第10話 訴状
赤い封筒を中心に、あたし、アシュタルテさま、アンナが工場の応接室に集まっていた。
まだお昼より早い時間帯。働いてくれる女性たちの大半は出勤していなかった。
そんな中でもアンナは誰よりも早く、この工場の鍵を開けてくれていた。他にはジョゼとゾフィがいるだけだ。
ひんやりした空気のなか、薪が燃える音だけが聞こえてきた。
「本物だったなんて」
「中の様式も正式なものだし、書類としては完璧な体裁ね」
アシュタルテさまが書類を上から指でなぞるようにして確認する。
封筒が来て、まず中身の確認をした。
訴えられているのは、機織り機だった。
最初だけ隣の領――サーザント領から買い付けたのだ。そこから改良して、あの魔力布ができたのだが、それがマズかったらしい。
(今さら過ぎるんじゃない?)
腕を組みながら、首を回してみても、さっぱり良い方法は出てこない。
隣に座るアシュタルテさまも、わずかではあるが眉間にシワが寄っている。
アンナは机の上に置かれた手紙を見て、肩に顔がつくのではないかと思うほど不思議そうに首をひねっていた。
「うちの機織り機が、盗用……?」
じっくり呟いて、首を正面に戻す。それから今度は逆の方に傾けた。
アンナは何度かその動作を繰り返し、困惑した顔で手紙を机に置いた。
「まったく可笑しな話じゃないですか? 隣の領に機織り機を卸したのはうちの方ですよね」
「そのはずなんだけど」
アンナの言葉にあたしは頷いた。
改良した機織り機をサーザント領に卸したのは去年だ。
その時は、特許だ何だと言われることもなく、買い取ってくれた。
あたしとアンナが首を傾げていると、アシュタルテさまが紅茶をソーサーに置いた。
「それが、そうとも言えなくてね」
アシュタルテさまは手元に紙を取り出した。
スタージアの家紋(この間、調べた)が入っている高級そうな紙だ。
あたしは項垂れた姿勢のまま、視線だけをアシュタルテさまに向ける。
「特許申請してあったのは、サーザント領の機織り機だけなのよ。ライラはそれを改良したのだけれど、申請されてない」
ちらりと視線を寄越される。ぐうの音も出ない。
だって、それを申請していないのはあたしなのだから。
アンナがアシュタルテさまの言葉に顎の下に手を当てながら首を傾げた。
「……権利の上では、あっちのものってことですか」
アシュタルテさまはひとつ頷くと、紙をあたしの方に差し出す。
それから再度ティーカップを持ち上げた。
渡された紙に目を通す。
確かに機織り機の申請はサーザントの名前でされているものが最後だ。あそこは布の町だから、機織り機に関する特許申請も多い。
「まぁ、魔力布を織れるなんて機能は他にないから、申請さえしてれば確実に勝てたんだけど」
じーっとアシュタルテさまから視線の圧力を感じて、あたしは顔を伏せたままにした。
紙を見ながら今でも納得できない事実を口に出す。
「……だって、ほぼ機織り機のままだし」
「甘いわね。宝の持ち腐れ過ぎでしょ」
肩を竦めるアシュタルテさま。
アシュタルテさまから特許について講義してもらったあたしは、自分がどれだけ勿体ないことをしたのか、分かっている。
反論もなく項垂れていたら、ここで滅多に聞くことのない声が聞こえてきた。
「ライラ! ここにいるのだろう?」
ディルムの声だ。
部屋の中にいる誰もが扉の方へ顔を向けていた。
まさか、ここにディルムが来るとは、信じられない。彼はここを無いものとして扱っていた。
アンナもアシュタルテさまも眉間に深いシワが刻まれている。あたしも似たような顔だろう。
「アンナ、悪いけど」
「わかりました」
アシュタルテさまは腕を組むと扇を広げた。口元が隠され、目元がすっと冷えていく。
どちらが早いか、ディルムが扉を開けて入ってくる。足音は響くし、大きな肩幅のまま歩くから、狭い工場で物にぶつかっていた。
「また、面倒なのが来たわね」
アシュタルテさまが小声でつぶやく。
扇に隠されていても、あたしには聞こえていた。吹き出しそうになるのをどうにか堪えた。
ディルムはまったく気づかず、あたしの前に大股で歩いてくる。
「訴状が届いたと聞いたぞ。サーザント領の機械を盗んだとか」
「盗んでいません。難癖です」
あまりの言い草に、むっとした声が出た。
特許侵害と訴えられている状態だ。特許侵害と機械を盗むのは、全然違う。
思わず反論してしまったあたしの言葉にディルムは眉を吊り上げる。
「難癖? 訴状が届いているなら、難癖でもなんでもないだろう」
言うだけ無駄らしい。
あたしは歯噛みしながら、鼻で笑うディルムを黙って見つめた。
「あちらの要求は?」
「機械を使わないようにすること、1000万フランを支払うこと」
ディルムから矢継ぎ早に言葉が飛んでくる。
あたしは訴状の内容を端的に伝えた。どちらもノートルにとってダメージが大きい。
ディルムは天井を仰ぐように上を見た。
「なんてことだ」
お金の話をしたことがないディルムでも、1000万フランの大きさはわかるらしい。
額に手を当てたディルムが片手をソファにつける。
アシュタルテさまはソファに座ったまま、わずかに身を引いた。扇を顔の前に広げ、状況を冷静に口にする。
「機械を使えなければ、領の収入は減ることになる。1000万フランは払えるけれど、今年の冬の備蓄に回したかった、ということよね?」
「そうです、アシュタルテさま」
アシュタルテさまは、さすがに内政のことを分かっている。
ノートル領は効率化された布の生産で、どうにかこうにか持っている状態だった。
外に出すほどの特産品もなく、特に冬の間は備蓄と燃料にごっそりお金を持っていかれる。
布にしても外に出すのは普通の布。魔力布は保温効果を持たせて、領民の凍死を防いでいる。
「支払うべきだ」
「ディルム」
アシュタルテさまの話を聞いていたのだろうか。
間髪入れず言い放つディルムに不信感が募った。
名前を呼んだ声に、ディルムは部屋を見回すと再び鼻で笑った。
「機械はまた作ればいいだろう? お金を支払ってさっさと名誉を回復すべきだ」
あたしは唇を引き結んだ。
貴族にとって名誉は大切だ。だか、それは王都で鎬を削るような争いをしている貴族だけ。
ノートル領のような地方貴族は、名誉が傷ついただけで死ぬことはない。
「名誉って……機械を使えず、お金を払えば、餓死や凍死者が出ることになるんだよ?」
じっとディルムの瞳を見返せば、彼は言葉に詰まった。
勢いのまま言った部分も多いらしい。ディルムの顔が赤く染まる。
「とにかく、君が開発したものでこんな問題が起きているんだ。早く事態を収拾するように」
言い捨てのような形で、ディルムは足早に工場から去っていった。
あたしは呆れたようにその背中を見送るしかできなかったし、アシュタルテさまは見てもいなかった。
彼の姿がなくなり、ふーと力を抜くように息を吐く。
「その方法がないから、困ってるんじゃない」
訴状に書かれている以外の方法で、解決できないか。
あたしだって、さっさとこういう面倒くさいものは終わらせてしまいたいのだから。
ソファに座ってお茶を口に含む。大分温くなっていた。
アシュタルテさまは、にっこりと笑った。
「ないこともないわよ」
「え?」
アシュタルテさまの提案は、あたしにとって青天の霹靂そのものだった。
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