第29話


 先ほどの慌ただしさとは逆の静けさが執務室には漂っていた。わずかな衣擦れの音さえ響くように感じる。

 あたしは外套の裾を握りしめ、目の前に立つディルムを見上げた。

 ジョセフ、ビアンカ、オレット、ピエール。

 部屋にいるすべての人の視線が自分の背中に突き刺さるようだ。

 あたしは息を吸い込んでから、領主として尋ねた。


「ディルム、スタンピードが起きていると聞きましたが」


 ディルムはあたしの言葉に首を少しだけ右へ傾け、首筋に手を当てた。

 眉間に深いしわが寄っている。それから、まるでこちらが分からず屋のように呆れた表情でため息をつかれた。

 片手を開き、子供に言い聞かせるようなトーンで話し始める。


「殿下が五級と認定したダンジョンのスタンピードなど、大したものではないだろう」


 その言い草にかちんときた。

 あの調査がまともだと思っているとは信じられない。

 あたしが言い返そうと息を吸ったとき、後ろからよく通るピエールの声が割り込んできた。


「……スタンピードは五級であっても危険性が高いと思いますが」


 魔女の瞳を机の上に置いたピエールは片手を胸にあて、にこやかに笑っている。

 彼の言い分はまっとうで、あたしは頷いて同意を示した。

 あたしとディルムの間の位置に彼は立つ。胡散臭い笑顔に少し冷たさまで加わったように見えた。


「貴公は?」


 じろりとピエールを一瞥したディルムは、すぐに視線をあたしに移し、苛立ちを隠さない声で聞いた。

 あたしは少し体を引き、ピエールを紹介するスペースを確保する。それからピエールへ手を広げた。


「こちらはピエール殿です。陛下からの使者としていらっしゃいました」

「私自身は爵位などももたぬ身ですので、呼び捨てで構いませんよ」


 にっこり言ったピエールだったが、その立ち居振る舞いは貴族らしさに溢れていた。

 それこそアシュタルテさまに匹敵しそうな優雅さだ。陛下から推薦されるだけのことはある。

 あたしの付け焼き刃なマナーなど足元にも及ばない。

 だが、ディルムは彼の貴族らしさに気づかないのか、腕を組むと威圧的に言った。


「では、ピエール。あのダンジョンはアルフォンス殿下が五級認定したのだ。五級にほぼ危険はないと殿下は仰っていた」


 そんな説明を受けていたのか。

 五級はたしかに危険度では一番下だが、それでもダンジョンには違いなく、迂闊に入れば命を落とす。

 騎士団というダンジョンを調査する組織の長にしては、迂闊すぎる判断だ。

 ピエールはその言葉を予想していたように、眉を下げた。


「殿下は世間知らずの部分がございます。スタンピードは五級であっても村を滅ぼす可能性が」

「アルフォンス殿下が間違っているというのか?!」


 言葉の途中でディルムがピエールを遮った。明確なマナー違反だが、彼はそれに気づかず突き進む。

 まるで火がつけられたように、ピエールに食って掛かる姿は、横から見ると滑稽にさえ思えた。

 がっしりとしたディルムとすらりとしたピエールではかなりの体格差がある。

 ピエールはディルムの怒りなどそよ風というように涼しい顔をしていた。


「いえ、そういう場合もあるということです」

「ディルム、ダンジョンは何が起こるか分からない場所です。それに浄化でモンスターこそ少なくなっていましたが、元は三級と言われたダンジョンですから」


 あたしは淡々とピエールに加勢する。

 ダンジョンは誕生理由からモンスターの出現原理まで、まるきり分からない場所だ。

 こちらの常識と同じ場所だと思うと痛い目をあう。

 それにアルフォンス殿下が五級ダンジョン認定をしたこと時点が間違いなのだ。

 前提が違えば、結果は違う。

 三級のスタンピードは、起これば逃げるのが一番だと言われる規模になる。


「ぐっ……だが、ライラが行く必要性はないだろう」


 正論でつめよられ、ディルムが唸ったが、そこを退く気はなさそうだ。

 ここまでくれば、もう一歩。


「私は領主です。状況を確認しなければ」


 公的な立場を前に押し出す。権威に弱いなら、領主にも従って欲しいものだ。

 どうして、そこまであたしを行かせたくないのか。

 あたしの言葉をディルムは鼻で笑った。


「領主? 代行だろう?」

「……そうですが」


 代行ではなく、領主と名乗れるならば、そうしている。

 あたしは拳を握った。ピエールの静かな瞳があたしを見ていた。

 彼も女の身で領主に固執するあたしを笑うだろうか。

 身構えたあたしに、名案を思い付いたというように、ディルムが嫌な笑みを深くする。


「お前がダンジョンに行くというなら、婚約を破棄する。そうすれば、領主代行などと言っていられないぞ」


 あたしは一つ息を吐いた。

 婚約破棄。破棄されるとあたしは次の結婚相手か、女一人で領主代行を続けられる後ろ盾を見つけなければならない。

 ノートルに引きこもっていたあたしには無理な話だった――以前であれば。


「そうですか」


 そうか。

 そうまでして、ダンジョンに行かせたくないのか。

 ディルムを見る。

 勝ち誇った笑顔がそこにはあった。

 あたしは深く頷いた。


「わかりました」


 手を握って、開く。

 こんなことをしている時間はない。

 アシュタルテさまたちは、まさに今ダンジョンで戦っているのだから。

 心臓がどきどきした。

 世界の音が消え、自分の血が体内を勢いよく流れる音だけが響く。

 あたしは口を開いた。


「婚約は破棄します」

「なにっ?」


 ディルムが目を見開いた。

 あたしがそう答えるとは微塵も思っていなかったのだろう。

 ディルムの脇を通り抜ける。廊下に出てから、振り返った。

 執務室の中でビアンカ、オレット、ジョセフが笑っているのが見えた。


「今、あたしは動きたいの。今、大変な人がいるのに、放っておく領主なんていらないでしょ」


 あたしは驚きと怒りがごちゃ混ぜになったディルムに言い放った。

 好きな町を守るために領主になりたいのだ。

 好きな町を守れない領主なら、ならなくてよい。

 呆然と立っているディルムの脇を皆がすり抜けてくる。

 あたしたちは玄関に向かい歩きはじめた。


「ジョセフ、ディルムを騎士団長から辞めさせます」

「御意に」


 階段の手前で立ち止まる。忘れていたことを、ジョセフに伝える。

 深々と頭を下げてくれたジョセフは、すぐに手続きと情報の伝達のために消えた。

 あたしの言葉が聞こえたのか、ディルムが手すりに掴みかかる。

 もはや元になった婚約者を、あたしは顔だけで振り返った。


「代行でも、領主は領主。働かないあなたに団長の資格はありません」

「な、そんな横暴が許されるわけがない!」


 横暴。そっちがするときは横暴ではないのに、そんな言い分が許されるわけがない。

 あたしは目を細めた。

 いつから幼馴染はこんな風になってしまったのか。


「第二騎士団の団長を臨時で第一騎士団も担ってもらいます」

「くっ、第一騎士団は動かないと思っていろ」


 ディルムが威嚇するような表情で吐き捨てた。

 そのまま館を出ていく。

 大人しくしてくれればいいのだが。

 あたしはふぅっと力を抜いた。

 いつの間にかピエールの手には、再び魔女の瞳が抱えられていた。


「なかなか、面白い婚約者どのをお持ちでしたね」


 にっこりと笑顔を浮かべる。

 その笑顔は知っている。アシュタルテさまがディルムに最初に会ったときにしていたものだ。

 つまり、裏の言葉は「ヤバい婚約者を持つと大変ですね」だ。

 あたしは申し訳ない顔をしながら、小さく頭を下げた。


「お見苦しいところを、すみません」


 するとピエールは魔女の瞳を撫でつつ、首を横に振った。

 お願いだから、一億フランを気軽に持ち歩かないで欲しい。

 ピエールはそんなあたしの内心に微塵も気づかず、ディルムが去っていった扉を見つめた。


「いえいえ、陛下も事情は知ってくださってますよ」

「そうだと良いのですが……」


 あたしの願いは儚く溶けていくだけだった。


「とにかく、今はダンジョンへ向かいます。アシュタルテさまたちを助けなければ」


 領主になれないかもしれない未来も。

 スタンピードが起こりそうな今を乗り越えなければ、始まらない。

 あたしは開発した道具たちを拡張袋に詰めて館を飛び出した。



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