第32話


 執務室には自分のペンが紙を削る音と薪が燃える音だけが響いていた。

 ずっと同じものを見続けていたせいか、目がかすむ。

 カーテンの隙間から太陽光が差し込み、鳥の声が聞こえはじめる。

 夜が明けていたようだ。


「もう、朝か……」


 魔女の瞳に記録装置をつけたもの。

 陛下からの任務に、一心不乱に打ち込んでいた。

 オレットがお茶を入れてくれたが、すでに湯気は立たなくなっていた。

 ピエールがノックとともに入室してきて、久しぶりにあたしは手を止めた。


「ライラ嬢、調子はどうです?」

「もう、完成しますよ」


 ピエールの顔にはいつも通りの薄ら笑いが貼り付いている。

 机の上には、陛下から頼まれていた映像記録装置の試作品。

 小さな手のひら大の水晶の下に正方形の台が置いてあるような形をしていた。

 魔女の瞳は水晶を媒介にしていた。記録装置を下の台に組み込んだのだ。

 ピエールの方に向きを変えれば、感心したように、頷かれた。


「流石ですね、三日も経たずに魔女の瞳を改良するとは」


 あたしは肩を竦めた。

 そっと水晶部分を撫でる。スイッチの部分に指を触れれば起動する。

 それからピエールの方向に向けた。


「見る方法はあったので、そこに記録と再生の機能を付けただけですよ」


 ピエールは魔女の瞳の改良品を前に何度か手を動かしたり、声を出したりした。

 その後、スイッチを切り、こちらを見てくるので、あたしは再生するためのボタンを押した。

 ピエールの映像が水晶玉の中で再生される。

 その映像と音声にずれがないことを確認して、ピエールは目を丸くしていた。


「これで完成ではないのですか?」

「どれくらいの時間を記録できるのか、検証がまだなんです」


 記録している途中で切れてしまうようだと不良品だろう。

 人差し指で水晶玉の部分をつつく。

 おそらく、水晶玉の質で時間が決まるのは分かってきていた。

 アシュタルテさまがいれば、嬉々として手伝ってくれたのだろう。

 ピエールが片眉を上げた。


「寝てないようですが?」

「寝てますよ。ここで仕事して、アシュタルテさまの様子を見て」


 あたしは背もたれに背をつけながら、小さく苦笑を漏らす。

 ここ数日、いろんな人から言われた言葉だった。

 ピエールの眉間に細い皺が刻まれる。


「スタージア家の令嬢の世話をしながら、椅子で休むことは寝るとは言わないと思いますが」


 言葉に詰まるが、今のあたしにはそれが一番の休息なのだ。

 自分の部屋で寝ようとしても、結局気になって見に行ってしまう。

 うろうろしている内に朝になったので、アシュタルテさまの寝ている姿を見ながら休むのが一番寝れた。

 あたしは目をそらしながら答えた。


「いつ変化があるか、わかりませんから」


 ピエールはあたしの様子に、ひとつため息をつくと、話を切り替えた。


「魔力封鎖の毒が回った状態で、魔法スキルを使うとは……アシュタルテさまも噂以上の実力ですね」


 あたしは机の上に集めた資料を引っ張り出す。

 魔力封鎖の毒について書かれたものは少ない。

 その数少ないものによると、魔力量がある人間ほど、完全に魔法を使えなくなるまで時間がかかる、らしい。

 それでも、魔力封鎖されながら、魔法を使って戦闘を続けた記録はない。


「どうやったか、分からないんですよ。おそらく、魔力の一部を解毒に回しながら、魔法を最低限にして戦っていたようなのですが」


 あたしは小さく首を横に振って答えた。


「通りで、あたしの魔法弾に頼るなんて珍しいと思ったんですよ」


 普段のアシュタルテさまであれば、自分で適切な魔力調整をできたはずなのだ。

 あの時点で気づかなかったあたしは、きっと浮かれていたのだろう。

 頭を抱え、自分の未熟さを恥じる。

 ピエールが魔女の瞳の試作品をこちらに戻してくれた。


「あなたが助けに行ったことで、アシュタルテさまはまだ生きています」

「はい」


 それだけが救いだった。

 まだ目を覚まさないのは、体が回復に全力を使っているかららしい。

 解毒剤は飲ませた。だが、魔力封鎖の中、魔法を使ったダメージは残っている。

 オレットが、すっとお茶を下げに来た。


「ライラさま、一度、ピエールさまに町を見せてきてあげてください。町民から、ライラさまの顔が見えないと心配の声が上がっています」

「オレット……確かに一週間以上、顔を出してないかな」


 王都に行って、帰って、すぐにダンジョンだ。

 三日に一度くらいのペースで町に降りていたから、心配されても仕方ないかもしれない。

 あたしは苦笑して席を立った。


「ご案内いただけますか?」

「もちろんです。少々準備しますので、お待ちください」


 館を出る前にみたアシュタルテさまは、やはり静かな姿で寝ていた。

 朝日に照らされる顔は、何も変わっていないのに、動くことがない。

 それだけで、こんなにも寂しい気持ちになるのだとあたしは初めて知った。


「ありゃ、ライラさま! お久しぶりです」

「どう、町の状況は?」


 野菜を売っているハンスさんに、いつも通り話しかける。

 心配そうな視線には気づかないふりをした。

 冬になり取り扱える野菜は少なくなっている。それでも、並ぶものは新鮮そうに見えた。


「いつもより良いくらいでっせ」

「他の食料や、薪は?」


 明るく言い放つハンスさんに、疲労や空腹は見えない。

 どうやら例年通りかそれより良い生活を送れていそうだ。

 あたしは通りや人通りを見ながら言った。


「小麦が少ないんでどうなるかと思いましたが、乗り越えられそうです。薪は、ライラさまのおかげでいつもより長く持つようになりました」


 どうやら、開発したものも上手く動いているようだ。

 アシュタルテさまが眠りについて3日。その間に溜まっていた必要な開発をした。

 手を動かすしか、あたしにはできない。


「ダンジョンのせいで、薪を拾いに行けなくなったからね」

「ほかにも、保温布も調子良いですし、冒険者用の店を作るための準備も始まって、活気がありますぜ」

「そっか」


 どうやらダンジョンも良い方向に動き始めたようだ。

 あたしはほっと胸を撫でおろす。

 と、ハンスさんがあたしとピエールを見た後、わずかに首を傾げた。


「今日はアシュタルテさまは?」

「今日はお休み中なんだ。ダンジョンで疲れたみたい」


 アシュタルテさまの状況は町の人間に伝えていない。

 彼女が来てからはいつも一緒に視察に来ていたから、目立つのだろう。

 あたしの希望を含んだ言葉に、ハンスはからからと笑ってくれた。


「そりゃ、大変で! また二人で顔を出してください」

「うん、寄らせてもらうよ」


 軽く手を振り離れる。

 ピエールがすぐに後ろから追いかけてきた。

 隣に並ぶ。彼はアシュタルテさまよりだいぶ背が高い。

 あたしだったら、見上げなければならないほどだ。ちょっと首が痛くなる。

 アシュタルテさまだと少し見上げただけで、綺麗な赤い瞳が見えたのに――そこまで考えて、あたしはすぐに顔を振った。


「アシュタルテ嬢も、よく視察を?」


 あたしは通りの説明をしながら、小さく頷いた。

 店が続く通りを見る。いつも一人で歩いていた道。

 今では少し気を緩めれば、アシュタルテさまの影が出てきてしまう。


「アシュタルテさまは、あたしとよく町を歩いてくれて……必要なものを考えつくのが本当に上手な人だったから」

「なるほど、それをあなたが作ると」

「そうだね。無茶ぶりも多かったけど、楽しかったなぁ」


 ピエールの言葉に空を見上げる。

 冬の灰がかった重い雲がすべてを覆っていた。

 アシュタルテさまが目を覚ましたのは、この日の夜のことだった。

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