【完結】カタブツ女領主が冷血令嬢を押し付けられたのに、才能を開花させ幸せになる話

藤之恵多

第1話 冷血令嬢の婚約破棄


 アシュタルテ・ベッラ・フォン・スタージア伯爵令嬢は、第二王子の婚約者でありながら、血も涙もない人間である。


 いつの間にか動き出した噂は、本人の預かり知らぬ所で大きくなっていた。

 もっとも、本人に否定する気が起きないのだから、火に油を注いでいるに近い。


(今日も誰もいないわね)


 大勢の人がいるのに、アシュタルテの周りには一層の壁があるような有り様だった。

 第二王子の婚約者となれば、社交の華、のはず。貴族は派閥をつくることを一番に考える人間だ。第一王子から外れたならば、第二と考える輩は一定数いるはず。と、グラス片手にボンヤリとしていたら人混みの中心が騒がしくなった。


「くはぁっ?!」

「アル様?!」

「アルフォンス殿下?」


 おそらく、第二王子であるアルフォンスのうめき声。

 それから大きな顔でその隣に、アシュタルテを差し置いて常にいる聖女セレナの悲鳴。

 最後の声は誰のものかも分からない。


(一体なんなのかしら、この茶番)


 近寄ってみれば、輪の中心にいたのはアルフォンスとセレナ。

 アルフォンスの側には割れたグラスがあった。

 飲んで、苦しんで、落とした。そう見える状態だ。

 青い顔で胸元に手を当てるアルフォンスの側で、セレナがその体を支えている。

 ざわめきが広がるも、誰もそこには近づかない。茶番の匂いを感じているからかもしれない。


「これは毒? 今、解毒しますっ」

「ぐっ、いった、い……誰が?」


 棒読みのセリフを聞きながら、静かに周りを見渡す。

 怪しい動きをしている人間はいない。

 大体、毒殺するつもりなら弱すぎる。一瞬で効果を及ぼすものでなければ、セレナの隣にいる男を殺害することは難しいだろう。


「キュア」


 セレナの手から光が溢れ、アルフォンスを包み込む。「おおっ」と聖女の証の光に貴族たちの声が漏れた。

 光が収まれば、ケロッとした顔のアルフォンスが立ち上がる所だった。

 やはり、茶番。しかも巻き込まれる可能性が高いもの。

 扇を広げてからアシュタルテは深々とため息を吐いた。


「ありがとう、セレナ」

「いえ、アル様が助かるなら」

「さすが、聖女だな」


 手と手を取り合う、王子と聖女。

 これが物語ならば、名シーンとして語り継がれること間違いない。

 金髪碧眼のアルフォンスは背も高く体つきもがっしりしている。セレナは薄い銀の髪とこれまた薄い青の瞳が儚さを醸し出す。

 つまり、隣にいると非常に絵になる二人なのだ。


「それに比べて……アシュタルテ!」

「なんでしょうか?」


 名前を呼ばれてアシュタルテは扇を閉めた。

 呼ばれたら流石に答えなければならない。

 一歩前に出る。挨拶をする間さえ待てないように、アルフォンスから鋭い視線が飛んできた。


「お前はなぜ慌てもせず見ていた?」


ーーそれを言うなら、なぜ殿下は婚約者を放って聖女の隣にいたのですか?

 喉元まで出かかった言葉を飲み込む。アシュタルテはゆったりと首をかしげて、ほほ笑んだ。


「聖女さまがキュアをかけましたので、大丈夫かと」

「思いやりのない女だな」


 冷たい言葉を軽く頭を下げてやり過ごす。舌打ちさえ聞こえそうな態度だ。

 黙っていると、アルフォンスはにやりと笑顔の質を変えた。


「まぁ、この毒殺を仕組んだのもお前だからだろう?」


 はぁ、と肯定とも否定ともとれるため息が漏れた。

 人は身に覚えがないことを自分のせいにされると、何もかもどうでもよくなるらしい。

 何より、こんな杜撰な計画を自分のせいにされるのが、アシュタルテには我慢ならなかった。


「とんでもないことでございますわ」


ーー私ならば、もっと完璧に毒殺を成し遂げて見せる。

 言外に込めた意味にアルフォンスは気づくことなく。勝手に話を進めていく。

 その間もセレナの腰に手は回したままだ。

 アシュタルテはもう一度扇で口元を隠した。馬鹿馬鹿しくて笑みが、嘲笑になってしまうからだ。


「婚約者であり、王子である私を害そうなど恐ろしい。婚約は破棄させてもらう!」

「はあ」


 左手で不貞、右手で人を指さすアルフォンスに、アシュタルテは今度ははっきりと声に出して首を傾げた。

 アシュタルテ自身の薄い反応とは対照的に、周りの貴族たちは口々に「婚約破棄」「冷血令嬢」などどいった単語を口にしている。

 ざわめきを大きくする貴族を背景に、アルフォンスが得意げに胸を張った。

 いや、違うから。勘違い男にそう言えたら、どんなに楽だろうか。


「騎士よ、さっさと引っ捕らえよ!」


 あり得ない発言に顔をしかめてしまう。アシュタルテは扇を閉じて腕を組んだ。

 有罪が確定したわけでもないのに、騎士を使って捕まえようとするなどあり得ない。

 ましてや成人男性でもない、ドレス姿の令嬢だ。

 アシュタルテに近づいてくる騎士たちの顔にも戸惑いが見える。


「ほんとに、とんでもないことで。冗談も過ぎると笑えませんわよ?」

「冗談なものか」


 もう一度、同じ言葉を繰り返す。

 アルフォンスが行っているのは、貴族社会ではありえないーーとんでもないことなのだ。

 王家と貴族の約束を、家と家の約束を、王子個人の意思だけで変えれるとなれば、国の規範が成り立たない。冤罪をかぶせての仕業となれば、恐怖政治になるだろう。

 パンとアシュタルテは手のひらを扇で叩いた。

 さて、どうすべきか。


「か弱い女性ひとりに、大の男が何人がかりですの?」

「万が一にでも逃げられては堪らんからな」


 ニヤニヤした笑いを浮かべるアルフォンスは、どうやら状況の把握が上手くできない性質らしい。

 以前から、思い込みが激しいとは思っていたが、ここまで来ると愚かとしか言いようがない。

 逃げられたくないならば、さっさと捕まえるべきなのだ。

 アシュタルテは苛立ちを扇で紛らわせつつ、アルフォンスを見つめた。


「してないことから逃げる必要はありませんが……手ぬるいですわ、殿下」

「は?」


 アシュタルテ・ベッラ・フォン・スタージアは伯爵令嬢だ。王子の婚約者として完璧を目指した。

 王妃教育の中には様々なものがあり、そのすべてをアシュタルテは吸収した。

 そして、令嬢としてふさわしくないものは、なるべく表に出さないようにした。

 だから、アルフォンスは知らなかったのだろう。ぐっとアシュタルテはスカートの下で膝を曲げた。


「あなたを害したいなら、毒殺なんて不確実な方法は選びませんし」


 一瞬でアルフォンスに肉薄する。目を見開くアルフォンスの顔が近づく。

 セレナの隣にいるアルフォンスを殺したいならば、毒殺はありえない。

 そんなまどろっこしいことをする前に、首を落としてしまえばいいのだから。

 アシュタルテは扇に魔力をまとわせて、アルフォンスの首筋に当てた。


「こっちの方が、よほど早いですわ」

「ひぃっ」


 アシュタルテの扇が当たった部分から血が一筋流れる。

 痛みはほぼないだろう。かすり傷だ。アシュタルテでさえ教育の最中にこれより大きな怪我をしたことはザラにある。それなのに、アルフォンスは大きく腰を引き、震えている。

 隣に立つセレナがいなければ転んでいたかもしれない。

 情けない。

 情けなさ過ぎるアルフォンスの姿に、アシュタルテはふっと魔力を消し去ると、ただの扇に戻ったそれを広げる。


「バカバカしい。罠に嵌めるにしても、もう少し上手くやって下さいな」


 周囲を伺えば、騎士たちが距離を詰めてきていた。

 毒殺は完全なる冤罪だが、今、アシュタルテがアルフォンスに傷をつけたのは事実。

 アシュタルテはさっさとこの場を去ることに決めた。

 くるりと踵を返す。アルフォンスの少しだけ震えが収まった声が聞こえた。


「ま、待て!」

「これ以上付き合えませんので、帰らせていただきます」


 足を進める先の人垣が勝手に割れていく。

 騎士たちだけがジリジリと距離を測るように近づいてくる。

 一歩、二歩、三歩、歩いて。言い忘れていたことを思い出す。


「婚約破棄でも、どうぞご自由に」


 まったく、未練はない。

 くるりと身体をアルフォンスたちに向き直す。

 目があっただけで、びくりと体を竦める王子など、こちらから願い下げだ。

 にっこりとアシュタルテは令嬢にふさわしい笑みを浮かべた。


「それでは、皆さん。ごきげんよう」


 指の先まで意識して。

 あくまで優雅に頭を下げる。

 ほうと誰のとも知れないため息が漏れるのを聞いて、アシュタルテは再び魔力を纏い、騎士たちを振り切った。

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