第40話

 春の風が吹き始め、ノートルにも暖かな日が増えてきた。

 窓から陽射しが差し込む。背中の温かさで時の流れを感じられた。

 今日のような日は外を出歩きたくなる。視察にはちょうどよい。

 そうわかっているのに、なぜかあたしは執務机に向かい手を動かしていた。


「これが、冒険者用の宿屋の申請」

「そうです」


 ジョセフが書類を確認して、回収する。彼の手の中には、書き終えた書類が他に数枚あった。

 オレットは部屋にいてくれるものの、書類の手伝いは一切しない。

 その代わり、絶妙なタイミングで休憩のためのお茶を入れてくれる。

 次の書類を手に取る。

 あたしは書類内容に目を通し、眉間に皺を寄せた。


「これが新しい学校の土地調査の結果?」

「そうですな」


 陛下から言い渡された、女性のための学校制作。

 この国で学校と言えば、魔法スキルを持つ人間が行くものだ。

 それ以外の人間は精々家で教えられる最低限の読み書きだけ。貴族でさえ、家庭教師が大半だ。


「どういう場所が、いいんだろうね?」


 あたし自身、王都の学校には行っていない。

 学校をつくる意味は分かっても、想像がつかないのが現状だ。

 ジョセフが顎の下に指を当てた。


「一定の広さは必要でしょう。生活を考えるとそう町から離れるわけにも」


 その「一定」が難しい。

 ノートルは寒さが厳しく、畑も少ない。

 融通できる土地はあるが、それらは町から一定の距離があった。

 あたしは書類を片手にため息をつく。


「学校、行ったことないからなぁ」

「アシュタルテさまであれば、よくご存知でしょう」

「いや、それが」


 あたしはジョセフが首を傾げるのを見て、机から一枚の紙を取り出した。

 これを書いてくれた時を思いだし、苦笑しながら、ジョセフに見せる。

想像通り、ジョセフは紙を見て目を丸くした。


「これはまた、大きくでましたな」

「ねー、国から補助が出るにしても、この土地は大変だよね」


 アシュタルテさまの書いてくれた学校に、必要な土地は9000エーカー。

 学校そのもの建物だけで、3000エーカー。

 これは30人規模の学生が入れる教室が10個入る。

 もちろん、教室だけでなく、食堂やトイレなども作る予定なのだが、それでも大きいだろう。

 ちなみにこの屋敷は300エーカーくらいだ。

 つまり、とてつもなく広大な敷地をアシュタルテさまは思い描いているのだ。


(ダメって言ったら、拗ねるかな)


 いや、きっと、どうにかしてしまうのだろう。

 その姿まで思い浮かんで、あたしは頬を緩めた。

 最後の書類は保留だ。


「今日の書類はこれで全てです」

「ありがとう。あとは開発の時間だね」


 ジョセフが完成した書類をもう一度確認し、部屋を出る。

 あたしは椅子の上で、大きく背伸びをした。

 すっと目の前に湯気の立つ紅茶が差し出される。


「一度、お休み下さい」


 ありがとう、とオレットに礼を言ってカップに口をつける。

 アシュタルテさまが来てから紅茶の種類が増えた。

 その中でも、あたしが好きな種類のお茶だ。


「領主って大変だね」


 ほっと息を吐き名がら、しみじみと自分が領主になったことを噛みしめる。

 するとオレットが苦笑した。


「ライラさま、大変そうに見えませんよ?」

「え、そうかな?」


 結構、忙しくしているつもりなんだけど。

 書類仕事も毎日こなしているし、アシュタルテさまが思いついたものの開発もある。

 陛下からもたまに依頼が入るし、視察やダンジョンの調査もある。

 オレットは自分の頬を指さして、呆れたように笑う。


「顔、デレデレです」

「むむ」


 自分の頬に手を当てて、ぐりぐりと揉む。

 そんなに緩んでいただろうか。自覚はない。

 頬に手を当てて考えていたあたしに、オレットは尋ねた。


「騎士団長の選定もありますよね?」

「あー、ビアンカには断られたしね」

「あの人が第一騎士団長になったら、いろいろ終わりですよ」


 忘れていた仕事を思い出す。

 ビアンカに尋ねたら、即決で断られたのだ。

 第一騎士団の団長といえば、名誉がある職業だし、あたしはビアンカに一番助けられている。

 まさか断られるとは思っていなかったのだけれど「あたしゃ、ライラのためにしか働かないから」と断られたのだ。

 喜んでいいのか。嬉しいのは、間違いないのだけれど、領主としては微妙なところだ。


「オレットは?」


 水を向ける。オレットも戦闘能力では高い方だ。


「私ですかぁ? オレットもライラさまのメイドが良いので」

「そっかぁ、困ったな」


 急に話を向けられたにも関わらず、ビアンカと似たような返事をしてきた。

 第三騎士団は全員似たような答えが多く、この分だと、しばらく第一騎士団の団長は空位になりそうだ。

 うーんと大して悩みもしない、悩みに首をひねっていた。

 平和って貴重だ。


「ライラさま、アシュタルテさまたちが帰られました」


 ジョセフの声に席を立つ。

 ニコニコしたオレットに見送られたながら、あたしは玄関に向かう。


「うわぁ、また大量にとってきたね」


 玄関には、アシュタルテさまとビアンカ、それに大量の素材が積んであった。

 定番になりつつあるバーバー鳥の羽毛から、ドゥベロスの毛皮、スピドラの糸まで。

 ダンジョンに入っていても巡回ばかりしている彼女たちにしては珍しい。


「新人さんたちが迷っていて、助けてたら、ね」


 アシュタルテさまの言葉にあたしは目を丸くした。


「また新しい人、増えたの?」

「第三級の新しいダンジョンは久しぶりだもの」


 アシュタルテさまが言うには、様々な場所から冒険者が集まってきているらしい。

 第三級に挑める実力の人たちだけならいいのだけれど、そうではない人間も一定数いて、アシュタルテさまは彼らを助けている。

 そのおかげで、ノートルのギルドではアシュタルテさまが崇拝される勢いだ。

 あたしはアシュタルテさまを見つめながら尋ねた。


「怪我は?」

「こんなオーダーの装備まで貰ってケガするわけないでしょ」


 くるりとアシュタルテさまがその場で回る。

 彼女が身につけているものは、あたしが全て作った。加護と防御増々の装備だ。

 見る限り傷もケガもない。装備自体も汚れてはいるものの、修復が必要なものはなさそうだ。

 胸に手を当てて肩を撫でおろす。


「よかったぁ」


 アシュタルテさまが何か言おうと口を開いた瞬間、あたしは横から伸びてきた手につかまった。

 ふんわりと香ったのは、落ち着く香りだ。

 首に回る腕は優しく、あたしはそこに手を重ねた。


「ちょいちょい、ライラ。あたしにねぎらいはないのかい?」

「ビアンカ、お疲れ様」


 ぐりぐりと頭をこすりつけられる。

 身長差があるからできることだ。

 あたしはくすぐったさに目を細めながら答えた。

 ビアンカは顔を離すと、アシュタルテさまとあたしを交互に見る。


「まったく、アシュタルテ嬢が来てから、うちのご主人様はデレデレだね」

「そ、それは……ごめん」


 今日二回目の指摘だ。

 こうなると、よほど緩んだ顔をしているのが察せられる。

 アシュタルテさまは腕を組んでつまらなそうにしていた。


「素直に謝るんじゃないよ」


 ぽんぽんとからかうような笑みを浮かべたビアンカに頭を撫でられる。

 昔からよくやられる、子ども扱いの行動だ。

 だけど、それがちょっと嬉しくて、あたしの表情筋はまた解けていってしまう。

 と、いつの間にか、距離をつめていたアシュタルテさまがビアンカの手を剥がし、間に入る。


「ライラをイジメないでくださる?」

「イジメだったら、絵面的に、アシュタルテ嬢の方がぴったりの役だろう?」


 あたしの頭の上で、アシュタルテさまとビアンカの視線がぶつかりあり、火花が散る。

 剣吞な空気にはならなくても怖い。

 気を逸らさせるために、あたしは町について質問した。


「えっと、町の方はどうだった?」

「大分、人が増えてきてるね」


 最初に答えたのはビアンカだった。

 素直にあたしから一歩離れ、アシュタルテさまに剥がされた手をわざとらしく摩っている。


「隣国から来てる人間も多いみたいだね」

「隣?」


 それは珍しい。

 隣の領から来ても、わざわざ国境を越えてこちらに来る冒険者は少ない。


「ちょっときな臭くなってきてるよ」


 ビアンカの言葉に、あたしは眉を下げる。


「戦争?」

「どうだか」


 ビアンカは両方の肩を上げ、両掌を上に向けた。

 もし、本当なら情報を集めなければならない。


「心配だね」


 頭の片隅に情報を入れる。忘れないようにしないと。

 あたしが口元に手を当てて、指示を考えていたら、アシュタルテさまが町の状況を教えてくれる。


「冒険者のための設備も整ってきてるし、あなたの開発したものを買える店も好評よ」

「良かったぁ」


 王都から帰ってきて最初にしたのは、ダンジョンの対策だ。

 スタンピードもどきが何度も起きては困るので、冒険者たちには定期的にモンスターを倒してもらいたかったからだ。

 同時に、あたしがビアンカたちに作った装備や魔法弾などを買えるお店も作った。

 店番は工場から商売が好きな人間を借りている。


「だから、言ったじゃない」


 アシュタルテさまが、唇を尖らせた。あたしは苦笑い。

 まさか、そんなに売れると思っていなかったのだ。

 アシュタルテさまが自分の腕を上げ、そこに巻かれているミサンガを指でつまむ。


「これだって、あんなに簡単につくったのに、まだ壊れないのよ」


 アシュタルテさまは胸を張って言ったけれど、あたしは逆に体を小さくさせた。

 アシュタルテさまにあげたソレが壊れないのは、たぶん、別の理由がある。

 自分でも気づいてなかったのだけれど、名前から色を選んで加護をつけるとなると手が込んでいる。

 その上。


「それは……だって」

「なあに?」


 きょとんとした顔でアシュタルテさまが首を傾げる。

 あたしは諦めたように、理由を口にした。


「アシュタルテさまにあげるものだもの、気合が入るでしょ」

「ライラ」


 結局は、ミサンガを渡したときから、アシュタルテさまはあたしの特別だった。

 まだそのミサンガが役に立っているならば嬉しい。

 アシュタルテさまが重さを感じさせない動きで、あたしを抱きしめる。

 この頃、こうやって抱きしめられることが増えた。

 でも、あたしの心臓はちっとも慣れてくれない。


「あー、はいはい。二人で、町の視察にでも行ったらどうだい?」

「でも仕事が」

「視察は領主の仕事だろ」


 アシュタルテさまに抱きしめられたまま、ビアンカを見る。

 額に手を当てた後、アシュタルテさまを剥がしてくれた。

 アシュタルテさまが唇を尖らせてビアンカを見る。

 そのまま、仲良く二人で屋敷の外に追い出された。


「戻ってきたばかりなのに」

「疲れてないなら、とりあえず庭でも見る?」


 追い出された扉を見つめるアシュタルテさま。

 あたしは二人で出かけられるのが嬉しかった。

 そっとアシュタルテさまに手を差し出す。


「そうしましょうか」


 手とあたしの顔を確認した後、アシュタルテさまは柔らかく笑って手を取ってくれた。

 実は庭を二人で見たことはない。

 家の庭をゆっくり見るなんてデートみたいで、慣れている場所なのに口が乾く。


「あ、ライラックの花」


 紫の花が、もう咲いていた。

 執務室からも見えるはずなのに、全然気づかなかった。

 あたしはライラックの木に近づき、花弁に指を伸ばす。

 アシュタルテさまも隣に並び満開のライラックを見つめた。


「あなたの花ね」

「アシュタルテさまみたいにスゴイ名前じゃないけどね」

「いいじゃない、ライラック、私は好きよ」


 その言葉に、息が止まる。

 不意打ちはずるい気がする。

 きっとこれはライラックへの言葉だから、早とちりしてはダメなのだと自分に言い聞かせた。

 だけど、これだけは言いたい。


「嬉しい」


 ライラックの花が咲いているのをアシュタルテさまと見れた。

 それだけなのに、こんなにも嬉しい。

 素直に伝えたら、アシュタルテさまはいつかも見た赤い顔を隠すように額に指を当てる。

 それから咳ばらいをして。


「――」


 あたしが、さらに喜ぶ言葉を言ってくれた。

 赤い顔をした、あたしにとっての女神様。

 彼女との生活がいつまでも続くといいなぁと思った、春の日だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【完結】カタブツ女領主が冷血令嬢を押し付けられたのに、才能を開花させ幸せになる話 藤之恵多 @teiritu

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

参加中のコンテスト・自主企画