第17話

 窓の外は透き通るような静けさに包まれていた。

 小さな綿毛のような雪が小刻みに舞い落ちている。白い粒子が空中を舞い、静かに世界を染め上げる。

 街は次第に雪に覆われ、柔らかな光を反射しながら、幻想的な雰囲気に包まれていた。


「結局、元の木阿弥……」


 その景色を眺めながらあたしはソファの背もたれに体を投げ出していた。

 どうしようか。どうしようもないのが、現実なのだけれど。

 石造りの壁から高い天井へと木材を用いて梁が複雑に組み上げられていた。


「私が働くって言ってるじゃない」


 あたしはアシュタルテさまの言葉に反応して、ソファから体を勢いよく起き上がった。

 はしたない仕草と捉えられたのか、アシュタルテさまの眉がわずかに寄り、その表情からは呆れが伺えた。

 あたしは唇を小さく尖らせる。


「だから、伯爵令嬢で、ましてや謹慎中のアシュタルテさまを働かせるわけには」


 あたしは両手を握りしめ、何度言ったか分からない言葉を続けた。

 アシュタルテさまはあたしの熱弁にも表情一つ変えず、涼しい顔だ。

 彼女の眼差しは冷静で、ほんのり微笑んでいたが、引く気はないのだろうなと思った。

 アシュタルテさまは小さく口を開いて、あたしの弱点を突いた。


「トレントの芯木」

「うっ」


 あたしは胸元を押さえた。

 どうしようもなかったとはいえ、アシュタルテさまが取ってきてくれたことで、本当に助かった。

 機織り機のときも必要だった材料で、冬場は特に数が少なく高値で取引される。

 売ってもいいし、これがあれば、機織り機の量産もできる。

 お金を集めるにはぴったりの手段。


「バーバー鳥の羽毛」

「うぅっ」


 アシュタルテさまの瞳には、鋭く知的な輝きが宿っていた。

 あたしの願いや欲しいものなど、彼女に容易くわかってしまうらしい。彼女の姿勢は優雅で、たおやかな仕草は変わらない。

 あたし一人だけが踊らされている。

 バーバー鳥の羽毛は、とても暖かく、魔力布に使えばよい効果を出すことが分かっている。

 だが、高い。バーバー鳥自体が珍しいことと綺麗な羽毛を手に入れるのが難しいためだ。

 これがあれば暖房器具の代わりになるかもしれない。


「サニタリアンシルクワームの繭」

「ううーっ」


 さすが、伯爵令嬢。高級な材料についての知識が半端ない。

 室内の照明は、まるで彼女の美しさを強調しているようにさえ思えた。

 アシュタルテさまの口元には微笑みが浮かび、深い知識と洗練された洞察力が宿っているように思えた。

 あたしはがっくりと肩を落とした。

 サニタリアンシルクワームの繭は最上級のシルクを作るときに必要なものだ。

 魔力布をシルクでつくったことはないが、シルクで魔力布を織れれば新しい需要がある。


「どれも私なら、たくさん取って来れるわよ」


 アシュタルテさまは自信に満ちた表情で胸を張った。

 彼女の姿勢は子供がとるようなものなのに、優雅な仕草がそうは見せない。言葉からも仕草からも自信がにじみ出ていた。

 トレントの芯木と同様に採集するのが難しいアイテムでも、関係ないのだろう。

 その確信に満ちた姿勢は――さすが、完璧令嬢。


「つっ、わかりました。ただ一人は止めてください」


 あたしは胸に手を当てたまま、顔を上げ、アシュタルテさまを凝視した。

 部屋の中で、窓から差し込む日差しは、ただ優しく彼女を照らしいている。

 それだけは許可することができない。いくら彼女がたくさんアイテムを取ってきてくれた方が、お金を稼げるとしても。

 あたしの言葉に、アシュタルテさまはきょとんと首を傾げた。


「どうするの?」

「騎士団の協力を仰ぎます」


 あたしは静かにこほんと咳払いをし、自分の姿勢を調整する。

 部屋の中に燃え朽ちた薪が爆ぜた音が響いた。



 石壁に囲まれた訓練場は、荒々しい雰囲気に包まれていた。

 その場で訓練をしている10人ほどの騎士たちは、訓練着を身にまとい、剣を構え、激しい斬り合いを続けていた。

 剣が空気を裂く音と、それに交じる鉄のぶつかり合う音が、訓練場全体に響き渡っている。

 あたしはその一団から外れた場所でディルムと向かい合っていた。

 無気味な静けさの中、ディルムの態度はあからさまに冷淡だった。


「ダメだ」

「第一騎士団の人員を少し割いてくれるだけでいいんですよ?」


 首を素っ気無く横に振るディルムの動作が、あたしの苛立ちを刺激する。

 あたしは思わず顔をしかめてしまった。

 ディルムは、あたしの様子など気にしないように腕を組んで視線を合わせることもしない。


「なぜ、栄えある第一騎士団が令嬢のおつかいの護衛をしなければならない」


 あたしは口から深いため息をこぼした。

 アシュタルテさまの行動は、気まぐれな貴族令嬢の遊びとは全く異なっている。何より、ノートルのための行動だ。

 本来であれば、あたしたちがしなければならないこと。

 あたしができるなら、一緒に行きたい。だが、あたしでは足を引っ張ってしまう。


「第一騎士団が採集を行ってくれてもいいんですよ?」

「それは騎士団の仕事ではない」


 ディルムが首を横に振る。

 石頭。というか、嫌がらせか。

 あたしは予想していた反応にすっと体を引いた。


「わかりました。他を当たります。お時間とらせて、失礼しました」


 訓練場の入り口から出ると、アシュタルテさまが待っていた。

 紫のドレスが風に揺れ、上掛けを身にまといながらも、少し震えているのが分かった。

 あたしは自分の外套をそっと渡した。外気の肌寒さに少し身震いするが、我慢、我慢。

 アシュタルテさまに向けて首を横に振りながら、気を取り直して声をかけた。


「第一騎士団は、駄目ですね」

「私ひとりでも大丈夫よ?」


 アシュタルテさまは手に取った外套を微妙に迷っている様子だった。

 彼女の手の中にある外套をもう一度受け取り、優しく肩にかけていく。「ありがとう」と照れたように、小さな声でお礼を言われた。

 その言葉に対し、首を横に振る。むしろ、申し訳なさがあたしの心の中には広がっていた。


「あたしに戦闘スキルがあれば」

「領主が採集に行くわけにもいかないでしょ」

「そっくり、そのままお返しします」


 あたしはため息をついた。

 ディルムが協力的でないのは、予想していたが、ここまでだと心が痛む。

 あたしは切り替えて次の方法を選択する。


「仕方ない……アシュタルテさま、もう少し歩けますか?」

「いいけれど」


 アシュタルテさまは首を傾げる様子に、不思議そうに目を丸くしていた。

 あたしは微笑み返すだけで、何も言葉を発しなかった。

 屋敷の門を出ると、小道に足を踏み入れ、町の喧騒が徐々に耳に入ってくる。


「これから見ることは秘密ですよ」

「ええ。良い女の条件は口が堅いことでしてよ」


 あたしは口元に指を持っていくと、悪戯な気持ちが少し湧いた。

 アシュタルテさまはわかっているように、艶やかにほほ笑み、優雅な微笑みを浮かべる。

 歩きながら、事情を説明し始める。


「第三騎士団?」

「あたしの私用をお願いするときが多いので、その名称を与えてます」


 アシュタルテさまの言葉に、あたしは頷いた。

 第三騎士団。

 元々ノートルには第二騎士団までしかない。第一はノートル家の警護。第二は町などの警備。

 第三騎士団と呼ばれる組織は公式には存在していない。あたしが便宜的に与えている名前だ。


「本人たちはいらなそうなんですけどね」


 石造りの壁に囲まれた通りを進む。

 このエリアはノートルの屋敷から外へ続く境界線で、石壁は綿密に建造され、通りは増改築を繰り返し、入り組んでいるた。

 初めてこの場所を訪れる人は迷うこと間違いなし。

 そんな中でも、アシュタルテさまは周囲を注意深く見回しながら優雅に歩ている。彼女の足は音もたてずに、慎重かつ穏やかに石畳を踏みしめていた。


「ふーん。こんな街中にあるの?」

「普段は、町の治安維持と森の管理をお願いしているんで」


 アシュタルテさまに先導しながら歩く。

 建物の影に入ると、周囲がほんのり薄暗くなる。石壁が日光を遮り、その影が通路に広がっていた。

 あたしは扉をしっかり確認しながら、アシュタルテさまを振り返る。


「ここです」


 と、その瞬間に後ろから首元に腕を回された。

 足音もなく、突然触れた手に、身体が固まる。一瞬の緊張。

 淡い香りが風に乗って鼻をくすぐり、すぐに後頭部に柔らかさを感じる。

 誰か分かったあたしの緊張が解け、安心感が心に漂う。


「おや、領主さまが出歩いてちゃ危ないよ?」

「ライラ!」


 耳元で響く声は艶やかで、まるで空間を満たすような存在感を放っていた。

 アシュタルテさまが近づき、瞳が一瞬で鋭く輝き始める。

 あの時と同じ雰囲気が漂い始めるのを感じると、あたしは慌ててアシュタルテさまに向けて手を差し出す。


「アシュタルテさま、大丈夫です!」


 指先が首元に回された腕に触れる。手のひらが温かな肌に触れ、ぽんぽんと腕を叩く。

 次に視線を上げると、目の前に広がるのは麗しい顔立ち。

 相変わらず、顔がいい。色香を放つその表情に、思わず見とれてしまう。

 彼女の目は悪戯な輝きを宿し、そのままじっとこちらを見つめている。

 そして唇が頬に触れる感触。柔らかな感触とともに、わずかな温かさを感じた。


「ビアンカ、お茶目すぎるよ」

「可愛らしい子が、珍しいお客連れでいたからね」


 第三騎士団の団長、ビアンカ。

 アシュタルテさまの護衛をお願いしようとしていた相手。

 だが――まるで猫がシャーっと威嚇するように、アシュタルテさまの赤い瞳はらんらんと輝いていた。

 さて、どう紹介しようか。

 あたしはビアンカの腕の中で頭を悩ませた。


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