第37話

 ディルムの剣が、弱い日差しを反射して鈍く煌めいていた。

 両手で握り、真正面で構える。

 振り下ろされれば切れる位置にあたしは入っていた。

 まるで野生動物のにらみ合いのように、お互い目を逸らさない。


「ライラ、下がりなさい」

「ダメです。アシュタルテさまは」


 強く外套を引っ張られた。

 アシュタルテさまの声に強さと焦りが交じり始める。

 あたしは後ろを振り返ることもできず、首を横に振った。


(一回なら、避けれるかな?)


 ディルムの剣は恵まれた体格による力押しに近い。

 おそらく、振り上げてからまっすぐ振り下ろしてくる。

 その動きさえ見逃さなければ、一度は避けられるはず。

 ジリジリと間合いを見定めていたあたしとディルムの間に声が響く。


「アルフォンス、止めないか」


 ピエトロ殿下が青い外套を着て現れた。

 モコモコとした羽毛に包まれたそれはピエトロ殿下の指先まで覆い隠している。

 屋敷の方から歩く姿は、いつもと変わらないはずなのに、どこか呆れたような空気を感じさせる。


「兄上!」


 名前を呼ぶアルフォンス殿下を横目で見た後、ピエトロ殿下は口端を歪ませ、こちらを見た。


「ライラ嬢も騎士の剣の前に立つなど無理をする……戦闘スキルはないのだろう?」


 ピエトロ殿下の言葉に、あたしは言葉を詰まらせる。

 反論する余地がない。

 黙ったあたしの前にピエトロ殿下が立った。

 呆けたように彼の背中を見ていたら、アシュタルテさまに手を引かれ、一歩下がる。

 隣を見れば「無茶しないで」と小さな声で怒られた。

 腕を掴まれたまま、あたしはアシュタルテさまの隣に縫い付けられた。


「武器もない女性に剣を振るおうとするなど、騎士の風上にも置けない男だな」

「ディルムは不敬な人間を罰しようとしただけです」


 ピエトロ殿下の冷えた声に、ディルムが剣をしまい、頭を下げた。

 さすがに、自分の指示で動いた部下を庇う気はあるのか、アルフォンス殿下がディルムの前に立つ。

 二人の距離は一歩分くらいなものだった。


「これ以上、馬鹿なことを言うなよ」


 言い捨てられた言葉は冷たい。

 これを正面から浴びせられたアルフォンス殿下も、血の気が失せた顔をしていた。

 ピエトロ殿下は、アルフォンス殿下の胸に指を置く。


「お前が何をしたか、私はすべて知っている」

「ですがっ」

「大体、私の手伝い? 陛下から言われたのは、ノートル領主代行への謝罪だろう?」


 初めて聞いた。

 あたしは驚いて、隣のアシュタルテさまを見る。

 表情は変えてなかったが、ふるふると首を横に振る姿から、彼女も知らなかったのだろうと予想がついた。


「っ」

「なぜ、すぐバレる嘘をつくのか……理解に苦しむな」


 図星だったのだろう。

 アルフォンス殿下は唇を噛んだ。

 ピエトロ殿下の追い打ちは容赦がない。

 アルフォンス殿下の後ろにいるディルムが彼の表情を伺うように見た。


「で、殿下?」


 数秒、沈黙が世界を支配した。

 誰も言葉を発しない。

 それを破ったのは、アルフォンス殿下の叫びだった。


「請求書もダンジョンも、私は何ひとつ悪くありません!」


 強く握られた拳。大きな身振り。

 まるで舞台役者のように、アルフォンス殿下は自分の無実を訴えた。

 ぎゅっと掴まれたままの手に力が入る。そっと見たアシュタルテさまの横顔は、冷えた怒りの塊のように見えた。


「アシュタルテのことを相談していたら、宰相からアドバイスを受けただけです」


 ピエトロ殿下だけに、ひたすら自分の無実を伝える。

 それ以外はどうでも良いと言外に言っていた。


「ダンジョンとて、実際私が見たときは、何もなかった!」


 言いたいことを言い終えたアルフォンス殿下をピエトロ殿下が見つめていた。

 組んでいた腕を解き、その中から水晶玉のついた台座が姿を現す。

 あたしは目を丸くした。

 完成した映像記録装置。きちんとピエトロ殿下のもとに渡っていたらしい。


「そうか。それが聞きたかったのだ」

「何を」


 アルフォンス殿下の眉間に皺が寄る。

 彼は見たことがないから、その反応も当然だろう。


「ライラ嬢の才能は素晴らしいぞ。これを手放すなど、国の損失」


 水晶玉を優しく撫でる。

 ピエトロ殿下はアルフォンス殿下たちにそう言い放った後、少し後ろを振り返った。

 バチリと目があい、微笑まれる。すぐに、アシュタルテさまに悪戯な言葉を放った。


「な、アシュタルテ嬢?」

「その通りですわ」


 アシュタルテさまは深く頷いて、外套ごとあたしの腕を引いた。

 引っ張られ、アシュタルテさまに密着する形になる。

 どうしたら良いか分からなくて、あたしはピエトロ殿下に尋ねた。


「撮ってたんですか?」

「とる?」


 アルフォンス殿下が首を傾げたのと、同時くらいに水晶玉に先程のアルフォンス殿下の映像が映る。

 うん、試運転通りの鮮明さだ。

 問題なく動いてくれていることに、ホッとした。


『アシュタルテのことを相談していたら、宰相からアドバイスを受けただけです』


 声も問題ない。

 記録されていたアルフォンス殿下は、まるで声を失ったようにパクパクと口を開け締めしていた。


「これで宰相も含めて、面倒事を起こした輩を引きずり出せるというものだ。お前のしたことはすべて陛下に報告させてもらう」

「なっ」


 ピエトロ殿下の言葉にアルフォンス殿下はがっくりと肩を落とした。

 だが後ろに控えていたディルムは、ピエトロ殿下の持つ映像記録装置を見て鼻で笑う。


「ライラの開発するものだ。どうせ、作った映像だろう」


 カチンと来た。が、反応するまでもない。

 ピエトロ殿下が丸切りディルムの言葉を無視したからだ。


「私が責任を持ってお前を連れて帰る。それまで大人しくしてなさい」


 アルフォンス殿下とディルムは武器を取り上げられ、ピエトロ殿下が乗ってきた馬車に移された。

 その周りはビアンカたちに囲まれている。見張りということだろう。

 あまりにも呆気ない幕引きに、あたしは今さら足が震えてきた。


「ありがとうございます」


 アシュタルテさまを助けられた。

 何だかよくわからない王都のゴタゴタも、これである程度ケリがつくのだろう。

 そうなるとーーいよいよ、別れのときが来る。

 地面が近くなるほど頭を下げたあたしに、ピエトロ殿下が先程とは丸切り違う声で答えた。


「こちらこそ、最後まで迷惑をかけた」

「本当ですわ」


 頭を上げれば、軽口を交わす二人の姿。

 あたしは最早逃げれないことを悟る。

 ゆっくりと唾を飲み込んでから、そっと怪しまれないように声をかけた。


「……二人は今日にでもお戻りですか?」

「私は帰るが、二人はゆっくり来ると良い」


 ピエトロ殿下は、アルフォンス殿下たちが入れられた馬車を確認するように見た。

 二人とは誰のことを言っているのか。

 一瞬、混乱した頭は、疑問をそのまま吐き出した。


「ゆっくり、来る?」


 誰と誰が?

 あたしは助けを求めるようにアシュタルテさまを見る。

 すると思ったより近くに彼女の顔があった。

 反射的に離れようとしたら、腕を組まれ距離を取れない。

 そのままの姿勢で、アシュタルテさまは話してきた。


「報奨が出るのよ」


 もう、こうなると、何がわからないかも分からなくなってくる。

 あたしは子どものように質問を繰り返した。


「何の?」


 前を向くべきか、このままアシュタルテさまの方を向けているべきか。

 もはや話よりそっちの方が気になってしまうレベルだ。

 アシュタルテさまは、逃さないというように残った片手をあたしの頬に添える。

 そして、圧力を感じる特大の笑顔をくれた。


「あなた、世紀の発明を何個してると思っているの?」


 情報をまとめると、ピエトロ殿下はアルフォンス殿下とディルムを王都に連れて行く。

 そして、第二王子派だか、宰相だかを一網打尽にする。

 あたしとアシュタルテさまは、それが落ち着くようなころに、のんびり到着すれば良い。

 そういう話らしいが、あたしには見過ごせないことがあった。


「二人は一緒の方が、良いのでは?」


 婚約したなら、その報告も早い方が良い。

 王都が静かになってから来て欲しい気持ちはわかるが。

 あたしは、アシュタルテさまの名誉が回復されるなら早いうちにして欲しかった。

 首を傾げるあたしに、アシュタルテさまはいきなり耳を引っ張ってくる。

 なんだろう。笑顔なのに怒りを感じる。


「あのね、ライラ。ピエトロ殿下には、すでに立派な公爵家の婚約者がいらっしゃるの」

「は、い?」


 王家に側室は認められているが、婚約者の時点で二人というのは聞いたことがない。

 その上、公爵家となればアシュタルテさまより立場が上になるはず。

 あたしは混乱したまま、次の言葉を待った。


「殿下の真意がつかめなくて……誤解させてしまったわね」

「アルフォンスに尻尾を出させるための芝居だ」


 胸を張るピエトロ殿下。

 この親子は、本当に人を惑わせるのが上手だ。

 狸爺の子どもも狸というわけだ。

 あたしは信じられないまま、アシュタルテさまに確認した。


「え、じゃあ、婚約はしてない?」

「そういうことよ」


 アシュタルテさまが頷く。

 あたしは嬉しさと驚きがぶつかり合って、訳がわからなくなっていた。


「さっき、怒らせるようなことを言ったのは」

「アルフォンス殿下でも、あれくらい怒らせないと口を滑らせないかと思って」


 なんだそれは。

 あたしは顔をしかめる。

 アシュタルテさまは魔法が使えない状態なのだ。無理はしないで欲しい。


「危ないですよ」


 真剣に言った。

 言ったのに、アシュタルテさまはプッと吹き出した後、額をぶつけてくる。

 焦点が合わない位置にアシュタルテさまの麗しき顔。

 あたしは今度こそ固まった。


「それは、あなたのことよ」


 頬をアシュタルテさまの指が滑っていく。

 赤い瞳にあたしだけが映っていた。

 どうしよう。

 離れないといけないのに、離れられない。

 まるで魔法にかけられたような状態を打ち壊したのは、ピエトロ殿下の冷静な言葉だった。


「二人とも仲直りは良いことだが、そろそろ中に戻らないかい?」


 あたしは金縛りが解けたように飛び退いた。

 そして、屋敷へ先導するように歩いていく。

 頬が熱い。

 雪が触れても一瞬で溶かすことができる気がした。

 アシュタルテさまがひどく不満そうな顔でピエトロ殿下に文句を言っているのが印象的だった。

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