第19話
森の中を二人で進む。
太陽が鬱蒼とした木々の間から差し込み、小さな光の柱が出現する。地面に描かれた不規則な模様にアシュタルテは目移りしてしまう。
鳥のさえずりや風のざわめきが森の中に響いていた。
アシュタルテはバーバー鳥の羽毛を担いだビアンカの後ろをついて歩く。
荷物を持っていても彼女の軽やかな足取りは変わらない。
決して急ぎ足ではなく、ゆっくりとしたペースはビアンカの心遣いが感じられた。
「ライラと初めて会ったのは、大体10年くらい前ですね」
10年。
決して短くはない歳月。アシュタルテは10年の歳月がどれだけの変化及ぼすか考えた。
ライラックは18のはずだからーーアシュタルテは頭の中で計算した。
「8才くらいかしら?」
「ええ、あの性格だから言葉遣いはしっかりした子供でしたね」
アシュタルテはライラが子供の頃の姿を想像してみた。
きっと雰囲気はそのまんま、小さくした感じだろう。
そして堅い言葉遣い。その小さな姿を想像しただけで、アシュタルテの頬が緩んだ。
「昔から真面目だったのね」
「わかります?」
ビアンカは意外そうに顔を向けた。
彼女の片眉が上がり、驚きと興味を表すような表情を浮かべている。
アシュタルテは肩を竦めて答える。
「領主代行の挨拶なんて、形骸化している慣習だもの。わざわざ守る人もいないわ」
アシュタルテは目を細め、考えを深げめた。
思い返しても、ライラ以外に真面目に挨拶しに来た人間を知らない。
目の前に来た草木の枝を避けるために、アシュタルテはそっと身をかわした。
話しながら周りを見ることも忘れない。
知識として知っていた場所と実際の場所が一致させるため頭に叩き込む。
次回の訪問ではもっと効率的に目的の物を収集できるようにしたかった。
「領主代行になる女性が少ないのも原因だと思うけれど」
「ありゃ、そうなんですね」
前方ではビアンカが地面に生えていた植物を手に取った。
薬効を高めるための重要な植物だ。さすが、目端が利いている。
微かな動きで、大切に手元に収める。ビアンカは植物を懐にしまい、何事もなかったかのように進んでいった。
「知りませんでした。ライラ、めっちゃ緊張してたんですけどね」
ビアンカがまるでその光景を目の前に見ていたかのように口にした言葉に、アシュタルテは首を少し傾げた。
彼女の言葉からは、まるで過去の出来事を思い出しているかのようなニュアンスが感じられる。
王城で彼女を見た覚えはない。
と、なると――アシュタルテはビアンカの顔色や目つきに何か変化が見られないか、静かに観察した。
「護衛?」
「こっそりですよ。心配で放っておけませんもん」
アシュタルテはビアンカに向かって確認するように尋ねた。
ビアンカは軽く肩をすくめ、微妙な微笑を浮かべて頷いた。その表情から、ライラをとても大切にしているのが伝わってくる。
そして、そのために非常に大胆なことをすることも。
どんなに優れていても、王城に忍び込むなど能力がなければできるわけがない。
「呆れた。王城に忍び込むなんて」
「堂々としてれば逆に目立たないもんですよ」
確かに城内には多くの貴族が行き交い、メイドたちも忙しく働いている。
紛れるには良いのかもしれない。
アシュタルテが納得したように頷いていると、一瞬だけだが意味深な視線が送られてきた。その視線には何かを伝えようとしているような微妙なニュアンスが含まれていた。
「だから、アシュタルテ嬢に護衛なんていらないとも思ってますよ?」
ああ、とアシュタルテは納得した。
あの場面を見ていたなら、アシュタルテが採集に行くのに問題ない実力があると分かったはず。
ライラが一等過保護なだけで、大抵の貴族は実力のある居候など上手く働かせようとするだろう。
知っていたのに、ビアンカが素直に付いてきたのは。
「ライラの命令だから?」
「加えて、あまりにも迷いなく材料を集めるんで、怪しいなぁと」
ビアンカからさらりと告げられた言葉に口を噤んだ。
なんと答えればいいか。適切な回答はない。
ビアンカは明らかにアシュタルテ自身の反応を読みに来ている。
ノートルに腹芸ができる人間はいないと思っていたが、ライラは良い騎士に恵まれているようだ。
アシュタルテは大まかにだけ答えた。
「……知ってるだけよ」
「そうですか」
さらりと流された。疑いは晴れていないだろう。
アシュタルテは空気を変える様に咳払いしてから、ビアンカに聞き返す。
「それで、出会いは?」
「よっぽど知りたいんですね」
アシュタルテの咳払いは、あたかも遠くのどこかで喉をかすめるような音だった。
その後、アシュタルテは澄んだ表情を作り出し、微笑みを浮かべた。だが、アシュタルテ自身いつもより笑顔に自信が持てなかった。
ビアンカは器用に羽毛を担いだまま両肩を上下させてみせた。
「気になる事は追及することにしてるの」
それ以上答える気はない。
ビアンカもそれを感じ取ったのか、へらりとした笑いを貼り付けながら答えた。
「今の状況と同じですよ」
同じとは?
アシュタルテは少し首を傾げた。
ビアンカが町の方から森の中を線を描くように指差した。アシュタルテはビアンカの指の動きを注視しつつ、会話の続きを待つ。
「スキルに目覚めて、開発したくて、ライラが森に入ったんです」
アシュタルテは驚きに目を丸くした。
「8歳で?」
「8歳で」
ビアンカの苦笑には、ありえないでしょ?という囁きが見えるようだった。わずかに肩を上げ、アシュタルテを見てくる。
アシュタルテは、顔をしかめた。
何も知らない子供が森に入った結末など碌なことにならない。言葉には出さなくても、森へ足を踏み入れることの危険性を理解している。
「あまりに危なっかしかったんで、助けたんですよ」
少し目を眇め、遠くをみるビアンカには幼いライラが見えているのだろう。
口調とは裏腹に口元は緩んでいた。
「そしたら、懐かれちまって」
「大分、信頼されているようだけど」
ノートル領に来てから、アシュタルテはライラとほとんど行動を共にしている。
色んな人に会ったが、一番心を開いているのではないかとアシュタルテは思っていた。周囲の他の人たちと比べて、ビアンカに対する態度は際立っている。
静かな空気が両者の間に広がり、言葉よりも多くを語るその視線が交わされた。
「あたしゃ、可愛いものに弱くてですね。可愛いライラのお願いを聞いてあげてたら、いつの間にか騎士にまでなってたんですよ」
「それは」
詳しく聞こうとした瞬間、ビアンカは急に足を止めた。
アシュタルテはぶつかりそうになったのを既のところで止まる。
「しっ」
ビアンカの視線が鋭くなり、声が低くなる。
アシュタルテも周囲をじっくり見渡し、ゆっくりと確実に前方を視界に入れた。
慎重に体を動かす。緊張感が心臓の音を際立たせた。
「アシュタルテ嬢の恋の相談には後から乗りますから」
「……恋愛相談なんてしてないのだけれど」
そんな中でも、ビアンカの余裕は崩れない。それが少し悔しい。
アシュタルテは小声で言い返した。
その間も森の中を二つの頭を持つ狼型モンスター、ドゥベロスが静かに歩いているのが見えた。
その特徴的な姿を見間違うわけがない。思わず言葉がこぼれ落ちた。
「なんで、ここにダンジョンのモンスターが?」
アシュタルテはビアンカを見上げる。
ドゥベロスはダンジョン内でしか姿を現さないモンスターとされる。
その存在が森の中にいるということは。
こくりとビアンカが小さく頷いた。
「ダンジョンが出現した可能性があります」
アシュタルテの予想通りの言葉を、ビアンカは深刻な声で告げた。
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