第13話
あたしは部屋と玄関をあてもなく歩いていた。
広々としたロビーは大きな窓から降り注ぐ暖かな光で満たされており、美しい絵画が壁を飾っている。
今さら見るまでもない、見慣れたもの。なのに、あたしは隅から隅まで確認するように見ていた。
「お嬢様、お部屋でお待ちになっては?」
オレットに何度目かわからない言葉を言われた。呆れられている。
分かっていても、あたしは動き回ることを止められなかった。オレットも後ろをついてくる。
あっちにウロチョロ、こっちにウロチョロして気を紛らわせた。
「だって、昨日までには帰って来るって言ってたんだよ?」
アシュタルテさまは、あたしの静止も聞かず飛び出ていってしまった。
あたしに彼女を止めるなんて無理な話なのだ。アシュタルテさまが留まってくれてるから、ここにいてくれるだけで。
オレットはこほんと咳払いをして、子供に言い聞かせるように人差し指を立てた。
「トレントがいる場所は、ここから1日はかかります。元々、2日で帰って来るというのがおかしいのでは?」
「そ、それはそうなんだけど」
まったくの正論。
普通に計算すれば、3日はかかるだろう。
それを2日と言ったのは、アシュタルテさまの気持ちか、計算違いかーー本当に一日で帰ってくる気だったか。
あたしの中で一番確率が高いと思っているのはこれだ。
彼女は完璧な人間だから、できないことは言わない。
「怪我とかしてないかな」
あたしはじんわりと汗の滲む手を何度か開閉させた。
こんなに落ち着かないのは、陛下の前で挨拶をしたとき以来だ。
まだ手にはアシュタルテさまの柔らかな感触が残っている。それをかき消すように、あたしはぎゅっと強く拳を握りしめた。
「護衛をつけるとか、そういう話をする前に行っちゃったから」
「あっという間でしたね」
「本当に」
あたしは深く息を吐いた。
窓の外から見える町並みに変化はない。
「ディルムに言ったら、取り合ってもらえないし……今日帰らなかったら、ギルドに頼むしかないかな」
「アシュタルテさまを信じて、開発していればよろしいのでは?」
あたしはちらりと玄関へ視線を向ける。
アシュタルテさまを信じて開発。
それが正しい道だと分かっている。だけど、その手段がないから、こんなに落ち着かないのだ。
「もう出来てるよ。あとはトレントの芯木さえあれば完成」
図面があって、材料があれば、あとは組み立てるだけ。
あたしのスキルは、物の「分析」、改良するための「設計」、その設計をもとにした「組み立て」の3つからできている。
いつも手がかかるのは設計の部分なので、新しい魔力布製造機は、ほぼ完成している状態だった。
「昨日、図面ができたのでは?」
オレットを見ると、元から丸い瞳をさらに丸くしているではないか。
なんか、変なこと言ったかな?
図面ができたのが、昨日。それを元にして、大体完成させたのも昨日だ。
あたしは首を傾げつつ考えてみるが、答えは出ない。だから、素直に答えることにした。
「昨日だよ?」
「……流石です」
オレットのつぶやきが、あたしの後ろをついて回った。
※
ふと目を上げた執務室は、赤く染まっていた。
びっくりして窓をみれば、傾き始めた太陽の赤みを帯びた光が差し込んでいる。
大分、時間が過ぎていた。
赤に浮かんだアシュタルテさまの姿を消すように、紙に書いては消してを繰り返す。
「あ」
ペン先がひっかかり紙が破れた。
そうなると、もうダメ。一度切れた集中力は戻らない。
ぽいとペンを放るように置く。
部屋の中を見回せば、手持ち無沙汰で開発した機織り機以外の道具も置かれていた。
(また怒られるかもなぁ)
アシュタルテさまの呆れた顔が浮かぶ。
いや、仕事を増やしたと怒られるかもしれない。
あたしはそっと目をつむり、祈るように言葉をこぼした。
「どっちでもいいから、早く帰ってきてください」
返事はないのだけれど。気分を変えるために部屋を見回す。
魔力布製造機の試作機は執務室に置かれていた。
毛足の長い絨毯を汚さないように布が敷かれ、その上に機織り機が鎮座していた。完成したばかりで、傷一つない。
見た目も以前とは違い女性が使いやすいように細くなり、ブラッシュアップされている。
あとはシャットルさえできれば、すぐにでも使えるだろう。
宙に視線をさまよわせていたら、扉を叩く音がして、ジョセフの声が響く。
「ライラックさま、アシュタルテさまが戻られました」
「すぐ行きます!」
すぐに椅子から立ち上がり、戻すこともせずに外に駆け出す。
ジョセフが扉の脇で手を上げるようにして避けてくれた。あたしは少しだけ頭を下げた。
心臓がバクバクする。急に動き出したから、悲鳴を上げているのだ。
心配と怒りと不安がごちゃ混ぜになり胸を満たした。
絨毯の上を駆け抜け、階段を降りる間に心の中でアシュタルテの様子を思い描く。
「ライラックさま、怒られますよ」
ジョセフの声を背に、あたしは玄関に到着した。
いた。アシュタルテさまは玄関ホールの真ん中に立っていた。
汚れ一つなかった彼女のドレスの裾がほつれ、乱れている。
不安が一瞬で忍び寄る。
「アシュタルテさま!」
あたしが名前を呼べば、ホコリを払いながらも顔を向けてくれる。
機嫌良さそうに微笑む姿に、あたしはほっとした。
彼女の安否が確認できたことで、不安が安堵に変わっていく。
「あら、わざわざ迎えに来てくれたの?」
からかいを含んだ言葉に、あたしは眉を寄せた。
心配したのだ。
もし、王都に行ってたら。
もし、トレント以外のモンスターと出会っていたら。
だけど、アシュタルテさまは杞憂とばかりに楽しそうにしている。だから、あたしは端的に言えば、拗ねていた。
「来ますよ、飛び出して行っちゃうんだから」
「っ、心配させた、かしら?」
「ええ、とても」
アシュタルテさまの周りをグルっと一周する。
口元をわずかに動かしながら、歯切れの悪い言葉。
アシュタルテさまにしては珍しい。やっぱり具合が悪いのかもしれない。
「と、トレントの芯木はきちんと持ってきたわよ」
アシュタルテさまが玄関を指差す。
おそらく、執事かメイドに預けてくれたのだろう。
すぐにアシュタルテさまに注目を戻す。
「ありがとうございます。でも、アシュタルテさまの確認が先です」
アシュタルテさまは、ほんのりと苦笑いを浮かべた。
あたしの視線から逃げるように、のらりくらりと顔を動かしていた。
「早く開発しないと」
「もう、シャットル以外は完成してます。後の工程も、難しいものではありません」
「あなた、開発に関しては本当に優秀ね」
あたしはアシュタルテのさま手を取った。
手に触れると、少しだけ力が入る。彼女の強がりと不安が手のひらから伝わってくる気がした。
「早く医者を」
「怪我はないわよ。お風呂だけ準備してくれれば」
「じゃ、あたしの部屋にしましょう」
「え?」
アシュタルテさまが目を見開いた。
不意に提案されたことに戸惑いが交じり、驚きを隠せない様子だ。
だけど引く気はない。
「開発してると汚れるから、すぐ沸かせるようにしてるんです」
にっこりと微笑む。
アシュタルテさまは何を感じたのか、わずかに逃げようと身を引いた。
構わず、手を取ったまま進む。
「あなた、たまに、とても頑固ね」
「無茶するからです」
アシュタルテさまは軽くため息を吐いた。
何と言われても構わない。彼女の無事が最優先事項だ。
「アシュタルテさまがお風呂に入って、傷がないのを確認したら、あたしは開発にもどります」
「トレントより強敵だわ」
今回ばかりはアシュタルテさまの言葉は、まるっきりスルーすることにした。
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