第28話


 なぜか、陛下が貸してくれた馬車に、あたしとオレットは並んで座っていた。

 窓の外を早馬と同じくらいの速度で景色が流れていく。

 対面に座っているのは、これまたなぜか、陛下より連れていけと言われた青年――ピエールと名乗った使者はすらりとした貴公子の風貌だった。

 どこかで見た気がする。

 あたしが王都で会ったことのある人など限られているのだが、思い出すことは難しかった。

 ピエールはあたしに陛下からの依頼について細かく説明してくれていた。


「と、いうわけで、ライラック領主代行には映像記録装置の開発を頼みたい」

「はぁ」


 ピエールの表情はどこか胡散臭さが漂う。

 表面上は愛想の良い笑顔なのだけれど、男からそういう表情を向けられたことがあまりないあたしにとっては疑う要素になってしまう。

 これがアシュタルテさま相手だったら、何も思わないのだけれど。

 陛下が欲しい映像記録装置について説明を受ける。

 あたしはため息ともとれる相槌をうつしかなかった。


「魔女の瞳は特別に貸し出すそうです。遠慮なく使うようにとのことです」

「えぇ」


 ピエールからそう言われても、遠慮するに決まっている。

 オレットはこういう時だけメイドらしく上品に座っていた。

 魔女の瞳は、遠くの場所を見るための魔法道具だ。もともと遠見のスキルを持っていた人間から開発されたらしい。

 そう遠くを見るための道具なのだ。

 画期的なのは間違いない。だけど、そこから映像を記録する装置を作るとなると、他の道具や段階を踏む必要が出てくる。

 あたしは小さく咳ばらいをしてからピエールを伺った。


「……これ一つで一億フランって聞いたんですが」

「間違いありません」


 すんなりと頷かれてしまった。

 ピエールの隣に置いてある箱は、両手で持ち運びができるほどの大きさだ。

 おそらく箱は壊れないようにするアイテムで、中にさらに小さな魔女の瞳が入っているのだ。

 それで一億フラン。壊したら、どうしようと冷や汗が勝手に噴き出た。


「そんなものを気軽に貸されても」


 あたしはなるべく近づかないように、馬車に背中をぴったりくっつけた。

 オレットは動じない。寝ているのではないかとさえ思った。

 ピエールはあたしの反応を見ても、ほほ笑んだままだ。


「ライラック領主代行の力を見込んでのことです。元になるものがあれば、何でも作れると」

「買い被りです」


 ぴしゃりと言い切る。

 分析と設計があれば、欲しい機能は開発できるだろう。

 元のものがあれば、それを小型化したりするだけなのだから。

 しかし必要な材料は未知数であり、あたしにもどうにもできない部分だ。

 ピエールは一段と笑みを深めた。


「いいえ、あなたの実力はスタージア家のご令嬢が認めるほどですから」


 あたしは顔を少し引き締めた。

 貴族からアシュタルテさまの評判を聞くことはほとんどない。

 あたし自身引きこもりに近く、他の貴族と会わないからだ。

 だが、たまに聞いたとしても悪評ばかりで、聞くことに嫌気がさしていた部分もある。

 あたしは少し見直した気分でピエールを見た。


「あなたはアシュタルテさまのことを、きちんと知っているのですね」

「能力はピカ一。それは誰しも知っていることですよ」


 肩を竦めるピエールの身振りは大きかった。

 あたしは力強く頷く。

 アシュタルテさまは凄いのだ。

 それから、早馬と同じ日数で、馬車はノートルに到着した。

 玄関に着くことにはジョセフがすでに立っていた。見える表情が硬く、あたしは胸騒ぎを覚える。


「ライラさま、至急ご報告したいことが」

「どうしたの?」


 帰宅の手順など吹き飛ばし、あたしは自ら馬車の扉を開けた。

 ピエールが驚いた顔をしているのが、視界の端に見えた。

 だが気にせず馬車から飛び降りる。オレットがスカートの裾を治してくれた。

 ジョセフが深刻な顔で告げた。


「浄化された影響か、ダンジョンでスタンピードが起こりかけております」

「ええっ?」

「なんと、恐ろしい」


 スタンピード。

 一拍遅れて意味が頭の中に伝わり、あたしは思わず体をのけぞらせた。

 ピエールも端正な顔をしかめている。

 あたしは数歩だった距離をさらに詰め寄るりジョセフに尋ねた。


「被害は? ビアンカたちは無事?」


 矢継ぎ早に答えを求める。

 答えによっては、この足でダンジョンに向かわなければならない。

 特に気になるのはアシュタルテさまだ。

 彼女がスタンピードが起きかけているときに、じっとしていられるとは思えない。

 ぎいと音を立てて扉が開く。

 ビアンカだ。ビアンカがいつもの格好に、手を三角巾でつっている状態で現れた。


「あたしゃ、大丈夫だよ」

「ビアンカ!」


 駆けよれば、いつもの笑顔が帰ってきた。

 それに胸を撫でおろしたが、同時に、不安が持ち上がる。

 ビアンカがここにいるなら、第三騎士団の指揮は誰がとっているというのだ。


「ダンジョンは」

「第三騎士団で交代交代に対応してる。次々溢れてきて、どうしようもないね」


 片方だけ器用に肩を竦めるビアンカ。

 あたしは片手を握りしめ口元に当てる。そうでもしないと拳が震えてしまう。

 状況は悪い。ほぼスタンピードが起きていると言ってよい。


「なんてこと……アシュタルテさまは?」


 そっと、ビアンカの腕に触れながら様子を見る。

 遅れて馬車から魔女の瞳を持ったピエールが下りてきていた。

 ビアンカは彼を見て少し驚いた様子を見せたが、すぐにあたしを見て苦笑いした。


「ダンジョンだよ。原因は浄化以外に、奥にあるって言って」

「一人で潜らせたの?!」


 詰め寄る。ビアンカは避けない。

 とん、と肩がぶつかり、ビアンカに抱きつくような形になった。

 片手でもぎゅっと強い力に支えられる。

 ビアンカがあたしの耳に顔を寄せて囁いた。


「どうにか何人かつかせたけど、あの様子じゃ……ごめんね」


 珍しい。ビアンカの声が震えている。

 見た目よりいろいろ重症なのかもしれない。

 あたしは自分より背の高いビアンカを見上げ、その頬を両手で挟んだ。

 まっすぐ目を見据えて伝える。


「ビアンカが頑張ってくれたのはわかってる」


 彼女があたしのために、頑張ってくれなかったことはない。

 それだけは伝えたかった。

 あたしはビアンカの頬を離すと、小さく苦笑して見せる。


「それに、アシュタルテさまも無茶する人だから」


「確かに」と頷いた時には、ビアンカはすっかり元の調子に戻っていた。

 あたしは玄関から中に入り、自分の執務室に歩き出す。

 情報の確認と着替えが必要だ。

 ビアンカから話を聞きつつ、行動を整理していく。

 ピエールは魔女の瞳を手に後ろをついてきていた。


「他の騎士団は?」


 ライラの言葉にビアンカはすぐに首を横に振った。


「第二は町にモンスターが入らないように警護してるし、第一騎士団は……五級のダンジョンのスタンピードくらい、どうにかしろと」

「五級でもスタンピードは危険だが」


 ビアンカの言葉に答えたのはピエールだった。

 その通りと、あたしは深く頷く。

 なぜ、誰でもわかるようなことが、騎士団団長のディルムにわからないのか。

 スタンピードは何級のダンジョンでも油断できないものだ。

 小さく頭を振った。ビアンカがピエールをちらりと見る。


「この人は?」

「陛下からの使者で、ピエールと呼んで欲しいそうよ」


 それ以上の情報はあたしも知らない。

 アシュタルテさまに聞こうと思っていたくらいだ。

 第二は町で手一杯。第一は動かない。

 ライラにできることは第三が上手く動けるようにすることだ。

 何より、ダンジョンにはアシュタルテさまがいる。

 さっさと動きやすい服装に着替え、外套をまとった。


「あたしも現場に向かうね」


 命綱のアイテムだけは確認する。

 執務室を出ようとしたところで、先に扉が開いた。

 急ブレーキをかけて、たたらを踏む形になる。

 ぶつかりそうになった人物を見上げ、あたしは舌打ちしそうになった。


「ならぬ」

「ディルム」


 開口一番、そう言ってきたのは、スタンピードに対応すべき第一騎士団団長のディルムだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る