第7話


 ノートルの街は朝霧が出る。

 周りを山に囲まれた場所であり、寒暖差が出やすいためだ。

 やっと登った太陽に霧が少しずつ薄まってくる。その中をアシュタルテさまの手を取り町へ進んだ。


「すごい霧ね」

「この時期は多いです。足元に注意して下さい」


 霧に慣れている町の人達は、すれ違いざま声をかけてくれる。

 あたしもいつも通りに返すのだけれど、後ろにいるアシュタルテさまに気づくと皆一度固まるから面白い。


「霧から女神様が現れたかと思いましたよ」

「あはは、本当だよねー」


 その感覚はよくわかる。王城で見た時に、あたしも同じような反応になったからだ。

 アシュタルテさまの美しさに街道の人は目を奪われている。それなのに本人はまったく気にせず、街や人を見ていた。

 気軽に貴族に声をかける平民のほうが彼女にとっては珍しいようだ。アシュタルテはさまは、あたしが声をかけられるたび感心したように頷いていた。


「人気なのね」

「ノートル領は小さな領ですので、距離が近いんです」


 町の作りやお店について紹介しながら、サポートする。

 とはいっても、土の道を歩いていてもアシュタルテさまの姿勢に乱れはない。

 ふらつく様子もなく、まるで石畳の上を歩いているように歩いている。ドレスの裾も、まったく汚れていなかった。


「それは良いことね」


 アシュタルテさまはうなずきながら、あたしの格好を足から頭まで見た。

 ぎくりと身をすくませる。その手の視線には身に覚えがあった。


「あなたの格好は、もう少しどうにかならないの?」


 怒ってはいない。呆れ半分の視線だった。

 あたしは「あはは」と誤魔化すように笑い、頭を掻く。

 あたしの格好は、ほぼ平民が着る服に近い。レースやリボンのないヒザ下より少し長いくらいのスカート。上も無地のブラウス。

 生地や造りは丁寧なのだけれど、形としては平民そのものだ。


「アシュタルテさまみたいに、汚せずに歩ければいいんですけど」

「やればできるわよ」


 アシュタルテさまは刺繡がふんだんに入ったスカートの裾を持ち上げる。裾に行くほどレースは増え、手荒く扱えば破けてしまうだろう。

 土の上を歩くたびに裾は揺れているのに、アシュタルテさまはひっかけない。触れないから汚れもしない。

 やればできる――その一言で、できるものとは思えないが、見事な裾捌きは女性として見習いたいものだ。


「こっちの方が仕事がしやすいので」


 あたしも自分の裾を少しだけ持ち上げた。アシュタルテさまに比べれば、雑すぎる動きだろう。

 レースなどもない、折り返された布は、薄い布が何重にもなった物に比べて頑丈だ。

 裾を見る。やはり汚れていた。

 ぱっと手を離し、道案内を続ける。アシュタルテさまは何も言わなかった。


「もう少しで見えてきますよ」


 町が途切れて、赤茶けた道と林が続くようになる。

 水害を防ぐため補修された堤防を歩く。徐々に喧騒が遠くなり、赤い屋根の工場が緑に隠れて見え始める。

 川の流れる音に紛れて、機を織る音が聞こえてきた。


「川の側にあるのね」

「水を多く使うので、ここにしました。水汲みは大変なので」


 アシュタルテさまが工場の周りを見回す。顎の下に手を当てる姿は、よく見るから癖なのかもしれない。

 茶色の壁は木だし、屋根も防腐剤によって色がついているだけ。

 道具や材料の搬入があるので、入り口だけはあたしの倍くらいの高さと幅があった。が、全体としては小屋に毛が生えた程度だ。

 扉を開けて先に入れば、アンナが出てきてくれた。


「ライラさま!」

「アンナ、調子はどう?」


 アンナの表情は明るい。問題は起こっていなそうだ。

 いつもの調子で報告しようとしたアンナだったが、あたしの後ろに明らかに貴族の令嬢がいることに気づくと、すぐに膝を折った。


「こ、これは失礼しました!」

「気にしないで、ライラに町を見せてもらっているだけだから」


 アシュタルテさまはアンナをちらりと見ただけで、扇の先を何度か横に振った。すでに視線は内部をキョロキョロと見回している。

 アンナは戸惑ったようにあたしとアシュタルテさまを交互に見てくる。

 その気持ちはよくわかる。あたしは苦笑しつつ、アンナに立つように言った。


「アシュタルテさま、彼女がこの工場を任せているアンナです」

「女性が責任者なの?」


 アシュタルテさまはあたしの紹介に、くるりと目を丸くした。元々大きい瞳がさらに大きくなる。

 アンナは黙ってスカートを持ち上げ膝を折った。綺麗な礼を横目で確認しつつ、あたしは説明を加える。


「あたしが頼みやすい人に頼んだ結果です」

「ライラさまが働き口のない女達を集めて仕事をくださったんです」


 力拳をつくるアンナの肩に手を置く。

 どうにもこの工場の人たちは、あたしを立てすぎる。

 アシュタルテさまはアンナの様子とあたしの顔を交互に見て、扇を唇の下に当てた。


「ふぅん、面白いことをしているのね」


 面白いことかは分からない。

 あたしは自分のスキルでできたものを、この領のために生かそうとしただけだから。

 アンナの信頼している視線と、アシュタルテさまの好奇心丸出しの視線。その二つを逸らすように、あたしは奥の方を指さした。


「機織り機ができた副産物なんですけどね」

「機織り機?」


 首を傾げるアシュタルテさまは、きっと機織り機を見たことがないのだろう。

 貴族の服は仕立て屋が作るし、魔力を込めたものはスキル持ちしか作れない。

 だから、機織り機を使うのはスキルのない平民くらいなのだ。


「奥にあります」

「見せて」


 間髪入れない返事が可愛らしくて、あたしはつい笑ってしまった。

 貴族令嬢にしては平民の暮らしに興味津々だ。差別があるのは知っていても、することはなさそうだし、冷血令嬢なんて名前のわりに、とても人間味のある女性のようだ。

 アシュタルテさまが心持ち浮かれて歩くのを、あたしは視界の端に捉えていた。


「これです」


 部屋の中に機織り機が置いてある。

 壁際から均等に3台。少しずつ増やして、やっとこの台数になった。

 普通の機織り機との違いは、糸を張っている棒に魔石を組み込んだこと。

 外から見てもほぼ違いは見えない。

 機織りの途中で少しだけ場所を譲ってもらい、アシュタルテさまに説明する。


「ここに魔石を組み込むことで、誰でも布を織るだけで自動的に魔力布が折れるようにしてあります」

「すごい発明じゃない!」


 効果は覿面。アシュタルテさまは魔力布の効用を知っているようだ。

 赤い瞳がキラキラと輝くようで、こちらまで嬉しくなってしまう。

 「触っていい?」と子供のように聞かれて、可愛らしさに頬が緩みそうになる。どうにか真面目な顔のまま頷けば、赤ちゃんにでも触れるように触れてくれた。


「ライラさまは、機織り機だけでなく糸巻きを助ける道具も作ってくださって……おかげで、手足が不自由なものも働けます」


 場所を代わってくれた女性とアンナがアシュタルテさまに笑顔で告げる。

 我が領の領民ながら、恐れ知らずというか、今のアシュタルテさまは王都で見たときと比べて大分柔らかいから、話しかけやすいのだろう。

 だけど、次々に振ってくる褒め言葉を受け止められるほど、あたしは褒められることに慣れていない。


「元からあるものだから、大したことじゃないよ」


 アシュタルテさまは興味深げに、ひとつひとつを動かしている。

 あれだけ魔力操作ができるのだから、触るだけで魔力を感じ取れているのかもしれない。

 あたしにはそのスキルがないから、それだけでわかるなら羨ましい限りだ。

 数台の機織り機をうろうろした。唸るような声を上げると、アシュタルテさまはこちらを見上げる。


「魔力布が自動で織れるなんて聞いたことがないわ」

「質は落ちるので、うちの領内でしか扱ってないんです」


 さすがにスキルで魔力布を作る人の品質には敵わなかった。

 それでもアシュタルテさまの興味は尽きないようで、細かい部分に質問が飛ぶ。


「どれくらい落ちるの?」

「お見せしますよ。アンナ、お願いできる?」

「はい!」


 走って去っていくアンナを見送りながら、あたしはアシュタルテさまを奥の応接室に連れて行くことにした。


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