第31話

 アシュタルテさまが先行してくれたおかげで、あたしとビアンカたちは少ない労力でダンジョンを進むことができた。

 第三階層は迷宮だ。

 石造りの通路が複雑に入り組み、自分の位置を見失ってしまう。

 その分、モンスターは少なく、迷宮のマッピングとトラップの発見に手間がかかる作りだ。


「迷いそうな道だね」


 ありがたいことに通路には明かりが灯っている。

 突き当りになっている通路で左右を見渡した。

 ビアンカは目の上に手を当て、遠くまで見ている。彼女の本領はこういう場所でのリスク回避だ。

 だからこそ、攻撃力が突出しているアシュタルテさまとも相性が良い。


「戦闘スキルのない人間でここまでくることはほとんどないだろうね」

「迷宮は苦手なんですけどぉ」


 オレットはどちらかというとスピードで戦闘するタイプ。

 迷宮のような細々した場所は少しやりにくそうだった。

 あたしは、ひたすら二人の邪魔にならないように動く。

 ビアンカが通路を曲がろうとしたオレットに声をかけた。


「ゆっくり進みな。毒持ちも出始めるよ」

「はーい」


 毒持ち。

 あたしは肩にかけていた道具袋をぎゅっと握りしめた。

 薬もいくらか持ってきているが、不安は残る。


「どんな種類の毒なの?」


 迷宮系のダンジョンは死角が多く、気づかぬ内に刺されていたなんてことさえあるらしい。

 ビアンカは顎にしたに手を当てた。


「麻痺と魔力封鎖さね」


 どちらもダンジョンで受けたいものではない。

 麻痺したら、どちらにせよモンスターから逃げられない。

 魔力封鎖は、魔法スキルを使う人間にとっては致命的。

 あたしは顔をしかめる。


「えげつないね」

「確実に殺せるようにしてるよ」


 ビアンカが肩を竦めた。オレットが片手でナイフを弄んでいる。

 どうやら、足並みが揃うのを待っていてくれているようだ。

 あたしは慎重に足を運び、オレットの後ろに並んだ。


「オレット、無理せず進んでね」


 オレットは、いつもの人当たりの良い笑顔ではなく、にやりと唇を釣り上げた。

 パタパタとナイフを持たない方の手を顔の前で横に振る。

 一切手元を見ない。あたしの方が冷や汗がでそうだった。


「やだなぁ、迷宮が苦手でも、これくらい大丈夫ですよ。アシュタルテさまが大分綺麗にしてくれたみたいですし」

「……ほんとだね」


 ゆっくりと角を曲がる。

 雑然とまではいかなくても、ぽつぽつとモンスターの死骸が転がっていた。

 きちんと材料は採取してあり、じゃまにならないように脇に寄せられている。

 ビアンカはその処理を確認してから、立ち上がり、未知の奥を指さした。


「アシュタルテさまにつけた奴らも一人もすれ違ってない。ある意味、順調なのかもね」


 あたしは「あはは」と乾いた笑い声を上げた。

 この分だと、救助に来る必要はなかったのかもしれない。

 わずかに首を傾げながらビアンカを見上げた。


「攻略できてたら、喜んだ方がいいのかな?」

「この階層より下は未調査の部分が多いし、一度合流したら戻りたいね」


 ダンジョンの調査を担当したのは、アシュタルテさまとビアンカだ。

 その時にきちんと調査したと聞いたのは三階層まで。それより下は、危険性が高いと判断したのだ。

 肩を竦めたビアンカがそっと耳に口を寄せて、ぼそりと呟いた。


「あの子、ライラのためなら無茶するようだし」

「っ……早く、見つけなきゃ」


 あたしは唇を噛む。

 ビアンカから見ても、その傾向はあったようだ。

 最初からアシュタルテさまはこの領のために自己犠牲しがちだった。

 ずんずんと進もうとしたあたしをオレットが慌てて追い越した。

「めっですよ」と可愛く怒られたことは、アシュタルテさまには秘密にしてもらいたい。


「アシュタルテさま!」


 アシュタルテさまたちと合流できたのは、結局ボス部屋だった。

 閉められているべきの重厚な扉は少し開いていて、中での戦闘音が迷宮内に響いていた。

 駆けだしたい気持ちを抑えて、オレットの後をついていく。


「うげ、ホントに大きなスピドラがいる」

「毒持ちだよ、気をつけな」


 中に入ると、蜘蛛のモンスターであるスピドラを数十倍にしたボスモンスターがいた。

 スピドラクイーン。報告書にはそう書いてあったはずだ。

 だがそのモンスターはすでに腹を天井に見せ、痙攣していた。

 アシュタルテさまがこちらに気づく。


「あら、もうすぐ終わるから待ってて」


 アシュタルテさまは薄くほほ笑んだ。

 戦場でもこの余裕、さすがとしか言えない。

 装備に痛みはあるようだが、大きな傷はなく、あたしはほっと胸を撫でおろそうとした。


「うわ、何、これ……」


 あたしはスピドラクイーンの影に、何十もの重なったスピドラがいるのに気付く。

 見ている間にもその量は増えているように思えた。

 飛び込んできた何匹かをアシュタルテさまが魔法で焼き切った。


「スピドラクイーンの子が生まれたのよ。これに押し出される形で、スタンピードもどきができたのね」

「繁殖期……面倒だね、さっさと燃やしてずらかろう」


 ビアンカが顔をしかめる。

 浄化で一階層の隙間ができた。そこに第二階層のモンスターが増殖したのかと思ったら、さらに下の第三階層に原因があったわけだ。

 この大量のスピドラに追いかけられたら、モンスターでも嫌になるのだろう。

 ビアンカの言葉に、あたしは道具袋から魔法弾を取り出した。


「一番、火力強いのでいいかな」


 スピドラだけなら、繫殖力はそう高くない。

 問題は、この中からスピドラクイーンが多数生まれること。

 材料はもったいないが、逃がさないためにこの部屋ごと焼く威力が必要だろう。

 あたしがアシュタルテさまとビアンカに問いかけると、二人とも頷いてくれた。


「ええ、派手にやってちょうだい」

「じゃ」


 ぽいと魔法弾を投げて、急いでボス部屋の扉を閉める。

 ボス部屋の扉は中で何があっても防いでくれる効果がある。

 魔法弾自体は数十秒もすれば効果が切れるはず。

 しばらくじっと扉の陰で身構えていた。たっぷり数分待ってから、小さく中を覗き込む。


「派手だねぇ」

「派手だわ」

「ライラさまー、やり過ぎですよ!」

「こ、これ、火力の調整できないんだって。初めて使ったし」


 ビアンカ、アシュタルテさま、オレットまで。中をみた後にあたしを見て、そう言ってくる。

 ボス部屋はこんがりと全て焼かれていた。

 スピドラクイーンはもちろん、スピドラたちも一匹もいない。

 天井近くまで焦げた跡があり、あたしはその威力に口を開けてしまう。


「相変わらずね」

「たまたまです! アシュタルテさま、無理しないで下さいといったじゃないですか」

「無理はしてないわよ」


 ほほ笑む顔に、やっと終わったんだなと緊張がほどけ始める。

 帰ってすぐにスタンピードの報告があって、ディルムと婚約破棄して、これからのことを考えなければならない。

 だが、今は、アシュタルテさまも他の誰も欠けていないことを喜びたかった。


「とにかく、一度」


 帰って、いろいろ相談したい。

 そう思って口を開いた。

 あたしの隣で、アシュタルテさまの体が崩れ落ちる。


「アシュタルテさま!」


 まるでスローモーション。

 あたしにできたのは、彼女の頭が地面にぶつからないよう体を滑り込ませることだけだった。


「ライラ!」


 ビアンカに名前を呼ばれて、世界に音が帰ってくる。

 腕の中にいるアシュタルテさまは、いつもと変わらない。傷も大きなものはない。

 なのに、なんで彼女は倒れているのだろう。

 呼びかけてもピクリともしない頬に指を這わせる。


「アシュタルテさまは一度、俺を庇って」

「何だって?」


 ビアンカが顔をしかめた。

 毒。スピドラの毒。

 麻痺だったら、もうとっくに回っていたはずで。

 それ以外となると――あたしは奥歯を噛みしめた。


「急いで戻ります。ビアンカ、全力で」


 オレットの背にアシュタルテさまを乗せる。

 露払いはアシュタルテさまと一緒にきていた騎士たちに任せることにした。

 とはいえ、戦闘はせず、駆け抜けることを第一とする。

 ビアンカがあたしの顔を確認した。


「大丈夫かい?」

「絶対ついて行くから」


 あたしは道具袋から身体能力強化の薬を一粒飲んだ。

 逃げるとき用と思っていたけれど、持っていて良かった。

 これでもビアンカたちの全力についていくのは難しいだろう。

 でも、あたしのせいでアシュタルテさまが助からなかったなんて、冗談じゃない。


「まったく、しょうがない御主人さまだね!」


 ビアンカはそう言って笑うと、すぐさま走り出した。

 それ以上聞かないでいてくれたことが何より嬉しい。

 アシュタルテさまとあたしたちは全速力でダンジョンを駆け抜けた。

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