第9話

 町が闇の帳に沈む時間になって、あたしとアシュタルテさまはノートルの屋敷に戻ってきていた。

 窓の外は暗くなり、街の灯りがボツボツと見えている。

 脇に括られていたカーテンを外して、厚手のカーテンをしっかりと閉じる。オレットが手伝ってくれたから助かった。


「失礼しました」

「ありがとう、助かったよ」


 オレットが入れてくれた紅茶から湯気が立ち上っていた。

 暖炉にはわずかばかりの薪が入れられ、火が揺らめいている。

 本格的な冬が眼の前に来ていた。

 今年の麦も去年と同じくらいの収穫と報告があった。

 何もなければ飢え死ぬことはない。だが、何もないということが難しいのも、ここに住んでいれば十分わかる。

 ソファに座ったまま静かに紅茶に口づけるアシュタルテさまを隠れ見た。


(思ったより穏やかに過ごせているけれど)


 アシュタルテさまは、毒殺容疑がかかった容疑者であり、それ以外にも王都の面倒な利害関係の中心人物。

 今が平穏でも、明日が無事とは限らない。

実家を離れて、一人見知らぬ土地に引き渡される。

 どれだけ心細いのか、不安なのか。

 ノートルから離れたことのないあたしには想像さえ及ばない。

 と、あたしの視線に気づいたのかアシュタルテさまが面白そうに唇を釣り上げた。


「スタージア家が何をしているか知っている?」


 スタージア家。伯爵家ということは知っている。治める領地を持たない宮廷貴族であることも。

 宮廷貴族なら仕事をしているわけだが、その具体的な内容まであたしは知らない。

 貴族としてはあり得ない知識不足だ。知らぬ間に動きを止めていたら、アシュタルテさまが紅茶をソーサーに置いた。


「知らないのね」

「すみません。ほぼ引きこもりで開発ばかりしていて」


 素直に謝ってしまおう。元々図星だから、逃げるだけ悪手だ。

 勢いよく頭を下げる。

 アシュタルテさまはゆったりと扇をを横に振るだけだった。


「いいのよ。スタージア家は主に特許とその活用を管理しているわ」

「え、そうなんですかっ」


 そろそろと頭を上げて様子を伺っていたら、まさかの言葉が降ってきた。

 バネじかけの人形のように下げていた頭を上げ椅子から立ち上がる。


(お世話になっていたのがアシュタルテさまのご実家だったなんて!)


 知らぬとは怖いことだ。

 父がいたときは、あたしの開発したものを何個か登録していた。

 その書類にサインをした覚えはあるのだけれど、記憶は曖昧だ。父の具合が悪くなってから、登録自体をおろそかにしていたせいもある。


「私も手続きや整理を手伝ったことがあるのだけれど」


 アシュタルテさまは言葉を切る。

 あたしは何を言われるのかと身構えた。

 ステージア家の仕事も知らなければ、その仕事の手伝いも浮かばない。


「一応ね、仕事だから、ちゃんとしようと思って。全部、暗記してたの」

「へ?」


 間抜けな声が出た。

 どうやら、アシュタルテさまの能力は規格外のようだ。全部暗記って……言葉をなくしたあたしは悪くないと思う。

 額に当てていた指をアシュタルテさまは、ゆっくりと膝の上に組み直す。


「これはそんな私でも初めて見るわ」

「……もしかして、ヤバいですか?」

「もしかしなくても、世紀の発明だと思うけれど?」


 珍しいのは知っていたけれど、普通にスキルに載っていたから、世紀の発明なんて言われるほどだとは思わなかった。

 頭を抱える。


(皆の反応は、こういうことだったのね)


 ちょいちょい、思い当たる節はある。父親の引きつった顔だったり、周りの怪訝そうな表情だったり。

 アシュタルテさまは我関せずと、静かに紅茶を飲んでいる。

 肩に触られる感触に頭を上げたら、オレットが生暖かい笑顔を浮かべていた。


「ほら、お嬢様、言ったじゃないですか」

「機織り機がそんな大したもののわけないと思ったんだよ」


 唇を尖らせて反論する。

 だって、機織り機だ。改造したのは魔石を組み込むことだけ。

 設計に出てきた通りにしただけなのだ。

 あたしの様子にアシュタルテさまは、少しだけ難しい顔をした。


「申請はしてないってことね」


 してない。

 だって、新発明だなんて思っていなかったから。

 言い訳にもならない言葉が、口から出ていく。


「……機織り機を開発したわけではなかったので」

「あなたが作ったのは、機織りの道具じゃないわ」


 アシュタルテさまは、目の前に置かれた魔力布に手を伸ばす。綺麗に巻かれた状態から、少しだけ布を出した。

 何かを呟いたと思ったら白い光がキラキラと舞った。

 魔力の反発。

 相容れない魔力同士がぶつかると起こる現象だ。

 アシュタルテさまは、魔力布を片手に肩をすくめた。


「魔力がない者でも魔力布を編めてしまう道具よ」

「でも、質が……」

「上質な魔力布の6割はあるわ。駆け出しの冒険者なら充分よ」


 アシュタルテさまが言ったのは、魔力布の使い方としては一般的なものだった。

 魔力布は魔力を纏った布だ。その魔力を使うことで、装備を丈夫にしたり、装着者の回復を早めたりする。

 もちろん、質が良いほうが効果が高くて、長持ち。

 一週間以上になる場合は、うちの魔力布では役に立たないだろう。

 だから、そういう用途には卸していなかった。


「うちでは保温布として使っているんです」

「保温布?」


 アシュタルテさまが小首を傾げる。

 白磁のような肌の上を艷やかな髪の毛が流れていく。

 それだけで、あたしの目は奪われてしまう。が、お預かりしている令嬢に見惚れてたなんで言えるわけもなく。

 あたしは、保温布の説明に徹する。


「ノートルは寒いので、この布は保温効果を付けて売ってるんです」


 むしろ、それでしか売っていない。

 薪も食料も手に入れるには限界がある。それ以外で、凍死を防ぐために考えたのが、この布だった。

 魔力布は糸と魔力の組み合わせにより色々な効果を発揮する。

 保温効果を持つ布を作りたいと考えながら設計を使えば、材料と作り方が出てきたのだ。


「待って。保温って」

「魔力布を編む時の糸に、ムートンの毛を混ぜるとその効果に……」


 そこまで言ってから、米神に指を当てているアシュタルテさまに気づく。頭痛を我慢しているような表情に、またやってしまったかと言葉を止める。

 オレットを伺う。

 先ほども見た生暖かい笑顔を浮かべ、頷かれた。

 あたしは口元に手を当て、呆然と声を出す。


「もしかして、これも?」

「あなた、探せば探すほど申請漏れがありそうね」


 これで申請漏れ扱いになるなら、その通りだ。

 ノートルのために欲しいなと思って、改良したものは百近くある。

 わずかな願いを込めて、あたしはアシュタルテさまを伺う。


「普通に、効果の所に書いてあるのに?」

「ムートンの毛が暖かいのは知られているけれど、魔力布に編み込むとか、それで保温の効果が出るなんて聞いたことないわ」


 早口の回答は理路整然としていて、分かりやすい。

 本当に全部を暗記しているのだろうか。

 だとしたら、婚約破棄した第二王子さまって、かなりの馬鹿なのか。

 ノートルでは誰も疑問を示さず、作ってくれた。

 スキルで表示されるのだから、そうなのだろうと。

 そこに疑問が始まる余地はない。アシュタルテさまが言ってくれて、あたしは初めてその特異さに気づき始めていた。

 言葉を失ったあたしの代わりに、オレットが保温布に解説を加える。


「ノートルは、この布が出てから冬に凍え死ぬ平民がいなくなりました」

「でしょうね」


 アシュタルテさまか扇を閉じた。

 どうやらお説教の時間は終わりらしい。

 あたしは安堵のため息をつく。と、アシュタルテさまの視線が飛んできた。


「早く申請しなさい。特許は早い者順よ」

「わかりました。そうします」

「手伝うから。これだけ特許があれば、資金に余裕が出るわ」


 何から手を付けていいのか。

 途方に暮れていたところに、この言葉。


「ありがとうございます!」

「もう、何で私が仕事することになるのかしら」


 びょこりと頭を下げてから、嬉しさのあまり溢れた笑顔でアシュタルテさまの手を握る。

 顔をそらして見えた頬には少しの紅さ。

 照れてる。可愛い。

 ほっこりした気分でいたら、激しく扉をノックする音が聞こえた。


「失礼します。今、隣の領から手紙が届きました」


 ジョセフの手には、急を告げる赤の封筒。

 これが届いたら、何より先に処理しなさいと言われていた。

 あたしはジョセフから手紙を受取り、表面を見る。

 ノートル家の権利侵害について。

 慌てて、封を切る。封蠟も正式なものだった。


「特許侵害について……?」

「訴状じゃない」


 呆然と読み上げたあたしのの声に、それ見たことかと瞳を瞑るアシュタルテさまが妙に印象的だった。

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