第38話

 煌びやかな室内。

 あたしは自分の屋敷の何倍も毛足の長い絨毯を踏みしめながら歩いていた。

 窓から見える景色に雪はすでにない。

 若葉が見え始めた季節は、馬車で移動するにも最適な季節だった。

 鏡の前で自分の格好を確認してから、あたしはソファに座るアシュタルテさまに目を向けた。


「アシュタルテさま、これ変じゃない?」


 王城のソファとアシュタルテさまは似合いすぎている。

 オレットが入れてくれた紅茶をいつものように飲む姿は、ここがノートルの屋敷と思ってしまうほどだ。

 ゆっくりとソーサーにカップを置いたアシュタルテさまは、小さく肩を竦めた。


「似合ってるわよ。私が選んだのよ」

「だって、アシュタルテさまと一緒に謁見なんて」


 登城までは一緒が嬉しかった。

 ノートルから王都までを一緒に過ごしたのは、初めの時だけだったから。

 面倒事が片付いた今なら、まったく違う気持ちで道を見ることもできるだろう。

 だが、浮かれて入れたのは、謁見が一緒に行われると知るまでだった。

 アシュタルテさまはわずかに体をこちらに向けた。


「なに、不満なの?」

「不満というより、心配」


 あたしはより近い言葉を探して首を傾けた。

 不満ではない。

 アシュタルテさまの隣にいれることに不満はないが、怖くはある。


「何が?」

「アシュタルテさまの隣に、あたしみたいなのがいたら」


 あたしは最後まで言い切ることができなかった。

 ソファから立ち上がったアシュタルテさまが、優雅でいながら素早い動きで、あたしに詰め寄ったかからだ。

 謁見のため、いつもより華やかでレースの多いドレスながら、その裾が乱れることはなかった。

 あと一歩でぶつかる距離まできて、アシュタルテさまは顔の前で青い扇子を口元で広げた。


「ライラ」

「はい」


 扇子の向こうから呼びかけられる。

 まるで一幅の肖像画を見ている気分だ。だとしたら、あたしはそれに見惚れている観客に過ぎない。

 赤い瞳が私を射抜く。


「私は一番美しい状態で、陛下にお会いするわ」


 こくりとあたしは頷いた。

 アシュタルテさまの今日の格好は、多くの刺繡とレースがあしらわれていた。

 色自体は鮮やかな青だが、宝石をあしらったアクセサリーは少なめだ。

 彼女のためにノートルで一から作ったもの。あたしと工場のみんなが協力して作った。


「それが、貴族の箔を見せるというものだし、完璧にしたいから」

「アシュタルテさまはいつも綺麗だけどね」


 アシュタルテさまが扇子を閉じる。それから、ふわりと一回転した。

 燐光が彼女の動きに合わせて舞う。

 目を細める。

 このドレスを作る際に使った布は、ノートルで新しく開発したものだ。

 その人物の持つ魔力にあわせて、燐光を放つ。

 あたしが見惚れた初対面のときのアシュタルテさまを参考にしている。


「その私が隣にいるのよ」

「うん」


 綺麗だ、とても。

 アシュタルテさまと出会った時から、何度感じたか分からないこと。

 ぼんやりしていたからか、あたしは次の言葉への反応が遅れた。


「周りなんて見ずに、私を見てなさい」


 素直に頷こうとして、アシュタルテさまの言葉を反芻する。

 今、凄いことを言われなかっただろうか。

 あたしはわずかに首を傾げた。


「う、ん?」


 どういう意味だろう。と、聞き返そうとしたとき、扉がノックされた。


「謁見の時間です」


 オレットとは違う、メイドの見本を絵に描いたような女性だった。

 一人慌てているあたしの隣をアシュタルテさまが澄ました顔で通り抜ける。

 追いかけると、すでに扉近くで待っていてくれた。


「ほら、行きましょう」

「わ、わかりました!」


 差し出された手に手を重ねる。

 ぎゅっと握り返され、そのままエスコートされる。

 身長的には確かに自然なのだけれど。年下の美少女にそうされると、照れてしまう。

 結局そわそわとした気持ちで、謁見へ向かった。


「いや、久しいなノートル領主代行」

「お久しぶりです」


 玉座に座る陛下は以前会った時より、くたびれているように見えた。

 アルフォンス殿下がその後どうなったか、私は知らない。

 アシュタルテさまが教えてくれたのは、第二王子派がなくなったこと。

 それに合わせて宮廷貴族が整理されたことだった。

 あたしは形式通りの挨拶をした。

 うむ、と頷いた後、陛下は苦い顔を隠さずアシュタルテさまを見た。


「アシュタルテも、ゆっくりして来なさいとは言ったが、3か月も空けることになるとは予想していなかったぞ?」

「綺麗になるまで、ライラと王都に行きたくなかっただけですわ」


 アシュタルテさまが扇子をゆらゆらと動かす。

 その動きに合わせて、ドレスから燐光が舞った。

 ほんと、凄い。彼女ほど、この布を活かせる人間は少ないだろう。

 周囲の貴族たちも騒めいている。宣伝効果は抜群だ。

 陛下はアシュタルテさまの様子に、肩を竦めると顎髭に指を通した。


「ふむ、手厳しい」


 ばちばちとまでいかなくとも、空気が冷えてくる。

 二人の戯れだとしても、あたしのような人間には胃が痛くなってしまう。

 あたしは深く頭を下げた。


「遅くなり、申し訳ありません」

「相変わらず、真面目よの」


 ぽんと陛下が手を合わせ、アシュタルテさまは陛下からぷいと顔を逸らした。

 燐光はすぐに消える。陛下の視線があたしに向けられた。


「さて、今回はお主が開発したものについてじゃ」


 深呼吸する。

 彼女が申請してくれた特許の量が多かったおかげだ。加えて、映像記録装置の開発が大きかったらしい。

 開発により報奨を貰うのは、前例がない。報奨については希望を聞かれるだろうとアシュタルテさまから聞いていた。


「報奨に希望はあるか?」


 予想通りの言葉、あたしは握った拳に力を入れて顔を上げた。


「恐れながら、自分のこと以外でもよろしいでしょうか?」


 陛下はわずかに首を傾げた。

 隣に立つアシュタルテさまから鋭い視線が飛んでくるのを感じたが、気づかないふり。

 あたしが王家に叶えて欲しい願いなんて、ほとんどない。

 あるとすれば。


「内容に寄る。遠慮なく述べよ」

「では、アシュタルテさまの名誉回復と冷血令嬢という渾名の撤廃を」


 結局は、彼女のことになってしまう。

 あたしの言葉に陛下は面白そうに眦を下げた。

 アシュタルテさまが完全にこちらを向いている。近寄ってこないだけ、陛下の前というのが利いているのか。


「ほ?」

「今回の開発、特許は彼女の協力なくても成しえませんでした」


 それ以外もアシュタルテさまがいなければ、上手く回らなかったことだらけだ。

 そんな彼女がノートルに長期滞在することで、いまだに王都の貴族の間では冷血令嬢扱い。

 それがあたしには嫌だった。

 ノートルのためを考えればお金一択のところを、あたしは自分の気持ちを優先させた。ダメな領主代行だ。


「毒殺容疑はすでに晴れているが?」

「彼女が素晴らしい人間だということ、婚約破棄されたことに瑕疵はないと徹底させて欲しいのです」


 陛下の言葉に、あたしは首を横に振る。

 陛下はアシュタルテさまの方をちらりと見てから、あたしを見て、苦手な笑みを浮かべた。


「それは、アシュタルテにすぐさま婚約者を見つけるのと同意義になるが?」

「……はい」


 どくん、と心臓が跳ねた。

 やはり、そうなるのか。想像はしていたけれど、実際に陛下に言われると重みが違う。

 じんわりと手に汗がにじんだ。


「ふむふむ。アシュタルテ、そう言われておるが?」


 陛下はまるで昼食のメニューを尋ねるように、アシュタルテさまに話を振った。

 パンと扇子が閉じられる。

 びくりと肩を跳ねさせて彼女を見れば、圧力のある笑みを浮かべていた。


「必要ありません」


 一刀両断。切り捨てられた。

 自分の提案が拒否されたショックと、それより大きな、婚約者をいらないと言ってくれた安堵。

 それらがごちゃ混ぜになる。

 陛下とアシュタルテさまの会話は続いていく。


「ノートル領主代行の開発は素晴らしいものだった。報奨を取らせぬわけにはいかぬ」

「それでしたら、ライラを領主にすることを進言いたします」


 すんなり、自然に、アシュタルテさまは言い放った。

 これにはあたしが驚いてしまう。

 領主にすると簡単に言ったが、その任命権は陛下のみが持つもの。

 形としては陛下以外誰も口を出せない部分だ。

 陛下の瞳が鋭く細められる。


「ほう」

「アシュタルテさま」

「私は別に今の生活で困っていないわ」


 アシュタルテさまに少しだけ近寄り、名前を呼んだ。

 だが彼女は、そう言って顔をそむけてしまう。

 何がそんなに気に入らなかったのだろう。

 あたしはアシュタルテさまに幸せになって欲しいのだ。


「くっくっくっく」


 途方に暮れていたあたしの耳に、陛下の声が聞こえた。

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