……シンデレラ。王道だけど、やっぱりいいものは何度見てもいいからねー」
「…………」
冷たい風が頬を撫でる。俺は逃げるように、手をポケットに突っ込む。
「ま、だから諸々のネタバラシはそっちで頼むよ。私はただの愉快犯で、模倣犯だから。何の信念もないし、大した思惑もない。私はただ、私の退屈を紛らわすことができるなら、他は何でもいいんだよ」
「そ。……別にどうでもいいけど、人に迷惑をかけるようなことをやっておいてその態度は、正直、気に入らないけどね。……俺はやっぱり、君が苦手だ」
「あははははは! 確かに。でも私、反省とかしないから、改心とかもしないし。悪役が主人公に説教されて改心! とか、すっげーくだらないもんね。お前、今まで散々他人を傷つけてきたくせに、一度も自分を省みたことなかったのかーって。撃っていいのは、撃たれる覚悟のある奴だけで。でも、撃たれていい人なんて、本当はどこにもいないんだよ」
「…………」
俺は何も言わない。……やっぱり俺は、この子が苦手だ。何も考えてないように見えて、こちらの内面を見透かす。そのくせ、行動の動機は退屈しのぎとかいう中身のないもの。
まるで、水面に浮かぶ落ち葉のようだ。ただ流れているだけで、彼女自身には何の意味も思惑もない。
「まあでも一応、謝っとくよ。ごめんね? 不安にさせるようなことして」
「いいよ……とは言わないけど、もうしないなら、この場は見逃すよ」
「そ。ありがと。じゃ、寒いから私はもう帰るよ。バイバーイ」
と、手を振る藤林さんの背中に、俺は最後の問いを投げかける。
「マッシュくんが事故に遭ったのってさ、君のせい?」
初めは椿さんかもと思ったけれど、彼女にそんなことができるとは思えない。だから残るは、この子だけ。
「……残念ながら今回も、ドライブレコーダーには何も映ってなかったみたいだよ? もう夜も遅いし、お互い気をつけて帰ろうね? この辺まだまだ田舎だし、街灯が少ないところも多いからさ」
ヒラヒラと手を振って、そのまま立ち去る藤林さん。夜の自然公園に残ったのは、俺1人。吐き出す白い息が、自身の孤独を浮き彫りにする。
「……疲れた」
思い出したことはある。明らかになったこともある。ずっと止まっていたものが、前に進んだのは確かだ。……でも、この胸の痛みはなんだ? 穴が空いたような孤独は、もしかしたら一生、埋められないものなのかもしれない。
「別にいいさ」
近くのベンチに腰掛け、息を吐く。俺は、父さんと母さんのようにはならない。椿さんや、藤林さんのようにもなれない。たとえ誰にも理解されずとも、俺は俺の孤独を裏切らない。
「でも『新しい好きな人』、か」
愛の検証。それが終わった時、俺はようやく美春以外の誰かを好きになれるのかもしれない。……でも、それはきっと、検証が成功して愛の価値が証明できた後じゃなくて。そんなことはできないのだと、そう理解できてしまった時。
──その時俺は、大人になるのだろう。
愛してないのに愛しているフリをして、その実本当に愛してしまう。そんな欺瞞を抱えて、俺も生きなければならない。いつまでも夜の公園で1人、空を見上げている訳にはいかない。
だから、その為には……。
「文化祭、か」
しばらくの準備期間の後、文化祭が始まる。準備期間の間は別に学校に登校する義務はない。美春は来ないかもしれないし、俺は行くつもりはない。
だからその文化祭で、美春と話をしよう。……それで、多分、全てが終わる。
「……家、帰りたくないな」
小さな呟きは誰にも届かず消える。俺はその後も1人、夜が開けるまで、意味もなくぼーっと空を見上げ続けた。
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