第14話 恐怖の手紙
すっかり道具が片付けられた執務室は、もとの事務的な部屋に戻っていた。
部屋の中は静かでわずかな物音さえ聞き取れた。
机の上では淹れたての紅茶が湯気とともに香り立っていた。お茶を出してくれたオレットが胸に手を当てて、頭を下げる。
「お疲れさまでした」
「ありがとう、オレット」
あたしとアシュタルテさまの二人は、ソファに向かい合う形で座っていた。
オレットはメイドらしく部屋の隅によけたのだが、目が合えばひらひらと手を振ってくれる。
(相変わらず、フランク)
小さく苦笑。やっと日常に戻ってきた気がした。
あたしは心地よい疲れを感じながら、対面に座るアシュタルテさまの姿を見つめた。
高貴なドレスに身を包む姿は、いつもと変わらず優雅で、ソファに座る姿勢も品があった。彼女の青い扇子はいつものように膝の上に置かれ、空いた手には紅茶を持っていた。
じんわりと安堵が広がって、あたしはぐっと背もたれに持たれるように背伸びした。
「やっと終わったー」
「はしたないわよ?」
アシュタルテさまからすかさず注意が飛ぶ。冷たい一瞥つき。
教えてくれるのだから、根本は優しいのだろう。
少しだけ姿勢を直す。
アシュタルテさまはしっかりと背筋を伸ばし、ティーカップを口元に運ぶ仕草ひとつをとっても上品だ。
「さすが、完璧な令嬢ですね」
「当り前よ」
あたしのからかい混じりの言葉を、アシュタルテさまは否定せず受け止める。その頬には少しだけ優越感が滲んでいた。
王家に嫁ぐような令嬢は心構えから違うようだ。
あたしは小さく首をすくめてから、もう一度部屋を見回しす。
「あの量を申請したアシュタルテさまは流石です」
あたしがそう言うと、アシュタルテさまは小さく肩を竦めてティーカップを見つめた。
「慣れよ。書類なんて様式が決まってるのだから」
慣れ。口の中で転がしてみる。
あたしは頭を小さく振ると肩を回した。
それだけでチクチクとした痛みが走る。慣れない書類をした結果だ。
「慣れるのが想像できない……」
アシュタルテさまはティーカップをソーサーに置いた。
あたしは片腕を抱え込むと筋を伸ばすように反対側に引っ張る。片方が終わったら、もう片方。
静かな部屋にアシュタルテさまの不思議そうな声が響いた。
「開発のためなら、徹夜できるのに?」
確かに。考えたこともなかった。
目をぱちぱちを瞬かせる。
アシュタルテさまを見れば、こちらを見ている視線とかち合った。
赤い瞳があたしを見ている。それだけなのに、目が離せない。
ふたりで数秒は固まっていたと思う。
「まぁ、とにかく、これで冬が越せます」
「古い機械を渡しても良くなったからね」
お互い同時に目を離し、逆向きに視線を逸らす。
不自然ではない、はず。緊張感から開放され、ほっとしたままアシュタルテさまの様子を伺う。
アシュタルテさまも小さく頷いていた。
古い機織り機は言われた通り、サーザント領に渡した。賠償金は、新しい特許の開発によって出たお金でどうにか支払った。
これで冬を越すことができる。
それを伝えた時のディルムの顔が浮かんできて、ライラックは小さく噴き出した。
「ディルムの顔が見ものでしたね」
「アレには、無理な考え方だもの」
褒めることも、否定することもできず、結局「そうか」しか言わなかったのだ。
アシュタルテさまは顎をツンと少しだけ上げて言い放った。
分かりやすい態度に、あたしは苦笑をこぼす。
「アレって」
「あら、何か間違っているかしら。それとも、トレントを倒して材料を取ってきてくれた人物より、婚約者を優先するの?」
ツンとした顔からじとりと冷たい視線が流れてくる。
あたしはは苦笑をさらに深めた。
たまに、こういう部分が出るのが可愛い。唯一年下を感じる部分かもしれない。
「そうは言ってないじゃん」
慌ててたら言葉が乱れた。
アシュタルテさまも気づいたようで、片目をつぶって肩を竦めている。
額に手を当て天井を仰ぎ、がっくりと肩を落とす。そんなあたしの様子をアシュタルテさまは頬に手を当て眺めていた。
「あなた、結構、口が悪いわよね」
「開発してると町の人と関わることが多くなるから」
心を落ち着かせるために、ティーカップに蜂蜜を落とす。くるくるとスプーンでかき混ぜた。
このかき混ぜる動作が好きなのだ。
ある程度溶けたので、手を止めて口をつける。先ほどより甘みの強いまろやかな味が口の中に広がった。
「あたしって言うのも昔からなの?」
ふわり、差し込まれた言葉。
あたしは特に考えもせず返事をした。
「そうだね、気づいたら」
「そう」
なんだろう。
あたしは、わずかにに眉を下げた。アシュタルテさまの雰囲気が少し変わった気がした。
紅茶を飲むふりをしながら、横目でアシュタルテさまの様子を確認する。
アシュタルテさまは気にする様子もなく、ティーカップに口を寄せていた。
「王都の夜会でその言葉遣いだと大変じゃない?」
「王都での夜会は小さいころと、この間の挨拶以外で行ったことなかったし」
アシュタルテさまが「小さいころ」と呟き、少し動きを止めた。
まるで自分の記憶を遡っているようなと考えて、そんなに都合のよいことはないと思い直す。
あたしが王都で見た天使は、赤い瞳じゃなかった。
変化の理由を知りたくてアシュタルテさまを興味のまなざしで見つめた。
「ねぇ、それってーー」
その時、急なノックが扉に響き渡った。一瞬、部屋の空気が固まる。
アシュタルテさまの表情が如実に曇り、扉の向こうの誰かのせいで会話が途切れたことに不満があるようだった。
「どなた?」
今まで聞いた中で一番険がある声。
どうやら、よほど話を遮られたのがイラついたらしい。
あたしの中にも、その残渣は燻っている。
「アシュタルテさまに、お手紙です」
「手紙?」
ジョセフの声が部屋に響き、手紙を持って入ってきた。
またもや訴状かと、気を抜いた姿勢から背筋を伸ばす。
と、ジョセフが持っていたのは、赤ではない普通の封書だった。
「私に?」
アシュタルテさまの問いかけに、ジョセフは素早く頷く。
アシュタルテさまの眉間に深いしわができた。あたしも似たような不審げな顔をしていただろう。
だって、ここにアシュタルテさまがいるのを知っている人間は限られている。その上、わざわざ手紙となるとーー嫌な予感がした。
「アルフォンス殿下からに、なっております」
ジョセフがあて名を告げたことで、嫌な予感は確信に変わる。
アシュタルテさまの纏う空気がさらに冷えていく。
その手紙だけで部屋の温度がぐっと下がったような気がした。
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