第39話


 謁見の間には、陛下の引き笑いだけが響いていた。

 アシュタルテさまは顔をそむけたまま、陛下を見る目を細めた。不機嫌に拍車がかかったように見える。

 あたしはアシュタルテさまと陛下の間で右往左往した。

 ひとしきり笑った陛下は涙を拭うと肘掛けに肘をつき頭を支えた。


「お主ら、ほんとに仲が良いの」

「陛下」


 アシュタルテさまが険のある声を飛ばした。

 陛下はパタパタと手首だけで手を動かし、気にしない様子を見せた。

 よほど面白かったのか、親指で涙を拭っている。


「ピエトロから聞いていたが、まさかここまでとは」

「ピエトロ殿下が?」


 あたしは思わず聞き返した。

 彼からどのように説明されたのか、気になるところだ。

 アシュタルテさまが扇子を広げて、おもむろに陛下を見る。

 陛下は意味深な笑みを浮かべた。


「お互いを思いやる気持ちは大切だが、喧嘩になっては意味がないのではないか?」


 陛下の言葉にアシュタルテさまは扇子の動きを止めた。

 あたしもまっすぐに陛下を見る。

 機先を制したのはアシュタルテさまだった。


「喧嘩ではありません」

「アシュタルテさまは、素敵な人です」


 そこだけは間違えないで欲しい。

 喧嘩したいわけでなく、アシュタルテさまの名誉が傷ついたままなのが嫌なのだ。

 陛下は何度か大きく頷いた。


「そうか、そうか。だが、アシュタルテ。その願いも聞けぬ」


 アシュタルテさまは陛下の言葉に眉をピクリと動かした。

 首を横に振る陛下にアシュタルテさまは扇子を閉めて、そのまま手のひらで包みこんだ。

 ピリッとした空気が二人の間に流れる。


「実績は十分すぎると思いますが」


 アシュタルテさまの瞳に炎が灯る。

 それに合わせて、ドレスの燐光も強さを増してきていた。

 静かで優雅な魔力操作はアシュタルテさまの真骨頂なのだが、目の前で見ると胃がキリキリする。

 国王陛下は、たっぷりアシュタルテさまの視線を浴びてから、困ったように告げた。


「ライラを領主にすることは、すでに決まっているのじゃ」


 ライラを、領主にすることは、決まっている。

 理解できなかった文章をもう一度頭の中で組み立てる。

 なるほど、もう決まっているから、願いは叶えられないのか。

 うんうんと納得しかけて、固まった。


「え」

「まぁ、素晴らしい判断ですわね」


 混乱中のあたしとは対照的に、アシュタルテさまは両手をあわせると喜色満面に笑った。

 あたしでも見たことがないくらい、完璧な貴族令嬢の笑み。

 それを正面から見られる陛下が少し羨ましい。


「そんなに嬉しそうな顔をして……アルフォンスもその表情を見たら、少しは違ったと思うぞ?」

「そうでしょうか」


 アルフォンス殿下の名前が出ただけで、アシュタルテさまの顔から表情が抜ける。

 話の展開についていけないのは、あたしだけのようだった。

 どうして良いか分からず、視線を彷徨わせていたら、陛下に名前を呼ばれた。


「ノートル領主代行……いや、もうノートル領主で良いな」

「は、い。ありがたい、ことです」


 パクパクと何度か口を開け閉めしてから、やっと声が出た。

 アシュタルテさまは先ほどよりは柔らかい視線を向けている。

 あたしは陛下に問いかけられ、そのまま頷くしかできなかった。

 まさか、なれると思っていなかった領主に、代行ではない領主になれるのだ。

 じんわり、じんわり、実感が巡り始める。


「開発したものの報奨金は別に出る。それ以外で望みはないか?」


 アシュタルテさまに対する願いは、彼女自身に拒否された。

 あたしの願いは、領主に慣れた時点で、もう十分。

 お金も貰える。もう望みはないーーと思ったときに、ふわりとアシュタルテさまの香りが届いた。

 ああ、もう、この香りをかげなくなるのかもしれない。

 そう思ったら、欲が出た。


「何でも、良いですか?」


 陛下がこくりと頷く。アシュタルテさまの視線も感じた。

 汗の滲む手のひらを握りこみ、震えないよう注意しながら声を出す。


「アシュタルテさまを、もう少しお借りしたく」

「ふむ、アシュタルテ?」


 陛下はもはや考えもせず、アシュタルテさまに話を振った。

 あたしは体をアシュタルテさまの方に開く。

 艶やかな黒髪、赤い瞳。群青をベースにグラデーションする特製のドレス。

 何度見ても見ほれる完璧なご令嬢。

 彼女は、あたしの願いにすっと目を細めた。


「もう少しとは?」


 アシュタルテさまの問に詰まる。

 恐る恐る期間を答える。


「一年」

「短いですわ、やらなければならない事業があるでしょうに」


 言い終わるかどうか。

 そのくらいのスピードで答えが却下された。

 確かに、この数か月でさえアシュタルテさまがノートルで手を出した事業は多くある。


「では、三年」

「事業の結果を見させないつもりですか?」


 うぐ、と喉の奥に声が生まれそこなった。あまりにも早い切り返し。

 あたしは徐々に喉元に刃を突き立てられているような気分になる。

 これは、きっと、アシュタルテさまに試されている。

 赤い瞳を見返せば、呆れと怒りが混じった年下の女の子がいた。


「では」


 生唾を飲み込む。

 本当に、あたしが望むものを言っていいのだろうか。

 逡巡していたら、別の声が降ってきた。


「わかった、わかった。アシュタルテ、好きなだけいてきなさい」

「ありがとうございます、陛下。ですが、陛下には聞いてませんの」


 助かったと思ったのも束の間。アシュタルテさまに陛下の言葉は却下される。

 こうなると、もう確定だろう。

 アシュタルテさまの言って欲しい言葉は、きっとあたしと一緒なのだ。


「ライラ」


 赤い瞳が背中を押す。

 彼女の瞳の中にあたしがいる。

 それだけで、勇気が出た。


「あたしと一緒にノートルを治めてくれますか?」


 手を差し出し、アシュタルテさまに伺いを立てる。

 きっとプロポーズをする男の人はこういう気持ちなのだろう。

 だけど、わたしと彼女の関係はそうではない。

 始まったばかりで、掛け替えのないもの。今からいくらでも形をかえていくもの。

 それでも、どうなっても彼女に隣にいて欲しかった。


「最初から、そう言えばいいのよ」


 ふわりとアシュタルテさまの瞳が弧を描く。

 とろけるような柔らかさ。雪が光を反射するように燐光が眩しく散った。

 小指と小指だけが繋がっていた。


「陛下、すみません。アシュタルテさまのような人は王都にいた方がよいのでしょうが」

「気にせずともよい。お主の側の方がよく働きそうじゃ」


 陛下に頭を下げる。

 こうなるのをわかっていたのか、ひどく生暖かい視線を貰った。

 こそばゆくて、顔が熱くなる。

 今さらだが、ここには陛下以外の貴族もいる。アシュタルテさまのご実家、スタージア家もいるかもしれない。

 あとでしっかり挨拶しに行かなければと混乱した頭で思った。


「だがまぁ、代わりにもうひとつ働いてもらって良いか?」

「何なりと」


 あたしはすぐに胸に手を当てて、頭を下げた。

 アシュタルテさまは少し気に食わなそうに陛下を見ている。

 冷血令嬢と、この人を言った人たちはいったい何を見ていたのだろう。

 こんなにも表情が出る、可愛らしくて、美しい人なのに。


「そなたたちのように、能力さえあれば、男女関係なく仕事はできよう」

「その通りですわね」


 アシュタルテさまが頷いて、あたしはその言葉に苦笑した。

 そりゃ、アシュタルテさまくらいできれば、そう言い切れるのだろうけど。

 現実として受けられる教育の問題はある。

 陛下は周りの貴族たちを見回しながら言った。


「ノートルに女性のための学校をつくってくれ」

「それは、国家事業でしょうか?」


 今の機織り工場を大きくはできる。だが、教育となると話は別だ。

 陛下は深く頷いてくれた。


「もちろん、物資や人も派遣しよう」


 思ってもない好待遇。

 これでノートルにも雇用ができる。

 ダンジョンも含めて、大きな町になる基盤が手に入るかもしれない。

 あたしとアシュタルテさまは顔をみあわせて大きく頷く。

 彼女の瞳にも、希望の光が灯っていた。


「承りますわ」

「全身全霊をもってあたります!」


 頭を下げた後、手を取り合って喜ぶ。

 ぎゅっとアシュタルテさまの腕が回され、あたしの世界がアシュタルテさま一色になる。

 あたしはノートル領の領主に無事なれたのだ。


「儂らは何を見せられておるのかのぉ」

「見なくてよろしいですわ」


 アシュタルテさまの腕の中で聞いた声に、あたしは内心でだけ「すみません」と謝っておいた。

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