第23話

 窓の外は雪明りでほのかに白い。その景色がノートルの冬を象徴していた。

 あたしは執務室で机に向かっていた。

 目の前には大きな紙が広げてあり、手元はランプのみで照らされている。

 右手をずっと動かしつづける。

 左から新しい設計を書き、その脇に細かく材料などを書いていく。

 たまにスキルを発動するために口を動かし、新しい図面に頭をひねる。


「……で、これがこうなるから」


 大分熱中していた。カタンともの音がして、あたしは思い出したように顔を上げる。

 アシュタルテさまが外套を着た状態で、執務室の扉に背を預けていた。

 片手にはお盆を持ち、その上にお茶がおいてある。

 暗がりでも輝くように見える赤い瞳が、あたしを見据える。


「呆れた、まだやってるの?」


 薄暗い部屋に、ぼんやりと浮かび上がる女神の姿。

 あたしは一瞬夢を見ているのかと思った。机に向かって寝落ちして、それで夢を見ているのかと。

 そう思うほど、アシュタルテさまの姿は輝いていた。

 あたしはペンを置いて、机の前まで歩いてきたアシュタルテさまを見上げる。


「アシュタルテさま、起こしちゃいました?」


 あたしの問いかけに、アシュタルテさまは静かに首を横に振る。

 お盆が静かに机の上に置かれた。カップは2つ。

 どうやら、持ってきてくれたらしい。

 気遣いに心苦しくなる。


「これくらいの音で起きるわけ無いじゃない。寝付けなくてね」

「そうですか」


 目の前にお茶を差し出される。お礼を言って、受け取った。

 両手で包むようにして熱をもらう。

 思ったより冷えていたようだ。

 アシュタルテさまは机の前から動かず、あたしは首を傾げながら彼女を見上げた。

 珍しく視線を彷徨わせたアシュタルテさまがいた。


「見てて、良い?」

「面白いものでもないですけどね」


 肩を竦める。見てても面白いものではない。

 これはストレス発散なのだ。

 昼の時間、あたしはアルフォンス殿下たちと過ごした。アシュタルテさまはダンジョンに入っていたはずだ。

 殿下たちの相手をするのは、思ったより疲れた。


「アルフォンス殿下はどうだった?」


 アシュタルテさまからの問いかけに、内心を見透かされたような気がして、心臓が跳ねた。

 お茶を傾けていた手を止め一度離す。

 表面に出さないようにしつつ、あたしはアシュタルテさまを伺う。


「……率直な意見でも?」

「もちろん」


 にっこりと微笑んだアシュタルテさまから少し視線を落とす。

 端的に言えば好きではない。

 だが、それはアシュタルテさまへしたことを知っているからで、私情が大きいのをあたし自身理解していた。

 領主代行としてだけ言うとすれば。


「あたしはあまり好きになれそうにない、かな」


 結局、似たようなものだ。だって、どうして好きになれるのだろう。

 ノートルによく分からない請求書を送り付けてきた人間だ。アシュタルテさまのことを抜きにしても良いイメージはつきにくい。

 その上、あの態度。苛立たしさを唇を噛み締めて誤魔化す。


「そう」


 アシュタルテさまは、ただ頷いた。ここで愚痴などが始まらないのが、彼女らしい。

 静寂が部屋に満ちる。

 しばらく、ペンの音とアシュタルテさまのわずかな衣擦れだけが響いていた。


「アシュタルテさまは、どうでした?」

「ダンジョンは第三級で間違いないわね」


 ふと、思い出す。

 アシュタルテさまがダンジョンに行くようになってから、彼女との時間は減っていた。

 一緒に過ごせるなら、話したい。

 アシュタルテさまがいたずらな笑みを浮かべる。


「下手すると二級でも通りそうだけど」

「低くなる見込みは」

「ないわね」


 にっこりと言い切られた。

 ダンジョンの級認定は危険度と比例している。

 アシュタルテのさま言葉にあたしは肩を落とした。


「そうですか」

「そんなガッカリしないの」


 アシュタルテさまが苦笑しているので、よほど酷い顔だったのだろう。

 力なく首を横に振る。


「アシュタルテさまとビアンカが見てきてくれたのなら間違いないでしょうね」

「ええ、私とビアンカがね」


 まただ。空気が少し変わる。

 今度はアシュタルテさまが沈黙する番だった。

 あたしはチラチラとアシュタルテの様子を伺った。

 綺麗に伸ばされた背筋。その上に小さな頭が乗っている。

 横顔にほのかな燐光が。

 魔力残滓。もしかすると、アシュタルテさまは魔力を発光させることでランプ代わりにしているのかもしれない。

 相変わらずの魔力操作の上手さに、装備が対応できてるか心配になる。


(そういえば)


 思い出して椅子を立つ。

 部屋の片隅においてある人形を持ち上げた。


「装備、調整しても良いですか?」

「良いけど、それは?」


 アシュタルテさまが訝しげに人形を見る。

 外套はない。中身だけのもの。

 あたしは人形の肩に軽く手をおいて、簡単に説明する。


「新しい奴です……二級に近い三級なら、もう少し防御を重視したいなと」


 外套は防御優先にしたのだけれど、中の装備は三級だからと甘いところがあった。

 そこを修正したものが、これ。

 アシュタルテさまは顎の下に手を当てて、装備とあたしを交互に見てくる。

 びっくりと呆れが半々、だろうか。

 それでも、にっこりと唇の端を釣り上げてから、立ち上がった。


「第三騎士団のものも、あなたが作ってるんですって?」

「ええ、できる限り。高いものは買ってあげられないんで」


 あたしははアシュタルテさまの後ろに回る。体に巻き尺をあて計測する。

 あたしより背が高いので少し背伸びする。声が聞きにくて、自然と距離が近くなった。

 ふわりと上品な香りが鼻をくすぐった。

 アシュタルテがさまがわずかに後ろに顔をそらした。声が大きくなる。


「オーダーメイドの方が高いと思うけど?」

「材料だけですし」


 巻き尺を戻す。

 サイズとしては変わりない。以前図らなかった部分も付け足していく。

 魔力も細かい測定をしたかったが、ノートルにその機械はなかった。

 アシュタルテさまは測られ慣れた様子で、軽く両手を広げていてくれる。


「ビアンカとは仲が良いの?」

「そうですね、昔からお姉ちゃんみたいで」


 肩幅、胸部、胸囲、腕の長さ、腰の位置……必要な項目を埋めていくことに集中する。

 そうでないと、アシュタルテさまからする良い香りや、いつもは感じない令嬢らしい体つきを意識してしまう。

 止まりそうになる手を無理やり動かした。


「あたし、一人っ子だったんで、他の子の話を聞くと羨ましくて」

「ビアンカもあなたを可愛がっているわね」

「助けられてばっかりで、よく付き合ってくれてます」


 ビアンカの顔が浮かんだ。

 アシュタルテさまの声が上から降ってくるのは、中々心地いい。

 あたしはこっそりと頬を緩めた。


「そう」

「今も、一番大切な任務をお願いすることになっちゃって」


 アシュタルテさまの声が少しだけ小さくなる。

 あたしはアシュタルテさまの顔を見上げようとしたが、彼女の手に制される。

 しぶしぶ測定を続けた。


「一番大切な任務を」


 緊張感を感じる声に、首をわずかに傾げる。

 あたし、何か変なことを言ったかな。

 もう一度見ようとしたが、やはりアシュタルテさまに止められた。

 だから、あたしは自分の言葉だけで答える。


「ええ、アシュタルテさまの護衛をビアンカがしてくれて本当に良かった」


 スムーズに行っていた測定が止まる。

 アシュタルテさまが、腕を下ろしたからだ。

 ちょうど屈んでいたあたしの頭の上にぶつかった。「うっ」と令嬢らしくない声が漏れた。


「私の護衛?」


 頭を摩りながらアシュタルテさまを見ると、口と瞳を少しだけ丸くしていた。

 あたしは目を瞬かせる。

 矢継ぎ早にアシュタルテさまの声が飛んできた。


「それが一番大切なの?」


 すぐに頷く。

 ビアンカには様々な仕事を頼んでいるが、一番となるとアシュタルテさまのことだろう。


「そりゃ、執務としては他に色んなものがありますけど」


 天井に視線を泳がせる。

 第一騎士団は使えない。第二騎士団は元々町の警備で、関係が薄い。

 ビアンカに仕事を頼むことは多いけれど、一番他の騎士団と違うのは、あたしのことを察してくれることだ。


「あたしにできない、あたしが一番気にしてるものが何か、ビアンカにはばれちゃうんですよ」


 付き合いが長いせいか。ただ単なる年の功か。

 あたしはアシュタルテさまを見ながら苦笑した。


「あたしが何より優先したいって、ビアンカはきっと汲んでくれているんだと思います」


 音が消えた。

 ぱちぱちと薪がくすぶる音だけがした。

 見ている前で、アシュタルテ様の輪郭に魔力光が走る。

 それは一瞬で、まるで、女神さまが降臨したみたいに見えた。


「っー」


 ばっと顔を覆って座り込むアシュタルテさま。

 指の間から見える頬が赤くて、あたしは心配になる。


「どうしました? 気になる事でもありました?」


 ビアンカからは特に何も報告は受けていない。

 楽しそうな様子からは上手くやっているんだろうと思う。

 何度か深呼吸したアシュタルテさまが、指の隙間からこちらを睨んできた。

 でも、なんでか、ちっとも怖くない。


「ほんと、あなた、そういうところ、気をつけて欲しいわ」

「何がです?」


 屈んだ体勢から立ち上がる。

 首をかしげていたら、もういつものアシュタルテさまに戻っていた。


「いいえ。たぶん暖炉の前で装備品なんて着たせいね」


 やっぱり。

 あたしは眉を下げた。


「すみません、こんな時間に」

「私は戻るわ。あなたも早めに戻りなさい」

「ありがとうございます」


 そういうと、アシュタルテさまは先ほどの燐光を目の前にもう一度出現させた。

 ランプのように目の前で光が浮く。

 相変わらずえげつない精度の魔力操作だ。


「細くて、柔らかかった……」


 扉が閉まり、一人になる。

 脳裏に浮かんできたのは、アシュタルテさまの体の感触。

 測定してる間は考えないようにしていたので、フラッシュバックしてきた。


「って、あたしの馬鹿」


 もう一度、机に戻ろうとして、諦めた。

 あたしはさっさと寝ることにした。

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