第4話


  王城に足を運んだのは、これで二度目だ。

 一度目のことはほとんど覚えていない。

 あたしは静々と歩きながら、周りを見渡した。あちこちに魔法灯が付けれられ、熱のない光を施している。

 壁は綺麗に塗装され、触ればひんやりとしていた。硬いだろうに見事なレリーフが掘られ、どうやったのか知りたくなる。

 お姫様がいるとしたら、こういう場所なのだろう。

 男の人を立てて、綺麗なドレスが大好きで、優しくほほ笑む。そういう女の子。


(あの子だったら、似合うだろうな)


 ほとんど覚えていない一度目の、かすかな記憶――その子のことしか覚えていないとも言える。

 豊かな黒髪に宝石のように煌めく赤い瞳。あまり笑わない子だったが、笑った時の可愛さは目を奪われるほどで。

 神様が与えた美貌というものを思い知った。

 と、領主代行の形式的な挨拶の長さに、半ば現実逃避していたら名前を呼ばれた。


「ライラック・フォン・ノートル。そなたを領主代行として認める。よく励めよ」

「はい、全身全霊を尽くして」


 国王陛下からのお言葉に、頭を深く下げる。

 この一言を貰うためにわざわざ王都まで来たのだ。あとは挨拶を交わし退場するだけ。

 ホッとし始めた時に、玉座から想定外の質問が飛んできた。


「ときに、そなたは冷血令嬢を知っておるか?」

「は……どなたでしょう?」


 玉座に座るフィリップ国王陛下は、豊かな髭に指を埋めて顎を摩っていた。

 こちらを見定めるような視線に体に力が入る。

 冷血令嬢。通り名だろうが、聞いたことはない。そして、それをあたしに告げる意味はさらに分からない。


「第二王子の元婚約者だ」

「ええと、婚約破棄のお話だけは」


 陛下から追加された情報で、冷血令嬢が誰のことか知る。

 ディルムも口にしていた、第二王子から毒殺容疑で婚約破棄された令嬢だ。

 だが、それ以上のことは知らない。普通の貴族であれば、王子の婚約相手について知っているべきなんだけど……元々、あたしはそういった話が苦手。

 身分が違いすぎて会ったこともない令嬢だ。覚えておくのも難しいだろう。

 とはいえ、堂々と国王陛下にそう言うわけにもいかず、あたしは小さな声で付け足した。


「噂程度に」


 あたしの後ろめたさに気づいたのか、国王陛下は「かっかっか」と独特な笑い声を上げると、身を乗り出してくる。

 何か面白いことを言っただろうか。わざわざ聞いてくるということは、何かあると思ったのだけれど。


「何々、もはや平民の間でも物語として広まっているくらいだ。気にするでない」

「はぁ」


 どうやら、あたしの知っている平民と王都の平民は情報伝達の早さが違うらしい。貴族のスキャンダルがここまで早く物語になるとは。

 都会は恐ろしいところだ。さっさと帰って、冬支度を始めよう。と、また思考が飛んでいた。

 さっさと退室したいあたしに国王陛下が世間話の続きのような口調で言った。


「その令嬢ーーアシュタルテ・ベッラ・フォン・スタージア伯爵令嬢を、その方で預かってくれぬか?」

「はっ? どういう、ことでしょう……?」


 アシュタルテは神話に出てくる女神の名前。

 ベッラは異国語で美しいという意味。女の子の名前ではよく使う。

 その上、スタージアーー星の様という苗字を持つとは、名前だけで華やかな令嬢だ。

 アシュタルテ・ベッラ・フォン・スタージア。

 その名前が、あたしの中に初めて刻まれた瞬間だった。首を傾げながら国王陛下を見れば、ただ面白そうに笑っている。


「面識は?」

「まったく、ありません。わたしは王都に来るのも、夜会に出るのも珍しい引きこもりですから」


 ピンと背中を伸ばし、答えた。

 訳が分からない質問が続くが良くない流れだ。

 だけど、面倒事は引き受けたくない。領主代行になったばかりで、ディルムの相手だけで精一杯の状況なのだから。

 嫌だと言外に込めているのに、国王陛下の笑みは深くなるばかりだ。


「その分、色々開発していると聞くぞ?」

「元からあるものを効率化しているだけです」


 決して、自分の才能ではない。

 スキルのお陰で開発がしやすいのは認めるが、自分の能力値は把握しているつもりだ。

 何より女が目立つ才能を持っているとやっかまれる。

 婚約破棄された令嬢を引き取るなど、少し考えただけで面倒事が芋づる式についてくる。


「領主代行の仕事はどうしている?」

「執事長に手伝ってもらいながら、こなしております」

「あの婚約者では、内政はできまい」


 国王陛下の遠慮ない言葉に、ほっぺたが引きつった。

 それはあたしがディルムに言いたい言葉だ。できないくせに口を出すから手間がかかる。

 陛下はあたしの様子にニヤリと唇を釣り上げた。


「アシュタルテは、王妃教育も完璧にこなす才女。ノートル領の人手不足を補うには、うってつけの人材ぞ」

「それは……」


 あたしは生唾を飲み込んだ。

 ディルムは実務能力がないし、女というだけで政治的な仕事をさせない。

 執事長と二人だけで取り仕切るのは厳しそうだなと思っていた。


(王妃教育……あたしには無理だなぁ)


 それを完璧にこなすとは、年下の女の子なのに白旗を上げたい気分だ。王妃教育も普通の令嬢であれば音を上げる厳しさと言われている。

 成人前に太鼓判を押される状況は非常に珍しい。

 ただ――あたしは陛下の顔を真っ直ぐに見つめた。


「わたしだけでは、やはり力不足ですか?」


 女は領主代行だけ、だ。一人ではできないと言われているようにも感じた。

 あたしと陛下の視線がぶつかって、脇にいる大臣が「不敬だ」と叫びそうな顔で睨んでくる。

 陛下は肯定も否定もせずに、ゆったりと椅子の手すりに肘をついた。


「アシュタルテは今、アルフォンスの毒殺容疑がかけられている」

「毒殺、ですか?」


 ゆったりと視線を逸らして陛下は話し始める。

 無理やり苦いものを飲み込んだ気持ちのまま、陛下の話を聞く。

 婚約破棄だけでも十分なのに、毒殺の疑い。噂だと信じたかったが、陛下が言うなら本当なのだろう。

 一体、何があれば婚約者の間でそんなことになるのか。

 顔をしかめたあたしに陛下は何を思い出したのか虚空を遠い目で見つめた。


「それ以外にも色々あってのぉ。王都に置いておくのはマズイ状況なのじゃ」

「ですが、ノートル領は辺境ですし、伯爵令嬢さまが暮らせるような土地では」


 王都には土の道さえない。ほぼ全部が石畳。歩くのが難しい夜会用の靴でさえ歩ける。

 ノートル領ではあの靴で歩ける場所のほうが珍しい。

 魔道具も王都ほど整備されていないから、自分の手で明かりをつけたりする必要もある。

 何より、寒い。

 王都よりだいぶ北にノートル領は存在しているのだ。あたしの言葉に陛下は顔の前で大きく手を振った。


「よいよい。あれは、そんなヤワな人間ではない……アルフォンスにもあれくらいの気概があればなぁ」


 口から漏れるのは大きなため息。

 令嬢とは世界一ヤワであるべき人種だと思うけれど、どうやらアシュタルテ様はそういう枠にさえ入っていないようだ。

 こうやって言うくらいなのだから、陛下はアシュタルテ嬢が毒殺をしたとは考えていないのだろう。

 気概で令嬢に負けるなんて、アルフォンス殿下が少し心配になってしまう。


「何もずっとではない。事件の捜査が終わるまでじゃ。ノートルは良い人材を手に入れられるし、悪い話ではないぞ」


 頭の中で天秤が動き始める。

 良いことは、内政ができる良い人間が手に入る。しかも同じ女性で気兼ねなく話せる。

 悪いことは、性格が分からない。婚約破棄された伯爵令嬢を預かることで、アルフォンス殿下から目をつけられる。それに合わせて、周りの貴族も何かしてくるかもしれない。

 ちょっと考えただけで、これだ。面倒が勝つのだけれど。

 あたしは国王陛下を下から伺った。


「……断ることは」

「ふむ、どうじゃろうな?」


 にっこり笑う顔には、拒否は許さないと書いてある。

 どんなデメリットより国王陛下に目を付けられることがキツイ。

 あたしは一度目をつむって覚悟を決めた。


「承知しました」


 吐き出した言葉は、隠しようもないほど苦々しかったのだけれど。

 誰にも触れられることなくスルーされた。


「おお、良かった。良かった。では、アシュタルテを呼ぶとしよう」


 陛下が側近に耳打ちをする。すぐさま後ろの扉から出ていった。

 この準備の早さ。やはり元々逃げ場はなかったらしい。


「少々気が立っているが……よろしく頼むぞ」

「かしこまりました」


 気が立っているとは?

 頭の中に湧いた疑問を握りつぶす。

 この狸爺――恭しく頭を下げながら、そう思うくらい許されても良いと思う。

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