第22話


 アルフォンス殿下の先触れの使者が来たのはその夜だった。

 でっぷりとお腹が出た使者が、手紙とともにノートル家の屋敷に入る。

 玄関での迎え入れだが、王家からの使者ということもあり、屋敷の使用人は多く揃えるようにした。

 あたしも王城で陛下に謁見した以来のきちんとしたドレスに身を包んでいた。


「アルフォンス殿下と聖女セレナさまが、ダンジョンの調査と浄化のために来られる。貴殿においてはよく準備するようにとの仰せである」

「はい、かしこまりました」


 王家の代理なので、使者が立ち、あたしは膝をついて聞いている形だ。掲げるように手紙を受け取り、すぐにジョセフに渡す。

 使者はそれだけですぐに帰っていった。使用人たちもばらけていく。

 玄関に残ったのは、あたしとアシュタルテさま、オレットだけだった。

 あたしは気分を切り替えるように長く息を吐いた。


「……まさか、本当に二人で来るとは」


 あたしは隠れてもらっていたアシュタルテさまの傍に寄る。

 アシュタルテさまには使者から見えない位置に控えてもらっていた。身分としては最前列にいるべきなのだが、使者がアシュタルテさまの処遇を知っているか分からなかったためだ。

 使者を見送ったアシュタルテさまの顔は、いつもよりきつく――冷血令嬢の片りんを見せている。


「ねぇ、アルフォンス殿下って、何も考えてないのかな」

「元々、あまり深くは考えない人なのよ」


 あたしの不敬ともとられない言葉に、アシュタルテさまは否定することなく言い切った。

 王都の貴族社会の面倒を身をもって知ったあたしからすれば、それで大丈夫なのかと思ってしまう。

 苦笑するしかなかったあたしと違って、アシュタルテさまは使者が出ていった扉を見て意味深に呟いた。


「今回は私への嫌がらせでしょうけど」


 アシュタルテさまが自嘲するような笑顔を浮かべる。

 それを見て胸の奥に靄がかかり始める。王子のことで感情を揺さぶられているのを見たくなかった。

 アシュタルテさまの注意を引くために、あたしはわざと悪戯な笑顔を作った。


「実は好かれてるとか?」

「冗談でしょ。単純に私のいる場所にお金が入るのが嫌なのよ」


 はっ、とアシュタルテさまは鼻で笑った。

 その内容に、良いことでないと思いつつ、あたしは胸を撫でおろしていた。

 未練があるわけではなさそうだ。あたしは頬を指で搔きアシュタルテさまと同じように扉を見つめた。


「はぁ、陛下がわざわざ引き離した意味を考えないのかな」


 アシュタルテさまがノートルに離された理由はいくつか考えられる。

 アシュタルテさまの能力が高く、謹慎だけで同じ町にいるのでは王子の危険性を排除できないこと。

 貴族の多い王都では、良くも悪くも注目を集め、面倒に巻き込まれやすいこと。

 アシュタルテさまが婚約破棄されたことで起こる、「色々」の対処をするのに、いない方が楽なこと。

 つまり、当事者同士を引き離すためのものなのだ。


「考える人間は、婚約破棄をすることにはならないと思うわ」

「そりゃそうか」


 当然というように頷いたアシュタルテさまに、あたしは苦笑するしかなかった。

 アシュタルテさまは赤い瞳を細め、からかうような微笑みを浮かべた。

 こういうときは注意しなければならない、とあたしは身構えた。


「あなたこそ、婚約者どののお相手大変じゃなくて?」

「暴走しないといいなぁと思ってる」


 アルフォンス殿下の訪問を知った時のディルムの興奮を思い出し、あたしは天井を見上げた。

 彼の子供のような無邪気さと、純粋な喜びが目に浮かぶ。

 単純なのは良いことなのだが、あたしにとって素直に喜べることにはならない。

 相変わらず、アシュタルテさまは痛いところを的確についてくる。


「アルフォンス殿下の警護、彼の仕事でしょ」

「張り切ってたよ」


 両手を上げて首を振る。

 第一騎士団のメインの仕事だ。貴人警護。

 今までの中で一番の大物だから、ディルムの気合もわかる。

 彼が余計なことをしないためにも、あたしは彼らと一緒にいないといけない。


「アシュタルテさまは避難しててください」


 扉に向けていた視線をアシュタルテに向ける。

 とにかくアシュタルテさまと彼らを会わせたくなかった。

 あたしは静かに下ろしたままの手を握りしめ、お願いする。

 アシュタルテさまはそんなあたしのことなど見透かしたように軽く頷いて、ほほ笑んでくれた。


「今のうちに森で採集でもしておくわ」

「ありがとうございます。とっても助かります」


 軽い調子で言うアシュタルテさまに、救われた気分になる。

 あたしは床と並列になるほど深く頭を下げた。



 アルフォンス殿下の来訪は大まかには予定通りに行われた。

 豪華な馬車から降りてきた二人の両脇には頭を下げ迎える我が家の使用人たち。

 あたしは胸の底に冷たいものを抱えたまま、その様子を見守る。

 距離が近づき、アルフォンス殿下が前に止まったので、マナー通りの礼をした。これもアシュタルテさまに叩き込まれたので、前より綺麗なものが出来ている自信があった。


「そなたがノートルの領主代行か」

「初めてお目にかかります。本日は」

「あー、いい、いい。視察に来ただけだ、アレに会わない内に帰りたいからな」


 ピクリと頬が引きつった。幸いなことにアルフォンス殿下は気づいてなさそうだけれど。

 頭の上から降ってきた声に、仰々しく挨拶を述べようとした。しかし、アルフォンス殿下はその声を遮ったのだ。あたしは予想外の事態に顔を上げてしまう。

 目の前には面倒くさそうな顔で、片手をパタパタと振っているアルフォンス殿下がいた。もう片方の腕にはエスコートしているセレナさまの手が乗っている。


「どんなダンジョンでも、セレナがいれば問題ないだろう」

「アルフォンスさまのために頑張りますわ」


 形式的な挨拶も途中に、目の前でののろけ始める。

 胸の中に冷ややかな風が吹き抜けた。

 これが、アシュタルテさまを捨てた男と捨てててとった女か。

 あたしは冷え冷えとした怒りを抑えながら目を細めて眺める。表向きは丁寧に礼をし、愛想笑いでアルフォンス殿下たちを案内した。


「承知しました。では、騎士団の団長を紹介します」


 あたしの挨拶が終わったのを見て、ディルムが素早く近づいてくる。

 いつもより更に煌びやかな騎士服だ。気合を入れた表情でディルムは胸に手を当てて騎士の礼をした。


「ダンジョンでの警護は第一騎士団団長である私ディルム・ホランが承ります」

「団長自らついてくれるとはありがたい! こちらこそ、よろしく頼む」

「はっ」


 アルフォンス殿下からの言葉に、ディルムは恭しく頭を下げた。

 アシュタルテさまの時も素直にそうしていてくれたら、全然印象は違ったのに。

 それからディルムはアルフォンス殿下の隣にいるセレナさまに身体を向け、あたしが見たことのない顔で笑った。


「聖女さまにお会いできて恐悦至極に存じます。全身全霊でアルフォンス殿下と聖女さまをお守りします」

「まぁ、頼りになる方がいて嬉しいですわ。よろしくお願いします」


 あたしは鳥肌が立つ腕を目立たないように摩った。

 上っ面だけの会話に、ここまで気分が悪くなることをあたしは初めて知った。

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