第20話

 部屋に広がる本の香りとあいまって、ほんのり温かな雰囲気を醸し出している。

 壁には書棚が整然と並び、そこには以前より古典的な文学作品や専門書が積み重ねられていた。

 あたしは椅子から立ち上がった。

 勢いで、先ほどまでまとめていた書類が執務机に散らばる。


「ダンジョンの出現?!」


 目の前にいるアシュタルテさまとビアンカを信じられない気持ちで見つめた。

 二人の顔は真剣なもので、冗談など微塵も含まれていない。

 アシュタルテさまとビアンカは出発前と比べれば少し距離を縮めているようだ。だが、その距離には依然として相容れない何かがある。

 ビアンカは静かに頷く。彼女の瞳には確信が宿っていた。


「おそらく、間違いないね」

「私もドゥベロスが歩いているのを見たわ」


 信じられない気持ちと不安りが入り混じり、あたしは顔をしかめた。

 アシュタルテさまが口にしたモンスターはダンジョンでしか生まれない。

 その現実があたしの心を深い闇に引きずり込んでいくようだった。

 机に両手をついて、首をがっくりと折る。木の感触が指先に伝わり、その冷たい触感があたしの不安をさらに増幅させた。


「お金の目途もついてないのに、ダンジョンとか……」


 ダンジョンは両刃の剣だ。

 その内部には、宝物のような資源や貴重な材料が隠されており、それが多くの者たちを引き寄せる。

 それと同時に、ダンジョン目当ての冒険者が増えることで、彼らを支えるために多額の費用がかかる現実も待ち受けている。


(えっと、宿屋にギルド、鍛冶屋も必要だろうし……あ、ご飯を食べる場所もいるよね)


 頭の中で軽く想像しただけで、これ。

 ダンジョンの運営には良い設備が不可欠だ。

 冒険者たちは町では安全で快適な環境を求め、そのために支払いを惜しまない。だが、すぐさまその希望にこたえられる町は多くない。

 かといって、放っておくことも難しい。


(もう、ドゥベロスが外に出歩いてるってことは、そんなに猶予はないかもしれないし)


 ダンジョンはまさに独自の生態系を持ち、その中に住むモンスターたちを管理しなければならない。

 放っておけば、モンスターは増え続け、町や周辺地域に溢れてくるのだ。一気に溢れた場合はスタンピードと言われ、災害と同じように広範囲へ深刻な被害をもたらす。

 放っておきたくても放っておけず、儲かるかわからないけれど、お金は確実にかかる。

 あたしは頭を抱えた。


「ダンジョンのモンスターが外に出てきていることを考えると、出現はほぼ確定。被害が出る前に、中の調査と王宮への報告が必要だね」


 頭が痛みでぐらぐらと揺れているようだった。額に手を押し当て、痛みを抑え込む。

 ビアンカの声は的確だった。

 あたしがしないといけないことを教えてくれている。

 どうにか現実と向き直り、あたしはため息とともに言葉を吐き出した。


「ダンジョンの場所の調査がいりますね」

「他にも、中の危険度、ダンジョンとしての構造、採れそうな資源が報告するためには必要ね」


 ビアンカは顎の下に手を当てて首を回した。

 アシュタルテさまは指折りながら、報告に必要な情報を共有してくれる。

 その声は知識と洞察に満ち、冷静なトーンを保っていた。

 彼女の手に握られた群青色の扇子が揺れ、その美しく細工の施された翼が優雅に動く。

 調査と報告。

 あたしは再び頭を抱えた。


「ディルムはあの調子だし……ギルドに依頼……すれば、お金がかかるし」

「羽毛は一杯手に入ったんだけどね」


 ビアンカの言葉に、アシュタルテさまが取ってきてくれたバーバー鳥の羽毛の量を思いだす。

 あれだけあれば、百万フランにはなるだろう。布として加工すれば、倍近くになる。前だったら考えられない金額だ。

 だが、あたしは今使えるお金が欲しいのだ。頭金として使ってしまった支度金代わりに。


「もっと採ってきましょうか?」


 アシュタルテさまの言葉は短く、軽い。

 お願いしますと言ったら、すぐにでも行ってくれるだろう。

 それでもーーアシュタルテさまの言葉にあたしは首を横に振った。


「いや、ありがたいですけど。でも、ダンジョンがあるなら、そちらを先にどうにかしないと」


 ビアンカも頷いてくれた。

 静かに、しかし強く、あたしの提案に賛同する意志を示していた。


「あの森は町の人間も狩猟に入るくらいだからね。ダンジョンモンスターに出くわしたら目も当てられないよ」


 あの森にもモンスターや野獣はいたが、危険度の高いモンスターはいなかったのだ。

 モンスター避けのアイテムさえ持ってれば町人でも入れた。狩猟や採集など日常生活と根付いた場所。

 入れないとなれば、また問題が出る。

 あたしは深くため息をつく。


「確かに。森への立ち入りは禁止しましょう。ある意味、冬場で良かったです」

「薪は?」


 ビアンカは片方の眉を上げた。

 そう、それが一番の問題だろう。

 街の喧騒や人々の複雑な関係に触れてきたビアンカは、町での薪の重要性を理解している。


「ダンジョン捜索のときに、集めていくしかないですね。買うには、資金が……」


 あたしは顎の下に手を当てて、言葉を切った。

 薪は減る。減らないためには、長く燃える薪があれば良い。

 作ればいいのかと思いつつ、それを実現するまでの間、つなぎとなる薪は不可欠だった。

 薪代は支度金の大部分を占めている。

 やることがたくさんありすぎる。

 目を回しそうなあたしを尻目に、アシュタルテさまはあたしの頬を挟む。

 じっと赤い瞳に見つめられた。


「ダンジョンは悪いことばかりじゃないわよ」

「え、あ……報奨金!」


 すっかり忘れていた。

 ダンジョンは資源性の高さから、見つけた領にはお金が出る。

 その代わりダンジョン税という税金も課せられるが、大体は利益が出るらしい。

 アシュタルテさまは扇子を左手で受け止め、口元に添える。


「きちんと調べて、資源をとれるダンジョンだと証明できれば、国から報奨金が出るわ」


 アシュタルテ様さまは落ち着いた様子で言った。


「ドゥベロスがいるくらいだから、1000万は硬いのではないかしら」

「1000万フラン」


 あたしは呟きながら眉を下げた。ビアンカは苦笑している。


「あと1500万フラン……」


 半分になったと考えるべきか。あと半分もあると考えるべきか。

 アシュタルテさまはケロリと答えた。


「少なくとも、不当と訴えるまでの期間は稼げるわ」


 確かに。

 頭金は返したのだ。あとは冬を越せればよい。

 アシュタルテさまは薄っすらと微笑み、当然のことのように言葉を続けた。


「それに報奨金を受け取りに行く際、陛下と直に話せるでしょ?」

「なるほど、そこでアルフォンス殿下からの請求を訴えてくれば」


 あたしは大きく頷いた。

 どうしてアルフォンス殿下の無茶が通っているかわからないが、直に話せれば訴えることもできる。


「ついでに、あなたの開発したものも持っていきなさい。そうすれば、絶対悪いようにはならないはずだから」


 そう言われて、あたしは首を傾げた。

 あたしが発明したものに大したものはない。

 特許申請もアシュタルテさまが全部してくれた。新しいものは、今から生まれるだろう数点だ。

 だが、アシュタルテさまは「いいから」と圧力をかけてくる。


「そう、なんですね。わかりました。じゃ、今優先すべきは」

「「ダンジョン調査」」


 あたしとアシュタルテさまの声が揃った。

 お互いの顔を見合わせて、くすりと小さく微笑み合う。なんだか胸の奥が暖かかった。

 あたしたちの様子にビアンカは自分の胸を指差し、にっと頼りになる笑顔を浮べた。


「任せな、あたしが場所くらい見てくるよ」

「ごめんね。いつも大変なことばかりお願いして」

「気にしなさんな。あんたが頑張ってるのは知ってるし……まさかあたしが騎士を名乗れるようになるなんて、それだけで十分さ」


 ぽんぽんと軽く肩を叩かれた。

 ビアンカは本当に頼りになる。つい甘えてしまうほど。

 あたしはビアンカを見上げながら念を押した。


「命が一番だから。必ず帰ってきてね」

「はいはい」


 ひらひらと手を振りながらビアンカが部屋を出ていく。

 ふーっと大きく息を吐きながら、扉が閉まるまで見送った。

 振り返ればアシュタルテさまがじっと、こっちを見ていた。

 赤い瞳が先程とは違う光を纏っている。


「アシュタルテさま?」

「仲がいいのね」


 ポツンと呟かれた言葉の真意がわからなくて、あたしは首を傾げた。

 ただその一言が、とても寂しそうだなと、確かにあたしは感じていたのだ。

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